okatakeの日記

2017-12-13

昨日は午後、のっそりと外出。盛林堂に補充と、こないだの古本市の売上金をもらう。助かるなあ。本を減らしたばかりなのに、均一で真崎守ほかを買う。バカである。盛林堂は、先代のおじいさまの時代から、大晦日まで営業とのこと(京都「善行堂」もそう)。正月休みも三が日だけ。いや、働くねえ。その盛林堂・小野くんにもらったラピュタの招待券を使って、ひさびさ阿佐ケ谷「ラピュタ」へ。ちょうどいい時間に「モンローのような女」https://filmarks.com/movies/35139が上映、これを見る。渋谷実監督。真理明美という見たことあるようなないような女優がヒロイン。ぼくは俳優の巧い下手が、わからぬ方であるが、これは下手。この下手さが、もともと大して面白くないプロットを台無しにしている。(どうするつもりだよ、これ)と見ている際中、何度か思った。森光子の達者さと、笠智衆の酔いっぷり、加藤武の達者さが目立つ映画であった。これがデビュー作という山本圭が、青春丸出しできゃんきゃん吠えてうるさい。タイトルデザインが真鍋博で、音楽が黛敏郎と、これはかっこいい。「終」が出て、「第一部」とあったが、第二部は作られなかった。ひんぱんに登場する電車(笠が踏切番)は鶴見線らしい。

荻窪移動、毎日新聞社にいる小学校の同級生Mおよび、その同僚J、ライターの井上理津子各氏とぼくという四人組で年に一度か二度飲む。その忘年会電気ブランを出す「かみや」https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13013596/で。J氏の従兄で、ネルドリップコーヒーの研究普及https://ameblo.jp/carmojapan/theme-10092731284.htmlをしている男性がゲストで加わる。実家がお茶屋さんで、お茶の話をうかがう。勉強になった。

先日の古本市の客で、何をしている人か、12月は22回ぐらい忘年会がある、と言っていたが、ぼくはせいぜい2つか3つ。Mもこれからしばらく飲み会が続く由。昨日はみんな「寒い、寒い」と言っていたが、ぼくはそれほどでもない。仕事部屋も、今年冬まだ、暖房を入れていない。いま現在室温は15度で、これ以上下がることはあんまりない。ひざかけをすれば十分。

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2017-12-12

ギンレイ」では見のがしたドキュメンタリー「人生フルーツ」を、日本映画専門チャンネルで見る。東海テレビ制作。津端修一は撮影当時90歳、同・英子87歳。愛知県春日井市高蔵寺(地図で確認してようやく分かる場所)の戦後開発されたニュータウンに広い地所を買い、木を植え、畑を作り、いま(撮影当時)は二人っきりで暮らしている。その暮らしぶり、日々が映像で綴られる。津端は戦中に戦闘機の設計に携わり、戦後、マッカーサー厚木に降り立った時、迎えた一人。レーモンド設計事務所を出発に、日本住宅公団で、多くの、いわゆる「団地」建設に尽力した。その一つが高蔵寺であった。津端は初め、画一的効率的な団地配置を嫌い、山を持つ地形を生かした、風が通る、雑木林を残す団地をデザインしたが、経済効率が優先され、津端案は却下される。そこで、われ一人でも、とこの地に家を構えたのだった。広い畑に、多種の果樹と野菜を育て、二人で手入れし、守っている。鳥が水を飲みにくる水鉢が据えられ、そこには「鳥の水飲み場」みたいな、プレートが掲げられている。もちつきの日は、旗を揚げる。生活に「演出」がある。二人も髪は延び放題で、身なりを構わぬようだが、かっこいい。若い時より歳経た現在の方がかっこいいのだ。中心地の名古屋へは、バスと電車を乗り継ぎ、一時間以上かかる。英子は、修一の年金32万円(すごい!)が入ると、野菜や魚を買いに名古屋まで行く。食べることを生活の中心に置き、大切にしていることがわかる。しかし、英子は大変だ。映画は、いきなり修一の死を伝える。草むしりをした後、昼寝して、そのまま起きて来なかった。なんという神の恩寵か。いいものを見た。津端はまめに、ダーマトを使った絵入りの手紙、ハガキを毎日のように書いた。英子が買い物をする魚屋にも、お礼のハガキが届いた。誰かに手紙を書きたくなった。日本映画専門チャンネルに登録している方は、まだ今月中に再放送がありますよ。

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2017-12-11

映画 「病院坂の首縊りの家」に、三木のり平が主人で古本屋が出てくる。うれしいシーンだし、三木のり平ということでもっとうれしい。これ、本物の古本屋が使われているのか、検索したがわからず。ファーストとラストで印象的な登場をする「病院坂」は、世田谷区岡本、聖ドミニコ学園の北に現存する坂とわかる。しかし、現状の写真はずいぶん雰囲気が変わっている。古い町並みは三重県伊勢崎市河崎ということだ。

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2017-12-10

おだやかな冬の日曜日。昨日は朝から深夜まで西荻窪。好例の古本市もにぎにぎしく終え、ぼくは夕方抜けて、こけし屋別館の「西荻ブックマーク」100回記念イベントの進行役に。この日のために(というか、当日もらったのだが)立派な記念小冊子が作られ、来場者に二冊ずつ配られた。西ブク100回の軌跡がわかる。玉川「草子ブックガイド」重機さんのイラストワークがいい。500円+税で音羽館ほかで販売される。来場者はたくさんいたのに、打上げ参加者が少なく、音羽館ファミリーの動員がかかる。ぼくはずっと関口直人さんと喋っていた。お父さん「山王書房」良雄さんの話になると、直人さん、いつも涙ぐむ。父への敬愛がすごい。

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2017-12-08

にぎにぎしく「西荻ブックマーク」100回記念イベントが開かれます。http://nishiogi-bookmark.org/

同じ9日、同じ西荻「銀盛会館」では、オカタケ&古ツア古本市が11時から18時まで。古本市を覗いてから、西ブクへ、というのがいい流れのような気がします。今日は体力を温存したいが、仕事があり、さすが師走であります。

田中小実昌米軍基地勤務の件ですが、「厚木」と書きましたが、年譜を見ると、『自動巻』に出てくる米軍医学研究所は、相模大野みたい。1955年に丸の内から移転し、東玉川から通うのだ。その前は、青梅線牛浜」にいた。牛浜福生の隣り駅。

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