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その先は永代橋  草森紳一をめぐるあれこれ このページをアンテナに追加 RSSフィード


「崩れた本の山の中から 草森紳一蔵書整理プロジェクト」に経過報告がされているように、
「もの書き」草森紳一の蔵書約3万冊は、2009年11月故郷の帯広大谷短期大学に寄贈されました。
このブログでは、以後の草森紳一関連ニュースをお伝えしていきます。
(「その先は永代橋」は、『東京人』1996年4月号から連載のタイトルより。写真 草森紳一)

崩れた本の山の中から 草森紳一蔵書整理プロジェクト

草森紳一ホームページ 白玉楼中の人

2018-04-16

「蔵書整理トーク」3月30日付ブログの続きです

雪の日のトークからまだ1か月も経たないのに、
桜の季節へ、新緑の季節へとせわしなく時が過ぎていきます。

前回3月30日付けブログで、草森紳一の蔵書整理は200万ほどで済みましたと書いてから、10年前のいろいろなことを思い出しました。
もともと200万の予算があって、それを頼みに作業を始めたわけではありません。私たちにとってはとても大きな金額です。
草森さんは突然に亡くなったので、葬儀、家族との事務的なこと、お墓のことなど想像もしなかった現実が矢継ぎ早に押し寄せてきました。

そんな時、草森さんの友人たちに真っ先に聞かれたのが、「蔵書をどうするのか」ということでした。
草森さんの親友は、「俺がトラック呼んで全部捨ててやるよ。任梟盧と違って大したものはないんだ。大鉈を振るわなきゃあ、マンションの家賃が大変だ」
別の古い友人は、「草森の残したものは、紙一枚だって捨てたらいけない。お付き合いのあった出版社の倉庫に保管してもらったらどうなの?」
またほかの友人は、「貴重な本があるはずだから寄贈先を探して買ってもらえばいい」などなど。

様々な意見がありましたが、歩くことさえままならない瓦礫の山のような部屋の入り口で呻吟するばかり……。

一体どんな本が、何冊あるのかさえ分からないのです。息子さんが古本屋に勤めていたので、彼に委ねてしまいたいところでしたが、自前の保管場所がなければ到底無理との返事。結局、「まずは蔵書整理をしよう、それで全部が無理なら大事な本だけでも寄贈先を探そう、できれば買ってもらいたい」という結論に至ったのです。

当時、書籍のデジタル化が話題になり始めていました。私自身は、草森紳一という物書きが膨大な本の中で亡くなったことは、時代のターニングポイントを象徴する出来事のようにも思え、書き込みや傍線など手の痕跡が多く残る「書物」という実体を絶対に残さねばと思ったのです。
冊数が分からず、費用がいくらかかるのかもわからず、寄贈先の目あてもなく、何もかも予測不可能な状態からのスタートでした。

門前仲町のマンションから蔵書の引っ越しをしたのは、亡くなってから3か月後。紫陽花が美しい季節でした。
広い倉庫を借りられたことや担当編集者の方々の協力があったことなど、蔵書整理が前向きに動き出したことは本当にありがたいことでした。
この頃、草森さんの古い友人のプロデューサーの方から「草森本による草森紳一展覧会」の企画のお話や、ボランティアの知人からは新設の図書館か地方美術館でのユニークな本の展覧会の打診などが来ていましたので、蔵書整理の経費がまかなえればうれしいナ!と期待もしていたのですが、「膨大な蔵書」というイメージのみが先走っていたのか、実現には至りませんでした。

私自身は、ちょうどこの頃、翻訳書が出たばかりのアルベルト・マングェルの『図書館 愛書家の楽園』(白水社)を読んで、マングェルを招聘して任梟盧にも案内して「本と人」についてのイベントができないだろうかと無謀にも考えたりしたのですが(夢想ですね!)、遠距離介護の日々のうちにあっという間に年月が経ってしまいました。

もし、蔵書の持ち主である草森さん自身が存命中に整理をできていたら、自前の保管場所があったなら、費用はあまりかからなかったことでしょう。
でも、皆さんが心配した古本屋からの借金はほとんどありませんでしたので、良しとしなければなりません。それに息子も娘も反対をせず同じ意見だったのですから、本当に良し!でした。

2008年の急逝から10年を経て、やれたこと、やれなかったこと、いろいろ考えますが、200万の出費より、蔵書整理という活動で得た不思議な日々と友人たちが、なにより大きな宝物になったと思っています。

写真は、2008年蔵書整理の日々。休憩時間のおしゃべり。プロデュサーがリサーチに。ジャンル別の段ボール箱など。

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2018-03-30

3月21日B&Bトーク当日、東京・下北沢は雪でした!

