たしかめられない


気がつけばあと数日で5月に入ろうとしているけれど、未だに春を迎えた実感が湧かないのは、まだ一度も桜を見ていないからかもしれない。この頃のサンディエゴはとても気持ちのいい天気が続いていて、高くまで澄んだ空や学校から見える海は、宿題に追われてついついあくせくとしがちな心にささやかなゆとりを与えてくれる。春学期に入って一か月が過ぎ、今週と来週は中間試験の期間、渡米して既に8カ月が過ぎたけれど、もともと追い込まれないと勉強を始めない性格も手伝って深夜まで勉強に終われる日々が続いている。


3月に発生した東日本大震災をサンディエゴで体験(敢えてこの言葉を使う)してからというもの、半月以上にわたりUCSDに在籍している日本人学生とともに、日本への募金や日本で起きていることの情報発信をはじめとした活動に取り組む日々が続いた。どちらかと言えば集団で行動することがあまり好きでないぼくにとって、少しでも大きな効果を上げるべく昼夜を問わずさまざまな年代の日本人学生と一緒に活動したこと自体がとても新しいことだったし、それはいろいろな意味で多くのものをぼくにもたらしたと思う。


多くの人の協力とアイデアによって募金額は200万円近くに達し、偶然UCSDで開催されていたクリントン元大統領のイベント(CGIU)での活動も予想以上の成果を収めた。その過程でさまざまな人が持つ日本への思いに接することになったし、そのときに心のなかに感じた小さなあたたかさの集まりのようなものは、きっとこれからもぼくがどこかに進むときにそっと背中を押してくれるだろう。


前向きなテンションを保ちつつイベントを進めていた期間にもひと区切りつき、関係した人たちによるとても楽しい打ち上げが数日間続いたあと、少し落ち着いた気持ちになって周りを眺めてみると、何だか少し自分を取り囲む世界が違って見えた。それは『イベントを通じて誰かのために行動することの大切さを実感した』とか『今まで曖昧だった日本人としての意識をはっきりと認識するようになった』とかいった読書感想文のような意味合いにおいてではなく、どちらかと言えばとてもささやかで個人的な意識の転換。今まで何かを測るときに無意識に使っていた基準のようなものが、距離的にも精神的にもリアルに把握することのできない惨事に少しでも近づこうとする日々のなかで変化したのかもしれない。


それは『世界にあるもの殆どすべてのことは確かめられないし、ぼくたちはその不確実性のなかを毎日進んでいかないといけない』という事実の受容とも言えるかもしれない。それはもちろん地震津波が人々の生活を破壊したという意味でもあるけど、それだけでなく、自分たちがほとんど当たり前のようにして受け入れている人間関係や考え方といったものが、これまで見てきたよりもずっと頼りないものに思えてきたという意味において。


募金イベントを進めているなかでそれまであまり話したことのない人と多くの時間を過ごし、ふとした機会に彼ら彼女らと何気ない話をしているなかで、きっとこの震災が人々にもたらしたのは、直接的で物理的なインパクトだけでなく、『不確実性』というチャンネルを通じてやってきた、当たり前の生活への揺さぶりのようなものなのだろうと感じるようになった。それは日本への思いという抽象的なものよりは、働くことの意味、家族や恋人や友人との関係、そして毎日を当たり前に生きるということのなかにあった信仰のようなものへの揺さぶりと言い換えてもいいかもしれない。


被災地を含めた国家の復興、原子力をめぐる問題、財源確保のための増税議論など、マクロな問題がマスコミでさかんに取りだたされ、あるいは被災地における美談や日本人の団結といったことがさまざまなメディアを通じて伝えられるなか、ぼくにとって多くの人々に本当に起きていることは、そういったとても個人的な基盤への揺さぶりだった。そして、そのどれもが個別であり、一見、震災とは直接の関係がないように思えるがゆえに光があたることは稀だけれど、それこそが長期的に人々の心に残っていくのだろうと思った。


