ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

除染

 除染、除染とこの言葉はテレビでも新聞でもごく普通に書かれているし、当然のことのように語られ、その進捗が議論され、取り除いた土をどこに置くかと語られている。
 しかし、除染というのはその辺り全地域に降り積もった放射能汚染物質を掃き寄せて(そういう作業じゃないけれど)それをみんなまとめておいて拡散しないようにして無害となるまで保全するということになるのだろうけれど、そんなことが本当に実際に実行することができるというのだろうか。
 どう考えたって溶けて流れてなくなるわけではないのだし、一体全体すべてのものに降りてきた放射線汚染物質を「徹底的に」取り出すなんてことができるだろうか。できると考えること自体が状況を甘く見ているということであり、「絶対に」安全を保持することができるといっていた原発が全然そんなものではなかったということを考えると、またぞろ同じ連中が同じことを繰り返しているっていうことじゃないのか。
 どう考えても「除染」という言葉を繰り返して、ほとんど二度と帰ることのできないであろう地域の住民の眼を眩ましているということではないのか。とてつもなく大きな罪ではないのか。

国立演芸場

 知り合いのまた知り合いから国立演芸場の切符が廻ってきて、降りしきる雨の中、久しぶりに国立演芸場にいった。ひょっとすると地震の後はこれが初めてだったかも知れない。団体貸し切りだと聞いていたので、開場と同時にいっぱいになっちゃうんだろうと、開場直後に到着。ところが7割くらいの入り。やっぱりこの雨と、夢丸がトリという派手さのない顔ぶれということだろうか。
 やっぱりナイツはテレビで売れているだけに会場は笑おう笑おうと準備万端だ。いうことはない。彼等は昭和53年の生まれで、うちの子どもと同じ歳だと。
 古今亭寿輔はいかにも芸術協会。三笑亭夢花は「時そば」だった。深い出なんだからもうちょっと頑張って挑戦して欲しいなぁ。
 夢丸の「いろがたき」という噺はこれまで聴いたことのないいわゆる人情噺。うちに帰って調べてみると、「新江戸噺」ということになっていて夢丸が脚本を公募してきたうちの一本なんだそうだ。彼は5枚組のCDを「夢丸新江戸噺」としてだしている。全く知らなかった。
 夢丸の噺を私はどうしても好きになれないことが今日も確かめられてしまった結果となった。彼の喋り口調がどうしても私には納得ができない。それはなぜかというと、江戸言葉の喋り方がとてもわざと臭い、ということにある。まるで私がそうしようとして喋っているように聞こえる。ひとつ例を挙げると「〜ってぇと」なのだ。すなわち「若い方がお集まりになりますってぇぇと」の「てぇぇと」だ。これが強すぎる。まるで、関西の人が関東弁の真似をして”そんなこと「いっちゃって」さぁ”の「いっちゃって」が強すぎるみたいなものなんである。つまりわざと臭い。それが気になるのもそうなんだけれど、この噺が廓話だというのに随分とこの花魁(とはいっても太夫に届かない)と若侍がやたらと清い関係なのが腑に落ちない。小石川の豪農がいやみったいのは判るけれど、この三人が一緒に何回も座を一緒にすることで仲間意識になってくるという設定が、ストンと落ちない。そんな状態で一時間近い噺は悩む時間だった。
 どうも夢丸は昨年大病を病んだ様子だ。66歳。
 チャーリー・カンパニーがいつもの魚屋をやるのかと思ったら、「尾津家」だったのだけれど、これは初めて見たからとても面白かった。
 今日の雨は風を伴ってもの凄く、まるで台風のよう。地下を選んで歩いてきたつもりだったのに、家に着いたらびしょびしょで、シャワーを浴びて寝る。

眠っている子ども

 随分前、もう20年ほどになるだろうか。その頃うちの子ども二人も中学生になったばかりと小学校の低学年だった。もうそれ位の年齢になるといろいろなことがある。難しいこともあるし、楽しいこともある。腹の立つこともあるし、腹を抱えて笑うこともある。そして当時の私は40代半ばにかかっていて仕事もいろいろなことが起きていたし、あっちに行ったりこっちに行ったり、上手くいったり、いやなことが続いたりしていた。
 それでもようやく家に帰り着いて、部屋を見ると、上の子も下の子もぐったりと寝入っていた。つるつるしたハリのある、みずみずしい肌をした彼等が仰向けになって、手を拡げて寝ているのは実に平穏で、平和でほのぼのとした風景で、心が洗われたものだった。どんな生活でもいい、彼等に楽しい人生を創ってやりたいものだと思ったものだった。巧くいっているような気がしない今日この頃だけれど、あの時は本当にそう思ったことを思い出す。
 彼等は今どう思っているのだろうか。気になってしょうがない。

2011年11月18日のツイート