okatakeの日記

2017-12-15

昨日は、西荻音羽館」で『古本で見る昭和の生活』ちくま文庫にサイン落款イラスト(懐かしアニメ)を入れる。「西ブク」100回記念小冊子を少し余計にもらう。「盛林堂」へも寄り、先日の古本市残りを買い取ってもらった代金を受け取る。さいきん、小野くんが留守していることが多いなあ、と思ったらこの日、古ツアさんがレポートしているが、京都へ引っ越される新保さんの蔵書整理(聞くだに恐ろしい)を、小野・古ツアコンビが一日かけて奮闘していたのだった。

夕方から高円寺コクテイルへ。「毎日」夕刊の取材があり、初対面の記者Sさん相手に二時間ぐらい喋ったか。青春期から上京するまで、上京後から現在まで、フルコースで語る。うまくまとまるかしらん。Sさんは帰社し、ぼくは残って、カウンターでぐだぐだとぐろを巻きながら飲む。焼き豆腐ともつの煮込みが美味かった。あとでスケジュール帳を忘れたと気づく。コクテイルでは放心するのか、よく忘れものをする。いや、全般的に忘れものが多い自分であった。

今朝、5時半ぐらいに眼ざめ、猫に餌やり、朝食。BS「美の壺」再放送が「洋食」。かつて小学館地下にあった「七條」が、内神田へ移ったと知る。某社からお食事でもと誘われたとき、行列のできる小学館地下時代の「七條」を指名して、海老フライを食べた。海老フライ、食べたい。移転先を確認すると、そうか、安野光雅さんの取材で赴いた山川出版社から近い裏筋にあったんだ。海老フライ、食べたいぞ。

赤旗」試写室欄、一年の回顧を書く。今年から北條くんが参加。よくがんばって書いている。同欄の一年分がファイルして送られてきたので、ほかの人の執筆分も読めるのだ。あらら、北條くん、「おばさんデカ」なんてのもやったのか。ぼくも武田鉄矢水戸黄門」を担当したから、いい勝負だ。

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2017-12-14

冷蔵庫にチョリソーがあって、あれは何と呼ぶか、細長いパンを買ってきて、このところ、毎朝、ホットドッグを作って食べている。一時期は、ひき肉とタマネギをいためて、オムレツを作っていた。結局は、シンプルにトーストを焼いて、という朝食に戻るのだが。

ホットドッグといえば、藤原伊織の『テロリストのパラソル』。主人公が店主のバーで、食べられるのはホットドッグだけ、という設定がある。このホットドッグがじつに美味そうなのだ。ホットドッグだけ、と言われて、バカにしているのかというように怒る客もいるが、食べると、美味いじゃないかとなるのだ。このあたり、記憶で書いていて正確ではない。ホットドッグのシーンをコピペで。

「フライパンにバターを溶かし、ソーセージを軽く炒めた。次に千切りにしたキャベツを放りこんだ。塩と黒コショウ、それにカレー粉をふりかける。キャベツパンにはさみ、ソーセージを乗せた。オーブンレンジにいれて待った。(中略)ころあいをみてパンをとりだし皿にのせた。ケチャップマスタードをスプーンで流し、カウンターに置いた。」

今朝なんか、二本も食べてしまった。ホットドッグの思い出は、まだ幼かった頃、父について競馬場へ行って、その場外で父に買ってもらった屋台のホットドッグだったが、世の中にこんなうまいものがあるのか、と思った記憶がある。「ドトール」のホットドッグも、けっこう好きです。

あさイチ」の神保町特集を、メモを取りながら見る。神保町ライターなどと名乗りながら、知らないことがいっぱいある。北澤書店4代目によるディスプレイ洋書三省堂神保町本店の「タワー積み」名人の母袋(もたい)さん、「ラドリオ」のかわら版(手書き新聞)などなど。へえ、そうかそうか。

昨日は、「サン毎」レギュラー書評ページに加え、合併号の特別記事で「平成の出版」という一ページを担当したが、800字ほどで、平成の出版事情や動向をまとめるという、これは至難の技で、えらく手間取る。何度も字数調整のため、手を入れ、書き直す。たいていの原稿は一発に近いかたちで書くのだが。