ぼくにとってもこの震災は同じような意味を持っていたのかもしれない。イベントが終わって自分のまわりにあるものを眺めたとき、そこにある色や音が違うものに感じられたのは、不確実性がもたらした揺さぶりが、自分のなかにある何かのカタチを変えることになったからだろう。そして、そこには善悪の判断はなく、良きせよ悪しきにせよ、ぼくたちはそれを受け入れて前に進んでいかないといけないのだ。そこで失われたものと、新たに手にしたものを眺め、それを抱えながらもこれからも生きていけるように、不確実なものの上にもコミットすることのできる個別な物事に光をあて、そこに生まれるささやかなあたたかさのフラグメントを集めていく必要があるのだ。


震災が発生してから一か月が経ち、以前と同じとまではいかないまでも多くの人が普段の生活に戻ろうとしているときにあって(もちろん今このときにも被災地で苦しんでいる人々の生活が一日でも早く良い方向に向かうことを願っている)、あわてずに自分の目に映る色や耳に聞こえる音をゆっくり感じてみるのもいいのだろうと思う。もしかしたら、そこにはそれまでには気がつかなかった何かがあるかもしれない。あるいは今まであった何かが失われているかもしれない。その事実を静かに受け入れて深呼吸をしたあと、『たしかめられないもの』の土壌の上に、どれだけささかかで、手作りでいびつだとしても、自分が信じることのできる何かを作りあげていこうと思うとき、それこそはもしかしたら、今回の震災が一人ひとりにもたらした良きものともなりうるのかもしれないと思う。


写真:『HOPE』と書いた紙に書かれた日本へのメッセージを前にクラスメートと折鶴を折る。

ふれることのできるぬくもり


3月15日に発生した東北関東大震災による被害は今も広がり続けている。それは、あまりに大きいため、実際、どれほどにわたって影響を及ぼすか想像ができず、全体像をつかむことにすら時間がかかるだろう。ぼくはアメリカでこの惨禍を知ってからというもの、勉強が全く手につかず、翌日に試験を控えながらも毎夜、U-STREAMでNHKのニュースに耳を傾け続けている。


正直に言って、ぼくにまだ日本で起きていることをどうとらえてよいのかかわからずにいる。誰も考えなかったほどに甚大な被害を引き起こしていること、それによって多くの人の命や生活が損なわれていること、そういった全てについて、これからの自分がそれにどうコミットできるのか、今はまだ判断をすることができない。


現地で被災して命を落とした人、負傷した人、心に大きな傷を抱えた人、たった今も救助を求めて苦しんでいる人、それを救おうと危険を顧みず必死に活動を行っている人、そんな人々とはくらべるべくもないのはわかっているのだけれど、日本がこのような状況になっていることに、言葉にできないほどの衝撃を受け、それを心の重みとして引き受けているという意味においては、距離とか時間とかとかとは関係なく、ぼくたちみんなが被害者であり、被災者なのだろうと思う。


苦しんでいる誰かのためになろうと思う気持ち、一日でも早く前に進んでいきたいという気持ちはとても尊いものだと思う。しかし、その前に少し自分自身の心に思いを巡らせてほしい。今日もニュースで流れ続ける悲惨な状況に心を痛め、自分の無力さにやるせない思いを抱くそのときに、そんな自分がふれることのできる身近なぬくもりに救いを求めてもよいのだと思う。


何をしてよいのか多くの人が途方に暮れているこんなときだからこそ、自分が誰かと共有できるささやかな何か、人と人とが静かに、フィジカルなより添うところに感じられるほのかなあたたかさみたいなものこそが、いまは必要とされているのだろう。


そして、冷え切った体と心をとかしてくれるぬくもりに生きていることの幸せを感じ、そこで呼吸を整えてからしっかりと小さな一歩を踏み出そうとする思いのいくつもの集まりが、もしかしたらこれからの日本をどこかに進めていくことができるのかもしれないと思う。


画像はUCSDで行っている募金活動。人数や金額ではかることはできないけれど、誰かがいまも日本のことを思っている。

約束された場所

今週の月曜日はアメリカでは数少ない祝日の一つ、『Martin Luther King, Jr. Day』(キング牧師の誕生日)、国際政治の課題を読むのに疲れて何気なくFacebookを見ると、クラスメートがキング牧師の演説をアップしていた。キング牧師の演説と言えば“I have a dream”が一番有名だと思うけど、アップされていたのは“The Mountain Top”、キング牧師が暗殺される前日、急遽行うことになった彼の人生における最後の演説。


