ルネ・デュボスを読む

René Dubosの著作を2冊読了したので備忘録。1冊目は、The Dreams Of Reason---Science and Utopia,1961(『理性という怪物』三浦修訳、思索社、1974年)。2冊目はReason Awake --- Science for Man, 1970(『目覚める理性---人間のための科学』野島徳吉、遠藤三喜子訳、紀伊國屋書店、1971年)。
 フランスに生まれたアメリカの細菌学者デユボスがはじめて手がけた啓蒙書である1冊目の方がぼくにとってはわかりやすかった。科学と社会の相関、科学が現代社会の諸問題(環境・医療・エネルギー・人口問題など)に対していかに関わるべきかが論じられる。今となっては科学者による文明論として常識的なディスクールとも見えるが、半世紀たった現在も議論されるイシューがまったく同じである点が恐ろしい。この書物の母胎となったペグラム記念講演の頃がちょうどフランシス・ベーコン生誕400周年記念ということで、かの帰納法の提唱者がしきりに参照されるが、注意は『ノヴム・オルガヌム』よりもむしろ『新アトランティス』に向けられる。ユートピア論である。デュボスによれば、組織化された科学者たちが社会を導く国を想定したベーコンのアイディアは英国学士院などの現実の研究組織の誕生を導いた。だが一方でプラトン、トマス・モア、ベーコンらの夢見たユートピア社会が現実化されなかったのはなぜか。「古今を通じてユートピアといわれるものがもつ基本的弱点は、安定した環境における安定した社会を多少とも前提するところにある。」ユートピアに到達することが不可能なのは、「自然資源であれ、人々の態度や嗜好であれ、世界に安定せるものはなにもない」という事実があるからである。そして仮に実現したとしても、そのユートピアはじつに「不活発な世界」なのだろう(p.56-57)。 この生物学者による議論は、グリッサンのユートピア批判にも通じている。もうひとつグリッサンを想起させるのは、生物学における「共生」現象である。たとえば蘚苔類は単一の生物ではなく、真菌植物と藻類との複合現象である。「ひとつの構造を真に理解するには、有機体的全体のなかでの役割からこれを切り離すわけにはいかない」(p.121)。「共生は、予見し得ぬ新構造・新機能・新特性を結果的に生むことができる一個の創造的な力である」(p.125)。「供与donner-avec」や「世界のクレオール化」といったグリッサンの文化論が、こうした生態学的な視点と共振している様は面白い。デユボスをもう少し勉強しよう。