ケニアのアレックスくんに話を聞いて考えた日本人の向かうべき道

家に長男の友達でケニア人のマイクアレックスくんがやってきたのはとある小春日和の週末だった。。
彼はスマートな25歳で経営を学び、日本語を学び、そして今回は大学院進学の前に日立のインターンとして働くために来日したのだという。


ちょうど、その頃義父の具合が悪くなり、アメリカ在住の夫も大阪の実家に駆けつけるという事態となったので、万が一の時にはアレックスに我が家の老犬(オスの狆)の世話をしてもらって私たちは大阪に駆けつけようと言う話になった。そこで私はアレックスに犬の散歩につきあってもらって、散歩のコースやエサのやり方など教えることになった。


「犬の散歩した事ある?」
「いいえ、これが初めてです。」
「じゃ、犬飼ったことないの?」
「いいえ、今飼ってます」
「なんていう種類なの?」
「う〜ん、いろいろいるから」
「え、何匹飼ってるの?」
「多分、20匹くらいかな」
「!!」


なんと彼の家には約20匹の犬がいて、彼の廻りの家では、普通に50匹くらい飼っている家もあり、中には100匹以上という家もあるらしいのだ。それらの犬は番犬というより、ペットというより、「犬」というものらしいのだ。そして大きい犬は人気があり、売ってあげたりもするらしい。しかしブリーダーとも違うようなのである。


野良猫がたむろしている場所に出くわした。


「野良猫ってケニアにもいるの?」
「うん、沢山いる村もあるね。」


カラスが『かぁ〜』と鳴いた。


「カラスはいる?」
「いないなかなぁ〜。猿ならいるよ。」
「猿?迷い猿?」
「ううん、群れでいるんだ。朝窓あけると森を300匹くらいが移動するのが見える時もあるよ。」
「!!」

犬は20匹だし、猿は300匹。
ケタはずれの大きな景色が私の目の前に広がる。



翌日娘が宅配便のお歳暮時期のバイトを始めた話をしていると、


ケニアでは僕たちがするpart time jobってないな〜。」
「え?」
「あるなら、part time companyかな〜」
「どういうこと?」
「例えば、僕の弟は12歳なんだけど、小学校から帰ってくると5時くらいなんだけど、そこから2時間は馬場に行くんだ。そこで馬の売買や管理の仕事を2時間くらいして、7時に家に帰ってくる。そこから夕食を食べて、勉強して9時に寝るんだよ。」
「すごいね。」
「うん、僕の20歳の弟はやり手で、家の売買や、車のディーラーのような仕事もしてるし、レストランやバーも持ってる。大学生をしながらその仕事をして小遣いを稼ぐんだ。」
「!!」

ケニアと一般化してもの言ってはいけないと思うけれど、彼の一派が属しているキクユ族は金儲けが上手いというよりは、お金のためなら努力を惜しまない民族のようなのである。日本人がかつてエコノミックアニマルと欧米から揶揄されていたけれど、それよりも遥かにインパクトのある働き方をしているようなのである。


「僕の母親は大手クレジット会社の西アフリカ、南アフリカのディレクターで忙しくしているんだけど、帰宅してから自分たちが持っているサイドビジネスのチェックをしなければいけないんだけど、それが終わるのは大体深夜1時なんだ。」
「え?晩ご飯はどうするの?」
「う〜ん、大体どこの家も夜11時から2時くらいに夕食だよ。」
「それから寝るの?」
「うんそうかな、でも父はそれから映画みたりして大体朝がたの4時か5時に寝るね。」
「じゃあ、朝はゆっくりなの?」
「ううん、6時には起きてるよ。少ない睡眠時間でも大丈夫なんだよ。」
「あなたの家族だけじゃないの?」
「いいやそうでもないよ。従兄弟なんて、イギリスで昼はオフィスワーカー、夜は着替えて夜警の仕事しながら大学院に通ってて、しっかり眠れる日は週のうち2日だったよ。」
「!!」


彼らは睡眠時間が短くてもフラフラすることもなく仕事や勉強ができるらしい。それはキクユ族の特徴なのかもしれないし、ケニアの上層階級のライフスタイルなのかもしれないけれど、とにかく彼らは寝なくても平気らしいのだ。短命なのではないか、と聞いてみたけれど、彼の祖父母は90歳代でまだお元気だそうだ。彼の祖母は未だにスワヒリ語、英語そしてイタリア語に堪能だそうだ。お会いしたこともない彼の親戚がばりばりと楽しそうに仕事をしている姿が目に浮かぶ。



