地域に精神科医療機関がないということ

peerclinic2014-02-18

 昨日、相馬市には「歴史始まって以来」精神科医療機関がなかったということを書きました。それがどういうことなのかを表すエピソードが一つあったので紹介します。
 午前中同行させていただいた方は、ここしばらく服薬を中断してとても具合が悪くなっていらっしゃいました。しばらく飲んでおらずためてしまった薬に加えて今回新たに処方されたものを併せて一包化する作業が必要となりました。
 この方が自立支援医療で指定している薬局はなごみさんのすぐ横の薬局ではありません。すぐ横ならば便利なのですが、歩くと10分近くかかる場所です。どうしてわざわざ遠い薬局(便宜的にここではA薬局としておきます)を指定しているのか?

 精神科の医療機関がないということは、精神科の薬を置く薬局がないということでもあるのですね。
 おそらく、仙台や南相馬医療機関に受診していた人たちは、その医療機関のすぐ近くの薬局で薬をもらっていた。だから、相馬市の薬局では精神科薬の在庫はほとんどなかったということになります。それが、震災後になって急きょ相馬でも精神科薬が必要となった。そのときに、いち早く精神科薬を置いてくれたのが、そのA薬局だったというのです。
 今でこそ、すぐ近くの薬局でも精神科薬を置いてくれるようになってきたようですが、自立支援医療の薬局を変更する手続も煩雑ですし、いち早く精神科薬を置いてくれたという「恩があるから」という側面もあるそうです。

 考えてみたら当然かもしれないけれども、薬局に精神科薬がなかったというのは、私にとっては驚くべきことがらでした。
(画像は、以前は松川浦の近くにあって、おいしい海の幸を売っていたというスーパーシシド。津波の被害に遭って、移転してこのお店を再建したそうです。)

親なきあと

 今朝のアウトリーチカンファレンスでは、新規ケースの紹介がありました。
 60代の男性。家は農家で親御さんの手伝いをされていた統合失調症の方です。親御さんがどちらも亡くなってしまい、いろいろ経緯があったうえで、今後なごみさんの訪問が始まりそうな方です。

 昨日おききした新規ケースの方も、60代の男性で、高齢のお母さんがいらっしゃるけれども、お母さんが支えきれずご本人の状態も悪化して、なごみさんの訪問が始まりそうというものでした。


 そして、カンファレンスの後に石井さんと一緒に伺ったお宅は50代の統合失調症の女性で、高齢のお母さんがみてらしたのだけれども、最近なごみさんの訪問が始まりました。訪問しているうちに、お母さんが認知症ということが次第にわかってきたそうです。
 前回の支援のときにも同じようなケースに同行させていただきました(ご家族の苦労、家族内での苦労などなど - ぴあブロ)。このようなケースが本当に多いようです。

 ちょうどぴあクリニックが始まる前、まだ私たちがかんがるークラブというボランティアのグループでACTをやろうとしていたころ(無謀・・・)、新居先生が対象者の年代別のグラフを作成して、

今訪問に行っているのは40代から50代が多い。これからどんどんこの世代の人が増えるだろう。今までは親御さんがどうにか抱え込んでやっていたけれども、そうはいかなくなる。
自傷他害行為があれば措置入院になるけれども、そのような激しい動きがなくて、近隣にも迷惑をかけないと、家の中で引きこもり続ける。そして、親御さんが抱え込めなくなったときに、顕在化する。
今のうちに一刻も早くそういう人たちを掘り起こさなければいけない。

ということをよく言われていました。そのような問題意識もあり、新居先生はかんがるークラブそしてぴあクリニックを立ち上げたのだと認識しています。

 あれから10年弱・・・。まさに、新居先生が言っていた通りの現象が、この相馬で起こっています。医療中断だったり、未治療だったり。

 でも、これは相馬だけの現象ではありませんね。
 おそらく、「親御さんが抱え込める」だけの敷地のある、社会資源もあまりない地域の方が、このような現象が顕著なのではないかと想像します。これから、未治療・医療中断の40〜60代の方たちの問題が各地域で浮上してくるのでしょう。
 そういう点では、抱え込めなくなった親御さんたちと出会う地域包括支援センターさんと私たちの連携をより密接にしていく必要があるし、介護保険と医療、介護保険障害福祉サービスといった垣根をどうやって取り払って連携していくかが課題となっていくのでしょう。
 このような問題が顕在化して、地域のニーズとなって行政とともに考えていけるようになったとしたら、ACTあるいは精神科の多職種連携チームによる未受診・治療中断の方へのアウトリーチというものが、少しずつ制度化していけるのかもしれません。

一人暮らしへの「ベルリンの壁」

 では、「親なきあと」、そのような人たちはどうなってしまうのでしょうか?

