川口、38年ぶり8強 高校野球埼玉大会

 (23日・県営大宮ほか)

 第9日は3球場で5回戦8試合を行い、ベスト8が決定。Bシード川口は、5番小林のソロ本塁打などで正智深谷を6―3で下し、38年ぶりの8強進出を決めた。

 Dシード昌平は延長十一回、佐藤成の左越え二塁打でCシード所沢商を5―4で退け5年ぶり、熊谷商は岡田?、川崎の継投でBシード春日部東を2―0と完封し4年ぶりの準々決勝進出を決めた。

 Dシード狭山ケ丘は六回に粕谷、多賀の連続適時打で勝ち越し、Cシード成徳大深谷を6―4で振り切り2年連続の8強入り。連覇を狙う花咲徳栄は坂戸西を八回に逆転し4―1。Cシード浦和学院は9安打7得点で武南に快勝した。Cシード春日部共栄は浦和実に3―1で競り勝ち、聖望学園はエース川畑が富士見打線を3安打完封した。

 第10日は25日、県営大宮と市営大宮で準々決勝4試合が行われる。

◇昨秋に続き涙

 4回戦で春季県大会準優勝の埼玉栄を破った富士見。しかし聖望学園戦は接戦の末に敗れ、8強入りはならなかった。山崎警(さとし)監督は試合後「きちんと指示に従わないから結果が出ない」と話し、ショックを隠せない様子だった。小川圭太投手(3年)は「勝ちを意識するあまり冷静さを失い、投げ急いでしまった」と反省。昨秋の地区大会で敗れた相手にリベンジを果たせず、谷口清司主将(同)も「頭の中が真っ白」とぼうぜんと立ち尽くした。

毎日新聞埼玉版)

◇「打線上向かず 夏は難しい」 34年間指揮の中野監督

 越谷西を率いて1995年の埼玉大会を制した春日部東の中野春樹監督(59)は来年春、定年退職を迎える。最後となる夏の大会は16強で敗れた。

 春の県大会で4強入りし、関東大会に出場。「最後に甲子園へ」と周囲の期待も高まっていたが、この日は無得点に封じられた。

 試合後、監督歴34年の名将は「大会を通じて打線が上向いてこなかった」と冷静に敗因を振り返った。「毎年、いろいろと調整を試みるがなかなかうまくいかない。これが夏の難しいところ」とぽつり。

 今後については「目の前の試合にいかに勝つかしか考えなかった。これからゆっくり考えたい」と話し、球場を後にした。

◇右手にはちまき スタンドと一体 坂戸西・松田マネジャー

 坂戸西ベンチでスコアを記録するマネジャーの松田亜実さん(3年)の右手には、「全員◎野球」と書かれた白いはちまきが巻かれていた。

 春季県大会を制した南稜に競り勝った延長戦で、スタンドの野球部員の加藤優基君(同)らが巻いていたはちまきだ。

 加藤君は試合前、「勝ちにつながる縁起物。ベンチとスタンドを一体にしたい」と松田さんに手渡した。

 松田さんは攻守交代でベンチに戻ってくる全選手と右手でハイタッチ。4回には2死満塁で敵失から先制、終盤まで昨夏王者の花咲徳栄を苦しめた。

◇余分な力抜いて 長打許さず完封 聖望学園・川畑投手

 2点リードで迎えた9回表の守り。失策で無死から走者を二塁に背負った。内野を守る先輩たちが口々に声をかけてくれた。

 「1点はいいぞ」

 うなずいた聖望学園の2年生エース・川畑諒太選手にわずかに笑みが浮かんだ。右飛で三塁まで進まれたが、落ち着いて後続を仕留め、試合は終わった。

 「追加点をとってくれていたので気持ちは楽だった。打線に感謝したい」。完封勝ちに今度は大きな笑みがこぼれた。

 埼玉栄を破り勢いにのる富士見打線に対し、低めに球を集めることを心がけた。抑えようと力んで打たれる悪い癖がある。余分な力を抜き、球のリリースの時だけに力を込めた。右打者に、外角低めの威力のある直球とスライダーが次々と決まった。長打を許さず、昨夏を超える8強進出に貢献した。