それにしても、本当につくづく世界は広いと思う。



彼がぽつり、ぽつり語ってくれるケニアの生活があまりにも日本とかけ離れていて本当に驚いた。ニューヨークやロンドンなど多少味付けは変わっても先進国の都市生活にあまり大きな隔たりはないように感じる。でもアレックスの話してくれるナイロビの都市生活はまったく東京にないものだ。


12歳の少年が毎日する馬場経営なんて、中学受験をしている東京の12歳にできるのかな?まあ、ケニアの12歳の少年に日本の中学受験はできないのと同じ事かもしれない。



部族間の闘争や、貧富の差の拡大。隣国との戦争。いろいろと問題はあるけれど、ケニアの国民(といってもキクユ族の話しか知らないけれど)にすごいエネルギー、バイタリティー を感じる。生きぬいていくぞという命の強さを感じる。



翻って日本人は競争心が足りない、アグレッシブではない、リーダーシップがない、いつも受け身とかいつも結構いろいろ言われている。しかし、それらをしっかり持っていそうな肉食系国民に今からなって、昔から肉食系っぽい彼らのような人たちとやり合って勝ち抜いて行くべきだ、とはアレックスの話を聞いて実は全く思わなくなってしまった。だってどう考えても日本人にとっては睡眠は大事だと思われるのだもの。


日本人の良さがあるとしたら、それはアグレッシブな面よりも「和を持って尊しとする」や「協調する」などのちょっと損な役回りだけど『いい人』ぽい所だと思う。


それを日本が世界へ繰り出す武器とするのは難しい。でも、「和」を広げて闘争なども全てを飲み込んで300匹の猿の群れ等の野生の動物といつまでも共存共栄できるような地球を作り上げようと頑張ってほしい。睡眠を取りながら毎日コツコツと真面目に努力する日本人がひとりでも多くいて欲しいと思う。

東日本大震災

3月10日に本帰国した。
それから5ヶ月もたった。

帰国翌日に大震災が起きたので
それから今まで
いろいろな事を感じたり
思ったり、考えたり、考えさせられる事が多かった。



被災したとは言えない私にさえ
なんかこう空回りしているような
それでいて
現実が迫ってるような
よくわからない時間が流れ
今も流れている。



あのとき
どこにいた?
何してた?
そして?

というのはきっとずーっと人々に話題にのぼり、
人々の記憶に刻まれる。


私は三鷹駅あたりを車で運転中。
次男は私の車の後部座席。
夫は北米の東海岸
長男は米国出張でアトランタへと向かう飛行機の中。
長女は福島で大学のホッケー合宿中。


それぞれにそれぞれの物語。
私の家族ですらこんなに違うんだから
日本国中一億数千万通りの物語がある。

こんなに大きな天変地異。
全く影響を受けなかったという人はいないと思う。


それが長編なのか
短編なのか
どのような結末に向かって行くのか
それぞれのこれからにかかっていると思う。





人生は不思議だ。


あと数年の命と宣告され覚悟をしていた人が
生きており
あと何十年も生きて行くつもりの人が
何万人も
亡くなってしまったあの日。


生きているということは
時間があるということだ。


何もしないし
何もしたくない時間も
何かにうつつを抜かしている時間も
何かを必死でしている時間も
何かに打ち込んでいる時間も
ひとえに同じように貴重だと思える。


それが生きているということだから。




震災に限らず

困った事
嫌な事
苦しい事
悲しい事
腹立たしい事
恥ずかしい事
がっくりくる事



それらが起こった時に起こった原因を求めて
何かを責める(それが他人でも自分でも)のは不毛だな
といつも思う。


何が原因をとことん突き止めてもいいけど
その原因はえてして
複雑に絡まり合っていて
これ!と
はっきりとわかる事なんて稀なんじゃないだろうか。






終わった事実は変える事ができない。
終わった事実の捉え方は変える事ができる。


嫌な事が起こったときに


時間はかかっても


それらの事柄が自分に
そう、他でもない自分に降りかかった
その
意味を
探りながら
トボトボとでもいいから
前を向いて
歩んでいける人になりたい。
きっと共に
歩んでくれる人がそばに現れる。
きっと手を貸してくれる人が現れる。
きっと手を貸してあげたくなる人も現れる。




8月15日
お盆によせて
そんなことを思う。

若者よ。仕事は選べ!

