見た映画。あまりにもたまってるんで全部は無理だった。とりあえず途中まで。

コリン・トレボロウ『ジュラシック・ワールド

めちゃくちゃよかった…最高だった…。
キスのタイミングが最高すぎた。今まさに、気持ちが最高に盛り上がった!(こいつ…最高だ!)という瞬間にされるからぐっとくる。しかもそれが、恋愛映画じゃなくパニックムービーで為されるという新鮮さ。オーウェンのキャラが、クリプラ固有の素養でオラオラ感があまりなく、キスシーンも強引さよりも気持ちが高まってうおおおおおっ!という感じで思わずしてしまった、like犬というおもむきを感じた。
ブライス・ダラス・ハワードのヒロインが、いかにも類型的に登場する序盤の言動を、勿論それだけでは終わらずに、シャツを結ぶ姿、さらに手足を思いっきり降った全力疾走の姿でひっくりかえしてくから信用できる。でもラスト、尾の向こうで横たわる姿、なんていうのも見せる。
パニック物のヒロインのセクシーさや可愛さを捨てずに(Your boyfriend is badass!と言われての微笑み!)、例えばラストの活躍とか、ヒーローの手を取って起き上がらせるとか、の動きで一辺倒にはさせないし、そうなるようにシナリオも作られてる。
いやもちろん、「彼氏超かっこいいね」っていう前から、うおーまじかっけぇ‼︎と思ってたよ。闇夜のジャングルを並走するバイクとヴェロキラプトルなんて画が見れるなんて…ヘッドライトとライフルの赤いレーザーと獣の瞳の光が入り乱れ、しかも暗視映像って…。レデターかよ!って思った。
あのジープ(願わくばゴーグルも持っていってほしかった…)、そして某パイセンの登場もぶちあがったなぁ。室内でのラプトル戦もあったし。テーマソングも心に響きまくった(完全に世代的なやつ)。

ざっくりした話になるけど距離感について。クレアの、甥に抱きつかれて「ハグしてくれるの?」と言いながら戸惑って手が出せない様子や、何度かホログラムを避けずに突っ込んでいく行動、は、彼女の自分以外の存在との距離感の取り方を端的に示してる。それに対するのはオーウェンの、いわゆるprattkeepingの動きや、死の間際の恐竜のいたわり方、だろう。つまり距離感というのは信頼ということについて通ずるということ。印象的なのは蘊蓄を語るシーンの多さ。しかも語るのが1人じゃない、色んな人が色んな場所で自分の考えをつらつらとしゃべる。それに対して言葉少なに受け手に回るオーウェン、ってとこか。
あとインドミナス・レックスやラプトルが、雌だというのも非常に印象ぶかい。うまく言えないのだけど、ブライスが"She ate it"(でしたっけ)という時、の、HeではなくSheと言った時の感じというか。


クリストファー・マッカリーミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション

まぁ、神がいたな、という感想…単純にマジでやってる、しかも度を超えて。バイクチェイス笑っちゃった。だって一人だけノーヘル顔出しだしスーツ着てないし(中に何かあるんだろーけど)。登場シーンの良さ…。
ストーリーがどうのこうのというか、まず作戦、潜入とか逃走といった、行為それ自体を見せてる・見せたい映画だということ。ってのは
やはり映画愛。ヒッチコックオマージュであるスーツ着用、空間を満たす靄とガラスをなぞるように消える手、電話ボックス、劇場と舞台裏、カサブランカ、霧に煙るロンドン、街灯に照らされ壁にうつされたシルエット、などなど。1作目の監督であるデ・パルマ(オペラとか)を思い出したり。
しかしともかく、レベッカ・ファーガソン、最高です。トム兄との無駄脱ぎ対決!もある。
あと、アレック・ボールドウィンとジェレミーのやたら元気よく立てられた前髪、イーサンの若々しすぎる垂らされた前髪…。
ローグ・ネイションとジュラシック・ワールドのハイヒールについて、個人的な好みとして前者の華麗なる処理より後者の過激さありえなさ強引さの方がよいと思ってる。
ジュラシック・ワールドは最初見ていて、女性の描き方大丈夫かこれ…という感はぬぐえず中盤からちょっとずつ安心できていった感じ。男も同様にだめで悲惨という気もしたし。で、確かにローグ・ネイションはその程度が少なかったけどでもタンクトップやよろめきが無くてもボンドガール(プールからのビキニ)あったよ、と。


