ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

金の亡者

 私は金の亡者だ。ジャンボ宝くじが売り出されれば必ず買うし、Loto-6もたまには買うし、先日なんぞはBIGまで買ったのだ。なんでそんなことをするのかといったら、金が欲しいからに決まっている。俗物的な物欲に駆られているのだ。実は鉄ペンの万年筆しか買わないのは鉄ペン万年筆が好きだからでもなくて、金額を考えなかったら、これが欲しいというものには手が出ないからに過ぎない。つまり、手が出る範囲内で暮らしているということだ。人間というのは非常に欲の深い動物で、鉄ペンで十分にどんなものにでも自分の書きたいことは書けるのだからそれで良いじゃないかと思うのだけれど、パーカーのあの不思議に書きやすいペンを使って書き物をしてみたい妄想にも駆られるし、それでいながらWatermanのたっぷりと手になじむ奴を指でころころしてみたい誘惑にも駆られるのである。
 そしてさらに、宝くじが当たったら計画することが初めて可能になるであろう旅程をあぁでもないこうでもないと布団の中でっ妄想するのがもはや日常となっているのだ。人間なんて欲の深い動物なのだ。多分私は宝くじの空くじに埋もれ、断熱効果が良くて長生きできるのではないかと密かに期待しているのである。

教文館

 今日は金曜日で、概ね金曜日は日本橋・銀座方面に出かけて安い昼飯を食う。そこまで行くといくら安くても「ゆで太郎」の500円なのだけれど、今日は朝から猛烈に三州屋銀座一丁目店の海鮮丼を食いたくてしかたがなかったので、京橋で一番銀座寄りの出口から出るやいなや脇目もふらず「三州屋銀座一丁目店」に急ぐ。
 午後2時を5分ほど過ぎていたのだけれど、それでも暖簾は出ていたから安心して白木の扉を「カラカラカラカラ」とひくと、中にお客はひとりもいない。この時間で昼飯が終わりにはならないのを知っているのに、わざわざ「まだ良いですか?」と聞いて入る。おばさんが「奥にどうぞ」という。あんまり入り口近くに座られるとおばさんは歩く距離が増える。すぐさま「海鮮丼下さい」というが、おばさんは僕が「かいせ・・」くらいまでいったところで「海鮮丼一丁!」といっている。
 中はいつもの口数の少なさそうな板さんが孤軍奮闘する。洗い場担当はいつもどこから来たのか知らないけれど東南アジアの女性二人。
 表が持っていくまで赤だしのナメコ碗はちゃんとふたを付けて出されている。でおばさんが持ってきたらふたを開けるという結構丁寧なことをしていることに今日初めて気がついたのだ。
 私は仕事を辞めてからというもの、とにかくゆっくり飯を食うことにしている。今から考えると学校を卒業したばかりで工場にいた時なんぞは弁当を10分程度でかっ込んで、グローブを持って飛び出してソフトボールをやっていた。なんちゅう昼飯だったのだろうか。もう少したつと、今度は毎日かき揚げうどんを食っていたなんてのがある。良くもまぁあきなかったものだと思うし、みんな現場仕事なのになんであれで身体が持っていたのだろうかと不思議でしょうがない。
 あ、海鮮丼に戻るのだけれど、この場合刺身をひとつずつ味わって食べるので、余計に時間が掛かる。
 不思議でしょうがないのは、ここの山葵は粉の練った山葵じゃないのだ。多分業務用のそれらしい山葵なのかも知れないけれど、あたかもすり下ろした山葵のような食感で効き目もまさにそうなんである。山葵に味があるといったらいいのか。
 今日の海胆は小さいけれど、一応やっぱり載っている。イクラもあって、しめ鯖、鰹、イナダ、烏賊、蛸、甘エビとあればもう満足だよ。
 満足しながら店を出る時には二人連れが二組いた。一組は見るからに退職夫婦で、もう一組は40代ほどの職場の同僚風で一仕事終わって要約の昼飯だという雰囲気だ。
 真っ直ぐ教文館に向かう。「二階がどうたら・・」と書いたビラが外に出ていた。だから、週刊金曜日を買ってから上に上がる。確かにレイアウトが変わっていた。

