ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

BBQ

 大学時代からの友人宅庭において挙行される年に一度の大BBQ大会。正午に集合。買い出し部隊、火熾し部隊に分かれるが、もう何年もやっているので、わくわく感がない代わりに手早い。このうちの庭には煉瓦で組んだ竈ができていて、炭を熾すのもぱっぱとできちゃう。
 まず簡単に鉄板で焼けるものを焼いてから今度は金網に取り替えて、肉を焼く。そのあとで秋刀魚。概ね焼き方でいつも異論が出る。「そんなに触るな!」と叱られる。
 結局、始まりから家の中に場所を移して語り続けて終わるまでに9時間を要するという大プログラム。最後はまたギターを持ち出してくる。サックスが鳴る。
 テレビ組はフィギュア・スケートに釘付けとなる。その間もガンガンわぁわぁ話し続ける。
 さすがにかつてに比べると酒の減る量が愕然と減っている。その代わりにそこら辺で酔って寝ちゃう奴がいなくなったな。三々五々帰宅。

大学新設不認可

 三校が認可されなかった。秋田市秋田公立美術大学、札幌市の札幌保健医療大学、それに、愛知県岡崎市岡崎女子大学の三つがこれまでの「大学設置・学校法人審議会」が認可答申をしたら通常認可されるというプロセスを田中真紀子文科相が覆したと各紙が報じている。何かといったら田中真紀子を追い落とすきっかけを探しているマスゴミの良い餌食となりそうだ。
 しかし、大局的に考えると、これまであまりにも容易、簡単、やりたい放題に認可してきた文部科学省に大きな責任があることを考えたい。
 それでなくても少子化に拍車が掛かっている。いくら大学進学率がうなぎ登りで、こんな事をいってはなんだけれど、猫も杓子も大学へ行くとはいえ。私立の大学を見たらわかるが、A.O.入試だとか、英語でTOEICで何点以上だったら無条件とか、果ては英検何級以上は良いよとか、一芸入試だとかいって、およそ大学という名前で学習・研究するようなレベルではない学校が目白押しになっている。これは事実だから認めなくてはならない。
 多くの女子短大は有名なところ以外はどんどん長期大学化されてきていて中には「女子」をとって共学大学にしたところが随分増えた。
 しかし、私学は走り続けなくてはならない。幼稚園児から囲い込んで授業料を取り続けなくてはならない。何しろ営業だからだ。そうではないということになっているけれど、どう考えても営利事業だ。だからどんどん校舎を建てる。学生数を増やす。どう考えてもこのキャパシティでこの学生を収容し切れないじゃないかというけれど、在籍している。
 新設された大学や学科は当初の4年間は文科省認可の条件を変えてはならないことになっている。そうでないとあっという間に羊頭狗肉になってしまうからだ。それでも4年間を過ぎると、かなり羊頭狗肉になってしまうのだ。それを見てもわかるだろう。
 都内にショッピングモールや新しいビルが建った時に、様々なブランド店が店を開く。賑々しく開店する。しかし、それは次の書き換え時期が来ると一線級の店はどんどん次の新しい建物に移っていく。そのあとに何が残るのかというと、チェーンの居酒屋のようなものが入っていく。レンタル料が一気に下がる。
 それと同じことが大学にも起きる。
 だから、田中真紀子が考えることは本来的には正しい。しかし、適切なタイミングはこの時期ではなかったかも知れない。しかし、来年度からはその気になって新設検討をする必要がある。

 3.11以降、さまざまな本が刊行されていて、大きな本屋にいくと、3.11ものがこれでもかと山積みされていて、逆に埋没してしまった。
 昨日銀座の教文館というまぁまぁな本屋で、そんな規模だからこそ見つけることができたのがこの本だった。

3・11に問われて――ひとびとの経験をめぐる考察

3・11に問われて――ひとびとの経験をめぐる考察

 まずタイトルからして一連の3.11ものと大きく異なっている。「3.11を問う」のではなくて逆に「問われて」いるのだ。
 そして、著者を見ると見慣れない組み合わせだ。水俣を生涯のテーマにしてきた栗原彰とテッサ・モーリス・スズキの名前が並ぶというの私の発想の中にはなかった。それぞれについて視野の中に常に入れていたつもりだったのだけれど、この組み合わせは意外だった。そして、返す返すも残念だったのは、この本が今年の2月に出版された時に、私が見つけることができなかったことだ。いくら山積みだったとはいえ、あの時にタイミング良く手にすることができなかったことが残念だ。