その映像に見覚えがあったのは、高校生のときに見ていたNHKの『映像の世紀』の中で、強く印象に残った映像の一つがキング牧師のその演説だったから。はっきりした理由はわからないけれど、大衆を前に話すキング牧師の言葉に、希望と、充足と、哀しみと、さまざまなことを必死に見つめ続けてきたからこそ得ることができたであろう輝きを見たからかもしれない。そして同時に、その輝きが永くは続かないだろうことを感じたからだと思う。


大衆の前の演壇に立った彼は、原稿も持たずに話し始める。


『この先にも我々には困難な日々が待ち受けているでしょう。しかし、それはもう私にとって大したことではないのです。私は山の頂に立つことができたのですから。』


『もちろん皆さんと同じように、私も長く生きたいと思う。しかし、今の私にはどうでもいいのです。今はただ神の意志を実現したいと思うのです。彼は私が山の頂に立つことを許してくださいました。そして、私はそこから見渡しました。そこから約束された場所を見ることができたのです。』


『私は皆さんとともにそこに行くことはできないかもしれません。しかし今夜、皆さんに知っておいていただきたいことがあります。それは、我々はいつか約束された場所にたどり着くことができるということです。』


『私は幸せです。何も心配していません。誰のことも怖れてはいません。神の栄光が降り立つのを、私はこの目で見ることができたのですから。』


たぶん彼は長生きしたかったのだろうと思う。そして同時に、彼は長くは生きられないことを悟っていたのだとも思う。自分が成し遂げたことへの充足、それによって見ることのできた人々の幸福、代償として削られていく人生、自分が選び、歩んできた時間を静かに見つめる眼差しが、言葉のちからとなって心に響く。


彼は黒人の公民権のために闘った。それはたぶん、他の誰かのためであるとともに、自分のためでもあったのだろう。誰もが必要とする他者からの承認を求め続け、得ることができたからこそ、他者の幸福のなかに、自分へと射し込む光を見ることができたのだろう。


映像を見るうち、ぼくはふと、彼が人々の自由の先にどのような『約束された場所』を見たのか知りたいと思う。闘いが終わり、みなが自由を得たあとに、どのような承認のかたちがあるのか、自由が訪れたあとにも、人は人とのつながりを必死に求めようとするのか、知りたいと思う。


2007年に逝去した河合隼雄は『人と人とは、幸福よりも悲しみよってつながることができる』と語った。人々が世界のどこかに存在する見知らぬ誰かのために涙を流し、そこに同じ何かを見ることができるのも、悲しみから逃れられないものとしての人間を愛おしみ、慈しむからなのだ。キング牧師の最後の演説が心に響くのも、黒人に自由をもたらしたという事実だけではなく、その承認の代償として彼の人生は長くは続かないという事実を、彼自身が喜びも悲しみも入り交じった気持ちで愛おしく思えたからだろう。


幸せとはたぶん、他人のために生きると同時に、自分のためにも生きること。何かを達成すると同時に、何かを達成できない自分を、そして、それと同じく生きる者として存在する誰かを、許し慈しむことのうちにあるのだろう。


もしあなたが、ぼくと同じくキング牧師の最後の演説に心を揺さぶられるとしたら、たぶんそこに彼の幸せを見ることができるからなのだろうと思う。自分と同じく、様々なことに悩み、どこにも行く着くことのない思いを抱えていても、それでも幸福を感じて生きた人が確かにいたことを、その言葉や、眼差しから、信じることができるからなのだろうと思う。


この世界に生きる全ての人が、それぞれの中に『約束された場所』を見ることができる。『自由』や『承認』といったものの実感が曖昧になっているこんな時代でも、きっといつか彼が見たような『約束された場所』にたどり着くことができる。そう信じることができる何かを、彼の姿に見ることができるからなのだろうと思う。