仮説の昭和史 上 昭和史の大河を往く第十二集

仮説の昭和史 上 昭和史の大河を往く第十二集

仮説の昭和史 下  昭和史の大河を往く 第十三集

仮説の昭和史 下 昭和史の大河を往く 第十三集

  いつの間に、保阪正康がこんなタイトルの本を出したのか、いくら多作の彼といっても、体調崩しているといっていたのに、先月末にこんな上下巻の本を出したのかと驚いていたら、例の「サンデー毎日」の連載の集大成単行本だった。そういえばここのところ、この手のものをフォローしていなかったことに気がついた。

 するとそばの棚に、これを見つけた。

国民が本当の主権者になるための5つの方法

国民が本当の主権者になるための5つの方法

 日隅一雄の最後の著書ということになるのだろう。少しずつ書いては現代書館に送り続け、最後の原稿は死ぬ何と二日前だったのだそうだ。また、彼が東電がシレッと夜中に放射能汚染水を海洋投棄すると発表した時の記者会見場で彼が「責任者を呼んでこい!」と怒鳴っているのを想い出す。私はネット上でそれをライブで見ていて、本当にマスコミの記者は腐ったジャーナリスト、いや、単なるサラリーマンでしかないことに怒りを持ってみていた。
 こうして闘ってくれた人がいたことを忘れてはいけないし、それを無駄にしてはならないと心から思うと同時に、電力企業を核にした原子力村に住む人間たちと、彼らにヨイショするためだけに国会議員をやっている民主党野田政権を激しく軽蔑するものである。
 山野楽器の3階に上がり、聴いたことのない女性ヴォーカリストを試聴しようとするが、先客の40代とおぼしき女性が占領し続ける。半時間ほど他を見てきてもまだヘッドフォーンを付けている。もう少し我慢をして、とうとう彼女が離れたので聴いてみると・・・やっぱりジャケ買いしなくて良かったのだ。

なにをしたのか

 たまたま私はこの国に生まれ、たまたまこの国に生き続けてきた。同じ日本人でも、もし私が他の国、例えばアメリカのどこかで両親が移民として暮らしていたところで生まれたのだとしたらアメリカ人になっていたのだろうし、そうでなかったとしてもアメリカという国の文化を抱えた日本人となっていた可能性がある。
 例えば、両親が満州に暮らしていて戦後のドタバタの中で生まれ、いくつもの山谷を乗り越えてこの国にやってきて暮らしていたのだったら、そんな背景を抱えて生きてきたことになったのだろう。
 だけれども、現実はたまたま、ずっと日本で暮らしてきた両親の元に戦後のバタバタの中で生まれ、ずっとこの国の文化の中で生きてきただけだ。
 だからといってこのまま自分が知ることができる範囲だけで暮らしていたら、ほんのちょっとのずれで全く違う人生だったかも知れない境遇に気がつかずに、隣にある可能性にも気がつかずに生きていく。
 それに気がつくと、じゃ、そのすぐ隣にあるかも知れない状況とはどんな具合だったのかを知りたくなる。
 そういう意味で、私が抱えた文化を創り出した歴史の中で私の先祖、祖先がどんなことをしてきたのか、どんなことをしないできたのかを知りたくなる。
 特に夏の真っ盛りのこの時期になると、日本が遠くの方まで暴力的に侵略したことを想い出すのだよ。この事実はどんなことをしても隠しおおせることではないし、どんなことをしても誤魔化すことができることではない。

モルモンのロムニー

ロムニーマサチューセッツ州知事は9日、ニューヨークで開いた資金集めパーティーで日本を引き合いにオバマ政権の経済政策を批判。「われわれは日本ではない。10年あるいは1世紀にわたる衰退と苦難に陥っている国にはならない」と述べ、オバマ大統領の下では米経済も日本同様の道をたどると訴えた。(東京新聞電子版2012年8月10日 07時07分)

 1世紀も衰退、苦難にはまだなっていない。なるかも知れないけれど。弱者切り捨てで何がおかしいと思っているモルモン金持ちのロムニーと違って、われわれは十分にヒューマニティーに充ち満ちて・・・・いるとはいえないかも知れないなぁ。こいつが大統領になったらもっともっとアメリカに搾取されて、いよいよ本格的な植民地となってしまうのかも知れないなぁ。