 「相手投手もいいのでロースコアになるのはわかっていた。打たせて取る自分の投球ができた」。淡々と振り返る冷静さは「背番号1」にふさわしかった。

◇俊足で三塁打 逆転呼ぶ 花咲徳栄・関口明大選手(2年)

 1点を追う8回表、花咲徳栄の攻撃。1死から大飛球が右翼方向に飛んだ。「抜けろ!」。打った関口明大選手(2年)は走りながら叫んだ。打球は右中間を破り、関口選手は俊足をとばして三塁を陥れた。

 「三塁コーチャーは二塁で止めていたが、行けると思った。1死二塁と1死三塁じゃ、次の打者の気持ちも全然違うので」。その言葉通り、次の山本竜生選手(2年)が初球の甘い球を見逃さず、右前に運び同点。この三塁打が呼び水となり、この回は4安打。打線に火をつけ、逆転につながる価値ある1打となった。

 岩井隆監督は「落ち着いて配球をじっくり見て打て」と指示していたが、相手先発の長谷川翔太投手(3年)の緩急をつけた投球にタイミングが合わず、7回まで無得点の重苦しい展開だった。岩井監督は、「あの三塁打でみんな目が覚めた感じ」とほめた。

 179センチ、84キロのがっちりした体格の中距離打者。ライン際への強い打球が持ち味だが、バントも得意。この試合も犠打2で、機敏に役目を果たした。「次も自分がチャンスメークして、3年生とできるだけ長く一緒に戦いたい」

(以上朝日新聞埼玉版)

■5回戦

◎県営大宮

花咲徳栄
000000022=4
000100000=1
坂戸西
【花】高橋航、上田−若月
【坂】長谷川、宇津木−湯川
三塁打 関口(花)
二塁打 藤原(花)藤原(坂)

川口
301100100=6
000003000=3
正智深谷
【川】高窪−松崎
【正】鈴木、市之瀬、市村−金田

本塁打 小林(川)
三塁打 市村(正)
二塁打 三浦、高窪(川)宮島(正)

富士見
000000000=0
01000010x=2
聖望学園
【富】小川−上条
【聖】川畑−加藤
二塁打 加藤(聖)

◎市営大宮

浦和学院
100200121=7
000000000=0
武南
【浦】山口、小島、佐藤−林崎
【武】森、西村−藤園
三塁打 高田、笹川(浦)

昌平
00100030001=5
10020001000=4
所沢商
(延長11回)
【昌】斉藤−梶原
【所】渡会−金浜
二塁打 中条、斉藤、佐藤成2(昌)

浦和実
010000000=1
11000001x=3
春日部共栄
【浦】早川−本田
【春】西沢−田村
三塁打 小林永(春)
二塁打 岡部、本田(浦)

上尾市

春日部東
000000000=0
10001000x=2
熊谷商
【春】丹羽、田中、熊谷−中村
【熊】岡田琢、川崎−高橋永
三塁打 小野(熊)

成徳大深谷
101001001=4
00002310x=6
狭山ヶ丘
【成】酒井、西山、北村、福島友−福島陽
【狭】斉藤、紺野、武藤−伊藤
三塁打 小湊2、粕谷(狭)
二塁打 中村、島崎(成)宮崎(狭)

最後の夏「幸せだった」 春日部東・中野監督

 球児に人間力を諭し続けた教育者がユニホームを脱いだ。23日、上尾市民球場の5回戦で県立春日部東高校が敗退。来春、定年退職する中野春樹監督(59)の球児と挑んだ最後の夏が終わった。「高校野球は部活動。長い人生に向け、人間としての力を身に付けさせるもの」と、信念を貫き抜いた。

 熊谷商を相手に2点を追う九回2死。主将の若月和也選手(3年)が二塁ゴロに倒れ、敗れた。1995年夏、越谷西を率いて甲子園の土を踏んだ名将は、グラウンドで深々と頭を下げた。

 北海道今金町出身。三男として生まれ、幼少期は巨人の長嶋茂雄に憧れた。プロ野球選手を夢みて、自宅近くの野山や小川で遊び回った。地元の今金中、今金高校で野球部に所属。甲子園と縁はなかったが、高校では主将としてチームをまとめた。