ピエール・コフィンカイル・バルダミニオンズ』

めちゃくちゃよかった。ともかく、スチュワートと警備員とのミュージカルのシーンで、涙流して爆笑できたの幸せすぎた。そんなこと久しぶりだったので。お前が歌うんかい!からのダンス、脱ぎ、尻叩きのテンポの良さ(サントラ見てみるとたった1分弱)。
ボブがかわいすぎて死んだ。まさにみんなの弟。最初はミニオン特有のいじりで行われた口元の食べかすを取る仕草が繰り返されてきちんと愛情表現になる。
とりあえず今年、ミニオン熱が高まりまくって、グッズも買いまくってます。


ダン・ギルロイナイトクローラー

見てて思ったんですが、ソシオパスないしはサイコパス的な面を強調し造形されたバットマンの話ってあるんでしょうか。知らないだけでありそうな気がする。そしてそのコミックを映画化するのはジェイクこそふさわしい。関係ないのですが、ジェイクがダークかつマッドなバットマン演じる妄想が…きっとゴードンとの関係もギスギスしてる。取調室で詰問されても飄々とかわすブルース・ウェイン…。
ルーの言動は中原昌也作品ぽくて好みだった。
戦争の映画史とも関わってくるけど、「撃つ」と「撮る」が同じshootingであることの意味。終盤の助手のカメラと逃走犯の銃が向き合うシーン。助手は撃たれるがルーは撃たれない。さらに気になるのはルーは"start filming"と言ってる。


クリス・コロンバスピクセル

兎にも角にもミシェル・モナハンという…劇中で髪型変えまくってて最高すぎて…
ともかく最初の、自転車で疾走する少年とチープトリック(だよな…?)、郊外の住宅地、でぶの友達と芝刈機、少女の売るレモネード、という80年代グラフィティで、全て許す!(まだこの時点ではなにも始まってない)最高!という気持ちになる。
あとまたミシェル・モナハンになっちゃうんだけど、子供からお父さんがhotなピラティスやってる19歳と逃げたっていう話を聞いた後に出てきたミシェル・モナハン見てアダム・サンドラーがwow…(だっけ)て思わず言っちゃうのにあわせてこっちもwowだよとなった(なんだこれ)。
まぁあとは1492ピクチャーズのロゴ出てくるだけでぶちあがったというのもあるけど。


