ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ポルトガル

 NHKのドキュメントで。
 なんと平均失業率は15%で若者についていうとその失業率は36%にも登るというんだから、そりゃもう絶望的。かつての植民地であるブラジル、アンゴラモザンビークなんてところに出稼ぎに行くしかない、コエリョ首相自らが「もう外に出稼ぎに」って公言している。
 アンゴラといったらつい最近まで内戦状態に陥っていた国だけれど、ガスやダイヤモンドといった地下資源があって、今や経済成長率12%といわれているのだそうだけれど、なんたって貧富の格差が大変に大きく、やっぱり治安は良いわけがない。格差が広がると当然治安は乱れる。
 ポルトガルでは高学歴、高能力の人たちがこれまでの生活を維持できなくて、どんどん国を捨てる。すると家族がばらばらになる。家族が崩壊しているのに、国が安定するわけがない。
 これをわが国に置き換えてみると、旧植民地はあるけれど、言語的には共通部分はもう残っていないし、あれから恨みを買っていて感情はよろしくない。するとわが国の場合はそんな海外への出稼ぎ先すら存在しない。しかも国民の大半は自国語以外とんでもない。同じような状況になった時、私たちはどんな状況になるのかといったら、もうほとんど絶望的だ。

もし知っていたら

 小学校の時はまぁしょうがないとしても、中学から高校での私の毎日というものはどうも、どの偏差値の大学に入ることが出来るのか、できないのかということを大前提にした生活であったような日々だったという気がする。今、この歳になってわかるのはそれは全く本末転倒な日々であって、本来的にはこの世の中がどんなことになっていて、どこにどんな出来事があって、どこにどんな面白いものあって、どこでどんなことが繰り広げられているのかってことがわかり、そしてそのためにどんな準備をすると良いのか、ということがわかって、その結果どこでどんな勉強をするべきなのかがわかるべきだったのだ。
 そんなところをおろそかにして、毎月の実力テストでこの学校で何番に入ることが出来るのか、それによってどんな学校だったら受かる可能性がどれほどに高まってくるのか、全然高まらないのか、そんなことにばかり感心がいっていた。だから、ろくに本質的な勉強をしなかった。それじゃ、全然ダメなのだ。だから、うまく行かないとわかった時には放り出してしまった。All or nothingで全然意味がない。あの時にわかっていたら、そのあとはとても充実したことになっていたのではないかと思うことも出来るわけだ。あとから取り返しに動き出したのだけれど、それでも遅かった。
 もう少し賢明なる子ども時代を知らない間に過ごすことが出来るようなシステムにしてあげたいものだよなぁ。

一種の罠

 海外からの留学生を受け入れる教育産業というものは一種の輸出産業でもあり、ある種の外交交渉の基礎固めの要素だってある。多くのアジア、アフリカからの留学生は留学生活を通じてその国に対して親近感を得て行くであろうことは期待値として相応の役割を果たすだろう。しかしそれには留学生本人がそれ相応の体験と記憶を得ることがなければあり得そうもない。そこが果たして留学生に対して効果を果たすことが出来ているのかどうかは、なかなか評価しがたい。
 豪州で発行されている日本語新聞「日豪プレス」がその電子版で「Victria州にあるディーキン大学でビジネス法学部の学生100人のうち、30人の学生の宿題エッセーに疑惑がもたれていた。大学側はさらに調査を進めた結果、30人のさらに3分の1程度がカンニングの疑いが濃くなっており、そのうち一人を停学処分にした」と報じている。多分現地の報道の焼き直しだろうけれど、これは容易に想像がつく事態だろう。
 豪州は米国に比べて治安もそんなに悪くないし、行きやすいとしてアジア系留学生(特に中国、韓国)が多かった。しかし、どうやらその数にもかげりが出ているらしく、この記事の中にも、全豪海外留学生評議会のアレーム・ニザリ会長の言葉として「海外からの留学生は、留学コース案内から始まって様々な罠にかかって利用されているように感じている」という言葉が紹介されている。
 その傾向は実は昨日今日始まった話ではなくて、昔から留学生は美味しい客として認識されていた。それはどこのどんな業界でもあり得るパターンだけれど、不案内な街にいって不案内なシステムの中で何かを始めようとすると必ず遭遇するものだけれど、ことが「教育」という分野だけに「そんな罠」があるとは考えにくい、ということが根底にあるのかも知れない。
 尤も、日本にだって、大学や大学院に引けをとらないくらいに高額の授業料を徴収して満足な環境からはほど遠い状況で「楽しい青春」を標榜する専門学校だって、そして簡単に入ることの出来てしまう満足なカリキュラムも確立されていない大学だって平気で存在する。文科省は一体何をしているんだっていったって、設立、学科新設後の4年間はともかく、その後の状況を見ているとこれで良いわきゃないな、という学校はやっぱり存在する。
 それはある種の罠だと考えられないことはないといえるのではないだろうか。

