哲学者。1885年2月3日、東京生まれ。 東京大学数学科から哲学科に転じ、1908年卒業。 東北大学講師、京都大学助教授、同教授を歴任。 自然科学の哲学的基礎を築き、西田哲学の後継者として田辺哲学を樹立した。 西田幾多郎の「場所」に対して田辺は「主体」の哲学を唱えたところに特徴がある。 1962年4月29日没。
[主要著書]
挿話の余話。 話を先取りしますが、先生の遺稿の中に、田辺元先生とのやり取りやソ連(ロシア)が交渉もできない相手であるなど短いエピソードがあったのですが、私は割愛しました。 そのことを今深く反省しています。 田辺先生については、先生とのやり取りの手紙もたくさんあったのに、田辺元全集の編集者から何の連絡もないままだと聞いていました。そして先生はご自分の全集を出すことを強く願っておられました。蔵書全部を寄付するから、全集を出してくれる大学はないだろうかと言ってもおられました。 私の口語訳とは別にやがて先生が望んでいたような形の本が『アリストテレスの倫理思想』として岩波書店から出たので、私自身の言葉で…
話が前後しますが、この直後に就職し先生から離れたため細々と口語訳だけ続けていた私に安藤先生は山田先生に会う機会を作ってくださいました。それが南山大学の山田ゼミにつながります。 話は変わりますが、山田先生はイタリアに留学しイタリア語もマスターされたと知りました。安藤先生は後年オックスフォードのロス教授・アクリル教授のもとに留学しました。服部先生も留学の時、同じ田辺元先生の学生ということもあり、安藤先生にオックスフォードでの経験を伺がったと、ずっとのちに聞いたことがあります。 安藤先生が翌昭和16年に就職されたのが四校、恩師西田幾多郎先生の前任校です。この時の学生である西義之氏の回想を挙げます。「…
先日東京古書会館の和洋会2日目では、1冊だけ購入。『自修会々報』創刊号(東北帝国大学理科大学自修会、大正4年4月*1)である。東北帝国大学理科大学の校友会自修会の会誌で、98頁。きたむら書店の出品で、1,000円だった。 古本市2日目の昼でも残っていたのは、パッと見、色気の無い無名の雑誌だからか。しかし、私は目次を見て日下部四郎太「南洋出張所感」が載っているのと、「国会図書館サーチ」で『自修会々報』はまったくヒットしないので購入。2号も出ていたが、創刊号のみとした。その後調べると、宮城県立図書館が『自修会報』13号(昭和2年*2)を持っていた。また、同サーチの対象外だが、東北大学史料館が『自修…
他方において、田辺元の批判を受けた西田もまた、「場所」における歴史行為について深めたのであろう。いわゆる「西田哲学における行為・制作の論」(黒田)に示されているように。 哲学することは、「ことばに担わされた概念」を用いて展開するほかはない。規定しようにも規定できないものを規定してしまうところに、西田の特色がある。それが彼の思索の最大の特徴である。それはたとえば「未だ主もなく客もない、知識と其対象とが全く同一で居る」「此の色、此音はなんであるという判断が加はらない前を言うのである」、と西田は「純粋経験」を説明している。そして、この「純粋経験」を事実や実在というものが与えられる最も直接的な「場所」…
ここでは、本ブログで全集に触れている記事へのインデックスを作成します。 リンクがない項目は、将来記事をつくる予定です。 なお、個人名を冠した全集については、当該人物の姓の五十音順で並べます。 【あ】 ・『アインシュタイン選集』(全3巻、共立出版)・『アウグスティヌス著作集』・『安部公房全集』(全30巻、新潮社)・『ベッカー版アリストテレス全集』・『新版アリストテレス全集』(岩波書店)・『ハンナ・アーレント批判校訂版全集』