今日クリーニング屋さんに行った。
小さなクリーニング屋さんだけど、中に人が3人。
レジ係と中で仕分けしてる人と、
洋服にコロコロ(埃や毛玉をとる)をしてる人がいた。

コロコロ回して、時たま毛玉を手で取ってる。
あれを一日中しなければならないなら
本当につまんないだろうなぁと思った。


でもああいう仕事はPCやロボットには
まだ出来ない。


色んな種類の服装を
その形状に合わせてコロコロの圧力を変えながら
全体にかけて、
しかも時々手で目立った毛玉をとる。
仕上げにざーっと見渡してシワを伸ばし
ハンガーにかける。

これは機械にはできない。


私は小学校に上がる前
石川県に住んでいた。
祖母の家のすぐ近くに家があり、
親戚はみんな大体固まって住んでいた。
祖母の家は正面に亡くなった祖父が作って
父が働いている会社があった。
着物用反物の卸会社だった。



おばあちゃんに会えるし、
お父さんをチラと見る事もできるから
お店に行くのは好きだった。
行くと「おお〜、◯◯ちゃん、大きなったねぇ。」
と言いながら抱っこしてくれる人がいらした。
その人の腕には黒い腕カバーがついていた。
算盤で計算して帳面につける大切な仕事をしてるんだよ
と父が教えてくれた。

小さな会社だけど、15人位はいて、
電話がひっきりなしになって
大きな声で挨拶してて
みんなで笑ったり計算したりお茶入れたりと
楽しそうに当時の私には思えた。


今思い返すと、
もしあの当時今のようなPCがあれば
あんなに人は要らないと思う。
抱っこしてくれたあの人も
ひょっとすると必要ではないかもしれない。


私は「昔は良かった。」と言おうとしているのではない。


私は「昔必要だった人」と「これから将来必要な人」
は違うということを言ってみたい。



今から約50年ほど前に必要だった
字が丁寧にかけて、
算盤(電子計算器が出回るのはもう少し後)が出来て
気配りができて、
丁寧に帳面が作れる人は
今はそんなには要らない。
PCが上手く使える人が数人いればよい。


これから将来会社に必要な人は
ロボットやPCが出来そうにないことができる人だ。



ロボットや機械、コンピュータに出来そうにない仕事は


2種類あると私は思う。



一つは複雑な単純作業。


最初に述べたクリーニング屋さんのコロコロとかそうだ。
あのような単純作業でありながら
全体を見回して判断して細かく作業していく事は
機械やロボットには難しい。


そんな単純作業はまだまだありそうだ。


もう一つはクリエイティブな仕事だ。


機械やプログラム、ロボットを作る。
とっても頭を鍛えないと出来そうにない仕事。
また
何が美しいか、カッコイイか、流行ってるかを嗅ぎ分ける
美的センスを必要とする仕事。
それに
色んなアイディアを出す人だって必要だ。
人を巻き込んで動かしていく力を持った人も必要だ。
人をマニュアルレヴェルでなく教育するのも人しか出来ないと思う。

これらの人の仕事は単純作業ではない。


一つ一つの事柄に知的な判断を下しながら総合的に考えて
新しく創造していく仕事は、
難しいがやりがいもあるし、
自由裁量の度合いも高い。



これからの職業は
こんな風に2種類にわりと簡単に分かれてしまうんじゃないだろうか。



前者も意外と沢山ニーズがあると思う。
配送センター、コールセンター等
どんどん効率化されて細かくなれば
複雑だけど単純で、しかも人間しか出来ない仕事が沢山出てくると思う。



