スピヴァクによる剽窃疑惑?

 きょう一日は家で過ごしました。きのうまでけっこう大学などに出かけていたので、ようやく夏休みが始まったという感じ。とはいっても、原稿の締切は過ぎているし、採点と成績付けがまだ終わっていないから、落ち着かない夏休み第1日目でした。学生より遅い夏休みというのは仕方ないけれど(こっちは仕事だから)、学生や職員たちが、教員も学生と同じように休んでいると思っているところがちょっと癪にさわるかな。
 さて、そんな話はともかく、7月10日に予定されていたガヤトリ・C・スピヴァクの沖縄での講演会のドタキャンと当日の関係者のやり取りの顛末を、知り合いのU君がブログに書いているのをきょう見つけました。「スピヴァク講演会」というタイトルで、エントリが細かく10に分けられているところがちょっと読みにくく、また最後のエントリが「あれ? これで終わり?」という感じですが。
http://blog.goo.ne.jp/usrc2/e/2902051050c7b066928aac741a293d96
 ただ、その内容は、「スピヴァクさんのこの講演会のドラフト(草稿)と,コメンテーターの一人である琉球大の新城[郁夫]さんの既発表英語論文(目取真俊『希望』と,大江健三郎沖縄ノート』をとりあげ,比較文学した論文)の類似問題」があったという、見過ごせないものでした。

実行委員会の新城さんによると,自身の英語論文を,シンポジウム以前に彼女に送付し,彼女の沖縄で行われる予定の草稿を待っていたようです.しかし,彼女によって送られてきた草稿は,対象(目取真さんと大江さんの同作品)も,そのアイディアも,解釈も同じものであったと説明がなされました.
http://blog.goo.ne.jp/usrc2/e/2c569170cba404c7d8cd6ad09669d5d6

 ふむ。この説明だと、スピヴァクが送られてきた新城氏の英語論文を「剽窃」して講演ドラフトを作ったということのようです。もっとも、その「剽窃」した草稿を剽窃対象の新城さん自身に送っているところを見ると、沖縄文学なんて良く知らないことについての講演を「やっつけ仕事」でごまかそうとしたと言ったほうが当たっているかもしれません。
沖縄で講演する以上、東京での講演とは異なるものをというサービス精神もあったのでしょうが、結果としては、情報発信の少ないローカルや辺境をバカにしたものとなったといわざるをえないでしょう。

その後に鵜飼さんが,これらの経過は「行き違い」だと思うと発言された後に,日本にきてからの彼女の仕事の状況の説明をしました.内容は,日本に来る前に,ベンガルで10日間過ごしたこと,そして, その後の講演とドラフトを仕上げるまでの彼女の時間の話だったと思います.7月2日に,新城さんの原稿を集めるように指示したこと,手元に集めたあとすぐに「すべての原稿を読んでからとりかかるべきなのかもしれないが」、2人のチューターとともに翻訳を進めつつ,原稿を書き始めたこと.彼女の仕事は「泥縄といえばそのようなところがある」と鵜飼さんは説明しました.
また,新城さんの書いた最終稿に対する「コメント」に対しては,スピヴァクさんは気分を害していたとの説明もここで説明されたように思います.これらにくわえて,彼女のその日一日の様子が話されました.講演のためにサリーに着替え,メディテーションにはいったそのあと,彼女と電話連絡ができなくなったとのことでした.
http://blog.goo.ne.jp/usrc2/e/9fe6acecc256831000a130ae99b2da1b

 ここでスピヴァクが「剽窃」したのかどうかを問いたいわけではありません。それについては、書きにくいでしょうが、そのうち新城さん自身が、スピヴァクのドラフトとご自身の論文を示しつつ、書かれるべきだと思いますし、それまでは判断のしようがないところです。気になるのは、「東京の関係者」の発言です。鵜飼哲さんも「行き違い」だと思うという発言で、スピヴァクをかばっていたようです。そして、

