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大倉眞一郎の迷走

2015-05-01

写真展、及び写真集

久しぶりに更新したらと思ったら、お知らせかよ、でございます。
お知らせ、お知らせ。

私、大倉眞一郎、究極のフリーターは5月7日、皆様が連休でクタクタ、もう遊ぶのにも疲れた、仕事にはもちろん行きたくない、という良き日に写真展を始めることになりました。
写真展と申しましても、なんとかフォトサロンとかいうところではなくて、私がたまに行ってグダグダになっている銀座のカウンターバーに写真を置かせていただくという程度のことでございまして、写真展じゃねーじゃん、とお仕置きされてもしょうがないかも。

つまり、私のこの写真展を覗くにはバーで飲まなきゃならん、ということかな。
銀座のバーと申しましても、座って1万円とかいうバカバカしいところではございません。
全然高くはないけど、たくさん飲めば、そりゃそこそこいっちゃったなという程度かしら。
ビールは一杯800円からですが、お通しが出てきます。
そこんとこご理解ください。

で、あるのですが、それじゃ、20点程度の写真を見るにはあんまりじゃないかと、という声が上がることをちゃんと想定している私。
へへ、想定内です。
皆様の冷たい視線を浴び続けるのはあんまり辛いんで、今回は展示する写真の他、外し切れなかった写真を加え、32ページの写真集を作りました。
もー、貧乏なのにお金ばっかしかかって大変。
これを売りません。
無料で持ってけ泥棒、やけくそだ。
いいねえ、と思った方は気持ち的には儲かった的な?
つまんなかったら損した的な?
絶対にいらない、という人には絶対にあげない。

しかし、店の売り上げを私に分けていただけるわけではないので、このままでは大倉、火の車。
空っぽの脳味噌絞って、考え抜いた先の結論は、「寄付金箱」でありんした。
寄付金箱置くぞ〜、恐いぞ〜。
妖怪寄付金箱。

貧乏な大倉がこれからも、なんだかよくわからない旅に出て、写真を撮って来れるようにしてやるか、と少しでも思ちゃった人は気持ちをお金に換えてください。
気持ちだけ寄付金箱に入れられてもねえ。
残念ながら私には善意が目に見えないんですよ。
もちろんこれは寄付でありますから、強制なんかしませんよ。
ですから、入れない人に悪態をつくようなことはありません。
笑顔で「ありがとうございました」とお送りいたします。

1円から10万円まで皆さんの自由意志でお願いいたします。
100万円とか入れられるとなんか恐いからやめてね。

お店はRE.MUUと申します。
こちら。
銀座6−2−7 第13金井ビル1F
03-3572-9792

花とかそういうのは、邪魔になるだけなんでやめてね。
寄付金箱っていう妖怪はお花より別のものがお好きです。

「HOUSES, DOORS, AND SOME OTHERS IN IRELAND」
というタイトルでやってます。

7日、11日〜14日は私もカウンターの中で皿洗い、ビール注ぎをやっております。
「そこのハゲ、水割り作れ」とオーダーされても笑顔で応対させていただきます。
写真の展示、写真集の配布は5月29日までやってます。
待ってるわ。

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2015-03-06

忙しぶる

数年前になくなった友人が「どんなに忙しくても、絶対に『忙しい?』と聞かれて『忙しい』と答えない」という深いい話をしてくれたことがあって、私もそれを真似して、毎日誘われるまま飲みに出歩いていたんだけど、多分友人が言っていたのはそういうことじゃないな。

半年ちょっと前までは暇忙しい状態でありました。
暇だけど忙しくもできるという私の得意技。
そういうのが好き。
気がついたらラオスに来ちゃってた、とかアルメニアで怒られてたとか、インドで喧嘩してたとか、アイルランドでギネス飲んでたとか。
「旅のラジオ番組作らせてくれよ〜」ってお願いすると、神様が叶えてくれたりしてね。

ところが、そういうことじゃなくなってしまった。
本当に忙しくなってしまった。
本業がなんなのかどんどん自分でもわからなくなってきている。
これまでも「究極のフリーター」ということで、17年過ごしてきたんだけど、極まったな。
何をやっているかはまだ内緒だけど、えっへん、忙しい。

お金持ちになるわけじゃないから、安心してね。
大倉は金持って変わっちゃったな、というようなことはありえないから、間違っても奢ってもらおうとか思わないように。
そんなに大変なら奢りますよ、というのは賛成。

