ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

暴君

その昔、私は企業広報の仕事を担当していた。メンバーの中で最も若いスタッフだったから自分の担当部分の問い合わせや、ネタの売り込みに専念していた。他の人たちはそれだけでは終わらないから大変だ。その他のことの中に各社のお偉いさんとの接触がある。私は直接接したことは幸いにしてなかったから困難な事態に直面したことはないけれど、某力のある媒体の産業部にそのジャンルでは「天皇」と呼ばれてもおかしくないほどの影響力をふるっている人がいた。もちろんその部の部長だったのだけれど、何でそのおっさんをそんなに各社が気を遣っているのか私は全くわからなかった。
だからこそ、私がそんなおっさんと直面することがないように、私の上司は多分配慮してくれていたのだろう。
今から考えてみれば、何ともふざけた話で、媒体の部長が何でそんなに権力を振るっていたのだろうかとむかっ腹が立つ。しかし、そういうものなんだということになっていると誰もそれを打開したりしない。そんなエネルギーを使うんだったらそれをうまいこと使って使いこなせばいいんだよ、ということだったのだろう。つまり、そんな輩をその気にさせていたのは周辺の利用者だということなのだ。
こんなことをこの頃は突然思い出して振り返っている。先がない。後ろ向きだ。

延期

当初この日に帰るつもりだったのだけれど、出発が台風の影響で1日遅れたので、1日延ばした。ところが何とこの日に出戻り台風が戻ってきちゃって、どうやら出発は危険なことがなきにしもあらず。それでまた一日延ばした。
当初集合住宅の皆さんにはこの日帰宅と連絡してあったんだけれど、その遅れを連絡することができない。考えてみたら、メールアドレスを知っているだけで電話番号もわからない。その上、今持ってきているデヴァイスがメールを取れるものの送信ができないという状況に陥っているので、何の連絡もできないままにいる。多分、けしからんと怒られるんだろうけれど、この時代、スマフォが駆使できないと怒られちゃうのだろうね。こんな機械を駆使できない人はそういう活動を辞退しなくちゃならんのね。恐ろしい時代になった。



今滞在している家の大きな屋根はトタンで葺いてあって、周囲が大きな広葉樹で囲まれているものだから、大した雨でなくても、枝から滴り落ちる水滴が四六時中音を立てる。だから、その音を聞いていると大雨がきている様に思うのだけれど、窓から外を見ると、しとしと降っているだけだ。この音が非日常的で面白い。

過去話

昨日テレビで延々と「赤軍派」の闘争記録を再現ドラマを何度も繰り返しながら、放送していた。その再現ドラマの出来がとんでもなく酷くて、もう正にお笑い番組じゃないかというくらいの出来だった。「日本の衝撃事件4時間スペシャル」というテレビ朝日の番組。
そんなにひどい番組だったら見なきゃいいじゃないかという話なんだけれど、出てくる話が自分の青春時代そのものだったので、「そうそう、そうだった!時代は革命だよ!」と言いながら見続けてしまったけれど、なんで今時そんな番組だったのか、その制作意図が疑問だった。ま、簡単に考えると、私のような、今や過去を振り返ることでしか日々を送る術を持たない爺婆がきっと見るだろうということだったのではないか。そして、案の定、その手に乗ってしまったということだろうか。
渋谷の銃砲店の事件はもうすっかり忘れていた。その後あの近辺をデモして歩いたことがあったけれど、全く思い出せなかった。そういえばあのデモの時に、興味深げにじっくりデモの隊列を見ていた白人がいたので「加われよ!」と声をかけたら「なんのデモなんだ?」と聞かれ、デモの流れに乗っていて「説明する時間がない!」と言って通り過ぎたことを思い出した。今から考えてみたら列から離れて説明すればよかったのだ。
永田洋子の病的な確執は大変に気持ち悪かった。あの手の活動はどんどん先鋭化してしまいに同志までもその許しがたい思考形態を批判していってしまう。これはあんな過激派組織だけに限られていない。その辺のちょっとした組織でもこんなことは平気で起きる。その程度の差が殺人に至るか、追放することだけで終わるかの違いに過ぎない。

岡留安則の「噂の真相」編集長日誌を読むと、あの雑誌を出版した直後のミニコミ誌調査で、創刊した直後の「噂の真相」は「話の特集」「面白半分」を抜いてトップに躍り出たと書いてある。そうか、そんなに売れていたのか。この年、「面白半分」は8年目にして休刊に追い込まれている。「話の特集」は何回も経営危機に見舞われている。その点では鶴見俊輔の「思想の科学」と良い勝負だ。ま、比べるのはいかがかと言われるほどジャンルが違いすぎるが、この種の雑誌がなかなか経営的に成り立たなかった理由は一体なんだろうか。「噂の〜」にしろ、「話のー」にしろ、「思想のー」にしろ、どれもこれもかなりユニークな個性を持った雑誌だった。今読み返しても遜色がない。せいぜい活字の級数が小さくて今となっては読みにくくてしょうがないという程度だ。(もっともそんなことを思うのはこの歳の爺さん、婆さんくらいのものだろうけれど)。読者がすぐに飽きるのだろうか。編集サイドが慢心して程度が下がるのだろうか。その辺を客観的に見ることができないのが素人の悲しさなんだろうか。
例えば「Tarzan」や「POPEYE」の様な対象としている年代層が限られている場合にはその若返る同年代層の嗜好を先取りして読んでいかなくてはならないからそこで大ゴケすることは当然あるだろう。
全然ジャンルは違うけれど、VANジャケットが衰退したのは子ども向けを開発する時代が早すぎたのではないかと私は思っていた。今だったら子ども向けファッションは時代の寵児で、どんなに高くても爺さん婆さんがホイホイ金を出しそうだから、ガンガン儲かりそうだ。早すぎたやつというのは往々にいる。多分忌野清志郎なんかもそのひとつじゃなかろうか。

2016年08月28日のツイート