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早いものでB&Bのトーク「物書きにとっての蔵書と家族 『本で床は抜けるのか』文庫版刊行記念」http://bookandbeer.com/event/20180321_hon-nuke/から一週間余り。
3月21日春分の日は、朝起きると雪。世田谷は気温2度で、夕方には雪が雨に変わり、猛烈に寒い一日でした。そんなお天気の中、30名ほどだったでしょうか……足を運んでくださった方々に感謝です。
公の場で草森紳一について話すのは初めて(北海道は別ですが)。仲俣暁生さんが「昨日は草森さんの命日だったんですね」の一言で、一気に10年前の記憶がよみがえり「いえ、本当の命日は19日らしく……」と余計な話をしてしまいました。
その後、西牟田靖さんの『本で床は抜けるのか』の発端から文庫版出版に至るまでのこと、取材で出会った個性的な人たちや、蔵書問題の直撃を受けた著者自身の顛末など…本と人との間の隠れたドラマが見え隠れする、興味のつきない話がありました。

後半は、草森蔵書プロジェクトの話。
クラウドファンディングで寄付を募るとしたら、500万あれば大丈夫ですか?」と聞かれましたが、うなってしまい応えることができませんでした。
60年代以後の貴重な現代演劇ポスターの収集を続け、海外展示の実績も持つポスターハリスカンパニーが、去年の夏、保存のための支援金150万をクラウドファンディングで集めようとしてダメだったことを思い出したからです。
いま落ち着いて考えると……三万冊の蔵書に対し300万くらいあれば安心でしょうか……
大雑把に、運送費と整理人件費100万、倉庫代(家賃)100万、目録入力代等100万――と考えて。
草森蔵書の場合、運送代と倉庫代がかさみましたが、人件費はほとんどかからなかったのと、寄贈先が1年後には決まったため200万程度ですみました。
何より大切なのは、中心になって働ける人、3人(〜6人)。無償で協力を惜しまず、根気があってあきらめず、多少は専門的知識のある人が必須です。
草森蔵書のボランティアの人数は、週末2日の実働で、蔵書整理(2008年6月〜8月)のべ約200名、目録入力(9月末〜2009年4月末)のべ300名ほど。
草森さんの急逝で、編集者と遺族の気持ちが一つになり実現した特殊なプロジェクトだったと言えるでしょう。

西牟田さんは本と家族について、仲俣さんは蔵書の課題や作家草森について、私自身は青春映画にでもなりそうな蔵書整理の日々について、語りたいことが沢山あったと思うのですが、あっという間に2時間が過ぎて時間切れでした。

終了後にいただいた参加者の言葉が印象に残っています。
「草森さんの蔵書の分類、夢、穴、橋などがあっておもしろいですね。図書館の分類法とは別の良い方法はないかと考えているので参考になります」(大学で図書館・情報学を教える女性)
「草森本を全冊そろえました。でも、阿倍仲麻呂(『夢に帰る』)だけはどうしても見つかりません。僕は草森紳一と久生十欄の二人が一番好きです」(30代?の大阪の青年)
また元東京創元社の伝説的編集者でミステリ界の功労者、戸川安宣氏がのぞいてくださったことは大変光栄でした。6万冊の蔵書の目録を自力で作成し、成蹊大学に寄贈なさったいきさつは、大著『ぼくのミステリ・クロ二クル』(国書刊行会)に書かれています。紀田順一郎氏の『蔵書一代』(松籟社)と共に大事な本です。

本は資料であると同時に、読む人の心に寄り添う大切な師であり友のようなもの。魂を形成してくれるものですね。
デジタル化が進み本の形態が変容していくにせよ、本を書く人はなくならないし、読む人もなくならないだろうと思います。
仲俣さん、西牟田さん、脱線気味の私をうまくリードしてくださってありがとうございました。
『本で床は抜けるのか』(中公文庫)売れますように!

2018-03-16

ブックカフェB&Bで「草森蔵書整理プロジェクト」などのトーク!

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「Webマガジン航」で連載時から大きな反響を呼び、単行本化(本の雑誌社)された
『本で床は抜けるのか』が中公文庫になります。(写真は見本、出版は3月23日頃の予定)
web→単行本→文庫と着実に読者層を広げているのは、今まさに紙の本と私たちの付き合い方、本の存在が問われているからでしょう。
その文庫版出版を祝うクロストークが下北沢のB&Bで開催されます。草森紳一没後10年のご縁も感じトークに参加します。著者の西牟田靖さん、プロデューサー的役割を果たされた編集者・文芸評論家仲俣暁生さんと一緒に、草森蔵書整理から物書きと蔵書の悩ましい話題まで、面白くなりそうです。