今日から死のロード。
これから札幌、明日東京、翌日仙台、明けて金沢、もう一泊金沢、東京、また仙台。
本当のことを書くと、何者かに追っかけられるから、場所は嘘書きました。
書店でサイン会だっけな。
でも、本を書いた実感、校正した記憶がない。
違うんじゃないかな。
違う。
パチンコ屋さんで営業か。
なにすればいいの?
ハゲネタ?
「ケガなくてよかったね」なんちゃって。

何も書かないと忘れられるんじゃないかと不安で、恐ろしいほど意味のないことを書きました。
自分が恐い。

インドに半年くらい行きて〜。

コチのカターカリ・ダンス。

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2015-03-01

墓碑銘

昨日の続き。
納骨が終わりました。
「これで、安らかに眠ることができます。ありがとうございました」
と母親が挨拶しておりました。

お墓はどこかに収まっていて、こちらがカードで呼び出す方式なんで、どなたが行ってもお花をあげられるというものではありません。
私が死んで「お線香だけでも」と切実に望まれましても、それはできませんのでよろしくご理解ください。
暇な人はガンジス川で手を合わせてくれればいいかな。

お墓なんで墓碑銘が必要であります。
当たり前のことを考えれば「大倉家」でしょう。
他のことを書いてもしょうがない。
しかし、カードがないとお墓は現れないんだから、基本的には関係者以外見ることはなわけで、何が書かれていても自分たちがわかればいいということになります。
そうなると「大倉家」「大倉家之墓」じゃなくて、「愛」とか「真心」とか、修学旅行の小学生が勘違いして石に彫り込んだのを買って喜んでる的なものもあるそうであります。
最近の小学生がどうだか知らんけどな。

私の父親は戦時中だったこともあり、とりあえず医専に行けということになったらしく、本当は小説を書きたかったらしいんだけど、我慢して医者になったと聞いたことがあります。
物心ついてから「これを書いた」と医者仲間の雑誌に寄稿したエッセイを読まされたことがありますが、へたくそでね。
あの方は文章の才能はなかった。
絵を描いてました。
これはそこそこうまい。
字は仰天するほどうまかった。

で、たまに気の利いた句が浮かぶと、サラサラと和紙にしたためて、冷蔵庫にマグネットでとめておいたりしたんですわ。
ちょっと不思議ですね。
不思議なんだけど、妙に気になるものが誰も住んでいない実家に長年放置されておりました。
「墓碑銘どうしようかねえ」と母親、妹から相談された時、すぐに頭に浮かんだのがその句でございます。
季語が重なっているし、意味もよくわからないので、出来がいいとは言えないんだろうけど、親族以外誰も見やしないし、全員が気に入ったんだからそれでいい、ということになりました。
お寺の方が「そりゃないでしょう」と却下するかと危惧したんだけど、何事もなくそのまま墓碑銘となりました。

かくして、以下の写真のようなことになったのであります。
ここに大倉家の者は眠ることになりました。

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2015-02-28

墓話

最近、同年代の友人と飯を食うと必ず墓の話で盛り上がる。
自分が死んだらどこの墓に入るか悩むのである。
かつてのバカ話がハカ話になってしまった。

結構真剣だから私のような鳥葬希望・墓いらない派はあまり口を挟めない。
気圧されちゃいます。

先日、下関にあった爺さんたちからの墓を閉じてまいりました。
墓参りを理由に帰省するってのも悪くはないんだけど、時間と交通費を考えると「今日はお墓参り」って感じじゃないでしょ。

もともとお釈迦様が涅槃に入られるときは「余計なことすんじゃねーぞ」と言い残したんだけど、弟子は阿呆だからお墓をつくちゃった。
それがストゥーパですね。
仏舎利と言われているもののほとんどは偽もんだと思うけど、それを奪い合ったりね。
面倒なことですわ。
お釈迦様の教えとは何の関係もないことでござんす。

それから我に帰った仏教徒は墓を作ることなんてしませんでした。
ビンズー教にも墓なんてないし。
上座部仏教(小乗仏教と大乗仏教からは蔑称的に呼ばれたりもします)の国にもお墓はないですよ。

大乗仏教が中国に入った頃から墓を作り始めちゃったみたい。
儒教の影響で先祖供養がかぶさってきたんですね。
それはそれでかまわないんだけど、仏教=墓と考えるのはちょっと抵抗がありますわ。