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2017-12-13

昨日は午後、のっそりと外出。盛林堂に補充と、こないだの古本市の売上金をもらう。助かるなあ。本を減らしたばかりなのに、均一で真崎守ほかを買う。バカである。盛林堂は、先代のおじいさまの時代から、大晦日まで営業とのこと(京都「善行堂」もそう)。正月休みも三が日だけ。いや、働くねえ。その盛林堂・小野くんにもらったラピュタの招待券を使って、ひさびさ阿佐ケ谷「ラピュタ」へ。ちょうどいい時間に「モンローのような女」https://filmarks.com/movies/35139が上映、これを見る。渋谷実監督。真理明美という見たことあるようなないような女優がヒロイン。ぼくは俳優の巧い下手が、わからぬ方であるが、これは下手。この下手さが、もともと大して面白くないプロットを台無しにしている。(どうするつもりだよ、これ)と見ている際中、何度か思った。森光子の達者さと、笠智衆の酔いっぷり、加藤武の達者さが目立つ映画であった。これがデビュー作という山本圭が、青春丸出しできゃんきゃん吠えてうるさい。タイトルデザインが真鍋博で、音楽が黛敏郎と、これはかっこいい。「終」が出て、「第一部」とあったが、第二部は作られなかった。ひんぱんに登場する電車(笠が踏切番)は鶴見線らしい。

荻窪移動、毎日新聞社にいる小学校の同級生Mおよび、その同僚J、ライターの井上理津子各氏とぼくという四人組で年に一度か二度飲む。その忘年会電気ブランを出す「かみや」https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13013596/で。J氏の従兄で、ネルドリップコーヒーの研究普及https://ameblo.jp/carmojapan/theme-10092731284.htmlをしている男性がゲストで加わる。実家がお茶屋さんで、お茶の話をうかがう。勉強になった。

先日の古本市の客で、何をしている人か、12月は22回ぐらい忘年会がある、と言っていたが、ぼくはせいぜい2つか3つ。Mもこれからしばらく飲み会が続く由。昨日はみんな「寒い、寒い」と言っていたが、ぼくはそれほどでもない。仕事部屋も、今年冬まだ、暖房を入れていない。いま現在室温は15度で、これ以上下がることはあんまりない。ひざかけをすれば十分。

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2017-12-12

ギンレイ」では見のがしたドキュメンタリー「人生フルーツ」を、日本映画専門チャンネルで見る。東海テレビ制作。津端修一は撮影当時90歳、同・英子87歳。愛知県春日井市高蔵寺(地図で確認してようやく分かる場所)の戦後開発されたニュータウンに広い地所を買い、木を植え、畑を作り、いま(撮影当時)は二人っきりで暮らしている。その暮らしぶり、日々が映像で綴られる。津端は戦中に戦闘機の設計に携わり、戦後、マッカーサー厚木に降り立った時、迎えた一人。レーモンド設計事務所を出発に、日本住宅公団で、多くの、いわゆる「団地」建設に尽力した。その一つが高蔵寺であった。津端は初め、画一的効率的な団地配置を嫌い、山を持つ地形を生かした、風が通る、雑木林を残す団地をデザインしたが、経済効率が優先され、津端案は却下される。そこで、われ一人でも、とこの地に家を構えたのだった。広い畑に、多種の果樹と野菜を育て、二人で手入れし、守っている。鳥が水を飲みにくる水鉢が据えられ、そこには「鳥の水飲み場」みたいな、プレートが掲げられている。もちつきの日は、旗を揚げる。生活に「演出」がある。二人も髪は延び放題で、身なりを構わぬようだが、かっこいい。若い時より歳経た現在の方がかっこいいのだ。中心地の名古屋へは、バスと電車を乗り継ぎ、一時間以上かかる。英子は、修一の年金32万円(すごい!)が入ると、野菜や魚を買いに名古屋まで行く。食べることを生活の中心に置き、大切にしていることがわかる。しかし、英子は大変だ。映画は、いきなり修一の死を伝える。草むしりをした後、昼寝して、そのまま起きて来なかった。なんという神の恩寵か。いいものを見た。津端はまめに、ダーマトを使った絵入りの手紙、ハガキを毎日のように書いた。英子が買い物をする魚屋にも、お礼のハガキが届いた。誰かに手紙を書きたくなった。日本映画専門チャンネルに登録している方は、まだ今月中に再放送がありますよ。

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2017-12-11

映画 「病院坂の首縊りの家」に、三木のり平が主人で古本屋が出てくる。うれしいシーンだし、三木のり平ということでもっとうれしい。これ、本物の古本屋が使われているのか、検索したがわからず。ファーストとラストで印象的な登場をする「病院坂」は、世田谷区岡本、聖ドミニコ学園の北に現存する坂とわかる。しかし、現状の写真はずいぶん雰囲気が変わっている。古い町並みは三重県伊勢崎市河崎ということだ。

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