おカミが何をしているのか

 今更私如きがここに何を書いてもどうせなんちゅうことも起きないのだからということではあるけれど、3.11以来様々なことが明らかになってきていて、私たちの「おカミ」が何をやってきたのかが明らかになってきている。
 いや、「おカミ」がやってきたことはついこの前から始まったこんなことだったのではなくて、ズ〜っと昔からのことなのだけれど、まさかこんなことを「おカミ」ともあろうものが私たち国民にするはずがないという思いがそれを否定し続けてきた。ところが、そんなのは人の良い、ボォ〜ッとした、無知な国民が信じていただけで、「おカミ」はずっと昔からそうしてきたのである。
 原子力発電というものが当時もそして今も未完成の技術なのにも拘わらず、「電力が足りない」という戦後の状況をいつまで経ってもその根拠とするという大嘘の付き方から始まって、どんどん施設を作り出し、そのコストを全部電力料金に反映することができるというシステムを作り出してあったので、どんどん電気料金をかさ上げして儲けてきた。
 しかも彼らはコスト+フィーで料金を設定することができるものだから、高く仕入れれば仕入れるほどフィーで儲けることができる。だからLPGの料金だって高く設定してきた。そんなやりたい放題のことを許してきたのは一体誰かといったら通産省(現経済産業省)という霞ヶ関の「おカミ」である。
 そして、邪魔なことを言い続ける奴がいたらそれは霞ヶ関コネクションを使って排除してきた。京都大学の実験所で原発政策に異論を放ち続けた小出裕章は未だに助手という立場にいる。まさに水俣病の原因がチッソであるという説を「根拠がない」という理屈で肯定してきた、つまり権威付けしてきた東大医学部の足下にあってそれを否定し、追求し続け東大では最後まで助手であり続けた宇井純を彷彿とさせる。
 福島で邪魔者だったのはかつて福島県知事だった佐藤栄佐久だ。彼は収賄罪で告発された。私がその一報をテレビで見た時には随分胡散臭い名前の県知事だったんだなぁというものだった。なんにも知らずにそう思った。なにしろ佐藤栄作をすぐに思い出す名前だもの。そんな単純な話だ。彼は水谷建設から収賄して弟名義の土地にしたというものだった。ところが3.1以降に彼の発言を聞いて、驚愕した。彼は明らかに嵌められている。プルトニウムを燃料とすることに反対し続けたことが原因であろうということは明らかだ。水谷建設というのはここだけに登場するわけではなくて、小沢一郎収賄疑惑にも登場する。しかし、水谷功元会長は後に「検事との取引でそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」と証言している。
 にもかかわらず、佐藤栄佐久最高裁で上告を棄却されている。これは恐ろしいことが起きているということだ。脅迫によって罪を着せられて社会から排除させられた挙げ句に裁判所が検察の作文を見抜くことをせず、しかもその上の裁判所もまた知らん顔をしているということなのだ。
 佐藤栄佐久のブログ(こちら)で確認したところに依ると、その最高裁第一小法廷の5人の判事のひとりは彼の事件を捜査した(厳密にいえばでっち上げた)特捜を管轄する次席検事だった横田尤孝であり、裁判長の桜井龍子労働省の局長上がりのバリバリの「おカミ」である。
残りの最高裁第一小法廷判事:

  • 金築誠志(かねつきせいし)(1945年4月1日生)東大法-終始判事畑
  • 白木勇(しらきゆう)(1945年2月15日生)東大法-終始判事畑
  • 山浦善樹(やまうらよしき)(1946年7月4日生)一橋大法-弁護士-山梨学院大-筑波大-中央大法

 「おカミ」は本当に「おカミ」社会とそこに資する出入りの「山崎屋」のために機能してきたものであって、それが今でも機能し続けている、ということを私たちはそろそろ気がついても良さそうなものである。
 私たちの老齢年金をここまで腐らしてしまったのは一体誰だったのか。そしてそれを知っていながら見て見ぬ振りをしながら、行政職にはどう考えてもふさわしくない「ボーナス」を貪っているのは一体誰なのか。私たちはそれでも、彼らのために働くことしか考えていない自民党公明党民主党、たちがれ、維新という公金の金食い虫にこの先を託すとでもいうのか。
 人が良いのもいい加減にしたら良いのにと思わないわけにはいかない。

いよいよ

 反原発デモの集合地点として日比谷公園を貸さないと東京都が拒否し、東京地裁に訴えたところ、「収容能力を超えており、都側が公園管理上の支障を理由に不許可としたのは適法だ」としてこれを却下したと伝えられている。
 いよいよ弾圧に踏み切ることにしたのだろうか。これまでのようなわけにいかなくなるのだろうか。芝公園でのでもがまだそれほどでもなかった頃から、高まりを見せ始めた頃に急に芝公園の駅から公演までの間に警察車両が増え、公園の入り口には久しぶりに見たような私服警官の数にくわえ、機動隊の目つきが悪くなった。
 首相官邸前金曜日も最初の頃は警察官も三々五々だったのが、一挙に増え始めた頃から警察車両が一気に増えて、好きなところを歩かせてくれなくなった。
 日比谷公園だって、これまで小沢一郎支援デモのころだって野音でイベントはやっていたし、芝生の方でのイベントだって同時にやっていた。
 集合地点から出ていくだけのどこが彼らは恐れているというのだろうか。いよいよデモそのものを好きにやらせていてはならないという意識が通産、永田町、桜田門が考え始めたのかも知れない。ひょっとすると今度は転び公務執行妨害逮捕が起こるかも知れない。これに対抗するのにはしつこく、しつこくやるしかない。飽くまでも非暴力的にやってすべてを訴えていくしかない。選挙で正しい議員を送り出すまで。

2012年11月02日のツイート