軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ニュース所感など

1、航空観閲式見学
10月30日日曜日、百里基地で「航空観閲式」が挙行された。天気予報は雨だったが、曇天の一日、時々日が射す天気となり、主催者は喜んだ。勿論小泉首相が観閲官、上空を観閲飛行する各種航空機を見上げ、飛行展示には時々拍手していた。ブルーインパルスチームも、この日は特にタイトな隊形を披露、軽快に曲技飛行を展示したが、T−2、T−4ブルーインパルス松島基地で同乗飛行訓練に参加してその苦労を知っている私は、やはりこれは「見るもので乗るものではない」と改めて思った。各国の武官団も感心していたが、人民解放軍武官やロシア武官達はどう思っただろう。この日は、富士の火力展示とは「異なって」国旗掲揚も国家吹奏も計画どうり実施された!予定どうりに式典は進行したが、時々首相の後姿を眺めながら頭の中は「組閣立案中?」ではないかと思ったりした。沖縄の普天間基地問題で日米同盟に「ヒビを入れかけた?」大野長官は交代だな、と思ったが、予感どうり額賀長官と交代した。特別招待者席の最前列に、前原民主党代表がいたが、彼も熱心に展示飛行を見つめていた。式典を終了して退場する直前、小泉首相はわざわざこれら招待席まで足を伸ばして挨拶したのだが、国会議員と元高級官僚?たちが着席している観閲台左側のこの招待席では誰一人として立って応える者はいなかったが、観閲台の右側の席では、武官団を始め全員が起立し拍手で小泉首相の挨拶に応えたのが面白かった。
航空戦力は、小なりといえども確実に育っている。これらはあくまで「戦力」なのであって、見世物ではない。観覧した議員はじめ多くの国民がそれをどう感じたのか興味がある。しっかり使いこなして欲しいものである。
朝5時起きで市谷の防衛庁から高速道を通って約3時間かかる。戦闘機なら5分とかからないのに・・・と思ったが帰路の2時間はさすがにくたびれた。


2、小泉内閣改造
小泉内閣の今回の人事には「サプライズ」が無く順当だった、ともっぱら評判である。安倍氏官房長官就任は予想されたものではあったが、適任であろう。北朝鮮問題や「近隣諸国との懸案事項」を抱えているので、信念が無い人には任せられないと首相は見たのであろう。これで今後の小泉内閣の活動は安定したものになるのではないか?。色々と今後「問題」を抱えていそうな方々は、それなりに「排除」されているのも面白い。あと一年弱、通常であれば「レイムダック化」するのだが、後継者問題があるので国民は適度な緊張感を持って見つめていくに違いない。終わり良ければ全て良し! 戦後の歴代内閣が惰眠をむさぼってきたのを徹底的に『改革する』小泉首相の勇断と、有終の美に期待したい。


3、普天間基地問題
沖縄の普天間基地問題が一段落したが、辺野古沖に建設すると閣議決定までされたことが9年間も「反故」にされ続けてきたのは異常であった。大野長官が白紙に戻し、シュワブ基地内に建設する案を出したそうだが、それでは「騒音と飛行安全解消」にはならない、と米軍側が猛烈に怒ったらしい。どうも地元ゼネコンや本土ゼネコンなどと組んだ議員の利権争いか?・・・というからあきれてものが言えない。月刊テーミス11月号に詳細が出ているが、若し本当だとすると、我国の国会議員は、国の安全保障よりも「利権優先」を証明した事になる。世界の警察官を持って任じ、米国青年達の『血を流しつづけている』米国側が怒り心頭に発した点もそこにあったというから、そう考えれば「席を蹴って立った」米国高官の心情が理解できる。おまけに米国側を黙らせる為に、「有力紙にガセ記事を書かせた」と言うから何をか況やである。新長官と沖縄県の真剣な対応に期待したい。


4、中国空軍創設秘話
日米空軍の友情物語と、中国人民開放空軍軍人とのやり取りを書いたところ、かなり反響があった。中には御手紙も頂いたが、中国空軍大佐たちとのやり取りは、いわゆる「兄弟」関係みたいなやり取りだったから、実はその場にいた中国の学者先生たちのほうが驚いて「将軍、軍人関係はどこの国でもすぐにそのような親しい関係になるのですか?」と聞いた。特に「パイロット」間の関係はその傾向が強いが、私が「中共空軍は、我が航空自衛隊の弟分である」と言ったからますます教授達は怪訝な顔をした。実は中共空軍創立には、旧帝国陸軍航空隊が大きく関与したのである。
終戦で「抑留」された一個教育飛行隊(別名林飛行中隊)が、時の周恩来林彪等、錚々たる共産党幹部に懇願されて中共空軍創設に協力したのである。そう言うと「えっ、本当ですか?」と聞くので、「日本人に歴史を勉強せよと言う割には、自分の国の歴史を知らなさ過ぎる。もっと自国の歴史を勉強しなさい」と前置きして林飛行中隊の逸話を教え、「君達は当然知っているよな?」と大佐に聞くと、「知っています」とはっきり答えた。
中共空軍のみならず、中国の航空界をリードする要人達は、殆ど全て林少佐の教え子達であることを大佐たちはちゃんと知っている。「驚きました。初めて聞きました」と文官たちは言ったが、「しっかり教えておきなさい」と大佐に言うと「ハイ!」と笑った。
戦後創設された航空自衛隊は基本的に米空軍が兄貴分である。しかし中共空軍創設の恩人は旧帝国陸軍林飛行中隊の300人であったことは、案外日本人も知らないことかもしれない。イヤ、林飛行中隊のみならず、終戦時に大陸にいた日本人は軍属民間人合わせて358万人だったと言われていて、大半は帰国したが国共内戦が激化すると、引き上げが中断されたこともあり、旧満州地方に数万人が残留を余儀なくされ、そのうちに人民解放軍に8000人とも一万人とも言われる日本人が協力、少なくとも3000人が八路軍の兵士となって前線で活動したと言う。彼らが中国の内戦に参加した理由はさまざまであったが、新中国建設の基盤作りに貢献したことだけは間違いない。そんな事実を知らない新世代の中国人学者?たちから、日本人は悪行の限りを尽くした鬼であるかのようにいわれて、反論も出来ないようでは、亡くなった先達に申し訳が無いではないか。詳しくはそのうち書くことにするが、助けてやった国の後継者たちから、靖国問題や教科書問題などでとやかく言われる筋合いはまったくないことだけはしっかり認識しておく必要があろう。