科学技術の草の根を踏み固めよ

(NTT労組機関誌『あけぼの』、No.257、2007年2月号)

科学技術の草の根を踏み固めよ


世界は苦渋に満ちている。そして、その度合いは、今日よりは明日の方がより重くなっていくかにみえる。マーフィーの法則に曰く、「さあ、にっこり笑って・・・少なくとも、今日は明日よりはマシなんだから」*1。かつてのブラック・ジョークは、いまや陰鬱なる「新しい現実」となって、われわれの眼前に展開しつつあるようだ。
けれども、同時に、世界は驚きに満ちてもいる。「そんな考え方もあるのか、そんなこともあったのか」と、ハッとさせられるような理論や発見の話を聞くと、胸がワクワクする。世界中の至る所で繰り広げられている、知のフロンティア拡大の営みは、われわれを勇気づけてもくれる。それは、陰鬱なる「新しい現実」の閉塞状況を打ち破る力の、ひとつ(あくまで、ひとつではあるが)の源泉になることが期待されるからである。けれども、市井に暮らす科学門外漢のわれわれにとって、このように、知の最前線にふれて、ワクワクしたり、勇気づけられたりするような体験は、実はそれほど多いわけではない。
古人曰く、「知りえたことについては、はっきりと、わかりやすく語るべし。知りえないことについては、沈黙を守るべし」*2と。けだし、名言である。けれども、これこそ、いうは易く、行なうは難し、の典型であって、「知りえたことを、はっきりと、分かりやすく語る」ことは、それほど簡単なことではない。むしろ、世間に蔓延しているのは、知りもしないこと、根拠もはっきりしないことを、さも知っているかのようにひけらかし、あたかも根拠があるかのように装う、三百代言や八卦見のような言説ではないだろうか。
最近発覚した関西テレビあるある大事典」の実験データ捏造事件*3は、掘れば掘るほど泥沼の様相を呈しつつあるが、その根は深いとみなければならない。インチキ言説、オカルト番組は、世に充ち満ちている。メディア関係者の社会的責任、良心の自覚を促すことが急務である。同時に、市民の側も、インチキな言説に惑わされないような、したたかな眼識を鍛えなければならない。
この事件発覚に先立つ2006年12月19日に、大阪大学菊池誠教授が、NHKの番組で鋭い問題提起を行っていた(「<視点・論点> まん延するニセ科学」)。菊池教授は、血液性格判断、あるいはマイナスイオンゲルマニウムの健康効果などのように、何の科学的根拠もないのに、根拠を偽装して、もっともらしい主張を展開する言説を「ニセ科学」と呼ぶ。そんなインチキがまかり通るのは、「ニセ科学」が、何にでも白黒をつけ、二分法的な小気味よい断定を下してくれるからだという。このような小気味よさは、本物の科学にはあまり期待しえない。世界は二分法的に割り切れるほど単純ではなく、そうであるからこそ科学的探求が存在する。だから、科学者は誠実であろうとすればするほど、結論の歯切れは悪くならざるをえないのだ。菊池教授は、番組の最後で、次のように指摘した。

ニセ科学」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを 求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。/そうではなく、私たち は、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。


20世紀の初頭、石川啄木は、大逆事件後の暗澹たる時代閉塞状況の中で、短期成果主義、単純二分法の「性急(せっかち)な思想」の跋扈を批判した*4。100年を経て、歴史は繰り返す。二度目の今度は、やはり喜劇のようだ。菊池教授の指摘は、「ニセ科学」批判にとどまらずに、広範な含意をもつ、まさに傾聴に値する問題提起であると思われる。
さて、近年、日本のこどもたちの理科嫌い、学生の理系離れが憂慮されている。こどもや学生だけでなく、国民全体をとっても、日本における科学技術に対する関心は、国際比較的にみて、決して高いとはいえない。当然の帰結かもしれないが、一般国民の科学知識理解度も低い。たとえば、科学技術基礎概念に関する11の質問への正答率をアメリカ、EU諸国と比べた結果によれば、日本での正答率は54%。EU平均の58%を下回る(図参照)。日本における科学技術リテラシーは、まことにお寒い状態にあるといわねばならない。

このままでは、技術立国日本の基盤は崩壊しかねないという危機意識から、政府の科学技術政策においても、「科学技術の専門家と一般公衆との溝を埋める役割を果たす人」(2005年度版『科学技術白書』)の育成が課題としてとりあげられるようになった。研究の成果として「知りえたことを、はっきりと、分かりやすく語る」専門人を自覚的に育てようというわけである。この基本方針を受けて、いくつかの大学では、専門科やプロジェクトが立ち上げられている。
こうした「上から」の動きだけではなく、科学技術と市民を架橋しようとする「草の根から」の動きも広がっている。下関市インターネット・ラジオ局クリラジの科学番組「ヴォイニッチの科学書」、北海道大学・科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)*5の活動(とりわけ子供たち対象のPodcast番組「科学探検隊コーステップ」)など、各地でさまざまな試みが展開されている(http://science-podcast.jp参照)。何かと最近は評判の悪いNHKも、幼稚園・保育園児対象の、「考え方」を育てるテレビ番組「ピタゴラスイッチ」で大いに頑張っていることも紹介しておこう。その人気コーナー「ピタゴラ装置」は、驚きとカンドーのからくり仕掛けで大人をも魅了し、世界中にファンがいる(You Tubeではincredible machineで検索できる)。
以上は、まだまだ、ささやかな動きにしかすぎないかもしれない。けれども、かぎりなくたのもしい。願わくは、日本のこどもたちと市民たちが共同して、「知ったかぶり、自慢話、お説教」の三題噺を打倒する日の近からんことを。

*1:Smile... Tomorrow will be worse.

*2:ヴィットゲンシュタイン『論理哲学論考

*3:2007年1月7日の納豆を取り上げた第140回「食べてヤセる!!!食材Xの新事実」の放送後、全国各地で納豆が売り切れるといった騒動となった。その騒動が発端となり社内調査が行われることとなり、実際には血液検査を行っていないにもかかわらず虚偽のデータを放映したと、2007年1月20日に制作の関西テレビが発表し千草宗一郎社長らが謝罪した。―Wikipediaより

*4:石川啄木「性急な思想」 → http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/813_19529.html

*5:現在は、北海道大学高等教育機能開発総合センター科学技術コミュニケーション教育研究部