 教諭、そして高校野球の指導者との人生設計を固めたのは高校生の頃。「選手としての限界を感じた」。進学した東京学芸大でも野球は続け、投手として活躍した。

 76年4月、新人教諭として幸手商・定時制に着任した。その3年後、越谷西に創立と同時に赴任、野球部の監督に就いた。越谷西で19年間指揮を執り、95年には埼玉大会を制した。42歳だった。「当時は全てにエネルギーがあった」。今では帽子の際から白い髪ものぞく。春日部東に進学してきた息子雄太さん(23)と、甲子園という同じ夢を追い掛けた時期もあった。

 強豪私学に挑み続けた夏だった。「常に生活の中で考えて動くこと。人間力がつき、それが強豪校との試合で土壇場に生きてくる」。野球の技術以上にあいさつや脱いだ靴そろえなど、選手の日常生活を正した。

 「最後に勝敗を分けるのは人間性。そう監督から教えてもらった」と若月主将。春日部東高野球部ОBで中野監督を慕い、同部でコーチを務める日下部直哉さん(25)は「中野監督は一から十までは教えない。三まで教え、あとは考えさせる指導だった」と自身もそんな監督になりたいとうなずく。

 中野監督にとって、短期間で成長を見せる選手の姿に、指導する醍醐味(だいごみ)があった。ただ選手に成長をもたらす特効薬はないという。「指導する上で大切なことは、適度な“肥料”と、適度な“水”でしょうか」

 試合後、選手から胴上げされた。終始クールに装っていた監督も、この時ばかりは照れ笑った。選手を前に「監督として33回目の埼玉大会。これで負けは32回」と回想し、夏空を見上げた。「34年間、大病もせずに続けてこられたのは幸せだった」。照り返しの強い夏の日差しに、まぶしそうに目をつぶった。

埼玉新聞

けが乗り越えまとめ役に 坂戸西・須藤拓海選手

 「絶対に諦めるな! 気持ちで打て」。1−4の九回2死二塁。最後の打者が三邪飛に倒れると、一塁コーチャーズボックスからチームを鼓舞し続けた坂戸西の3年生・須藤拓海選手(18)はうなだれた。主将になる予定だったが、昨夏の新チーム発足日に学校の球技大会で骨折し、復帰後は控えの一塁手へ。それでも誰よりも声を出し、仲間に元気と勇気を与えてきた。最後は昨夏の覇者・花咲徳栄に惜敗したが、「周りに支えられ、野球を続けられた。心から感謝したい」と充実した表情を見せた。

 新チーム発足日の昨年7月12日に事故は起きた。バスケットボールの試合中に相手チームの選手と接触、右足大腿(だいたい)部を骨折。1カ月の入院を余儀なくされた。

 監督や仲間からの信頼は厚く、主将になるはずだった。中心となって新しいチームをつくり上げていこうという矢先のアクシデント。「みんなに迷惑を掛けてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しばらくは何も考えられなかった」と当時の心境を吐露する。

 退院後はブランクを埋めようと必死だった。焦りもあった。しかし、足にはボルトが入ったまま。痛みも残り、思うように走れない。ようやくボールに触れられたのは半年後のことだ。「もう駄目かもしれない。野球をやめようかな」。何度も弱音を吐きそうになった。

 折れかけた心を救ったのは、チームメートからの励ましの言葉だった。「みんなから『おまえなら大丈夫』『一緒に頑張ろうぜ』と声を掛けられ、うれしかった。試合に出られなくても声を出してチームに貢献しようと、気持ちを入れ替えた」

 それからは今まで以上に声を張り上げ、味方の守備が終わるといち早くベンチを飛び出し、ナインとタッチを交わした。新たに設けられた“部長”という立場で学校内の他部との会議にも出席し、試合や練習以外でまとめ役を務めた。

 「何度も助けてもらった。チームにとって大きな存在」と湯川昌輝主将。野中祐之監督(48)は「常に選手側に付いて、仲間の話が聞ける選手」と評価する。

 須藤選手の全力を挙げてのサポートもあり、チームはAシードの南稜を破るなど快進撃を続けた。最後の夏を終えた須藤選手は「最高の仲間たちと明るく楽しく野球ができた。悔いはありません」と笑顔で3年間に思いをはせた。

