岩井克人『資本主義から市民主義へ』/いとうせいこう『想像ラジオ』

晴。
音楽を聴く。■ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第三番op.108(ズーカーマン、バレンボイム参照)。ちょっとわかってきた。僕の持っていない領域。■ベートーヴェン交響曲第一番(アバド参照)。悪くないが、しかしアバドは真面目だなあ。

岩井克人『資本主義から市民主義へ』読了。三浦雅士によるインタビュー。まず、インタビュアーの三浦雅士についてだが、これが興味深い。じつに頭がよく、ペラペラペラペラとまるで自動機械のように舌が回る。軽い軽い。自分は本書の半分以上を占める三浦の発言に、インスパイアされたところは殆どなかった。三浦は、非常に頭のいい哲学スノッブの、典型だと思う。ただ、その三浦のよく回る舌が、岩井克人のじっくりと考えられた発言を引き出しているのだから、これも面白いと思った。もっとも、時には軽々しい三浦の発言を、岩井が保留しているところも数多いのだが。本書の中身はこれまでの岩井の本の延長線上にあり、貨幣や法、言語の無根拠な自己言及性の話である。しかし、本書ではゲーデル不完全性定理が正しいとか何とか云う話題がこれでもかと出てくるのだが、ゲーデル不完全性定理は必ず公理系を前提とすることがきちんと理解されていないようである。それ抜きでは、正しいとかそうでないとか述べても無意味である。でもまあ、そんなことはいい。貨幣や法、言語は遺伝子上にはなく、人間の外部にあるとか、差異と欲望とか、岩井克人の考えているところから大きく展開できそうな、そういう可能性を感じる。自分も、「所有」という宿題をもらった。三浦は鼻につくが、思考を誘発するいい本だと思う。
 しかし、頭のいい人たちにはかなわんな。自分のような凡庸なロマン派でも、息の出来る小さなニッチを残しておいて欲しいと思う。

図書館から借りてきた、いとうせいこう『想像ラジオ』読了。本作のような小説についてはあまり喋喋すべきではないと思うので、少しだけ。本書の念頭にあるのはもちろん東日本大震災であり、「死者の声を聞く」ということから始めて、たぶん書きながら考えられた小説だと思う。こういう評をつけるのがいいかわからないが、真面目な小説であり、さらに傑作であろう。相当にベタな小説であり、村上龍が「いとうせいこうともあろう者が」と言ったのもわかるが、自分には、本書は自分の深いところに届いたと思える。それにしても、かの震災は、本書以外にどれほどのクオリティの文学を生んだのか。そういう意味では、いとうせいこうが本書を書いてくれて本当によかった。文学の力を実感させられる。
想像ラジオ

想像ラジオ

早寝。