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 日本哲学は日本民族の独自の哲学であって、中国哲学や朝鮮哲学とは全然違う。 日本には、哲学や思想はあるがイデオロギーはない。 ・ ・ ・ 2024年1月25日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「西田幾多郎に田辺元、三木清…日本の哲学がギリシア哲学、フランス哲学に負けていない「意外な理由」 哲学という言葉でどのような印象が浮かぶだろうか。どこか難解で、複雑な思考を要するものという印象を持つ方が多いように思う。 近年では哲学や文学のような人文学の分野よりも、法学や経営学に代表…
田辺元という人は、哲学者にしては珍しく大変な秀才だったと言われる。確かに、著作を読む限り、同時代の哲学者だけでなく、現在に至る日本の哲学者の中でも、頭の出来はピカ一だったのではないだろうか。もっとも、頭の出来がいいからと言って、面白いものを書けるかと言えば、必ずしもそうではないだろうし、大きな業績を残せるとも限らない。 17世紀西欧のような特殊な時代は例外として、近代以降の学問の細分化・専門化の時代にあっては、頭の出来がいい者が進んで哲学を専攻することは稀なことだとの感がある。廣松渉も「今の時代、アホだから哲学をやるという風になってしまった」と言っている通り、優秀な者が率先して哲学を専攻しなく…
私自身の出会いについても安藤先生に関してても、存命中の方については触れないことを心がけていましたが、今回からそれを破りそうです。安藤先生が当時どれだけ真剣に「現在を意識」していたかを考えさせられたからです。 コロナ自粛以前に西宮で哲学講座を開いてくださった先生がおられます。今道友信門下の方です。ニーチェがその死を宣言した神を「もう一度現在に呼び戻さなければならないか」と云うことばをその先生からお聞きしました。 今道先生については安藤先生から「若いがよくできる」「ペダンティックな」と聞いた記憶があります。ちなみにこの今道先生と同じペダンティック評が、服部知文(晩年のロックの一番の関心事「キリスト…
記録は永遠に残らない。夢中になって呼んだ本も、版元が潰れればアウト?そも、放射性物質が安全になるとも言われる何万年後。そのとき、今の言葉が通じるのかどうか。日本の古典でさえ、学びの対象だもの。 ▲『ベンチ』(写真)座ろうと想った。「あっ」暑いが、秋なのである。 www.youtube.com【道元について/今日も少しだけ】 近隣の大学へ。 今回の無料の公開講座は、『哲学者たちによる道元の発見と誤解』。 目から、うろこ…。 冒頭、「無限の中の1つの無限」という言葉を聴き、「すげえなあ」と。 頭がクラクラした。 いずれにせよ、講師・石井公成氏は、和辻哲郎氏にはじまり、田辺元氏、井筒俊彦氏等々の名だ…
ステファヌ・マラルメ(柏倉康夫・訳)『賽の一振り』月曜社2022年3月18日第1刷発行を再読。「訳者解説」から。《 白地の上に黒で書かれた文字により、作品に可視的な律動をあたえることで、時間から脱せしめ、永遠へと昇華させること、音楽の持つ時間性を、活字の大小と余白の活用で、波動として氷づけにすること。マラルメが「賽の一振り」の紙面で実行したのは、まさしくこうした作業であった。 》 「III -2 文字によるバレエ」 57頁《 漆黒の天空に輝く星座は、マラルメがいままさに書こうとする作品のいわば陰画(ネガ)であり、その見取り図と思えたのではあるまいか。 》 「IV-4 満天の星」 63頁《 主(…
『深田康算全集』全四巻(岩波書店、1930 - 31) 唐木順三だったか久野収だったか、記憶が判然としないが、ともかく京都学派の空気を浴びて育った論客による、肩の凝らぬ回想文だったか対談記録だったかで、読んだ記憶がある。 高名な京都帝国大学文学部哲学科には三教室があって、A が田辺元教授、B が西田幾多郎教授の教室だった。文字どおり当代日本哲学界を代表する教授がたで、学徒はいずれかの名教授に師事したくて京大哲学科へ進学した。 哲学C は深田康算(やすかず)教授で、こちらは哲学というよりも、美学や芸術論に寄せた柔軟かつ自由な教室だったという。田辺・西田のいわゆる「大哲学」に飽き足りぬ想いを抱き、…