キング牧師、最後の演説』

http://www.youtube.com/watch?v=o0FiCxZKuv8&feature=related


最近あまり写真をとっていないので、懲りずに年末にとった夕陽の写真。今年はもっと写真を撮らないとね。

そろそろ次のところへ

2011年になりましたね。このブログの日付は1月2日になっていますが、サンディエゴはまだ1月1日です。新年になってクラスメートがFacebookでHappy New Year!と投稿したり、大晦日から新年にかけてパーティーをひらいて飲んだりと、ここにはここなりの新年の祝い方があるけれど、紅白が終わった後の『ゆく年くる年』を見ながら一年の終わりをしみじみと感じるのが好きだったぼくとしては、やはり何となくHappy New Year!の『!』のあたりに違和感を感じてしまいます。しかも冬学期は1月3日から始まるから、休みは実質残り1日だけ、そんなに浮かれ騒いでもいられないよね。


冬休みはロサンゼルス、サンフランシスコ、ヨセミテ国立公園といろいろ回ったけど、大晦日はLA在住のいとことの食事のあと、日本人の先輩たちと年越しそばを食べながら静かに楽しく飲んで過ごしました。サンディエゴでCNNのアンダーソン・クーパーを見ながらサッポロビールを飲み、年越しそばを食べるのもなかなかいいもの。普段はアメリカのカルチャーを体験することを心がけているぼくだけど、新年を迎えるにあたってはそういう気になれず、全くの日本人として過ごしたのでした。


去年を振り返るに、やっぱり一番大きな出来事はアメリカに留学したこと。西海岸に雨の続いた年末にワインを飲みながら思ったのだけど、自分がいつか留学するなんて就職するまで考えたこともなかった。中学生の時から文系科目の中で唯一英語が苦手だったぼくは、海外で英語と格闘しながら勉強したり、友達と話したり、スーパーで買い物する自分の姿を想像できなかったし、それを特に望んでもいなかった。どちらかと言えば、新しい環境や体験を求めて海外に行くことなんか下らないとさえ思っていたような気がする。アメリカなんか行かなくても、考えるべきことや悩むことは身の回りにたくさんあった。


そして、今になって思うと、やはり就職して、社会の中で働くということについて身をもって考えることで、そういった意識は変わってきたのだと思う。あまりに自分の近くにある問題は、あるいは自分の中にある問題は、ときにはそれへのアプローチを変えるためにアクションを必要としているのだと。そして、それらに腰を据えて取り組みつつ、世界をみつめる視点としてのツールを手に入れるために、西海岸の学際的なプログラムを選んだ。


渡米して5ヶ月たったいま、自分でもそこそこいいスタートが切れたと思う。英語も少しずつだけど伸びているような気がするし(気がするだけかも知れないけど)、親切でいい友達もたくさんできた。勉強からも新しいことをいろいろと学んでいる。気候はいいし、海は近くてキレイな夕陽が見られるし、運動も出来るから健康的だ。


ただ、そろそろまた次のところに重心を移していかないといけないと思う。人生初めての海外生活になれることで精一杯だった5ヶ月前とは違う。もちろん英語はまだまだだし、日本と同じようにはとはいかないけれど、これからは自分で考えて時間を使っていくことができる。さまざまな物にも望めばアクセスできる環境にある。


たぶん、この5ヶ月間でどこかへと向かう潮の流れを探り当て、なんとかそれに乗れることができたのかもしれない。だから、次は、わずかな風を受けて帆を張り、流れの変化を感じて舵を切り、この2年間でなすべき何か、あるいはそこに向かう毎日毎日の投錨地に向かって少しずつ進んでいかなければならない。あとは明確にどこに進んでいくのかわからないなかで、そんな自分を信じるに足りる分だけ、納得できるものを自分自身にその都度求めて確認していくこと。とりあえず今年はそんなことを考えながら日々を送っていきたいと思っています。というわけで(どういうわけだ?)、今年もどうぞよろしくお願いします。


元旦(アメリカ西海岸時間)


P.S さっきテレビで『プライベート・ライアン』を見ていたのだけど、むかし見たときよりいい映画だと思った。なんであのときはピンとこなかったんだろう?