このあと議論がいくつかありましたが,おおよそ三つの筋だったと思います.この箇所は、上間先生によって、まとめられたものです.
1,今回のことがらは,彼女の理論枠組みから著しくずれているという発言(「目撃」発言,「サバルタン概念の検証」,主催者側の教育実践の志向性).
2,体調不良で来られないのは仕方がなく,それを彼女の作為的なものだと捉えることへの強い違和感の表明.
3,新聞に「スピヴァクが来るのは事件」と書いたり,彼女の来県を持ち上げる発言をした主催者に対して,何故にそのように書いたのかということを説明してほしいという要望.そして,彼女のドラフトをこの場で私たちが読むことはできないのかという質問.
この3の発言が何人かからなされたあと,それを受けて,新城さんが,次のような発言をしました.「ドラフトは読めません.なぜなら,彼女が拒否したからです」
本橋哲也「だまっていようと思っていたのですが,あまりにもひどいので発言します.まず事実の確認から.彼女は拒否したんですか.拒否していないですよね.倒れちゃったんだから.拒否することもできなかったのです」
http://blog.goo.ne.jp/usrc2/e/d89e37245eb8e5f05c31b3314ccc4c4c

 ここでエントリ「スピヴァク講演会10」が唐突に終わっているので、新城さんがこの本橋さんの発言に応えたのかどうか分かりませんが、常識で考えて、スピヴァクの講演のキャンセルは、講演の準備が間に合わなかった、このままでは本当に「剽窃」になるので、それを避けるために「体調不良」を理由にしてキャンセルしたと「邪推」するのがふつうの感覚でしょう。もちろん、関係者や講演会に来た人たちは、スピヴァクのファンだから、「それを彼女の作為的なものだと捉えることへの強い違和感」が表明されたのでしょうけど。
 「東京の関係者」の発言について私が気になったのは、スピヴァクの沖縄での講演を応援していた「店長の読書中」というブログ*1で、「BOOKS Mangrooveの店長」さんが、次のように書いていたからです。

スピヴァク来ず!!」

いろいろな経緯があり、けっきょくスピヴァクは会場にはあらわれなかった。
[中略]
しかし、「東京」からやって来たひとたちよ、あなたたちの「ことば」は、どう「ホスピタリティ」がほとばしるような気持で考えてみても、「沖縄」「沖縄人」「沖縄という場所で考え行動しているひとたち」に対し、はるか「上」から見くだしていたとしか思えない。
とても残念だけど・・・

スピヴァクと沖縄」

ことの顛末については、近いうちになんらかのかたちでまとめると実行委員のひとりが言っていたので、それを待ちたいと思う。

が、「沖縄」だからこそ、このような事態となったということなのだろうなと思う。
できうるなら、今回のこのできごとが、「つぎ」につながるようなものになっていくといいのだけれど。
でもスピヴァクを「読めない」「沖縄人」にはちゃんとした議論など無理なことだと思っているのかな? 「東京のひとたち」は。

はしなくもスピヴァクのドタキャンは「日本」のひとたちが「沖縄」「沖縄人」をどのようにみているのかを、性懲りもなく見せつけてくれる結果となったと、わたしは考えている。
もちろん、そのような「まなざし」はとくに目新しいものであるというわけではないけどね。

鵜飼哲さんや本橋哲也さんの発言は、スピヴァクを擁護しようとして、スピヴァクの思想を裏切っているのだと言わざるをえないでしょう(あるいはU君が書いているようにスピヴァク自身もまた)。ポストコロニアリズムを自分たちの研究者としてのアイデンティティや「正しさ」といった、本当にくだらないもののために搾取してはならないでしょう。そとて、ローカルにおいてローカルを語るということは、そのローカルの「文学」や「文化」をリップサービスで取り上げるということではなく、ローカルでの人と人とのつながりに接合することであるはずです。
自分が見聞していないことを、情報も少ないまま書きました。その点の危うさは承知しているつもりですが、にもかかわらず、非難めいたことを書いたのは、「東京」での講演などの情報量と比べて、圧倒的に少ない「辺境」でのできごとについて不確定でも取り上げないと、それこそ、聞く耳を持っていても届かないで埋もれてしまうからです。つらい立場にいる新城郁夫さんら、沖縄の関係者にこの問題を負わせるだけでなく、現場にいた「東京の関係者」たちも、反論を含めて、ぜひこのことについて「東京」で発言してほしいものです。そうでなければ、何のためのポストコロニアル研究なのか。