ペイトン・リード『アントマン

すげぇよかった。大好き。セキュリティ突破と金庫破りの手練手管(ケイパー物のおもむき)と中身の詰まった特訓シーンが丁寧に描かれるだけでもう好きだということになる。
マイケル・ペーニャボビー・カナヴェイルが出てるだけでもおーっとなったのに、それに加えてなんとT.I.(あのいつものニットキャップの被り方!)とデヴィッド・ダストマルチャンが出てきて3バカって最高か。
序盤の刑務所からの一連のスコットのシーン、画の色調の薄さや編集のテンポなど(ルイスの家のカーテンからの光の入り方)、マーベル作品にはなかった味わい深さがあってよかった。
エヴァンジェリン・リリーちょっとしっくりこなかったけど、ばきばきにしばき合うシーン以降グッとくるようになったからやっぱアクションは重要。願わくばホープと敵とのアクション見たかったけどそれは次回に持ち越しということか。
シリアスであったりエモーショナルであったりするんだけど、そもそものモチーフ(縮小拡大…それに蟻だし。深刻な父娘のシーンでもやることは蟻を操作すること)、出演者たち(もちろんポール・ラッドのライトさ)によってその重さが良い意味で脱臼されてる。唯一本編に出てくるのがファルコンってのもいいね。
原作知らないけれど、スコット・ラング、正に「男」である。自分の立場や命より大切なものを躊躇なく選び取る所作。自ら「使い捨て」だと名乗るヒーロー。
敵に関して一言で表すと、メンヘラおっさんである。師から見放され、その娘には裏切られ、成果を失い(研究所の末路を見た時の号泣ブチ切れの姿…泣けるよ)、脳をやられて、ヘリで銃乱射のきちがいっぷり。
台詞もおもしれーとなった。スコットがクロスに言う、字幕だと「大の大人がそんなことするな」的になっていて、実際は多分"don't pick up wrong size"?とか言ってて、つまり「間違ったサイズを選ぶな」=「身の丈にあったことをしろ」ということなんだけど、それがそのまま、イエロージャケットに対しての批判(小さくなったり大きくなったりしないで=そんなもん使うな)になってる。
それと3バカの"back up"ね。「スコットを助ける」が「車を後進させる」になっちゃうかわいいふぬけっぷり。
キスシーンのちょっと気障な「見せなさ」もお洒落じゃないですか。そこからの逃げ方のくだらなさも。
本拠地であり特訓場所にもなるのが、ピム博士の古びた屋敷と言うのもいい。木のテーブルに広げる紙の図面、印象的なモチーフになる鍵穴の形の古さ(もちろんここが先端研究施設であれば鍵穴自体ないわけだけど)、誰かのパジャマを着る、古びた(しかし頑丈な)金庫、お茶を飲むという行為(角砂糖と結びつく)、回るレコードの上に落ちる(めちゃくちゃ良くないか)。


マシュー・ヴォーン『キングスマン

まったくの印象でかつ抽象的な感想なんだけど、のぺーっとした、平たい映画だと思った。書き割りのような?冒頭の決してセンスいいとはいえないタイトルバックからしてそう。崩れる建物の欠片が文字になる、けど立体感がない。アクションにも奥行きがない、のはわざとだな。表面的に動きをつなげてる。
サミュエル叔父貴に"Great choice"って言われたい&あマーリンに"bloody well done"って言われたい。
偉い人も貧乏人も平等に皆殺しにするマシュー・ヴォーン性格良すぎる。


