ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

歩く

 都庁の近所から歩き始めて、ブックファーストで本を見付けたのに、どうせかうならもっと家に近づいてからにしようと、買わずに丸ノ内線に乗る。乗るなり席を見付けて座ると、直ぐに眠くなるけれど、我慢我慢と自分に言い聞かせ、銀座まで寝ずに来た。なんで銀座に来たのかというと(まぁ、いつものことではあるのだけれど)友だちが有楽町駅前に南町奉行所に使われていた石組みが残っているよというので、確かめにいったわけだ。すると、なんということか、いつもその前を歩いている、エスカレーターの大屋根の先に置いてあって、銅板にその旨書いて貼り付けてある。
 交通会館の三省堂に入ってそろそろここで本を買えばよいか、と思ったら置いてあるところが見あたらない。それならと千日劇場の無印に入ってシャツを見た。買うわけではないのだけれど、4000円する絹のシャツの手触りがよい。ジャケットに手を通してみたら案の定、袖が長い。作業服に使っている生地で作ったズボンなんてのを売っているけれど、若い人が履いたら結構格好良さそうだけれど、爺さんがはいたらきっと単なる作業服。何も買わずに出て、いよいよ八重洲ブックセンターに入る。登りのエスカレーターで、私の後ろになかなか美人な母娘が乗ってくるのに気が散って4階までいってしまう。食指が伸びずに、気持ちは丸善まであるこうだった。同じ本を買うのに、食指も何もない。
 とうとう丸善までやってきて、ようやく買った。帰りに地下に寄って帽子を見たら、昨年おいてあったような色の洒落たハットがあったのだけれど、造りのお粗末さに思わず「丸善が泣くぞ」と呟く。あれはどう見ても中国製だ。近所のスーパーで菓子パンをひとつだけ買う。ヒートテックのようなズボン下を捜すも、もう既にどこにも置いていない。白い木綿の長ソックスを珍しく見付けて即買う。2足で980円也。

日本の零落

 ここまで放射線で汚染されてしまった国となった日本がこれから先どうなっていくのかと考えると、それは零落しか考えられない。というのにはいくつかの条件があって、その最たるものは未だに福島第一原子力発電所が放出する放射線が停まっていないという事実にある。今、福島第一のうち1号機から4号機までの放射線拡散はシャット・アウトできているのかといったらそうではない。その上、あの破壊されてしまっている建屋の中には格納容器内にも、使用済み核燃料貯蔵プールにも何千本もの燃料が置かれたままになっている。つまり、地震津波から始まった福島第一の事件は未だに進展中だということだ。コントロールできていないという点が重要だ。
 それなのに、「除染」と称して表土をはがして埋めれば大丈夫だ、といっているわけだけれど、それが際限もなく隅々まで汚染物質を集めることができると思っているのだとしたら、そんな傲慢な考え方は許されないだろう。誰もがやってみたらいい。庭の表土を総べて剥がすということがどれほどの作業になるのかやってみたら良い。で、それを終わったら、上を見上げてみて欲しい。横の杉の木を見上げたら、その木に降り積もった放射能汚染物質はどうやって払い落とすのか考えて欲しい。電柱やら、そこに繋がっている電線の一本一本にも放射能汚染物質がくっついているはずだけれど、それはどうするというのか。
 神社の鳥居の上にも載っている汚染物質はどうするのか、お寺の大屋根の上はどうするのか。集めて埋めることなんてできるのか?海に拡散してしまった汚染物質は沈んでいって海底に溜まるだろう。これをどうするのか。
 実態を自国の国民に知らさずに他の原発のストレス・テストの評価をどんどんして再稼働にふみきることができるようにしようというのが、経済産業省を初めとした政府・財界側の姿勢だというのはこれまでの動きを見ているとわかる。国内ではそれほど深刻な問題ではないとしているけれど、海外ではとんでもない状況になっているとあちこちで語られている様子がtwitterを読んでいるとよくわかる。
 これでは海外から相手にされないだけでなくて、なにもコントロールできていない日本政府に対する非難がこれから先、増えていくことは容易に想像がつく。それが何を意味するのかといったら、世界的レベルでの非難の的になるということなのだ。そこを理解していない政治家、経営者はあまりにも近視眼的であって想像力に大いに欠けているということができるだろう。これではこの国はどこにいくのかといったら、どんどん低下していくことになるだろう。
 こんな時点で法人税を下げないと外国に出て行くといっている財界があるようだけれど、彼らはこの先、福島第一原発の処置にとんでもない時間と費用がかかることを知ると、さっさと外に出ていくだろう。そして、彼らこそが真っ先にこの国を捨てることになるだろう。
 私達が考えなくてはならないのは、そんな連中に遠慮してやられ放題にしておく必要はないということだ。
 

2012年03月12日のツイート