3月21日(祭)7時〜9時です。ぜひご参加ください。

詳細は、B&Bの下記サイトをご確認ください。
http://bookandbeer.com/event/20180321_hon-nuke/


本屋B&B (株式会社レーベン)
http://bookandbeer.com
〒155−0031東京都世田谷区北沢2-5-2 BIG BEN B1F
TEL 0364508272
FAX 02046641622

2018-03-12

ミモザの花を胸の中に―

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もう3年前になるのですね……2015年3月22日のブログに、「ミモザの花を森茉莉さんに」と題してブログを書きました。近所の遊歩道近くに立つミモザの木がすばらしく美しかったからです。以来、花が咲く前から枝ぶりを見るのが楽しみになりました。
今年は風邪気味だったので、つい忘れていたのです。そして今日!なんと!ミモザの木が消えてしまっていました。
どこに行ったのでしょうか。伐採されたのか、誰かが抜いていったのでしょうか・・・

3月には大切な人の命日がたくさんありますね。私のミモザも加わるとは・・・

3年前の写真をアップします。あのミモザの豪奢な金色を胸に、明日もガンバロ。

2018-03-10

蔵書と映画について、筆者の魂が伝わる名著2冊

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『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(松籟社)は、去年7月に出版されて話題になったのでご存知の方も多いと思います。著者、紀田順一郎氏は、草森紳一が慶応大学時代に所属していた推理小説同好会の先輩。卒業後、商事会社に就職なさったものの、当時まだまだ日本には紹介されていなかったミステリ、幻想怪奇文学、SFの分野に関心を深め、30歳でフリーランスの物書きに。
以後、増殖し続ける蔵書の保管に苦慮しつつ、とうとう蔵書を手放すことになったいきさつとその背景にある社会の変化、それらとともに戦時下に蔵書を守った人々などについても丹念に書かれています。
80歳になった紀田さんが蔵書処分を断行した日を描いた「序章 永訣の朝」は、胸を締め付けられ涙があふれます。

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『祝祭の日々 私の映画アトランダム』(国書刊行会)は今年2月に刊行されたばかり。清流出版のHPで長く連載された人気コラムでした。このコラムを初めて読んだとき、「エッ、この書き手は誰?」「60年代(から)の物書き?」と思いました。60年代以降の映画はもとより音楽や文学など時代背景がまるで目撃したかのように描かれ、その渦中にいた伝説的な人たちとの交友も生き生きと語られていて、久しぶりに懐かしくタイムトリップの気分で興奮したのです。
著者の高崎俊夫氏は、名編集者、名ライターとしてキャリアのある方で、私の想像よりぐっと若い方でした。
「映画館の中で映画を見る」時代と人と映画そのものにオマージュを捧げた名著です。

この『蔵書一代』と『祝祭の日々』の文中に、草森紳一が登場しています。ぜひ探してみてください!

2018-02-28

『「明日の王」詩と評論』が、静かな感動を呼んでいます。

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『「明日の王」詩と評論』が、1月末に未知谷から刊行されました。
2017年12月30日のブログでもお伝えしましたが、遺品を整理中に発見された草森の130枚の詩論を、詩の作者である嵩文彦氏が本にまとめられたもの。
没後10年。同級生の親友から、天国の草森紳一に向って、ようやくつづられた言葉に心打たれます。
共著で、草森紳一没後18冊目になります。

目次構成など詳細は、http://www.michitani.com/books/ISBN978-4-89642-542-0.htmlで。

2月4日には「ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ」
http://abecasio.blog108.fc2.com/blog-entry-2767.html#comment3512 で、

2月11日には毎日新聞に書評が出ています。

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2018-02-23

今日、原田憲雄先生から! 2月23日の草森マジック

風邪をひいてしまい、久しぶりにオフィスに出てきました。
まだブログではご紹介していないのですが、
嵩文彦氏と草森紳一の共著『明日の王 詩と評論』が出て、お送りした方々から、
少しづつお礼メールが届いています。

チャイムが鳴ったので出てみると、現金書留でした。
京都原田憲雄先生から! 草森紳一蔵書整理プロジェクト御中で、『明日の王』詩と評論のお礼状と共に刊行費の一部としてお収めくださいと一万円が同封されています。
驚くと同時に胸が熱くなりました。原田先生、おいくつになられたかしらとGoogle検索しようとすると、ロゴのところに「Shinichiさん、誕生日おめでとう!」と!!
エッ、なんで? 
それでハッと気が付いたのです。今日は2月23日、草森紳一の誕生日。
原田憲雄氏も同じ2月23日が誕生日。草森さんが生きていれば80歳。
原田先生は、99歳におなりです。
8年前に回想集『草森紳一が、いた。』に、5年前に『李賀 垂翅の客』(芸術新聞社)に跋文を書いてくださったのでした。