さて、私が鳥葬にしてもらえる可能性は限りなく低い。
チベットかムスタン辺りのネパールで死ねたら「鳥葬でお願い」と言い残せるんだけど、それだと死亡証明書とかどうなるのかとかさ、遺産をどうするのとかさ、そういうことがどうしていいんだかわからなくなるでしょ。
本当は遺産なんてないんだけど。
だもんで、私の鳥葬は夢で終わりそうな気配が濃厚であります。
日本で鳥葬を請け負っている会社があればご連絡ください。
予約します。

で、そんな私ではありますが、本日は親父の納骨となりました。
墓を閉じてきて、親父の骨の一部を東京に持ってきたんですな。
母親が新宿の納骨堂に入れたい、自分も入りたい、ということになったわけです。
さすが不良老人。
新宿に墓だ。
おかげで私達兄妹も墓参りに不自由することがなくなる。

そんなわけで、自動的に私の骨も鳥葬にならない限り、母親と一緒にそこに収まることになります。
たくさんは入らないから、少しだけだけど。
すると、骨が余ります。
その骨は鳩とか鶏にあげてもらえないもんだろうか。
あくまでも、何者かに食べられたいんです。
豚でも熊でもハイエナでもいいんです。
せめて死んだら生態系に加わりたいんです。

おかしい?
おかしいんだろうな。

でも、墓地の雰囲気は好き。
打ち捨てられた墓石。
アルメニア、イェレヴァン郊外で撮りました。

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2015-02-27

怒れるイギリス人

もう、ホントに疲れる。
曾野綾子のコラムですよ。
あそこまでくると怒るというより、あきれる、脱力する、なかったことにしたくなる。
でも、なくならないからね。
だから、10日以上経ってからもイギリス人の友人から激怒りのメールが届いたりする。

「エコノミスト(雑誌)が曾野綾子の低賃金移民の隔離要求コラムが信じられないって書いてるぜ。
そんで日本じゃ南アフリカ大使からの抗議についてなんにもコメントが出てないんじゃないの。(政府の正式見解のことを言っているらしい)
大倉さんのブログに書くんだろ。(普段は私をシンと呼ぶんだけど、怒ると大倉さんになる)」

で、エコノミストの記事が貼付けてありました。

そうか、もうみんなネット上ではガチで怒っているから俺はもういいやと思ってたんだけどな。
短く返事を返しました。

「恥ずかしくてたまらん。でも、ほとんどの日本人は曾野綾子のようには考えてないと信じたいよ。少なくとも俺のまわりにはあのコラムをサポートするしている奴はいないよ」

でも、それでは終わらない。
すぐにメールが返ってきた。

「『俺たちガイジン(日本人に腹を立てているとき、彼は自分のことを『ガイジン』と呼びます)が驚いちゃうのは曾野綾子があんなことを書ける、書いても許されるとと思っていて、メディア、政治家たち、知識層が袋叩きにしないし、謝罪を要求してないってことだぜ。
ヨーロッパ、北アメリカのポリティカル・コレクトネス(一言で日本語に訳せないのでピンと来ない方は調べてみてください)はあの発言は撤回させると思うよ。
確かにこちらでもポリティカル・コレクトネスの行き過ぎた圧力については議論の自由を奪うのではないかという声もある。
だけど、押し付けられた人種隔離は倫理的に許されないだろう。
こちらでも(イギリスでも)エスニック・グループが好んで集まって居住している場所はあるけど、それはあくまでも望んでそうなっているわけだ。(ヒースロー空港から車で20分くらいのところにインド人、パキスタン人の町があって、私なんかはそこを通るだけでテンションが上がる)
アメリカでの居住区の分離は黒人が仕事を得ることが難しく、それが原因で黒人中心のゲットーができ上がっているわけじゃん」

若干の誤解もあるが、基本的には私の怒りのポイントと同じ。
曾野綾子さん、チキ氏のインタビューでは「わかりません」「間違ってません」「リトルトーキョーいいじゃない」って答えてましたね。
もう相手にするのも嫌だ。

しかし、相手にして批判をすることを避けちゃいけない。
曾野綾子の発言を封殺することは許されません。
どんなことであれ言論の自由は守ります。
で、批判する自由も同時に保障されなければならない。

本音はね、曾野綾子、黙っててくれよ、「ガイジン」から俺まで怒られるんだから、なんだけど。
あと、やっぱり、メディアの皆様、ちゃんと批判する時は叩き潰すくらいの勢いで書かなきゃいけないんじゃないかしら。

ダブリンのパブ。
とても楽しい。
右手前の女性は松井さん。

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