 まさにそれを問う事例検討会に、午後出席させていただきました。
 昨日とは異なる検討会でしたが、家族との同居ができなくなり、かといってグループホームでの集団生活になじめず、「警察のごやっかい」になることしばしばという方でした。問題提起した方が、
「このようにグループホームでは過ごせない、かといって家族との同居もできない人は、どうしたらいいのでしょうか? 入院・入所しかないんでしょうか?」
と投げかけられていました。

 その支援者の方は、アパートでの一人暮らしが良いのではないか・・・と何回も思ったそうです。しかし、「警察のごやっかい」になっている人、精神障害のある人だけに、保証人は誰がなるのか、そんな人を入居させてくれるのか、夜間になにかあったときに、誰が責任をとるのか。実際のところ他県の警察から夜に電話がかかってきて、「今すぐ引きとりに来てくれ」と言われて引きとりに行かれたこともたびたびあったとのこと・・・。

 ただ、「警察のごやっかい」というのは凶悪な犯罪を犯した(だったら逮捕ですものね)わけではありません。グループホームにいられず電車好きな人でもありふらりと出かけてしまい、その挙句・・・というパターンが多かったそうです。この人にとっての安心して帰れる場ができれば、同じことの繰り返しにはならなさそうです。
 また、自分の不安や不満を職員に訴えることはできる力のある人でもあります。日中活動の場として作業所に通うこともできる人のようです。職員と話しながらではありますが、お弁当をつめる仕事を継続して行えたというのだから、かなりの仕事ができそうですよね。
 当時主治医だったドクターからは、「彼の生活しやすい環境を整えることが一番」と言われたそうです。

不動産会社を味方に

 発表と質疑応答ほかいろいろ伺いながら、ぴあクリニックで私たちが支援しているいろいろな一人暮らしの方の顔が浮かびました。実にたくさんの人が一人で暮らしていらっしゃいます。
 最後にその方から、「どうですか? 静岡だったらこういう方はどうなりますか?」と尋ねられたので、「ぴあクリニックのACTでは、警察のごやっかいという人はほとんどいないのですが、もっと重度の方でも一人で立派に暮らしています。一人になると良くなるという感覚が私の中にはあります。
 行動を起こす、その責任は自分ではない「誰か」が担うという仕組みだと、なかなかその人は自分の行動を振り返らないし、責任を負う「誰か」はその人に陰性感情を抱いてしまう。
 でも、一人暮らしとなると、自分の行動は自分で責任を追わなくてはいけない局面が多くなる。自分でいろいろなことを決めていかなくてはいけなくなる。そういうことで、良くなるみたいです」
とお伝えしました。

 また、保証人はいなくても家賃を上乗せすることで部屋を借りられる仕組みがあることほか、ぴあクリニックで行っている不動産探しのノウハウをある程度お伝えをしました。地域性もあるので、全てが同じようにいくのかはわかりませんが、その方からはとても喜ばれました。
 
 ネックはやはり、万が一その方が再び「警察のごやっかい」になったときの引き取り手のようです。
 ぴあクリニックではそこまでつめませんが、なにしろ今までの経緯があるため、そこが大きなハードルとはなりそうです。

 司会をしていた廣田さんが言われていたけれども、このような事例を積み上げて、地域のニーズ、課題として挙げていく、警察の生活安全課などといろいろ検討していく、行政も巻き込んでいくことが求められていくのでしょうね。

 あまりにも有名なこの言葉を思い出しました。

リカバリーにとっての障害は実に多い。しかしその中でも最大の障害は単純なこと−わたしたちはリカバーしないと多くの人が考えていることなのである」
                ダニエル・フィッシャー

 この事例の場合は、「警察のごやっかい」に対する身元引受という課題を解決しなければいけないので、やむをえないとは思うのですが、きっと「一人暮らしなんて無理だ」という理由でやむなく入院、やむなく施設というケースはまだまだ各地であるのでしょうね。「リカバリー」を「一人暮らし」と置き換えられるなあと思います。

 そういう意味では、一人暮らし支援の実践例、一人暮らしをすることの意味を一人暮らししているみなさんや私たちぴあクリニックの支援者などが、もっともっと発信していかなくてはいけないのでしょう。

画像は鹿島福幸商店街にある、双葉食堂のラーメン。以前は小高地区にあったのですが、原発災害のために避難、こちらで再開しています。