埼玉新聞

走者出しても投げ抜く 富士見・小川圭太投手(3年)

◇「秋につなげて」後輩に期待

 富士見の小川圭太投手(3年)は、いつもと違う感じに気付いていた。少し浮足立っていた。

 2回裏2死一、三塁。相手打者への初球を外角に外すつもりが甘い直球になってしまい、左前に運ばれた。先制点を許した。

 「普段ならばしっかりミットをめがけて投げてくるのに、ストレートが上ずっていた」。上條謙捕手(3年)も硬くなっているのを感じていた。

 2日前にあった春季関東大会4強の埼玉栄戦で、8回1/3を投げて被安打は3本。無失点に抑え、勝利に貢献した。

 「挑戦者として臨んだ埼玉栄戦に比べ、欲が出てしまった」。山崎警監督が振り返るように、生命線のチェンジアップが定まらなかった。それでも粘りを見せ、聖望学園相手にほぼ毎回走者を許すものの、2失点10残塁に抑えきった。

 7回表には2死三塁の同点機で打順が巡ってきた。

 相手はエースの川畑諒太投手(2年)。前の2打席は凡退していた。球が重たかった。前日のミーティングで、狙い球を決めて、早いカウントで勝負する指示が出されていた。

 力負けしないように、外角の直球に絞っていた。3球目、内角に直球がきた。思わず手が出て、内野ゴロに倒れた。与えた点を奪い返せなかった。

 再び強豪を倒すことはできなかった。「この勢いを秋につなげてほしい」。後輩に期待を込めた。

朝日新聞埼玉版)

決勝打 会心の一撃 昌平・佐藤成樹選手(3年)

 11回2死三塁で迎えた昌平の佐藤成樹選手(3年)の打席。初球、意表をついたセーフティバントはわずかに三塁線を割った。すぐに気持ちを切り替え、打席に戻る。「今日は当たっている。次は打ってやる」

 2ストライクから、3球ファウルで粘って6球目。高めの直球を振り抜くと、会心の当たりが左翼を襲い、決勝打になった。

 「打った瞬間は本塁打だと思いました」。冗談交じりで笑顔を見せた。

 大きな声で周囲を盛り上げ、一時は主将も務めていた中心選手。ところが、4回戦で失策を犯したこともあり、「お灸(きゅう)を据えて」(塚本公二監督)のベンチスタートとなっていた。

 リードを許した序盤の展開を、ベンチからじっと見つめた。「雰囲気は悪くない。自分がもっと良くして、絶対に逆転する」。5回裏から交代し、7回には1点差に詰め寄る適時二塁打、9回にも内野安打を放った。勝負どころで、豪快なフルスイングがチームをもり立てた。

 準々決勝の相手は、昨夏1点差で敗れた川口。リベンジのチャンスだ。「次は先発で出たい。泥臭く戦っていきます」

朝日新聞埼玉版)

終わった友との夢笑顔忘れず 春日部東・阿葉家三塁手

 春日部東が県大会4強入りした中学三年の夏、公立校の快進撃を自宅のテレビで一緒に見ていた幼なじみの辻村幸太選手(三年)が言った。「春日部東に入って、甲子園に行こう」。小学三年で野球を始めた時からの共通の夢が、明確な目標に変わった。

 茨城県古河市で、幼稚園時代から兄弟のように育った2人。県外の高校へ通う不安も、入部当初、互いに「辞めたい」と漏らすほどの厳しい練習も、「2人だから乗り越えられた」。

 昨年の秋季大会は辻村選手も二塁のレギュラーだったが、試合中に左膝靱帯(じんたい)断裂の重傷を負って戦線離脱。約4カ月のリハビリを経て復帰したが、今大会のベンチ入りはかなわなかった。

 「俺の分も頼んだぞ。おまえらしいプレーを見せてくれ」。そう託されて臨んだ今大会。この日は七回に痛烈な打球を飛びついて好捕し、逆転への機運をつないだ。「きついときこそ笑っていたい」と、ピンチでも白い歯を見せ続けた。