後者は、
少数精鋭しか要らないかもしれない。
抜群に優秀でないといけないかも知れない。
自由裁量が大きい分リスクも大きい仕事になり、
高給になるだろう。



この二つの仕事のギャップがあまりに大きいのがこれからの問題だと思う。
この傾向はきっと日本だけでなく、地球規模で起こっているのではないだろうか。







「大学生が就職活動をして
就職がないというのは贅沢だ。
仕事を選んでいるから無いのだ。」という論理を聞く。


そういう側面も確かにあると思う。



しかし、掃除夫から出世した鋼鉄王チャールズ・シュワップなんていう例は
もう私のお祖父ちゃんの会社より前の時代の話なのだ。




今の大学生が肌身で感じている、
仕事を選ぶ理由は
実はこのギャップの恐怖なのではないだろうかと思う。




資産も特になく
美貌も才能も頭脳も体力もほどほどな
私を含めた所謂普通の人は
溶けていく氷を訝りながら
なんとか必死で生きようとする北極グマのようなものだ。



私の子供たちを含めた
普通の若者は
嵐の中を木の葉のような船にのって
出航するようなものだ。


それでも
私は未来を担う多くの普通の若者を信じる。
このようなギャップを作りださないようにするのか
ギャップがあっても大した問題にならないようにするのか
それはわからないけれど、
人類の未来を信じる。


なぜなら
人間はいつも集団で行動し集団で生き延びてきたからだ。
一人の才能で、一人だけ生き延びるとか、
秀才グループだけ生き延びるとかはない。

人間はいままでそうやって
色んな人を内包した人類として
危なっかしくも歩んできた。
これからだって、そうして生き延びていく。



だからこそ、
心ある若者よ。


私はあえて言う。
仕事は選べ!
頑張って溶けかけた氷にしがみつくのだ。





















志と渇望: 思った通りにやるのだ。

今朝、ヨガの先生が
「思った通りにはならないが、やった通りにはなる。」
という書を見せて下さった。

本当にその通りだと思う。


凡人の私は
思った通りにやったことが数少ないので、結局
「思った通りにはならない」ことが多い。
思った通りにやれば、
思った通りになるはずなのだ。


しかし思った通りにやるのはかなり難しい。


思った通りにやれないのは
意志薄弱

物理的な不可能
もあると思うが
大抵において
「意志が弱かった」で片付けられそうだ。



この前、小学5・6年生への読み聞かせをすることになった。
絵本を読んでもよかったのだが、
坂本龍馬が流行ってるから
ちょっと関連した人物ということで
中央公論から出ている江藤淳責任編集の「勝海舟」より
咸臨丸に乗り、日本に帰国するまでのお話を
拾い読みしながらしてみた。


彼は
思った通りにやろうとした
人物である。


面白かった。


勝海舟オランダ語の辞書
ズーフハルマ
が欲しくてしょうがないんだけれど、
お金がなくて買えない。
そこで
持っている人に借りようとするのだが、
貸してくれない。
そこで勝海舟は、
「寝ている間は使わないのではありませんか」と
交渉し
その日から2年間休みなく夜中から明け方まで
本の持ち主の所に通って
ズーフハルマを2冊筆写するのである。
一冊は自分のため、
もう一冊は売った。
買ってくれたのは蘭学の先生。
今のお金で400万円ほどで買ってくれた。
その内、130万円ほどは
貸してくれた人に御礼として渡し、
残りは生活費に使った。


こう書くと簡単な事だが本当に凄いことだ。



読み聞かせは、勝海舟のお話にしたのだけれど、
本当はもう一冊、こっちにしようかな
と迷った本がある。



それは小澤征爾の「僕の音楽武者修行」という本だ。


その時にぼくは堅い決心をしたのだ。
オーケストラがダメなら、せめてぼく一人だけでもヨーロッパに行こうと。
外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたい。とにかくぼくはそう思った。もちろん青二才のぼくに大金のあるはずはないが、多少の金さえもっていれば、あとは日本のスクーターでも宣伝しながらい行けば、ぼく一人ぐらいの資金は捻出できるのではないかと思うようになった。(引用)


このように決意した若き小澤青年の志を理解した人たちの中に富士重工の方がいらして、ラビットジュニア125CCを手に入れるのである。富士重工から出された条件は
日本国籍を明示すること
楽家であることを示すこと
事故を起こさないこと
の3つ。
小澤青年はこの条件を叶えるべく白いヘルメットにギターを担いで日の丸をつけたスクーターにまたがり、欧州を巡るのである。

彼は貨物船でスクーターと共に63日かかってヨーロッパにつく。フランスマルセイユ港に上陸し、スクーターでパリに向かう。スクーターで街をまわって夜は音楽会にでる生活を送ってる内に(驚くべきことに、彼はこの時、計画は皆無。留学でもなんでもなく、ただ上陸しただけなのである。)指揮者コンクールがある事を知る。

