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分子神経科学研究者、兼、麻酔科医、兼、ランナー、兼、作曲家 の随想録(ひとりごと)です。

経済と景気は人工物か?

 安倍晋三首相が消費税増税の二年半先送りを表明しました。マスコミや野党はここぞとばかりに、増税見送りに対して批判を浴びせています、「アベノミクスの失敗によるものだから責任をとって衆議院を解散しろ」、「社会保障に充てるための増税の分の財源を他に具体的に示さないのは無責任だ」といったものです。

 中国などの新興国のリスクは依然としてあるものの、世界経済、特にアメリカ経済に照らせば失業率の改善や景気の回復の兆しがみられているものの、日本経済の現状が好景気とはおくびにも言えないことは誰もが感じていることでしょう。クルーグマンのような経済学者による見解でも、日本が現状において消費税増税を行うことはマイナスに向かう危険性があることが指摘されています。

 経済学と医学をかじった者として感じることは、経済状況というものは個々の人間や企業による人工的な所産であるかのように考えられるかもしれませんが、はっきりいってそれは違う、そう断言したい。経済は、自然そのものであります。人体のなかで個々の細胞は、それぞれのなかで発現すべき遺伝子を選択し、分子同士の相互作用に伴う様々な反応をもとにそれぞれの「きちんとした」活動を行うことで、エントロピーの増大へと向かういわゆる自然に反した「きちんとした」方向へ向かっていきます。しかし、その細胞ひとつひとつ、またはその集合体である生物こそ、自然なのです。
 
 経済活動が行われる社会においても、それぞれの経済主体である個人または企業はそれぞれの得意分野やコア技術である比較優位性を活かしながら、それぞれの存続をかけて活動を行っています。それぞれのミクロな経済活動の集合体の結果として、一地域または国レベルでの経済成長率や景気状況などを示す経済指標が現れてくるのです。したがって、政府や日銀、あるいは国連レベルの国際機関による経済政策が施行されたとしても、必ずしもその狙い通りに経済の方向性を誘導することができない、このことは過去の歴史からも明らかです。

 経済政策とは、具合の悪くなった患者さんを治療する感覚に似ているように私には思えます、特に集中治療という、たくさんの不具合を負った患者さんの全身を管理する治療行為に共通したものを感じるのです。経済政策には大きくわけて二つあり、ひとつは国家主導で需要を作り出していく財政政策(道路工事、ダム建設など)、もうひとつは市場に出回るお金(貨幣)の数を増やしたり減らしたりすることで、お金の価値を調節する金融政策(金利の上げ下げ、日銀による国債の売り買いのオペレーションなど)があります。財政政策は、集中治療でいえば悪いできものを除去したりうまく機能しない部分を直すといった手術に似ています。また、金融政策は、患者さんの血管のなかにとどまる血液の量(循環血液量)や栄養源となるアルブミンなどの栄養分の調製に似ています。

 消費税増税とは、財政政策を行うための元手となる税収を確実に増やすための政策であり、医療でいえば全身の細胞から少しずつ栄養を奪って、からだのためによかれとされる何らかの目的のために行う治療ということができるでしょうか。実際の治療としては、これぞとする演繹はできないものの、例えば健康な皮膚から薄い皮膚を削って、皮膚が欠損した部分へ植皮するようなイメージ、またはインスリン抵抗性をあえて増加させることによって各細胞へのグルコースの取り込みを抑制し、血糖値を高いままに維持するようなもの、例えばコルチゾールなどのホルモンの投与でしょうか。

 臨床の現場にいる者ならば誰もがわかることですが、すべての医療行為にはよいこと(ベネフィット)と悪いこと(リスク)が必ず伴います。さらに、医療者が狙って行った行為が、必ずその狙い通りになるとはまったく言い切れないものです。それはなぜか?ずばり、人体は人工物ではなく、自然そのものだからです。各細胞がそれぞれ目的をもって「きちんとした」活動を行うことで成り立つ集合体である、しかしながらこれこそ自然そのものであり、医療者がよかれと思って治療を行ったとしても、その狙い通りの方向へ容態が向かう、ということはまったくもってわからないのです。これは医療者の共通理解であり、一般の方々が最も理解しにくいことであり、この理解の不一致こそが医療の不信や訴訟を招く根源ということなのです。

 まったく同じことが経済状況にも言えるのではないでしょうか。ある政策決定者がよかれと思って、各個人によるそれぞれの経済活動の集合体である経済状況へ何らかの政策を施行したとしても、果たしてその狙い通りに向かっていくことなど、誰にもわからないのです。わかるのは、過去の実例にどういうものがあったのか、または、経済理論に照らしてその政策が「やったほうがいいのか悪いのか」、その程度のことです。したがって、予定通りの増税を先送りにした=アベノミクスが失敗した、という解釈は、経済が人工物ではなく自然そのものである、という基本的な概念が理解できていないのか、または時の為政者を批判することしかできない、旧民主党のごとき者であるか、といわざるを得ません。むしろ、熊本地震を経験したり日本経済の現状を踏まえた柔軟な対応を行うことができている政府のほうが、前言にしばられ撤回という決断ができず頑固となる政府よりもずっと信頼できる、私はそう考えております。ただし、先送りにするというアナウンスメントによる経済への影響については、決して軽んじることができないため、今後も生じうる様々なミクロな事態に対しては、ひとつひとつ政府主導による対応が必要になる可能性はありますが。