大根仁バクマン。

もはやスラムダンク+まんが道の映画化。原作通りなのか知らないけど、花道と流川のハイタッチ・山王戦後の湘北展開、もある。予告でルフィ声が使われてるけどワンピの話題は欠片もなく、出てくるのは北斗の拳、キャッツアイ、ろくでなしブルース…会議で辛うじてソーマを出したくらい。つまり現行より前の世代に向けられてる。だからアニメ周りの描写(なんだあの絵)や萌え演出(男同士のいちゃつきの何たるかを知らない、だから体育館のアレくらいしかできない)からそれに対する中途半端さ・興味なさが伝わってくる。
面白い物語(枝葉の切り方は巧みではないけど賢い)、魅力的なキャスティング(山田孝之の静かさで一気に引き締まるし 、新井・桐谷・皆川のキャラ演技の得意技炸裂っぷり、染谷くんの過剰さとラストの抜き加減)、クオリティ高いセット(編集部と仕事部屋のごちゃごちゃっぷりは大根さんテイスト)が揃えば映画なんだと言われれば言い返せないけど、個人意見をあえて言わしてもらえれば「空間を描く」ことが大事だと思った。
そう考えた時気になってしまうのはまず学校。教室・踊り場などの場所ごとが断絶し場面単体でしかなくなってる。その場面内ですらもただ人物を追うだけ。それでも良いと思ってるなら、岩井秀人を教師に据えて桐島に目配せするのはやめてほしかった。あの作品はそこにこそ賭けていたから。
そしてさらに言うと病室。あそここそただ脚本上あったから撮ったという感じ。窓から見える亜豆、と病室内、が完全にばらばら(その前の服部と秋人のロビー出し方のの工夫の無さ感!)。で、室内もひたすら顔アップ。全く並べるべきではないけど『極道大戦争』の病院の良さを思い出してしまう。
仕事部屋を外から撮ったカット(ベランダ)が良かったけど足らない。例えば「激励」シーンの後エイジが外から明かりの灯った部屋を見上げるカットとか。と考えた時に純粋にロケが少なくてあっても狭くしか撮ってないのではと思い至った。
スローとナレーションの使い方にはセンスが必要とされるなーと。ナレーションは最高・秋人・服部なんだけど変える効果あったのか。ただ単に画面に出てる人が読んでるだけなんじゃないか(『あまちゃん』のナレーター交代の意味深さ…)。
しかし熱さがやばく、胸に迫る。病院抜け出してくる最高の命すり減らす感じ。ペン入れするエイジを止めるシーン(ただここは秋人が止めてもよかったのでは)。
にしてもサカナクションの劇伴めちゃくちゃかっこよかったなぁ…よすぎて頭ふってた…あのギターの音の使い方とかしびれたー…サントラ欲しさ…。それに対して、音の処理、そんないいか?エイジとの対決の、曲との混ざり合いというか具体的にペンの音からの移行の仕方、なんか…微妙というか…うるさいというか…。
GAPが堂々と出てるの珍しい…と思ってたらまさかのザッカーバーグオマージュとは…ものまねだしリスクもなく独創性もないから別に狂ってないな。


ジョシュ・トランクファンタスティック・フォー

なにか…はちゃめちゃにやばいものを見た感が…案外悪くないのでは、という望みを普通に裏切ってきた。これで続編、端的に言ってやばい。
…というのは置いておいて、廊下の一連のシーンが素晴らしい。あのカメラワークをもっと他でも使って欲しかった。それともああいうどす黒いリアリティーの出し方、陰鬱さが排除されてしまったのかな。
あとはひたすらケイト・マーラさん、ケイト・マーラさん…と念じ続けていた。その可愛さで気を保っていました。キャプチャーより動いてる方が数倍かわいいです。
すげぇびっくりしたのは、序盤のストーム博士が自分の研究の正当性を主張する会議のシーン。周囲の人々をめちゃくちゃ露骨かつまんまに機械的で情の無い感じに描いてて悪い意味でアニメ(ネルフみたいな)かよとなった。


ナンシー・マイヤーズマイ・インターン

ビジネススーツだけど、ボタンダウンに小さめのノットのアイビーな感じがすでにキャラクター描写になってるということではないかと…個人的には大好きです。クローゼットもキングスマンに続く眼福シーンだった(ベンが家事どうしてんの…シャツにアイロンかけるとか…という疑問はありましたけど)。あと、初出勤のとき、眼鏡ケースとか電卓とかブラウンの卓上時計を次々出すのめっちゃかっこよかったな…。
ベンのキャラクターでおもしろいというか気になったのはたとえば、インターン仲間に対する対応。部屋を探してるというのに対してすぐに自分のとこを提案しなかったり(もっと探せ、なんてはっぱかけてる)、朝起こしてというお願いを一旦突き放したり。あと、ジェイソンからベッキーとの中を取り持つよう言われた時の「自分でやれ」というのとか。なんというか、自分でまず目一杯やって、それでもだめなら助けよう、というか。これ相手が男性というのもあるのかね。でも、夫とやり直したいジュールズに対しての「顔に出すぎ」な反応にも通ずるな。
髭を剃り、髪を整えるという行為が何かを支えてるというか。誰にも会わない休日でも、誰に見られなくともやる、ということ。なんとなくだけど、ジュールズの夫のビジュアルや、彼がやってたことを街でベンが偶然目撃してしまうことが繋がってるような気がする。
「強盗」シーン(先頭を走るデニーロ!)を入れてくるというセンスおもしろすぎるなぁ。ホテルで火災報知器を作動させることで物語を動かす感じとかもハイセンスだと思った
なんていったらいいのか…軽薄というか、アメリカの流行りの映画、って感じですね。それは無論良い意味でしかないのだけど。
1シーンだけ出てくるナット・ウルフ、唐突なケンドリック・ラマーの「i」(向こうではらただの流行り曲かもしくな前向き曲みたいな認識なのかしらん)、車の中で歌っちゃってぶるぶる声を震わせるのやってて完全トレブル(fromピッチ・パーフェクト)なアダム・ディヴァイン、「Netflixみる?」(ホテルのシーンもそうだけど、ベッドの上でテレビを見る、という行為が出てくる)、ジュラシック・ワールドに続いてのジミー・ファロン(ほんと一瞬だけ。やっぱ人気あるんだなーと思った)、など。


