しゃべり場再放送

しゃべり場の再放送をやっていた。「ゆとり教育ではダメで競争が必要」というテーマだったのだが、ディベート内容はともかく、提案者の発言がとても感動的だった。真面目に人生を考えていて、素晴らしい。主張が極端で間違っていたとしても、真面目だし、頭がいいし、清々しさを感じる。再放送の価値あり。
それにひきかえ、平田オリザステレオタイプ思考ときたら!頭が悪いのに、高圧的な物言いをするなと思う。頭がよければ、高圧的でもいいけどさ。
言いっぱなしも何なので補足しておくと、「社会が多様化しているから、競争的な教育ではなく、多様で創意的な教育を」という平田の主張は、「社会が多様化すれば、なぜ競争が必要でなくなるのか」という問題に正しく答えられない点で誤っている。たしかに「斉一的な競争」は必要でなくなるが、それは「斉一的でない競争」が必要でなくなることを意味しない。さらに「社会が成熟し、多様化している」からといって、それが「多様で創意的な教育の必要性」を意味するかどうかも自明ではない。
「多様で創意的な教育」が教育内容として後期近代社会に適合的であるかどうかは、少なくとも平田オリザには判断不可能な難題である。(もっと平たくいうと、義務教育レベルで「多様で創意的な教育」を実現したからといって、ライフコースの流動的なこれからの社会を、その都度的確に判断して生き抜いていくようなタフな人間が育つのか、という問題がある。そして、普通の人間にそんな判断能力を要求するようなハードな社会像をほんとに自明の前提としてしまっていいのか、という問題もある。)

仏教

先日、ストレスに耐えかねて立ち寄った古本屋で衝動買いした本をパラパラめくってみたが、6巻のみということもあり、訳がわからない。なんとなくは分かるけど。楊枝の使い方とか、顔の洗い方とかも書いてあって、よく分からない。
「洗って清潔にするといったって、水が清潔かどうかわからないのだから、洗って清潔になるかはわからないし、でも分からないからといって洗わないということは、洗って清潔になるという観念を実体化することだから、そんなことではイカンのだ」と書いてあって、ちょっと面白い気がしたが、やはりよく分からない。

「正法眼蔵」読解6 (全10巻) (ちくま学芸文庫)

「正法眼蔵」読解6 (全10巻) (ちくま学芸文庫)

ジェスイット会修道士

50ページ読書。今日は、久々に昔の資料(1949)も読んだりしたけど、EPFはやっぱり50ページにとどまったね。
ラブレー=博学教育、エラスムス=文芸教育、モンテーニュ虚無主義的教育だが、教育思想が現実にどのように社会で実現したかということはまた別問題であり、その点を見ていく必要がある。ルネッサンスの教育思想は、社会的機能を考えない夢想的なものでしなかったが、現実にはそれは、部分的に社会的機能を果たすかたちで運営されていたとも期待できるのである。
ところが、16世紀の中期になって見られた制度的展開は、じつは思想の極端さとほぼ変わらないような偏った内容であるにすぎなかった。この時期には、ジェスイットによるコレージュが大きな勢力を誇ったからである。具体的には、1500年と1530年の間にスコラ教育とルネッサンス式文芸教育という断絶が存在する一方、16世紀の中盤にはさらに、ルネッサンス式教育のなかにジェスイットによる教育が入りこんでくるのである。
ジェスイットの最大の特徴は、世俗性と超俗性の二律背反であった。民衆の社会的勢力が伸張するなかで、カトリックはもはや旧来的な修道院によっては民衆教化が不可能な状況におかれていた。そのなかでジェスイットは、世俗に最大限に妥協するかたちで聖性の維持を図ろうとした。このような試みが必要だったのは、ルネッサンス人文主義者の活躍が広がりを見せ、彼らも含めたプロテスタントの勢力が、もはや無視しえない状況になっていたからであった。
ジェスイットのコレージュは、その認可にあたって人文学部などと対立をくり返し、浮沈の末に制度化されるにいたった。しかし、そうしたなかでそれは着々と生徒を集めることにも成功していた。その理由は、(1)学費の安さ、(2)教育内容への人気、の二点に求められる。ジェスイットは信仰心が篤く、したがって不気味な人々との偏見が広く見られたが、この人気の意味を探るためには、教育内容・教育組織について公平に評価する視点をもたなければならない。

ジェスイットのコレージュ

ジェスイットたちは寄宿舎制度を嫌い、チューター制=指導教師制を好んだのだが、フランスは中央主権的な国民性のためか、比較的、寄宿生活が盛んになってしまったらしい。このことは、オックスフォードなどとは異なり、パリでコレージュが誕生したことの原因でもある。
さて、教育内容。
中世からの論理学・哲学は「高級コース」では教授されたらしいが、「普通コース」では文芸教育が主であり、これは人文主義者の教育思想とも同じ方向性であった。とりわけそこではラテン語が重視され、フランス語などはきわめて軽侮されていた。その理由は、(1)フランスの詩人は甘い恋愛を読むのでカトリックにそぐわない、(2)ルネッサンス期ではラテン語に基づく古典文芸が崇拝対象となっており、世俗への妥協を取るジェスイットはそれを取り込まざるをえなかった、ということだったらしい。
しかし特徴的だったのは、ジェスイットのコレージュで行われた教育実践が、修辞に重点のおかれた作文教育であり、作品の内的理解までは要求されなかったことである。普通、古典文芸が利用されるのは、過去の人間類型を把握し、人間理解を深める教育をおこなうためだと考えられる。しかし、そういうことは一切顧みられなかった。
その理由として述べられているのは、錯綜しているが、おそらく次の3つ。(1)古典文芸の内的読解は、人文主義者への利敵行為となってしまうことの怖れ、(2)歴史科学が未発達であったから、(3)現在よりも過去の方が、恣意的な造型が可能であったから。この3つがどう関連しているのかは、わかるようでわからず、ちょっと難しいところがある。