「グローバリゼーション」と「電子・金融空間」がもたらした資本主義の変貌

水野(2014)によれば、資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまり、いわゆるフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステムである。つまり、富やマネーを「周辺」から蒐集し「中心」に集中させるシステムなのである。とりわけ近代資本主義は、世界人口の約2割弱にあたる先進国が、例えば石油メジャーの原油価格支配などによって独占的に地球上の資源を安く手に入れられたため、資本利益率を高めることができた。また「地理的・物的空間」(実物経済)において供給過剰となり、資本の利潤率が低下しても、地理的・物的空間を拡大していけば販売個数が増加し、利益総額を増やすことができた。


しかし、地理的・物的空間の拡大は限界をむかえ、先進国における資本の利潤率の低下が顕著となってきた。つまり、実物経済において、先進国が高い利潤を得ることができるためフロンティアが消滅した。そこでアメリカを中心に仕掛けられたのが「グローバリゼーション」と「電子・金融空間」の創造だと水野は指摘する。


すなわち、アメリカは、フロンティアとしての「地理的・物的空間」に限界が見えてくると、情報技術(IT)と金融自由化を結びつけた「電子・金融空間」をつくりだすことによってあらたな利潤の獲得を図り、「グローバリゼーション」によって各国に金融の自由化を求め、世界の金融市場で創出されたマネーを吸い上げ、金融帝国=「資本」帝国として君臨しようとしたというのである。つまり、アメリカは、「地理的・物的空間」での利潤低下に直面した結果として、「電子・金融空間」を生み出し、金融帝国化していくことで、資本主義の延命を図ったのである。


資本は国境を自由に移動することができるようになれば、資本は国家の制約からの自由を志向する。その結果、アメリカは、国民国家から「資本」が主役となった帝国システムへ変貌していった。実際、1995年に端を発する国際資本の完全自由化で、世界中のマネーがウォール街のコントロール化に入った。つまり、世界の余剰マネーを電子・金融空間に呼び込み、世界中のマネーをウォール街に集中させることで、途方もない金融資産が作り出された。しかし、それはアメリカ国民が豊かになることを意味してはいなかった。金融帝国化と新自由主義が結びつき、市場原理主義のもとで資本配分を市場に任せたため、資本側のリターン追究のため労働分配率が下がり、富む者がより富み、貧しいものがより貧しくなっていく格差社会が進展したのである。


水野によれば、現在起こっている「グローバリゼーション」は、「中心」と「周辺」の組み替え作業である。グローバリゼーションが活発する以前、20世紀までの「中心」は、北(先進国)であり、「周辺」は南(途上国)であった。貧富の二極化は国家間で存在し、2割の先進国が8割の途上国を貧しくしたままで発展してきたため、「先進国」という国家に属している国民は、中間層として一定の豊かさを享受することができた。しかし、21世紀になり、グローバリゼーションの進展でヒト・モノ・カネが国境を自由に超えるようになると、資本側は国境にとらわれることなく活動拠点を選ぶことができるようになった。その結果、「中心」は「ウォール街」となり、「周辺」は自国民(サブプライム)となった。貧富の二極化が同一国内でも起こるようになり、中心としての富裕層に対して、中間層が「新たな周辺」となり、没落していくわけである。


これは何を意味しているのかというと、16世紀以来、500年かけて人類が国家・国民と資本の利害が一致するように資本主義を進化させてきたのだが、21世紀のグローバリゼーションはその進化を逆転させ、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義へと変貌しているとくことなのだと水野は解説する。


資本主義は資本が自己増殖するプロセスであるから、利潤を求めて新たなる「周辺」を生み出そうとする。しかし、新興国の台頭により、現代の先進国にはもう海外に「周辺」がない。よって国内に無理矢理「周辺」を作り出し、利潤を獲得しようとする。その例が、低所得者に無理矢理ローンを貸し出すサブプライムローンであったり、非正規雇用者を増加させて社会保険や福利厚生コストを浮かせて利益かするといった方法だというのである。