もうひとつの塔

oshikun2010-04-13

 一昨日の書き込みのタイトル、「わが物語はそこに立つ」は、もちろん野間宏さんの小説『わが塔はそこに立つ』のもじりでした。
で、その作品とはまったく関係がないのですが、「塔」といえばやはり「太陽の塔」なんではないだろうかと、ふと思ってしまったのです。
 東京タワーが、長い間ずっとあるのに対して、「太陽の塔」のほうは、最初から1970年の3月15日から9月13日までの期間限定でした。もちろん、今も万博公園にすっくと立ってはいますが、それはかつて「あったこと」のメモリアルに過ぎません。いわば遺跡なのです。
 ちょっと考えてみると、なるほど60年代の子どもたちにとって、東京タワーは日常であり、まさに日常としての高度成長の大きなシンボルでした。それに対して太陽の塔は、高度成長の結果として未来像、つまり非日常のシンボルだったといえるような気がするのです。東京という都市の中心に立つ東京タワーと同様に、太陽の塔は未来都市ともいえる万博会場の中心に、たった半年だけ「瞬間的」にありました。
 私が東京タワーと消極的な「コンタクト」したのが学齢前だとすると、万博と積極的な「コンタクト」したのが中学2年のときです。前年に日常的な象徴であった60年代が終わり、アポロ11号は月とコンタクトを果たしていました。
 その頃、とにかく私は万博に行きたくて、行きたくて堪りませんでした。しかし万博での私の興味の中心は、空気膜構造のアメリカ館の月の石でも、赤旗のたなびきをイメージしたソビエト館のソユーズのドッキングでも、ましてやガスタンクのような日本館のリニアモーターカーの模型でもなく、ただ構築物としてある太陽の塔なのです。
 親を説得して、尼ヶ崎にある遠い親戚の家をベースキャンプに確保し、何度も通った万博会場への最初の一歩は、遠回りを覚悟して、西のゲートではなく中央ゲートから入ります。なぜならばそこですぐに太陽の塔が望めるからです。ファーストコンタクトは劇的に、という私自身の演出がそうさせたのでした。中央ゲート前には駅がありました。そこへ近づく車内の私は、未来都市に向かう期待と緊張感に包まれたのです。それは東京タワーに相対するときの気持ちとはまったく別のモノでした。
 太陽の塔も東京タワーと同様に、さまざまな作品のモチーフとされています。例えば、重松清さんの小説『トワイライト』、マンガと映画の『本格科学冒険漫画 20世紀少年』、そしてアニメ映画の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』などです。
 たまたま今、手元の『トワイライト』をパラパラと見たのですが、くしくも(太陽の塔は)「俺たちの世代にとっては、東京タワー以上のシンボルだから」というセリフがありました。ううむ、なるほど、なのですが、その2行あとには、(太陽の塔が)「らせん階段で上れた」とあります。しかし実際にはエスカレーターです。塔の「手」の部分から大屋根に移動するのですが、それでも地下から上るので年寄りに、階段は無理でしょう。
 そんなことで作者の生年を調べてみると、重松さんは1963年生まれ、『20世紀少年』の浦沢直樹さんは1960年生まれですが、調べる過程でこのお二人は、万博に行けなかったことがわかりました。小学1年生と4年生ですから当然のことですが、いけなかったことへの逆のパトス(うー、古い言葉だ)が、作品として昇華されたのかもしれません。
 映画「しんちゃん・・・」の監督、原恵一さんは1959年生まれで、1970年には小学5年生。万博に行ったかどうかは不明です。
 この「しんちゃん」映画はテレビで放映されるときに、同僚から薦められて観ました。「アナタの世代だったら、絶対に泣けますから・・・」。まさにその通りでした。
 残念ながら『20世紀少年』の原作はまだ読んでおらず、映画も先日BSで放送された『第一章』を観ただけです。ただ「20世紀少女」だった妹は、かなりの関心を寄せているようです。
 さて、ある友人とはもう十年以上前から、「今度、大阪に行って、太陽の塔を見ようよ」と約束しているのだが、まだ実現していません。モノグサがその最大の理由ですが、40年ぶりにそれを見てしまうと、私の中のいろんなことがらが融解してしまうような気もするのです。大阪という場所もまた、太陽の塔のキャラクターを鮮明にさせているようです。
 しかし、そう40年、私がその場所を訪れたのは、40年前の8月、その季節に行ってみるのはいい機会なのかもしれない。でもたぶん、きっと暑いだろうなぁ。

追記:11日の書き込みは、書き忘れたことがあったので、ひどい文章も少し直して、再アップしました。
★1970年当時の万博に関する出版物。他にも会場の地図や前売り入場券があったはずだけど、どこにいったのだろうか。入場券は紙ではなく、布のような繊維で作ったとその頃話題になった。万博の送り手は何から何まで斬新であることを、心がけていたのだろう。
★最近の、といっても10年ほど前のもあるけど、万博関連の出版物。特に心して集めているわけではないが、自然と貯まっていく。今思い出したが、ほかにも手元には『万博幻想』吉見俊哉、『戦争と万博』椹木野衣、『まぼろし万博博覧会』串間努、といった万博本があった。まだ何か出てくるかもしれないぞ。