okatakeの日記

2018-08-18

もう秋なのか。信じていいのか。空に筋雲、トンボも浮いているのを見た。

昨日、まだ明かせない企画が進行中で、千葉へ。平井の「平井の本棚」を覗いてきた。そのまま総武線で乗ったり降りたり。ついでに、かねてからの願望だった検見川「広徳院」へ。拓郎が家出して、半年間、居候した寺。最後は西千葉。さいきん、本を買わないようにして、生まれて初めて、というぐらい、本を買わない日々が続いているが、この日だけ解禁。それも含めて書くつもり。

佐伯一麦『還れぬ家』を車中、ずっと読んでいた。3分の2は読んだか。青木正美さんから『文藝春秋作家原稿流出始末記』(本の雑誌社)が届き、さっそく読み始める。作家生原稿の流出と売買をめぐる、生臭い話だが、もちろん面白い。どういう事情で、著名作家の生原稿が大量流出したか。当の文藝春秋は青ざめるだろうが、まあ半世紀前のできごとで時効である。鶉屋も実名で登場。青木さんらしい、こってりした、執念の作である。これは前半。後半は古書界の変遷、古書界から見た中野重治窪川鶴次郎・稲子の話。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/okatake/20180818

2018-08-16

昨日、なんとか夕方までに「サン毎」原稿を送付。上原隆、南陀楼綾繁両氏の新刊がメイン。次回は「市場」もの3本を立てるアイデアを考えている。

東京山手下町散歩』地図が、墨田区東向島の東側が切れている、と書いたが、これは2008年版。ぼくは改訂するたび買って、予備も買って、5、6冊持っているが、1999年版を見ると、これには東向島東側がちゃんと入っている。鐘ケ淵駅も。多少、両者で扱うエリアが違う。併用したい。墨田区一丁目に宏大な高層団地が建つ(墨田一丁目アパート、トミンハイム)が、これも愛用している昭和35年東京都区分地図帖を見ると、工場のマークが。461号線を挟んで西側には、かつて久保田鉄工所の大きな地所があった。その一画は、日活撮影所が一時期あった場所。今度、涼しくなったら、玉ノ井跡と合わせて歩いてみたい。

金子光晴『どくろ杯』を再読中。昭和初年、三千代夫人とのすったもんだと、上海に至るまでのでたらめな彷徨を、40年立って、たった今あったように記憶し、記述している。どういう頭脳だろう。大阪時代の正岡蓉の姿が活写されている。白石凡、波屋も登場。北村兼子の名前も出てくる。前に読んだ時は、その存在を知らずスルーしていたんだな。開高健とはまた別個の、語彙の豊富と、アクロバティックな文体。規格外すぎて、国語の教科書には載せられないが、まごうことなき日本語散文の第一級の達成だ。人物索引を作り、かまわずガシガシ線を引く。ドラマか映画にならないだろうか。

夜中ネコにひっかかれ、腕に麻薬患者のような注射跡みたいな赤い点が二つできる。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/okatake/20180816

2018-08-15

野口冨士男『私のなかの東京』は、正確な記憶と文学遍歴を、すべて実地に足で踏破した調査で裏打ちした、貴重な東京散歩。約40年前のことだから、いろいろ変化があって、いま読むと、また興味深い。酒を呑まず、魚を食べない偏食の野口は珈琲好き。神楽坂の章で、いつも寄る二軒として、坂を上がってすぐ左の「バウワウ(巴有吾有)」は「時によってびっくりするほど美しい女子学生が、セブンスターなどを指にはさみながら一人で文庫本を読んでいることがある」と書いている。現存すれば行きたいが、2006年12月に閉店。じゃあ、もっと早く気付けば、間に合ったわけだ。いや、ネット検索で外観などを見ると、いや、ここは入っているぞという気になっていた。赤城神社前「珈琲園」も今はないはず。かつて赤線地帯で「魔窟そのもの」と書かれた「玉ノ井」も、この本片手に歩きたい。この本では東武「玉ノ井」駅とあるが、現在は「東向島」に変わっている。愛用というより酷使している『東京山手下町地図』では、墨田区が、東武伊勢崎線の東側が切れて掲載されていない。鐘ケ淵駅もぎりぎりはずれて外へ。こんなに詳細で便利な地図はほかにないので、ざんねん。「上京する文學」を連載している頃、井上ひさしの章で、墨田区二丁目の「軟式野球資料室」を訪れて、ついでに周辺を歩いている。この時は「鐘ケ淵」駅から歩いた。初めて降りる駅は、いつもドキドキする。いま地図を見たら、2012年2月8日、と日付が書き込んである。こういうこと大事だな。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/okatake/20180815