そこでそのコンクールに応募するのだが、書類の不備で締め切りに間に合わなかった。日本大使館にかけあってくれるよう頼むのだか、上手くいかず、ふと
アメリカ大使館に音楽部がある事を思い出した。そこへコンクール出場の便宜をはかってもらうように頼むのだ。(小澤征爾アメリカ人でなく、生粋の日本人なのに)

その2週間後、正式にコンクール受験ができる事になり、猛然と勉強を始め、この初めての指揮者コンクールで54名の応募の中から彼は優勝をしてしまうのである。

その所を引用しよう。

…試験となれば、やはりあがってしまう。その上言葉がうまく通じないときている。だから的確な指示をあたえたくとも、ふさわしい言葉が浮かんでこない。
そこでぼくは思った。よし、5体でぶつかってやれと。これが通ぜず落選したらしかたがない。…クソ度胸を固めた。ぼくは腕試しのつもりで大胆に棒をふっていった。誰にもわかるように派手な身ぶり、手ぶり表情を見せて…。これだけはぼくもよく知っている世界共通の音楽用語「アレグロ」「フォルテ」などを連発しながら…。

このようにしてクソ度胸を固め、優勝をかっさらった小澤青年は、優勝の特典からフランス滞在手帳の交付と下宿も提供されるのである。そこからベルリンの指揮者コンクール、と次々と快挙を成し遂げ今日にマエストロに至るのだ。




勝海舟小澤征爾
時代も背景も違うけれど、
彼らに共通しているのは
高い志

渇望。


世界に出てやるという高い志。
そして
その志を実行する源は
蘭学や音楽に対する渇望だ。



周りと同じで良い
とか
楽したい
とか
志が低い。



また



渇望は自分の内面奥深くにあるものだ。
外を見回し
あれも
これも必要だ
というのは欲望であって、
渇望ではない。


尊敬する
MITの石井教授も
「知への渇望」について
東京の講演でおっしゃっていた。



石井教授をご存知ない方は
この紹介ビデオをどうぞ。


この方もまた


渇望
を体現されているようなお方だ。





お金がないからできない。
時間がないからできない。
環境が整ってないからできない。
という人は
お金があっても
時間があっても
環境が整っていてもできないに違いないのだ。



自分を受け止めること
現状を受け止めることも必要。


でも
大海原が待ってるよ。



さあ、
みんな、志と渇望の用意はいいかい?

先人にならって
ともかく、海に出てみよう。

一緒に船出をしよう。

「思った通りにはならない
やった通りにはなる。」

とりあえず
思ってばかりいないで
やってみようか。

何回でも!

違うルートが見つかるかもしれないし。
新大陸を発見することになるかもしれないもの。

[rakuten:takahara:10000397:detail]
こちらはもう中古でしか買えないようです。

新潮文庫から出ています。若い小澤征爾さんの魅力的な写真も沢山あります。

アイルランドの一人のおばあちゃんから産み出されたもの

先週の土曜日、斜め向かいの家の方から
「ちょっととっても急なんだけど、
今日従兄弟が沢山集まってて
よかったらご飯食べにこないかと思って、
どうかしら?」
と誘ってもらった。


彼女の名前はWanさんと言う。
中国系の顔立ちをしている。
シンガポールで育って
大学はニュージーランド
就職はロンドンという人だ。
金融関係の仕事をしていた。
アイルランドで友達の結婚式があって、
そこでご主人と出会った。


ご主人のAnthonyは一見、
白人にしか見えないのだが、
今回始めてわかった事は
お父さんがマレーシア人だってことだ。
NYで生まれてその後すぐに
オーストラリアで18歳まで過ごし
アメリカの大学を出て
NY州のIBMに勤めている。


二人はロンドンとNYとの
大西洋を挟む遠距離恋愛を続けて
結ばれ、彼女はNYにやって来た。
そして今は可愛いMartinがいて
また来年の2月にもう一人生まれる予定だ。


地球を東西南北縦横無尽に駆け巡る感じの
若い感じのよいカップルだ。
(本当、まだ若いのに、2ミリオンの家を買ってるのはすごい)