 先日参加した元日本軍の捕虜だった方々の体験談を聞く交流会には簡単な関連図書をお持ちの方がおられて、中から数冊入手した。

C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン

C級戦犯がスケッチした巣鴨プリズン

 捕虜虐待の罪に問われ重労働30年の刑を宣告された著者が収容された巣鴨プリズンの様子を当時漫画にして残していたもので、かなりの数の絵にしていたそうだけれど、その大半は人にくれてしまったのだそうだ。著者は大森捕虜収容所に所属する軍曹で、捕虜に対する暴行容疑のC級戦犯だ。多くの場合、捕虜は大変にひどい目にあっている。しかし、当時の日本の軍隊では上官から下の兵に対する暴行はごく普通の日常の風景であって、当たり前の行為になっていた傾向がある。それが戦後になってもあらゆる場面での体罰として当然の行為のように語られていた形跡がある。だから、やられた方の受け止め方とやった方の受け止め方に大きな違いがある。これも大きな問題を生み出した要因でもある。
1945年9月11日ラジオで大森捕虜収容所所長、品川付属病院院長らの戦犯容疑が伝えられたと記してある。
 このときに発表された戦犯リストの中には日本人の戦犯だけでなく、外国人も戦犯として含まれており、その中には豪州兵捕虜として対敵プロパガンダ放送であった「セロ・アワー」を担当したチャールズ・カズンズも含まれていた。彼は解放されて帰国するべく日本を既に離れていたが、急遽日本に呼び戻されている。このニュースは豪州でもAAP特派員発として報じられていて、13日のThe Canberra Timesは一面でこのニュースを取り上げ、前日Sydneyの自宅でカズンズ夫人に取材した様子まで「きっとすべてうまくいくはず」というコメントと一緒に報じている。

War Graves Digger: Service with an Australian War Graves Registration Unit

War Graves Digger: Service with an Australian War Graves Registration Unit

 各地の戦争でなくなった豪州人墓地について書かれたもの。横浜にある英連邦戦没者墓地についても当時の写真を含めて言及されている。

それでもぼくは生きぬいた―日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語 (教科書に書かれなかった戦争)

それでもぼくは生きぬいた―日本軍の捕虜になったイギリス兵の物語 (教科書に書かれなかった戦争)

 あの戦争で日本軍の捕虜になったのは全部で30万とも35万人ともいわれている。英国にかつて住んでいた著者が英連邦軍捕虜6万人のうち6人に取材して彼らがどの様な捕虜生活を送ったのかを記録したもの。
 ロンドンの戦争博物館は1995年に終戦50周年を期して多くの兵士のインタビューを残しているようである。

司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)

司法が認定した日本軍「慰安婦」―被害・加害事実は消せない! (かもがわブックレット)

 どうやらなかったこととしてしまおうとする状況の中で検討するべきポイントを認識し直すために。

花火

 昨日は東京湾お台場海浜公園でミュージック花火というイベントがあった。海浜公園の入り口をゲートにして、約1万人の有料観衆を入れ込んだイベント。友人が正に海浜公園が見えるところに暮らしていて、そこのベランダからよく見えるからおいでおいでの連絡に、押っ取り刀で駆けつける。彼女は会社勤務の最終年にすることにして、最後はこれまで住んでいたアパートの倍の賃貸料を払ってここに期間限定で引っ越したのだそうだ。だから、サバサバしていて、みんなでこのチャンスに楽しもうということになった。
 日曜日の「ゆりかもめ」は上りも下りの満杯で、若い人たちばっかりで、傍若無人もいるし、賑やかだし、活気に溢れている。みんなこんな生活が普通だと思っているのかも知れないな。本当はそうじゃなくて、このあたりの企業群というのはほとんど虚業で暮らしているんだよと説明したいけれど、それで暮らそうがそうでなかろうが、彼らの勝手だってものだ。
 そんなことをいわずにしっかり楽しんできた。