2018-08-14

なんとか、締め切りに合わせ、村田喜代子『火環』書評を送付。ホッとする。経験則はある程度役に立つが、一回いっかいが勝負、というのが書評および原稿の世界だ。「雲遊天下 36」(2004年6月1日号)が出てきて、古書桃李(寺田信)さんが一文を寄せている。別れた彼女へ向けての手紙、というスタイルが異色。その彼女が世話してくれて、そんな気はなかったのに働き始めたのが古本屋で、本の棚入れ作業が「入れる端から売れていくからいつまでたっても棚は満杯にならない」と書いているが、いつの時代か。以後、独立。4年前、というから2000年から文京区根津に店を移した。これはよく覚えている。初期の一箱古本市根津でやった時は、まだ店があったのではないか。「この町はマンガやエロものが全然売れない」「小岩調布じゃ考えられない」と書いているから、店員として勤めたのが小岩で、独立したのが調布、であろうか。その後、桃李さんとは、コクテイルで時々客としてお見かけするようになる。お元気にしておられるだろうか。

アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ新潮文庫新訳、小沼丹埴輪の馬』、野口冨士男『私のなかの東京』などを再読している。どれも面白くて仕方がない。

『私のなかの』で、慶應文学部予科に進学した時、同級生に阿武(あんの)巌夫がいた。ロス五輪で、暁の超特急吉岡隆徳とリレーのメンバーを組む日本ナンバー2の短距離選手。その前に、慶應の帽子をかぶっていると、なめられて繁華街でよくカツアゲを喰らった、という話が出てくるが、この阿武も目黒駅前でタカリにあった。すると阿武は走って逃げた。「日本で追いつけるのは吉岡しかいないものな」と言った。東京山手下町地図を座右に、読みふける。高速道路が自然や風景を壊すという意見に対し、「私は外濠自体が江戸時代に自然破壊をして人工的に造成されたものであったということを忘れてもらっては困ると言いたい」という、安易で感傷的な都市の変化への批判を、逆批判している。卓見であろう。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/okatake/20180814

2018-08-13

書評用の村田喜代子『火環』読了。あいかわらず、いろいろ読んでいる。荻原魚雷編/梅崎春生『怠惰の美徳』に続き、中公文庫新刊で、こちらは解説魚雷くんで古山高麗雄『編集者冥利の生活』が出ている。「編」ではないが、解説を読むと、魚雷くんの意見がセレクトに反映されているのは明らか。いずれも文庫オリジナルで、魚雷くんがスプリングボードにならなければ、文庫化は叶わない人選とセレクトだ。的を絞って、魚雷くんが、ここぞと目がけて長年、懐に温めて読んできた作家たち。ううん、と唸る目覚ましい仕事ぶりだ。古書界に及ぼす影響も大だと思う。こんなこと言うと、当人は嫌がるだろうけど、貫禄が出てきた。魚雷くん一人が編集して、ダメ人間文学全集が出来てもおかしくないだろう。大江健三郎小説全集より、いま出すべきはそっちだろう。

野口冨士男文庫が、越谷市立図書館内にあると知る。涼しくなったら行きたい。前に越谷へ行ったのは、あれは何の用事だったか(取材だろうな)。夕暮れ時、駅前の街路樹に、ヒッチコック「鳥」のように、鳥が群がっていたのを覚えている。

この一カ月ぐらい、吉田拓郎ラジオでナイト」を聞いてない。なぜだろう。そうかゴンチチも聞いてない。どうしたか。酒ばかり飲んで、本ばかり読んでいる自滅的生活

サンドイッチマン千鳥が、人ん家の風呂へ入るというムチャな番組がNHKであって、湯河原へ行って、五月みどり邸を訪ねるのだが、これが白亜の豪邸で、人気歌手って、そんなに稼げるものかと驚いたが、風呂へ入る(温泉を宅配で入れている)段で、小さい頃から、五月みどりが洗面所で髪を洗う習慣があると告白して、それが妙に印象に残った。子供のころ、親(精肉店)が、芝居好きで自力で芝居小屋を作り、五月も5歳ぐらいから舞台に立っていた。親も忙しく、一緒にお風呂へ入って体や髪を洗ってもらうことがなく、自分で、そそくさと洗面所で髪を洗った。それが習慣になったという。短編小説が書けそうなネタであった。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/okatake/20180813