哲学の道

一条真也です。
ブログ「東日本大震災4周年」に書いたように、今年の3・11を京都で迎えました。わたしは今朝、京都のホテルの一室で『慈経 自由訳』を音読し、犠牲者の方々に対して心からの鎮魂の祈りを捧げました。


哲学の道」にやってきました

哲学の道」を歩く



さて、11日は朝一番で「哲学の道」に向かいました。名前だけは聞いたことがある人が多いと思いますが、「哲学の道」とはいったい何か?
京都おもしろスポット「哲学の道 散歩」には次のように書かれています。
「京都・東山の麓に哲学の道と呼ばれる絶好の散策スポットがあります。南は永観堂の北東方向の若王子神社あたりから始まり、北は銀閣寺まで続く疎水に沿った散歩道です。京都疎水は明治時代の京都の一大事業として作られた人工の水路です。南禅寺水路閣も疎水の水を流すために作られたものです。哲学の道に流れている疎水は大津で取水されたあと長いトンネルを経て蹴上(けあげ)に到達します。蹴上から分水して北上する疎水が南禅寺水路閣を経て哲学の道に流れています。哲学の道は、疎水の西側に散歩用の石畳が敷かれ、日本の道百選にも選ばれている散歩には最適の道です。右の航空写真で見ると哲学の道の部分が緑の線として見えます。住宅地の中を緑の絨毯が敷かれているようです」


川をながめる

銀閣寺が近いようです



また、「哲学の道 歴史」には、以下のように書かれています。
南禅寺から銀閣寺に至る疎水は、桜がたくさん植えられ春は桜、秋は紅葉で散歩する人を和ませてくれます。京都の哲学者、西田幾多郎がこの道を思索にふけりながら散歩していたことから『思索の小径』と言われていました。その後、西田幾多郎の愛弟子田辺元三木清らも好んでこの道を散策したことからいつしか『哲学の道』とも言われるようになり、1972年に正式に『哲学の道』と銘々されました。哲学の道のなかほど、法然院のそばには西田幾多郎が詠んだ歌が石碑に刻まれています」


哲学の道」の看板

哲学の道」の石碑にて



じつは、西田幾多郎田辺元も、ともに幼な児を亡くすという経験をしており、グリーフケアの観点から見ても注目すべき哲学者であると思っています。特に、田辺元などは独自の「死の哲学」をうち立てたことで知られます。もともと哲学の祖であるソクラテスは「哲学とは死の予行演習である」と述べています。哲学と死には密接な関係があるのです。
ということで、わたしは「哲学の道」を歩きながら、現在執筆中の『唯葬論』の内容について考えました。まるで哲学者になった気分です。


歩きながら、『唯葬論』の構想を練る

こんな看板を見つけました



哲学の道」を歩き終えて、ふと見ると、「電線の地中化をしています」という案内看板がありました。さすが、国際的観光都市の京都です。いまや、観光において電線の地中化は切っても切り離せない大切な問題です。わたしが公益社団法人北九州市観光協会の理事を務めていますが、北九州市でもぜひ電線の地中化を進めていただいたいものです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年3月11日 一条真也