台風の影響で、突然、雨がザーと振ります。13日はそれで失敗して、かなり乾いたタオルケットを少し濡らしてしまい、乾燥機をかけにコインランドリーに行きました。昨日は、凝りて、雨雲に気を付けていました。まだ生渇きのものもありましたが、取り込んで10分もしないうちに、ザーと来ました。「やったー」という気分。 本の整理をしながら、かつて読んだ難しめの本を見ては、読み切る動機はどこから来たのか考えていました。最近読んだ重田園江著『社会契約論』(ちくま新書)は読み応えがありました。授業の関係で読んでおこうと思って読みましたが、分野が少し違うものは、読み続ける動機が必要になります。自分のやっている哲学・倫理系…
この時期、安藤先生には河出書房新社から『アリストテレスの倫理學』唱和15年弘文堂刊 50銭の教養文庫の復刻再刊の依頼がありました。この本は戦時体制下一般書店にはほとんど並ばなかった幻の本と聞きました。 「弘文堂の本をよく覚えていてくれた」と先生はその求めに応じるべく書き改めに意欲をもち少し取り掛かられましたが、ご自分の研究方向は既に進展しているのとやはり時間をさけないことで私に任されました。私に先生は新しい研究書の英・独・仏数冊を加味して古くなった文章を口語文に改めるよう望まれました。 アリストテレスの倫理思想 岩波オンデマンドブックス 三省堂書店オンデマンド 楽天で購入 新書版205ぺーぎの…
❝【日本という怪しいシステムに関する一見解】❞ (初稿1999.10.29) ❝平成15年5月16日改定 岡山県井原医師会鳥越恵治郎(H26年4月17日一部改定)http://www.ibaraisikai.or.jp/information/iitaihoudai/houdai37.html 第37話「日本という怪しいシステムに関する一見解」 この記事は一冊の本になるような長文の論文です。学校教育では日本の近現代史は尻切れトンボ傾向のようですが、今日に繋がる20世紀の日本の赤裸々な史実を通して日本の権力構造を解明しています。❞ ❝今回はプロローグは省略します。今後プロローグは数回に1度記載し…
最後まで、著者の議論にピントをあわせることができず、何のためにこのような立論をしているのかよくわからないままで読み終わった。 ひょっとしたらという仮説でしかないが、著者は、サークル(小集団活動)について嫌な体験をもっていて、その有害さを理論的に解明しようと躍起になっているのではないか。だから、その可能性を探るという前向きな発想にならずに、その有害さを消すことしか頭にないのだろう。 しかし、これはかなり特殊な前提だから、そのことを明らかにせずに本を書くと大方の読者の関心とはずれてしまう。著者はそのことにあまりに無自覚すぎるような気がする。自分が年を取ったせいかしらないが、この手のひとりよがりを若…
2007年2月10日初版第1刷発行 帯封「1941年の西田の田中宛書簡(新資料)から、全面戦争に突入する危機の時代に、西田の法あるいは国家の正統性をめぐる探求を跡付ける。グローバル化による国家の枠組みの流動化、憲法議論をひかえた日本の現状を考察するうえでの貴重な視座を提示。主権としての『絶対矛盾的自己同一』」 目次 はしがき 序 国家あるいは法の正統性 第1節 法・国家・定礎 第2節 国家あるいは法はどこにあるのか? 第3節 主権をめぐって 第4節 明治国家体制と主権の問題 第一章 主権という問題 第1節 西田幾多郎の田中秀央宛書簡 第2節 ジャン・ボダンの主権論 第3節 正統性に関する問いと…
6月24~25日、京都に行ってきました。 僕には珍しい1泊2日。しかも一日目はセミナー参加が目的で、観光は無し。2日目は16:45分のバス。今回の純粋な観光は朝~16時までの時間。どこまで戦えるか。 24日(土) 7:00高山駅BCでバスに乗り込む 11:10京都駅着。駅の南に向かって京都テルサを目指す。開場の12:30まで時間があるので道中のブックオフにin。そうしたら盛大にやらかす。つまりは、買い込み。塾用のテキストとかも買いたかったので。また、株主優待券(1200円分)を使いたいというモチベもあった。まあとにかく、旅の序盤で荷物を重くする。しかし人生にはやらなければいけないことがある。刹…