写真は年末に行ったヨセミテ国立公園。渓谷が雪に覆われていて、心が静かに洗われるような美しさだった。ありきたりだけど、アメリカは広いね。今年は国立公園にもたくさん行こうと思っています。

感謝祭つれづれ


みなさん、感謝祭ってどんなイベントか知っていますか?たぶん聞いたことはあるけど、それがどういう起源を持つものなのかわからないという人が殆どだと思う。かくいうぼくだって、家族で集まって七面鳥を食べる日、くらいのイメージしか持っていなかった。どうやら一般的には、ピルグリム・ファーザーズがイギリスからマサチューセッツ州の植民地に渡って初めての収穫を記念する行事とされているらしいです。これだって、少し前にパソコンでパタパタと調べて得た知識。


そんなわけだから、アメリカ人のクラスメートが『もうすぐ感謝祭だね』とソワソワしていたりするのもぼんやりと眺めていただけ。前日の午前中の授業が終ると、みんなが『have a happy Thanksgiving!』と言いながらニコニコ顔で大荷物を抱えソイソと家族の待つ地元へ帰るのを見て、何となくそれがアメリカ人にとって特別なイベントなのだろうと実感が湧いてきたくらい。
それでもアメリカ人じゃないから関係ないや、と昼食のためにフラフラ大学のフードコートに向かって歩いていたら、一人のアメリカ人の友人から『明日はインターナショナルスチューデントでパーティーでもするの?』との質問。特に何も考えてないと答えると『それはよくない。みんなで七面鳥焼いてパーティでもすればいいのに』と残念そうな表情。言われてみれば確かにそうだなぁと思って『そうだね。でも前日だし、これからみんなに声かけてもあまり人が集まらないかもしれないしなぁ、ブツブツ』とブツブツ言っていたら、彼が『よし。せっかくの感謝祭を一人で過ごすのも寂しいだろうから、よければ家のパーティーに来なよ。親戚がみんな集まってきっと楽しいよ』と、その場で母親に電話で確認。実はその場にいたタイ人の友人がインターナショナルスチューデントのパーティーに誘ってくれようとしていたらしいのだけど、そんな偶然でアメリカ人の家庭の感謝祭のパーティに行くことになりました。


翌日の午後、IRPSから招待されている他の2人の学生とともに彼の家に到着すると、既に15人くらいの人々の集まり。両親や親戚や隣人などに次々に紹介され、その後はビールやワインを飲みながら、30人くらいまでどんどん増えていく人たちと気ままにゆっくりと過ごす。とてもカジュアルでリラクシングな雰囲気。たぶん日本で言ったら正月みたいな感じなんだろうね。
彼の母親によると、かつては感謝祭に向けて女性が一週間くらいかけて準備をしたりと伝統的なイベントとして大変なこともあったものの、最近では七面鳥以外はみんなで料理を持ち寄って楽しくやろうという感じになってきたとのこと。『たいへんだったことも含めて昔もワクワクしたけど、こうやって気兼ねなくみんなでワイワイするのが一番ね』と感慨深そうに言っていました。
父親の方はへべれけに酔っぱらいながら、パーティに参加してくれた人々と話してまわる。年寄りから子どもまでみんながぼくたち留学生にも気軽に話しかけてくれて、ささいなことでとても嬉しそうに喜んでくれる。感謝祭って、みんながそうやってつながっているということを、おいしい食事とおいしい飲み物、楽しい会話をつうじて感じることができる日なんだろうね。日本人が除夜の鐘を聞きながら初詣をし、お節をつまみながらみんなで楽しくお酒を飲むように。カポーティーの短編に『感謝祭のお客』というとてもいい話があるのだけど、そこある温かさのようなものをより深く実感できたような気がした感謝祭でした。


