Hatena::ブログ(Diary)

rascal2009の日記

2018-09-21

お知らせ

はてなダイアリーのサービス終了にともない、はてなブログに移りました。

よろしくお願いします。

https://rascal2009.hatenablog.com/

2018-09-16

難しい現実認知

誉田哲也の『武士道ジェネレーション』を読みましたが、感想を書くにあたって困っています。

作家の「これを言っておきたい」という動機によって小説が書かれても、それは構いません。その内容を肯定するにしろ否定するにしろ、それは読者の自由です。

この物語の序盤、主人公の一人(女性です)が大学生となり、先の戦争について自分なりの意見を開陳します。そこに、いわゆる東京裁判の不当性とアメリカ戦争犯罪を糾弾して“自虐史観”という言葉が出て来た瞬間、暗澹たる気持ちになりました。

その内容は、そこいらじゅうに転がっているような陳腐なもので、きちんと関心を持って、きちんと勉強していたら、もっと違った調子のものになっていたはずです。

最初は、その稚拙な思考から出発して、至る結論はどうであれ、物語の中で経験を積んで彼女が成長するのかと思いましたが、そうではありません。

この作品で作者が熱を込めて語ることは、別にあります。それは、攻めること以上に守るとこの難しさ、大切さです。

作家は言います。守るためには力が必要。それも圧倒的で研ぎ澄まされた力が。そして、それだけでは足りず、それを制御する高い精神性が伴われなければならないと。

しかし、道具(=力)を持ったら、それを使ってみたくなるのが人間です。一例に、映画『2001年宇宙の旅』を挙げれば事足りるでしょう。

その欲望を抑え、高潔な精神性を持つのが「武士道」であるというのが作家の主張の眼目でしょう。

物語の後半、『葉隠』の有名な一節、「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」が話題になり、例えば先の戦争末期の特攻などは武士道とは違うと語られます。権力者がスローガンとして利用したのだと。

この武士道について、あるいは力についての論が、序盤の自虐史観云々と後半にある歴史認識を巡る会話と絡むことはありません。そのため、先の戦争の話が奇妙に浮いてしまい、一本の小説としての結構を著しく損なっています。

世界情勢は流動的で、“正しさ”もまた変質します。そのなかで様々な意見、考え方があって当然ですし、それを表明することは大切です。

ですから、それがどのようなものであれ、既存のシリーズの登場人物にセリフで言わせて済ませるのではなく、きちんと勉強し、一つの作品として上梓してほしかったと思います。

この不穏な時代に黙っていることは出来ない。その作家の態度は素晴らしいのですが、残念ながら太刀打ち出来なかった作品というのが、わたしの感想です。

武士道ジェネレーション (文春文庫)

武士道ジェネレーション (文春文庫)

2018-09-14

プロとは

好きなことを仕事にするのは諸刃の剣です。それが義務になり、負担になり、苦痛になって、せっかく好きだったことが嫌いになるかもしれません。

では、仕事は仕事、生活の糧を得るための手段であり、労働時間を提供して対価をえているのだと割り切ったら精神的に平穏になれるのかといったら、そうはならないでしょう。

様々な事情から、職業としてプロレスを選んだ長州力。そのキャリアの初期、彼が、プロレスラーとして自分がどうあるべきかわからず煩悶していたのは、自分が選んだ職業に対して誠実だったからだと、わたしは思います。

作家の北方謙三は、純文学を志して鳴かず飛ばずだった下積みのような修行時代が、エンターテインメント小説に舵を切ってからの成功の土台になったと評されます。

いつのころからか、スポーツ選手がオリンピックを含む国際的な試合に臨むに際して、「楽しみたい」と言うようになりました。そのセリフが「良い思い出作り」という程度の意味で発せられたのではないことは承知のうえで、やはり、それはプロフェッショナルの言葉ではないでしょう。

田崎健太の『真説・長州力』を読んで、長州力プロレスラーという仕事を決して楽しんではいなかったと感じました。しかし、楽しんではいなかったかもしれませんが、その醍醐味、妙味を深いところまで味わい、充実したプロレスラー人生を送ったと、これは確信出来て、何だかほっとして嬉しくなりました。

評伝は、著者の熱い想いとともに書かれてこそ、読者の胸に響きます。この『真説・長州力』で、著者は長州力に寄り添っています。幸福感に満ちた優しい視線とともに。

そうさせたのは、長州力。彼の人間力です。

ですので、「隠された真実が暴かれる」といった煽情的な刺激を求める読者には物足りないかもしれません。また、作家の(価値観という)フィルターを通して物語として再構築して、もっと起伏に富んだ展開で盛り上げてくれと思う読者もいるかもしれません。

しかし、それをしなかったからこそ、長州力は田崎健太に胸襟を開き、わたしという読者は幸せな読書が出来たのだと思います。

真説・長州力 1951-2018 (集英社文庫)

真説・長州力 1951-2018 (集英社文庫)

2018-09-08

嬉しいと寂しい

五條瑛の“鉱物”シリーズの短編集『Analyst in the box 1』を読みました。kindle限定で発売されていたものを書籍化したオンデマンド本です。

まず、その試みの新しさに驚きました。そして、五條瑛ほどの筆力を持つ作家でも既存の媒体では活躍の場がないことに、現在の出版業界の厳しさを感じます。

一方で、言ってみれば、雑誌で連載されていたものが間を置かずに書籍化されるようなもので、最新の世界情勢(特に東アジア情勢)を素材にした作品を読むという観点から、このスピードは魅力です。

内容は、さすがの切れ味。上質な推理小説の趣きと、現実の世情を背景にしたリアルな物語設定。短編集を読む楽しさをたっぷり味わいました。

Analyst in the Box 1

Analyst in the Box 1

2018-09-05

母は惜しみなく

シェイクスピアは『リア王』で書いています。

「When we are born, we cry that we are come to this great stage of fools.」

意訳すれば、赤ん坊が生まれてくるとき泣き喚いているのは、馬鹿げた世界に送り出されたことを嘆いているからということです。

その人の世で、優しい者ほど心に傷を受けます。

それは他人に話せるものではなく、誰もが何でもないという顔を取り繕っているだけです。

その無機質な世界で心が砕けてしまった一人の女性。その彼女が再び世界と向き合うとき、そのきっかけを作ってくれた男性、最愛の夫に銃を向けることになります。

物語の前半に描かれるのは、その女性レイチェルの、母親との葛藤に満ちた関係と、名前も知らない父親を捜す旅路です。

ここ数年、父親と息子の軋轢とともに、母親と娘の葛藤も語られるようになりました。親子というのは性別に関係なく、これという正解のない人間関係です。レイチェルが絶えず母親を意識していることと、会ったことのない父親を求めることは彼女にとって等価値なのでしょう。何故なら、彼女は心優しい人だから。

ですから、銃を向け引き金を引くことと、その夫を複雑な回路を通して愛していることは彼女の中では矛盾しません。そして、夫もまた、それを理解しています。

物語が、レイチェルと夫だけでなく、ある赤ん坊を加えた三人の姿を描いて幕を閉じるのは必然であり、その終着点に向けて筆を進めた作家の力に感動しました。

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