そんな彼女の家にお邪魔したら
なんと従兄弟が既に寛いで
「おおいらっしゃ〜い」
的な歓迎を受けた。



彼らはご主人側の従兄弟だった。


なんでも彼らのおばあちゃんという人が
豪傑らしかった。


おばあちゃんは若い頃にアイルランドからNYに出て来て
マンハッタンの大金持のコンパニオン(お世話係)を
していた。
みんなに気にいられ、あちこちに友人や繋がりができたが、
自然の多いアイルランドに帰って
地元の若者と結婚し13人(!)子供をもうけた。
そして93歳まで生きていた。



おばあちゃんは子供をみな
アイルランドで産んで育てたんだが
NYで働いていた時のコネなどを生かし
頭が良い子供達の教育はロンドンやNYで
行った。
そして、一人が成功すると
そのお兄ちゃんや、お姉ちゃんを頼って
みなアイルランドから巣立って散らばった。


13人のうち
女の子達はアイルランドに残る子が多かった。
Anthonyのお母さんはアイルランドに残っていた。
年下の方だったらしい。


「おばあちゃんは、3人位しか育ててないよね。
後は上の兄弟が育てたようなもんだ。」
「そうだよ、僕の母さんが沢山の兄弟を世話してるような写真が
山ほどあるよ。」
「僕の父さんは若い方だから写真すらない。」
「父さんは3人位は養ってたとおもうなぁ」


等と親戚の話が次から次へと尽きない。
全然知らない私でも1時間位で段々と
親戚関係やそのキャラクターがわかって来た。



話を総合すると
Anthonyのお母さんは看護士をしている時
マレーシア人の医者の卵のお父さんに
ダブリンの医科系大学で出会った。
お父さんは研究のため、しばらくするとすぐにNYのコロンビア大学に移ってしまった。
お母さんはお父さんを追いかけて
NYで働いていたお兄さんやお姉さんをたよりに
NYまで来てしまった。
お兄さんやお姉さんは彼女の面倒を見てやりながら
看護士の口などを世話をした。
そして彼女はお父さんをものにし(!)
押しかけて結婚前に妊娠してしまったのが
Anthonyのようである。



アトランタソーシャルワーカーをしている人
オーストラリアに住んでる人、
シンガポールで働いている人
と色んな人がいる。
そして社会的地位が高い人もいれば
そうでもない人もいて
でもここでは、
そんな事で評価されたり判断されたりはしないのだ。
何故なら彼らは
みんなアイルランドのおばあちゃんからうまれ
『世界中にちらばった面白い一家」であるからだ。




本当に楽しそうだった。
いつもサンクスギビングに集まるおばさんの家では
おばさんは40人前以上のディナーを用意するそう、
夏にはみんなでアイルランドに集合するんだそうだ。


Anthonyは5、6歳の頃
アイルランドにいる時に
親戚の伯父さんや年長の従兄弟達に
ビールを飲まされて
吐いてしまった。


その時、みんなが言ったのは
「大丈夫か?」ではなく
「絶対にお母さんには言うな」
だったそう。
それを面白おかしくみんなが話題にしていた。


そしてそういう話題に事欠かず
次々に爆笑の渦が起こる。


「ファミリー」っていいな、と本当に思った。


こういう集まりになんとなく参加してる遊んでいる子供達は
こうして沢山の
(成功してる金持ちの伯父さんから、お金はそんなにないけど素晴らしい家庭を持ってる人まで)
様々なシミレーションを実際に見ながら
自分の人生を知らずに設計できる。
そして自分のアイデンティティー、
自分がどこに帰属しているのかという答えを毎年再確認してる。
この従兄弟たちの子供達もまた幸せだな〜と思った。




中国の一人っ子政策がどこまで浸透して
どうなっているのかわからないけれど、
従兄弟ができないって残念だなぁ〜と思う。


日本でもこんな従兄弟会は
みんなが忙しいから
あんまりないだろうなぁ。


我が家の家族5人だって
スケジュール合わせて集合するのが大変なんだものな。



一人の好奇心溢れるアイルランド女性から
13人の子供が生まれ、
それぞれがまた子供を産んで
その孫たちが
親抜きで
一緒に楽しそうにできるなんて
アイルランドのおばあちゃんは天国から
ほほ笑みかけてるに違いないと思った。