昨日はブラック・フライデー(日本の初売りみたいなもの)で午前4時起き、夜から別の友達とのパーティーと過ごして少し疲れがたまっていたので、今日は友達と一緒にアメフトを見る約束をキャンセルして家でゆっくり。再来週には怒濤の期末試験が控えているし、気分転換のためにもね。
さっきぼんやりと試験勉強の合間にテレビをつけたら『CNN HERO』というアンダーソン・クーパーが司会をつとめ、世界のCNNからノミネートされたHEROを表彰するプログラム。それだけ聞くとどこにでもありがちなものにも思えるのだけど、何となく見始めたらけっこうおもしろくて、最後まで見切ってしまいました。
内容がアメリカ的な正義感に基づいていると言われたら否定はできないのだけど、アメリカに限らず世界中で困難を抱えている人たちを救おうとする人々をHEROとして敬意を表するということを、ここまで自然に、真剣に伝えることのできるメディアというのも日本にはないのだろうな、と感じました。これもまたアメリカの感謝祭の一つなのだろうね。アメリカの全てが良いと言うつもりは全くないけれど、日本のマスコミもたまには誰かを批判したり、何かを斜めから見ることをやめて、シンプルにストレートなものを作ってもいいのではないかな。そういうプログラムだからこそ、ほんとに何かを伝える力が試されるような気がする。


写真:感謝祭のパーティでたくさん食べ、たくさん飲んだ後のデザートの時間。『自分の家だと思ってよ』と言われてもなかなかそうはいなかいものだけど、このパーティーは心からリラックスできました。

ちっぽけな壁を目の前に


いつもよりも厳しい暑さが続いた日本から渡米して3ヶ月半、振り返ってみるといろいろな経験はしているけれど、やはりあっという間に時間が過ぎていっている感じは否めません。とくに先月から今月にかけてはmidtermがあったから、一つ一つの授業の試験勉強をしているうちに11月になり、今週でやっとmidtermも全部終わる・・・と気がついてみたらもう11月も半分が過ぎようとしています。日本で仕事をしているときは週末が違った意味であっという間に過ぎていったけど、サンディエゴに来てからは、まるで1日が数時間短くなってしまったような感じがする。だんだんと生活には慣れてきているけど、たまに電池が切れてしまったかのように全く何もできなくなる日もあって、そういう日は潔く諦めてビールを飲んで寝てしまうしかない。それも渡米当初に比べればだいぶ減ってきたけれど。


日本から来ている同級生の中には、サンディエゴでの生活にストレスを感じて『日本に帰りたい・・・』と言っている人もいます。一昔前に比べれば海外生活も便利になったことは確かだと思うけど、それでもやはり日本語は通じないし、日本では知らぬ間に享受していたアドバンテージのようなもの(背景の似通った友達、自分の行動に対する理解、ステータス)もないし、車がないとどこにもいけないし、コンビニもないし(そういう名前の“inconvenience”storeはある)、そして何と言っても勉強はけっこう大変だし、何か求めることがない限り、日本で仕事しながら生活する方が楽かもしれないな、とは思う。でも、そんなの当たり前だよね。誰もアメリカに留学することを強制しているわけではないし、本気で帰ろうと思ったら誰も止めはしない、快適な生活が送りたいのだったら最初からアメリカなんて来なければいい、ぼくなんかは批判でも嫌味でもなく心からそう思います。


でも『あなたは何をしにアメリカに留学しに来たのですか?』って言われても、ぼくも今のところはっきりと答えることはできません。ぼんやりと自分の心のうちに思うことはあるけれど、まだまだ言葉というかたちをとってあらわれるような時期ではないのだと思う。ただ、アメリカに留学することにしてよかったということは間違いなく言える。もちろん勉強はたいへんだし、英語も通じないこともあるし、キンキンに冷えた生ビールは飲めないし、カツオのたたきも食べられないし、おいしい野菜もないし、いろいろと不満を言えばキリがないけど、そんなことも含め、全く新しい場所でのいろんな体験を通じて、いろんな物事を違った視点から見ることができるのはとても楽しい。自分を構成しているシステムみたいなものが、毎日少しずつカチカチと小さな音を立ててかたちを変えていっているような。だから『日本に帰りたい』という気持ちも今のところあまり感じていません。だいたい、あと2年間したら否応なく帰国しないといけないのというのに、なんでわざわざその期間を短くする必要があるのだろう?とぼくなんかは思うのだけれど。