やや震えがあるものの凛とした自筆のお手紙を見ながら、背筋がシャンとし、厳粛かつ幸せな気分になった一日でした。(ドイツの江キナさんに見ていただきたくてアップします)

それにしても、Googleにビックリ。
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原田憲雄氏は、『李賀歌詞編』(平凡社)の著者。
 卒論(慶應大学中国文学科)に500枚もの李賀論を書いた草森紳一は、フリーの物書きとなった1964年荒井健氏に連れられて京都の原田氏宅を訪れて以来のお付き合いでした。

2018-02-18

北海道の「草森通信」6号が出ました!

新しい年が始まって以後、今年は異常に厳しい寒波が続きましたが皆さまお変わりないでしょうか。
北海道や北陸だけでなく、関西でも経験したことのない寒さと言う人がいます。
被害にあわれた方々には、お見舞い申し上げます。

草森ファンの皆さんが楽しみにして下さっている「草森通信」ですが、メンバーの方が体調を崩され、2か月遅れになってしまったとのこと。加えて私も体調を崩していましたので、またまたご紹介が遅れてしまいました。本当に申し訳ございません!
通信の情報をお送りいただいた「蔵書整理プロジェクト十勝」の高山さんはじめ、みなさん、ありがとうございました。
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とても興味深い内容ですが、吉田先生の「どうしたものか」には思わず笑ってしまいました。まったくですね。
ガラスケースは草森紳一にふさわしくありません。手に取ってご自由に見ていただければ、迫力も伝わるかしらと思います。どうぞよろしく!

2017-12-30

草森紳一没後10年。『明日の王』(あすのおう)が未知谷から出版されます!

夏の初めころ、草森さんの執筆リストの作成をしていたとき、整理中の本や生原稿のなかにゲラの束が見つかりました。
帯広柏葉高校の同級生で詩人、嵩文彦氏の「明日の王」についての評論でしたが、どうしても掲載誌がわかりません。直接、嵩氏にお尋ねしたところ、ご本人もまったくご存じない未発表の原稿だったのです。

あれから半年。
嵩文彦氏のご尽力と、未知谷の飯島徹氏のご決断で、『明日の王』が共著で(詩・嵩文彦 評論・草森紳一)とうとう出版されることになりました。

没後18冊目の刊行になります。どんな本になるのでしょうか……とても楽しみです。

出版は1月中の予定とか。早い!

ご注文の方は、未知谷かこのブログ宛ご連絡ください!

2017年7月26日のブログでもお伝えしましたが、北海道新聞が採り上げてくださった記事を再度ご紹介します。
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2017-12-29

島尾敏雄夫妻と、若き日の草森紳一

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今年NO.1の話題作と言われる梯久美子氏の『狂う人』。
北海道新聞社の記者の方から、「梯(かけはし)さんの新刊の中に草森さんが出てきますよ」とお教えいただきました。
「狂う人」とは、島尾敏雄の妻、ミホのこと。夫妻の膨大な未公開資料にあたって不可解な夫婦の関係を描き尽くした600頁を越える大作です。

第一章 戦時下の恋 の文中に以下のように書かれています。

「昭和38年の『婦人画報』五月号に、戦時中の往復書簡とともに掲載された島尾夫妻へのインタビュー記事には、加計呂麻島で島尾がミホに「戦争がすんだら、蒙古に僕と一緒に行ってくれますか」と言ったというエピソードが出てくる。この時のインタビュアーはのちに評論家となった草森紳一で、数回にわたって奄美を訪ね、戦時下の恋物語を聞き出している。二人を説得して往復書簡を借り受け、初めて活字にしたのも草森だった。」

草森さんは奄美を訪ねたことが強烈に印象に残っていたらしく、島尾敏雄の追悼文を書きたいとよく言われていました。急逝後、初めて門前仲町のマンションのドアを開けた時、積み上げた膨大な蔵書の山から島尾敏雄の本が目に飛び込んできたのを思い出します。

鹿児島文学館には、草森紳一島尾敏雄にあてた初々しい手紙が保管されています。奄美訪問が、婦人画報社を退職し、物書きとなるきっかけになったのではないかと思われます。

f:id:s-kusamori:20171228191405j:image:left 「婦人画報」 5月号と6月号。5月号には13頁分の特集を掲載。6月号には「続 隊長さまミホより」として「島尾敏雄夫妻にみる 結婚と破局と復活」8頁分を書いています。

下は5月号の特集トップページです。
それにしても昭和30年代の「婦人画報」のそうそうたる執筆陣と斬新な企画の数々には圧倒されます。

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