おばあちゃんは専業主婦で
新聞にのるような偉業を成し遂げたりしたわけではないだろうけれど、
13人もの子供を育て、見守った。
あなたの子供、孫が世界に散らばり
でも毎年はアイルランドに集まっている。
大きな家に住む従兄弟が
みなを招待してまた助け合っている。
あなたはとてつもなく大きな仕事をしたと私は思う。







アイルランド西部が彼らのおばあちゃんの土地。
夏はとても美しいそうだ。


アイルランド西部の景色がふんだんに使われている映画『LEAP YEAR』

彼らはこの映画自体はあまりうまく作られていないけれど
風景は絶景だよ、と勧めてくれた。
私は男優さんが美男だったので筋とか関係なく楽しめてしまいましたw

21世紀の桃太郎へ

中学3年の息子の高校受験が佳境に入ってきている。

今回の模試の中には満足な結果がでた教科があったようだ。

「でもさ、俺って
すごく波があるんだよね。」



「生きてるからリズムみたいなものは
あるのかもね。」


「だけど、俺波って好きなんだけど。波って良くない?
こう高い所見えると気持ちいいじゃん。
ただ、最悪の時に受験になったら本当に最悪だな」



「そうだねぇ。それにアップダウンありすぎると
疲れないかな。
波を全く無くすのは難しいだろうけど
波を小さくするとか、
波がこう段々高くなってくとか
そういう波にするべきなんじゃない」




「いや、それムズイって。普通じゃできないから
『努力』とか必要だし」



「受験生なわけだし、もうそろそろ
腹くくって『努力』するべき時期なんじゃない」


そうなのだ。
我が息子は『努力』を惜しむタイプなのである。

『勉強』が好きではないのだ。




「まあ、『勉強』って難しいよね。
自分の為だから勉強しなさいとか、言われたりすることない?」



「うん、でも俺それ違うと思ってるよ。
社会の為にするべきじゃん」



「でもさ、それでも難しいよ。
だって、今君が勉強サボっても
社会はすぐに困んないじゃない。
母さんたちはそうはいかんよ。
父さんや母さんがサボったりするどころか
気を抜いたりしただけで
きっともう日本に仕送りできないし
そうなると
お姉ちゃんは大学行けなくて
すぐ働かなきゃいけなくなるし
君は受験もできないしさ


母さんたちは
別にサボりたくて
『努力』し続けるのがすごく嫌だなって
訳じゃないんだ。
寧ろ何かをしてあげられる喜びの方が
強いんだよ。
楽しいけど苦しいおかげで
生きてる実感ありまくりだし。


でもやっぱり苦しいんだよ。
それは『努力』することを
やめられないからなんだ。
やめたら子供がとっても困ってしまうから
もう自分がどんなに苦しくても
あらゆる『努力』を毎日毎日やり続けなきゃいけない。


けれども
こうも言えるんだ。
母さんたちは君と違って
もう『やる』しか選択肢がないから
ある意味、苦しくても
とってもスッキリしているんだ。



ところが
君の場合は違う。



サボっても自分しか困らない。
そんな君が『努力』をし続けていくのは
本当に大変なことだ。
だから、君の『努力』の方が
母さんたちよりしんどいと思ったりするよ」




なんて会話を息子とした。


15歳は昔だと大人だ。
昔の大人である15歳は
『選択肢のない努力』をしなければならなかっただろう。


しかし今は豊かな社会となり
15歳はまだまだ働かない。
18歳でも働かない人が多い。


自分で立って歩けて
読み書きそろばんができて
体も大人に近くなっても
まだまだ『選択肢のない努力』をしなくてすむ。


それは本当に幸福なことだが
同時に生きづらい世の中にもなった。




夫の父が昔私にこう言った。

海軍兵学校の途中で終戦になり
地元に戻ってきた時
大学で勉強しようと思ったら
もう必死でやるしかなかったね。
周りの同年代の友達はみな
田んぼで毎日毎日働いていたから。
自分は何をするって
もう勉強するしかない
やるしかないと思った。


お父さんは肉体労働のきつさを
骨身にしみてわかっていたに違いない。
そのきつい肉体労働のをやるしかない、
『選択肢ない』友達の事を思うと
『選択肢のある』お父さんは
友達の為にも
一生懸命やろうと思ったんだと思う。



でも
今はどうだろうか。

息子の友達の中に
本当は勉強がしてみたくてしょうがないのに
田んぼで働かなきゃいけなかったり
草むしりをしなきゃいけなかったり
子守りをしなきゃいけなくて
悔しい思いをしている子が
一体いるのだろうか。