たぶん、ぼくの同業者とかで留学している人とはちょっと違った風がぼくに吹いているのかもしれない、と最近思っています。みんな一生懸命勉強をして、いろんな人と学校で議論をして、あるいはプライベートで交流したりして『アメリカ』を感じているのだろうな、とたまに連絡をとったりする度に感じたりする。でも、少なくとも今のところ、ぼくは一体何が『アメリカ』なのかということを、よくわかっていません。もちろん、ここが日本とは違うのはわかるけれど、そして『その特徴を挙げろ』と言われたら幾つか挙げることはできるけれど、そんなやり方で出てくるものにはあまり意味はない。日々の生活を送っている中で、何かしらの雰囲気を感じることはあるけれど、それはぼくが今まで考えていたものとは少し違ったもの。でも、もしかしたらそれがアメリカの何かなのかもしれないね。

『違う風』と言ったもう一つ理由は、アメリカに来てから、日本にいるとき以上に様々な人が持つ物語を聞くようになったということ。海外からアメリカに来ている人からしたら、アメリカという場所に来ることで自分の国では話せなかったことを話してもいいという気持ちになるのかもしれない。もしかしたらアメリカにいる中で、何かしら自分を変えることができると思っているのかもしれない。そういう話を聞くたびに、もしかしたら日本で暮らしているときも、自分の身近に悩みを口に出すことすらできずに苦しんでいた人がいたのかもしれないな、と思います。昔は大学時代に何となく留学しているように思える学生(もちろんぼくの友達にはそうでない立派な留学経験者がたくさんいます)とか見ると『ふん』と思っていたし、今でもUCSDでチャラチャラ遊んでいる日本人の学生とか見ると『むむむ・・・』と思うけれど、『日本にいると生きることに息が詰まって、どうにかしようとアメリカに来ました』とかいう話を聞いたりすると、この機会がその人に良き何かを与えてくれるといいな、と心から思います。


『2年間で何をするか、キチンと決めて実行すること。アメリカでの2年間の留学期間にできなければ、日本に帰ってきてもできない!』という職場の上司の熱い激励の言葉に反して、何となく自分の心の感じるままに日々を送っているぼくだけど、そっちの方が逆にいろんなものを素直に受け止められているような気する。『自分はこれを成し遂げるんだ!』って力を入れたところで自分の感性を縛ってしまうだけかもしれない。そして、たぶんアメリカだって日本だって、別にそういう意味で特別な場所じゃない。特別なのは常にそこにいる人であり、その人たちが持っている物語。だからぼくはここに来ているのです。


さて、今日は木曜日までの宿題を半分くらい終わらせようと思っていたけれど、もう夜の11時だし、明日の朝は6時起床だから、どうやらムリみたいですね。だいたい、このブログを書き始めた時点でそんな気はしていたのだけれど。まぁでも一応あと数時間がんばってから寝ることにしよう。何と言ったって大学院生だしね。


写真は週末、勉強に疲れて久しぶりに見に行ったLa Jolla Shoresの夕陽。日本にいるときはあまり考えたことなかったけど、海の上にどこまでも広がる夕焼け空を眺めているうちに、この空は世界中のどこまでも続いていて、その下でいろんな国の人が生活しているんだな、ってふと思ったりしました。やっぱり海っていいね。

ささやかだけど大切なこと


こんにちは。11月に入って日本もだいぶ秋らしくなってきたでしょうか。
サンディエゴはというと、11月だというのに最高気温が30℃を越える日々が続いています。何回か書いたけど、冷夏のために夏でも30℃を越える日は珍しかっただけに、クラスメートもみんな『いまさら何なんだよ』と変化の激しい気候にブツブツ言っています。日本と違って陽光が強いサンディエゴでは、30℃を越えると暑いというよりも紫外線に焼かれているような感じ。冷夏だと聞いて『せっかく西海岸に来たのに、うむ』と思っていたのだけれど、例年の夏はこんな天気がずっと続いているのかと思うと、冷夏くらいがちょうどいいんじゃないかと思い直したりしています。

しかも、さらに問題なのが、建物の中は比較的涼しくて、何もなければ過ごしやすいのだけれど、大学の建物では、少しでも暑くなるとガンガンに冷房が入り、少しでも寒くなると(最低気温は10℃くらいです)ガンガンに暖房が入ること。ぼくも自分で簡単にできる範囲でムダを減らそうというくらいにしかエコとか意識していない人間なのだけれど、それでも『こういうのは地球にやさしくないよな』と思います。それより何より、だいたい学生のからだに良くない。外は30℃を越える気温だというのに、建物の中では厚手のジャケットを着込んでいる学生もいたりして、そういうシーンを見るにつけ、そんなアメリカ人に『こんなことを続けていると地球がアブナイ』ということを認識させたゴア元副大統領がノーベル平和賞をとったのも納得できるような気がします。


