大東亜戦争認識の真実は

去る11月13日に行われた、SNSI主催講演会「副島隆彦 2006年〜大波乱の時代を読み解く!」のビデオを購入し視聴しました。ビデオの案内は、HPで次のように書かれていました。

このビデオの内容を一言で言えば、「俺達はだまされていたんだ!保守マゴよ、勇ましい日本の復活で死ぬのはお前達だ。」というべき内容です。戦争を生き残った、「保守じいさん」の孫の世代、つまり、「保守マゴ」たちの世代(おそらくは志願兵だけだが)が、やがて訪れるであろう、極東戦争に参戦することになる、だから今の日本の政治状況について、非常に警戒しなければならないのです。
(中略)
そしてやはり、今回の講演会の目玉は『米内光政(よないみつまさ)と山本五十六は愚将だった』(テーミス、2002年刊)という本の紹介でしょう。特に保守系の歴史好きの方には目を覚まさせられるような驚くべき歴史的事実を、この本をたたき台にして副島理論を展開していきます。この本は三村文男(みむらふみお)という、現在85歳の神戸でお医者さんをなさっている人の本です。
米内光政(よないみつまさ)というのは、開戦の一年前の昭和15年まで内閣総理大臣だった人間です。この人物が、海軍大臣だった昭和12年に、あの「南京事件」と「第2次上海事変」がおこるのですが、これらの軍事行動を起こさせた張本人がこの男でした。

講演中の「陸軍がもうこれ以上、戦線拡大できない。嫌だ嫌だといっているのに、米内がいけいけといってるんですよ!」という部分は、南京事件を歴史的事実としてしか認識できない「にわか保守」には目の覚めるような事実です。すべてはアメリカとつながっていた海軍と、それを操っていた米内と山本五十六(やまもといそろく)の仕業だったのです。

 南京の問題は「下等学問、人文(ヒューマニティーズ)としての歴史学上の問題」ではなくその上位にある「近代学問としての政治学、政治問題」なのです。これが世界的視点での知識であり、事実認識なのです。ここのところがわからなければ延々と「唐智正将軍がオープン・シティー(無防備中立都市)にして南京開城しなかったのが悪い」とか、「便衣兵が悪い」などという歴史上の迷宮に迷い込んで、アメリカによる反中国・嫌中国のムードづくりに、まんまと貢献させられてしまいます。

 南京・靖国問題は「歴史的事実認識」問題なのではなく「政治問題なのです!」と中国・韓国の元首は親切にもはっきりとそう小泉に教えてあげているのです。ノ・ムヒョン大統領は小泉に「いくら靖国神社参拝を小泉首相が善意に解釈したとしても…」というふうに「私たちはあなたの立場をわかっていますよ」とはっきりとメッセージを表明しているのです。あなたの立場とは「アメリカにいい様に操られている哀れな立場」という意味です。

講演中で「今の日本は、保守派が拉致の被害者を助けようといわなければ日本人じゃない!という言論を朝から晩まで振りまいている」と副島隆彦が述べていますが、これは現在私たちの誰にでもたやすく認識できる真実です。こうして北朝鮮を嫌悪・嘲笑し、反中国の雰囲気を老人から小学生にまで広げていくのです。

先の大戦の解釈、つまり戦争責任とか戦争認識のあり方において、長年、戦後のGHQコミンテルンやマスコミによる洗脳・すり込みで、「日本人は野蛮な侵略国だった」「軍部は愚かで国民はだまされていた」と思いこまされてきました。教育の現場では、歴史教科書の中で、一貫した自虐史観が子供たちに埋め込まれ、「おじいちゃんは人殺しをしたんだね」と、孫と祖父母の世代が分断された異常な国家観が大勢を占めてきました。

ところがここへきて、小林よしのり氏の「戦争論」シリーズに象徴されるように、
「あの戦争は避けることができなかった」という「しょうがなかった論」
が台頭しているのが現状だと思います。確かに文明の衝突という大きな枠組みで見る限り、それは必然の出来事であったのかもしれません。未だに日本国内で「誰が悪かったのか」などという犯人捜しをしているのは滑稽です。

ここで注目する点は、この「しょうがなかった論」の根底に、中韓の干渉に反発し、勇ましい天下国家論が語られていることです。しかし、アメリカには絶対に逆らえない、この勇ましい人たち「ポチ保守」の台頭により、それにすり寄る(というか仕組まれている)マスコミが、世論を形成しており、全く意味のない小泉首相靖国参拝までが評価されて自民党が圧勝している有様です。

さて、この状況に対して、副島氏はその講演の中で、「米内光政と山本五十六は愚将だった」という本を根拠に、「やはりだまされていた」という新しい基軸を打ちだしています。A級戦犯で処刑された人の中に、海軍が一人も含まれていないという事実も、疑問を抱くのに十分な証拠だと思いますが、この「だまされていた論」が事実だとすると、副島氏が提唱する明治維新の解釈とも合致してきます。あのとき、愛国派で尊皇攘夷の人たちは、裏でロスチャイルドとつながっていた伊藤博文らの「自分たちが権力を握るためには何でもあり」の連中に暗殺されていきました。裏切り者は傀儡国家を建設し、自分たちが権力の座に着いた。

この構図は実は今の政権でも全く同じことなのですが、それが昭和の初めにも行われ、大東亜戦争に突入していったということです。そこには、「やはり避けることができなかった」という要素よりも、裏切り者が暗躍し仕組んでいたとすれば、「だまされていた論」の要素のほうが強くなることは理解出来ます。

「だからアジア人同士戦わず」という副島氏の論理も分かりますが、実際に中韓には毅然とした態度はとるべきだと私は考えています。確かに誰にだまされて、誰が仕掛けているのかをきっちりとあぶり出すことが最重要であることには変わりはありません。そういう意味でも「だまされていた論」のさらなる検証を希望するものであり、私としても納得いくように調べていきたいと思います。

米内光政と山本五十六は愚将だった―「海軍善玉論」の虚妄を糺す

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