私の世代ですら
そういう子はいなかった。


労働の厳しさ
命を営んでいく(つまり食っていく)
難しさを現代の15歳の息子に
頭の中の理解でなく
身体感覚を伴って理解させるのは
非常に難しいと思う。




豊かな社会になるということは
生きづらい社会でもあるのだ。



でもそれでも
いつかは人生を一人で歩き始める君



桃太郎のきびだんごではないけれど


『頭の中』が身を助ける時があるはずだから
持って行け
と持たせてやりたい親心があるんだ。

譲るべき
金銀財宝も美田もない。


そんな君が人生を
徒手空拳で切り拓いていくには
あまりに頼りない。


その時には
『頭の中』と『仲間』があれば渡っていけるかもしれない。



今はサボっても君以外は誰も困らないだろうけど
それでも言わせておくれ


『勉強しろよ』って。


(兄ちゃんは母さんに
「勉強しなくていいから、問題とけって言っといて』と言ってたけどさ)




若者は
未来へと続く
人類の希望。



そして人類の特徴は頭脳。
これを使って
世界中の現代の桃太郎は
仲間と共に宝を探して
船をこぎ出していくんだ。



荷物はそんなにいらないから
肝っ玉と
頭の容量を大きくしとくにこしたこたあないって。

自分から湧き出る泉

大きな枠組みをダバーっと一人で変えようと思っても
難しいとつい昨日の記事で書いたばかりなんだけど、
逆もまた真なり(?)で


大きな枠組みをつくっていくのも
実は一人からなんだなぁーと思う。


生きているというのは
川の流れを泳いでいるようなもので

生まれたての頃の
人生というやつは
山の清水のように純粋で
あちゃこちゃ跳ね回って
周りのことなど考えずともよく
くねくね曲がって自由奔放に流れる。
そんな小さな流れを何も考えずに
私たちはただ流されていく。

しばらくすると
小川のようになり
時には滝のように落ちてみたり
ちょっとたまって淀んでみたりしながらも
うねうねと山を下っていく。
時間もあっと言う間にすぎるし(少年老い易く!)
方向も割と自分の思うままに流れていく。
流れも速い。
瞬間瞬間の判断で
いくつかの支流と
合流していきながらやがて大きな流れとなる。



だんだんと大きくなってきたあたりから(35歳くらいか)
流れはやや緩慢となり
その分力強くなり
清濁合わせのむようになり
自分の意志だけでは
泳いでいる進路を
変えるのが難しくなってくる。


後にはもどれなくなるぐらい
いろんな物を飲み込み
大きく太く深く流れていけば(50歳すぎか)
たいていは
後はもう海に出るだけだ。



大きな枠組みという社会の構造も
生き物なので、
この人生に例えた
川の流れととても似てると思う。


中流下流の力がドバーっと押し寄せてきてると
もう一人では太刀打ちできない気がする。




じゃあ、もうぜったい大きな流れ(社会環境のようなもの)は
変えることができないか
というと、チャンスはわずかだけれどあると思う。


大きな流れもふと流れが弱るときがあり
またふと流れが淀む箇所があり
そういうところをついて
誰かがちょっと方向を変えてみれば
あ!と気づいた人がまた
一緒に流れていくということも始まれば
それはやがて大きな変化となるかもしれない。


またダムが決壊するように
不自然に大きく滞ってしまった流れは
やがて大きな圧力となり
もう破れないと思われた壁を破ったり
あるいは
その壁を飛び越えて流れていくこともあると思う。


でも
そのようなことよりも
もっと簡単なことは
実は


一人がちょろちょろと
流れ始めて
そうしてだんだんと皆を誘いながら
新しい流れをつくることではないか、
と思うのだ。


新しい流れが
時に古い大きな流れを
勢いで変えるなんてことの方が
古い流れの中にいて
それを変えようとするより
まだおきやすいと思う。





だから実は
大きな枠組みを
つくっていくのも
たった一人からほとばしる
小さな泉からなんだ
と思うのだ。



その一人は
自分かもしれない。
あなたかもしれない。



自分から湧き出る泉を
枯らさないようにしたい。


あなたの泉を
私は本当に大事にしてほしいと思う。