チャド・スタエルスキー『ジョン・ウィック

マイ・インターン』も『ジョン・ウィック』もニューヨークの映画だし、ホテルも出てくるし、朝食の風景もあるし、葬儀もあるし、似てますね。
キアヌが腕短めに両手でハンドガン持って敵に必ず2発以上弾を撃つ必殺スタイル。ただそれを見るだけで満足。
個人的お気に入りシーンは、車でひいて、敵が車上をごろごろ転がるのを車中から天井に向けて撃つというシーン。こういう突拍子もないけど理にかなってる暴力というのが好きなのかもしれん。それに人間を雑に扱ってる感じとか。
なんで武器を処分せず地下に埋めてたのか考えてる…てかその前に、ただ単にコンクリをハンマーでぶち壊す画が見たかっただけなんじゃないかということに思い至った
あとは、金貨やホテルなどのファンタジー関連、ジョンの仕事着=正装=喪服、取っ替え引っ替えの黒い車、冒頭のシルエットでわかる(本当にわかるからすごい)デフォーはん、マガジンのリロードかっこいい、拷問無く即殺す、等種々あります。これらは、すべてやりすぎもしくは突っ込み待ちであるので笑ってしまった。他言語字幕の色が変わるの(グラフィックノベル風)もださくて笑った。