 「十分、よくやったよ」。試合後、辻村選手に肩をたたかれると、涙がこぼれた。「これからのことは、まだ決めてません」。2人で全力で追い掛けた10年来の夢の終わり。最後は、笑顔だった。

東京新聞埼玉版)

敗れるも笑顔で終えた夏 坂戸西・長谷川翔太投手(3年)

 八回表、連打から2点を失い、逆転を許した。直後に死球を出したところで交代を告げられた。昨夏の覇者・花咲徳栄を七回まで4安打に抑える力投を見せていただけに、「完投したかった」と悔しさをにじませながらマウンドを降りた。

 1年の秋から1番を背負った。抜群の制球とストレートを武器に強気の投球を得意としてきたが、野中祐之監督からは「その野球では大会は勝ち進めない」といわれた。その言葉を理解できないまま臨んだ2年の秋季大会、今年の春季大会は、いずれも地区予選1回戦で敗退した。

 「勝ちたい一心」で発想を切り替えた。緩いカーブを絡め、緩急をつけた投球を心がけるようにした。その結果、投球数も少なくなり、「勝つための野球」が理解できた。

 迎えた最後の夏。底抜けに明るいチームは南稜をはじめ強豪校を破る大躍進を遂げた。三塁コーチの山崎隼選手を中心にピンチでも笑顔が広がる。「このメンバーのおかげで野球をやりきれました」というエースは進学はせず、就職の道を選ぶが、何らかの形で野球には携わるつもりだ。「きょうの七回までは3年間のベストゲームでした」と、笑顔で夏を終えた。

産経新聞埼玉版)

◇生涯ベストの投球 坂戸西・長谷川翔太投手(3年)

 1点リードで迎えた八回表。突然、制球が乱れて2失点。無念の降板となった。「明日もまた練習がある気がします」

 入部当初は、速球投手だった。ぐいぐいと力で押す投球が信条で、1年の時にエースに指名された。しかし昨夏の悔しい経験が、その投球スタイルを変えた。

 初戦の川越工戦。1点リードで迎えた九回裏に追いつかれ、十回で降板した。チームはサヨナラ負けし「速球だけでは勝てない」と痛感した。変化球の制球を磨き、投球の幅を広げた。

今大会直前の5月上旬、左脇の筋肉を痛めた。満足な投球練習ができなかったが、背番号「1」を譲るつもりはなかった。「エースの証しは渡さない」。下半身の筋力強化を図った。

 自信を持って臨んだこの日のマウンド。「今までの自分とは違う」。初回から緩急を付けたピッチングがさえ、七回まで無失点に抑えた。「生涯ベストの投球だった」。そう言って胸を張った。

毎日新聞埼玉版)

「気持ちは一つ」励まし続けた 春日部東・若月和也選手

 9回2死、春日部東の若月和也選手(3年)は初球の狙っていた直球を、フルスイングした。しかし、熊谷商のエース川崎勇太投手(同)の球威は予想以上で、詰まった打球は二塁手の前に力なく転がった。懸命に頭から滑り込むがアウト。敗戦が決まった。

 185センチの長身を生かした大きなスイングと勝負強い打撃で、主将としてチームを引っ張ってきた。しかし、打線がいま一つのチームを象徴するように、打撃不振に陥っていた。

 4回戦は4番を任されたが、4打数1安打。この日は、先発を外された。試合直前に伝えられて戸惑ったが、落ち込んではいられない。中野春樹監督(59)が唱えてきたチームスローガン「気持ちは一つ」を胸に、「我慢だ、我慢だ」「1点ずつ」と、ベンチから仲間を励まし続けた。

 出番は6回。投手交代とあわせて一塁の守りについた。この回、バッテリーはスクイズを外し、松尾和弥中堅手(同)もダイビングキャッチを見せ、追い上げムードが高まった。だが、打線は相変わらず最後まで快音を響かせることはなかった。

 終了後、真っ黒になったユニホーム姿の若月選手は、ベンチやスタンドに向かい、ひときわ大きな声で「ありがとうございました」と叫んだ。一緒に引退になる中野監督を始め、支えてくれた親、仲間に向け、涙をこらえて感謝の思いを伝えた。

朝日新聞埼玉版)