ミスリードの朝日

福島県最後の避難所閉じる 被災3県すべて解消
 福島県は、東日本大震災に伴う県内の避難所が完全に解消されたと23日発表した。ただ1カ所残っていた二次避難所の福島市内のホテルにいた女性が21日に別の施設に移った。学校の体育館などの一次避難所は昨年12月28日に解消されている。これで被災3県の避難所はすべて解消した。
 県によると、県外には、埼玉県加須市と東京都北区に福島県からの避難者の一次避難所があり、今月9日時点で584人が暮らしている。このうち東京の6人は26〜27日に都営住宅に移り、避難所は埼玉の1カ所になる見込み。(朝日新聞電子版2012年2月24日2時41分)

 まるで避難者は出て行かないのかといわんばかりの記事ではないか。これではまるで避難生活を送っている人は残りの584人に過ぎないとでもいっているようだ。実際には自分の本来の居場所ではないところで暮らしている人たちが何万といるではないか。それを忘れさせようとでもいうような書き方だ。

わがまま

 幼い頃から私は周囲から「わがまま」だといわれて育ってきた。そのいわれ方が本人としては大いに気になった。しかし、そういわれると益々素直になれない気持ちがふつふつと湧いてきてしまうのが幼い頃からわかっていた。「そうかよ、それならそれでもいいや、どうせ俺は素直じゃないし、わがままだよ」とスネ夫になるばかりだった。
 「おまえはすぐそうしてプーッとふくれる」ともいわれた。むっとするのが顔に出るということだろう。それだけ単純だということでもある。深さがないのだ。人間性に豊かさがない。余裕がない。懐が浅い。人間にためがない。
 こんな状況だったのに、良くチンピラな人生にならなかったものだと思う。捨て鉢になって目つきが悪くなって斜めに人に向かうという人生になってもおかしくなかったはずだ。それがそうならなかったのはただ単に小心者だったからに相違ない。そこまで人としての道を踏み外すだけの度胸がない。度胸がないというのは幸いにもなり得るのだ。
 小心で度胸がないから自分が日頃思っていることもいえない。だから、良いようにも悪いようにも人からは誤解される。
 ところがそこが素直じゃないから誤解されるならそれでもしょうがないかと諦める傾向もある。この歳になっても自分のことがよくわからない。

噴飯ものとはこのこと

谷垣総裁は、今年度予算の裏付けとなる赤字国債発行法案の取り扱いについて、「予算のむだを省くなど、いろいろやることがある。早く解散して、新しい体制のもとで整理して通すのが王道だ」と述べ、今の国会での成立には協力せず、衆議院選挙を経た新しい政権のもとで成立させるべきだという考えを示しました。(NHKニュース2012年8月10日 1時26分)

 これ、誰がいってんだ?まさかこれまでながぁ〜〜〜〜いこと政権を担当してきた自民党という政党の親方がいってんじゃないんだろうな。そのまんま君たちはこの台詞を自分の胸に大きな声で言ってみたら良いんじゃないかな。それでも恥ずかしくないっていうんなら、それからようやく公にしてみたら良いんじゃないかな。
 「無駄を省く」?君らはどれだけ「無駄な予算」をばらまいてきたというんだよ。どれだけ特別会計に流し込んできたというんだよ。野田も大バカだが、君は恥知らずというレッテルが丁度良いかも知れない。

ゆうちょ銀行

 恥ずかしながら私もゆうちょ銀行の口座を持っております。随分前、もう2ヶ月くらいになりましょうか、郵便局、それもその口座をこしらえた郵便局じゃなくて、反対側にある郵便局から封筒が来て、「印鑑シールを通帳から外すことになったので、印鑑届けを出していただく必要がありますから証明できるものと一緒に持ってきてください」と書いてあるんですよ。
 で、持っていったら「はい、この用紙にお願いします」と渡されて、それに書いて出しました。で、何でももう一度通知が行くからそしたらそれを持ってきてくださいってんですなぁ。えらい面倒なことをしているんだなぁと思ってはいましたよ。

 すると、今度はこの地域の中央局になっている郵便局からまた同じ手紙が来たんです。おかしいなぁとは思ったけれど、わざわざ一度行ったんだから、もう良いだろうと放り出しておいた。すると今度はそこから電話です。
 「いや、こうこうだぜ」といったら、そこに登録済みと書いてあればいいけれど、書いてなかったらまた来てくれというんですよ。早速通帳を見たらそんなこと、どこにも書いてないんです。
 ゆうちょ銀行なにやってんだ?おかしいぞ。これって、一種の「オレオレ詐欺」かい?

2012年08月09日のツイート