黒沢清『岸辺の旅』

中華料理屋のくだりくらいから、この映画はとても恐ろしくやばく、もしかしたらこれを見て気が狂ってしまう人もいるんじゃないかと思えてしまった。
冒頭のフェードインが、ただのフェードインには見えない。黒が明けたのに、まるでまだ黒が残ってるように見える。多分色の加工のせい。色調がやばい領域に踏み込んでる。最後の村の、遊具のある庭?のシーンとか。空の色、それとそのあとの深津絵里のワンショット、そのくすみ具合、…多分明らかなくらい古いフィルムライクな画を作ろうとしてて(構図も含め)その熱意なのか執念なのか、あからさまさに圧倒された。
音の処理の異常さにやられまくった。無音、と、衣擦れや空気の音の使い方の激しさ。滝壺くらいから、おそらく滝の落ちる音や木の葉の音のめちゃくちゃな強さによってだろうけど、人物の喋りのアフレコっぷりがどんどん目立つようになっていくの、もしかしてわざとなのではと思った。
目まぐるしく変化する光。外光、太陽の光なんだからこういうことも起こってもいいんだという、もはや自然を理由にした開き直りとしか思えず、しびれまくる。
あと、室内の柱。2人の部屋や、中華料理屋の大広間。確か『叫』役所広司の部屋とか、『トウキョウソナタ』にもあったような、木の、画面上に屹立するような。その存在する感じの自然さと、ふと思うよくわからなさ。やっぱ構図が…セットとか、画面内の物の配置がすげーなーと。大広間の一望の仕方とか、病院の廊下の椅子とテーブルとか。ああいうよく考えたらよくわからないでたらめさが潜んでる空間設計が真骨頂だなーと(『CURE』の病室、『叫』の警察署)
ここまで台所(最初の部屋はまぁいいとして、それ以外がセットだとしたらすげえと思うくらい生々しい)と料理のシーンが多いとは。白玉作りたくなる(死者を呼ぶ食事…?)。
優介が島影さんに「味濃くなかったですか?」ってきくのとか、瑞希が洗濯物たたんでる後ろでりんご?なし?食ってるのとか、…いや別にいいんだけど気になってしまうな。勿論梅干のシーンもあるとはいえ、優介という人物を、おそらくは避けることができたはずの描き方(浮気に対する発言とか)をあえてしてる。…んだけど、一方で、瑞希もまた、あえて、の描き方をしてる(「私がやります」とか家事を率先してやって家に溶け込む感じとか)。
無論、古典としての、映画の、画としての必然性として、女性が洗濯物をたたむ所作や、台所に立つ姿、を選びとってるのだろうけど、それでよいの?という気もし、でも優介の餃子を包むシーンもあるし、でもそれって違うよなぁ…と思ったり、ぶれまくってる(自分が)。
最初の優介の登場シーンのいつも通りの凄まじさ、特別な人物を画面に収める時の絶妙な距離感(顔がぎりぎりわからないくらいの)、廃墟の撮り方・登場のさせ方に、またホラーを作って!という気持ちになった。
2度目の優介の登場シーンで、深津絵里を真ん中でとらえてからゆっくりとカメラが上方へ動き、ぴたっととまる。少しの間があって奥の部屋から優介が現れる。カメラは、まるで優介を迎え入れるようにわ浅野忠信の頭身が収まる位置まであらかじめ動いていた。それは端的に言って不気味だ。
ピアノのシーン、森での4人の男女のシーン、を見てて、漠然と舞台っぽいなぁと思って、よく考えたら照明の使い方(暗闇からあの壁が見えてくる時)もそんな感じもした。あとキャスティングも(舞台系の俳優)。
優介の講義のシーンで『回路』の武田真治を思い出したり(無論その前の古ぼけたPCも…)、後半の優介の赤いチェックのネルシャツに『ニンゲン合格』の西島秀俊を思い出したり。
岸辺でなく水辺、滝壺にあるあの世へと通じる穴・洞窟というのに何となく中田秀夫『リング2』の海辺の洞窟シーンを思い出した。
しかし、優介が自分の死の瞬間について、島影が家族について、星谷が薫について、語る時の、「引きずりこまれて戻れない」というモチーフの不吉さよ。それの行き着く先としての、優介がタカシを発端にして語る死者の末路。
浅野忠信深津絵里の演技の質、やはり根本のところですれ違ってる。その密やかな違和感がずっと漂っている。
最初の白玉で、いきなりすりごまあんが出てきて、いつの間に?って思ったから2度目の時いきなり擂るところから始まるの見て笑った。あの量、時間かかるよな…そんなことないのかな。
瑞希の父が、最初から優介と結婚した娘の身に起こることがわかっててしかしどうすることもできない、という運命論、を考えるにつけ黒沢清ヒミズ、というのが見たかったなーと思う。
瑞希が父に(無理やり)語らせる死後の世界(後から行った母と穏やかに暮らしてる)というのが、その後のタカシの最期の過程(『回路』!)を見ると疑わしくなる。
文學界の対談で、黒沢さんが『岸辺の旅』の浅野忠信小松政夫だけのシーンに触れてた。あのシーンの異常さ、生者の不在。
黒沢清が、寄生獣の中華料理屋の厨房シーンとか完結編のマジックミラーや廃墟のビニールをどう見たかめちゃくちゃ気になる。