さて、学期が始まってからというもの、授業の準備に追われる日々が続いていたのだけれど、先週末にハロウィーンのドンチャン騒ぎ(ホットドッグに扮装していったら意外とうけた)も終わり、いまは来週の中間試験に向けて黙々と勉強を進める日々です。普段は陽気なクラスメートたちも、試験を控えて心なしかテンションが下がり気味。Face bookなんかでのやりとりも少なくなって、なんだか大学生時代の試験シーズンを思わせる雰囲気が漂っています。そんなぼくも英語で問題を読んで英語で回答を書かないといけないという大きなディスアドバンテージを克服すべく比較的マジメに勉強をしています。まぁこんな付け焼き刃みたいな努力がどこまで報われるかは疑わしいけどね。


話はかわるけど、全体的に二目盛りくらい低いテンションがIRPSを支配しているなか、個人的には、ささやかだけどストンとおさまる意識の転換がありました。
サンディエゴにきて3ヶ月、やはり一番の問題は英語能力であり続けているのだけど、中でも人と英語で話すのに苦労することがよくありました。それは『言っていることが伝わらない』というよりも『何を言って良いのかわからない』ということ。特に疲れているときなんて、会話をしていてもあまりうまく聞き取れないし、何か話そうとしても頭に何も浮かんでこない。そんな日はひとり家に帰ってから『うむむ・・・』と考えたりしたのだけれど、最近、それはまた別の問題なんだということに今更ながら気がついたのです。

簡単に言えば、いまアメリカで感じていることって、日本で日本語を話していたときに感じていたこととあまり変わらないんだよね。
自分の話し言葉が、それを全体として思い返したときに如何にキチンとした文章になっていないかということ、会話の殆どが相槌や単語や表情を伴った感情表現で構成されていること、話したいことがあれば話すし、話したくないとき、話すことがないときにはムリをしてまで話さないこと、初対面の人やあまり仲良くない人とは何を話して良いのかわからなかったりすること、疲れているときには人の言っていることがよく理解できなかったりすること、そんなときにムリに何かを言うことでムダに人のことを傷つけたりして、あとで逆に後悔したりすること。

大切なのは、自分の話したいことをキチンと伝えるためのリズムや語彙を習得すること、自分なりのスピードと、自分らしい表現を身につけること。こんなのは当たり前だと思うかも知れないけど、そんな当たり前のことも、TOEFLとかTOEICによって英語能力を測られてきたなかで見失っていたのかも知れないな、と家でひとりビールを飲みながらふと思ったりしました。もちろん、そういったテストに向けての勉強が、総合的に英語能力を向上させるために効果的であることを否定するつもりは全くないけれど。


ただそんなプライベートな気づきによって来週に控える試験の点数が上がるわけもないので、それはそれとして、アカデミックに難しいことを表現をするための英語の方もがんばろうと思っています。
よく『短い文章でシンプルにつなげていけばいいんだよ』とサラッと言う人がいるけど、そんなことを聞く度に『それができれば苦労しないんだよ』と心の中で言い返しています。はてさて、いつかアカデミックな英語の文章を書くことに熟達する日は訪れるのだろうか。今のところ、そのささやかなきっかけすら掴めていないけれど、まぁ引き続きがんばるしかありませんね。

ではでは、そろそろまた勉強を再開したいと思います。今週はずっと勉強漬けになりそうだなぁ。早くサンクスギビングの休暇がこないかなぁ。どこかに行って何か楽しいことがしたいなぁ。というリフレインを頭の中に聴きながら、とりあえずがんばることにします。


写真は車で10分くらいのところにあるベトナム料理の店。サンディエゴのベトナム料理は安くておいしいので、週末とかたまに友達と食べに行ったりします。来週の中間試験が終わったら、ステーキを食べに行く予定、ぐぅ。