丸山一彦先生のこと

 敗戦後の街の風景が少しずつ変わり始めた頃、教員室の顔ぶれにも、ようやく新しい風が吹き込んできた。新たに赴任してきた丸山一彦先生は、文理大を出て間もない新進気鋭の教師で、戦前からの居残り組とは全く違う雰囲気を持っていた。専門は国語だったが、当時時代の先頭を走っていた学者、評論家、作家、などの考え方を積極的に紹介し、生徒たちの人気を集めた。
 また人柄も温和で、教師と言うより、兄貴分のように生徒に接していたのも好感がもたれる要因の一つだったかも知れない。
 ここからは丸山鉄也ことボーイング先生と区別するために、丸山一彦先生を愛称の「彦さん」と呼ぶことにする。
 中学五年なると、多くの生徒が本を読むようになった。知識に対する好奇心の芽生える年齢でもあったが、戦後という混乱の時代をどう見通し、どう生きるべきかというテーマも、読書好きな学生たちの心を捉えていたような気がする。
 思い付くままに挙げれば阿部次郎の「三太郎日記」倉田百三の「出家とその弟子」西田幾太郎の「善の研究」、ルソーの教育論「エミール」など、他にも難解な哲学書や物理学の本を読みあさる者もいた。
 授業の方にも新たに哲学史と言う時間が設けられた。それを最初に担当したのが丸山一彦先生こと彦さんだった。
 哲学史と言えばまずギリシャ哲学から始まる。万物の根源を水とみたイオニヤの哲学者タレスタレスに続く自然哲学者の系譜には、万物流転のヘラクレイトス、原子論のデモクリトス、ゼノンの名が頭に浮かぶ。しかし授業がどのあたりまで進んだかは、残念ながら憶えていない。
 哲学というのは実用とはおよそ無縁な学問だが、彦さんの授業がわれわれに、ある種の新鮮な刺激を与えたことはたしかである。
 彦さんの話で印象に残っているのは、二つの焦点をもつ楕円の話である。二焦点の話は花田清輝の「復興期の精神」にあるもので、人間には白と黒、天使と悪魔、科学と呪術など相反する二つ焦点があり、それを同居させている。一つの焦点しか持たない円は他の焦点を無視して成り立つもので、矛盾を合わせ持つ楕円こそむしろ正常な形であると言うものだった。西田幾太郎の言う絶対矛盾的自己同一もあるいは、楕円の考え方と、響き合うものがあるのかも知れない。
 彦さんのよいところは、成績の上下に関係なく生徒に接したことである。成績という数値の価値観から離れると、教師は自分の感性で生徒と接することになる。その点が戦前の教師と大きく違うところだろう。
 彦さんは、成績が悪くても詩や小説に関心をもつ生徒には、心を開いて友だちのような付き合い方をした。それが自然にできた数少ない教師の一人だった。
 私が彦さんと親しく付き合うようになったのは、彼が主催する詩話会に入ってからである。その会では、高村光太郎三好達治萩原朔太郎などの詩を読み、またそれぞれに持ち寄った詩について侃々諤々、好き勝手な意見を述べ合った。そこでは詩に限らず、戦後に浮上した坂口安吾の「堕落論」、中年男女の行きずりの恋を描いたフランス映画「逢引」なども話題となった。
 彦さんには個人的にも随分世話になった。ある夜のこと、彦さんから突然電話があり、「今日は宿直だから、学校までこないか」と誘われ、二人で徹夜で話し合ったことがある。その時何を話したかはまで憶えていないが、尊敬する先生の呼び出しに、大いに感激したことがある。
 その後、先生から日夏耿之介の「明治大正詩史」や江戸の俳人与謝蕪村を近代的な抒情詩人として位置づけた萩原朔太郎の本などを読むように勧められた。彦さんが、加藤秋邨主催の句誌「寒雷」の同人として、熱心に俳句づくりに取り組んでいた頃である。教師時代の彦さんの俳句は、後年の句集「無弦琴」に収録されている。
 詩人、日夏耿之介には、不思議に親近感がある。法政大学一年の時、学園祭で上演した芝居台本の初めに日夏耿之介訳のアラン・ポーの詩「大烏」より「そは凄涼な夜半なりけり…」の一節を借用したことかあったからだ。中身は失恋に悩む主人公を、伯爵や召使たちがそれぞれに次元の違う荒唐無稽な論理を駆使して笑いのめす話である。その喜劇の最後は全員が幽霊だったで終わる。そういえば彦さんもよくポーの話をしていたことを思い出す。
 先生のポーの話で印象に残っているものに「黒猫」と言う短編小説がある。妻を殺した男が、完全犯罪をもくろみ、その死体を壁裏に隠す。尋ねてきた刑事が、部屋の中を捜索するが、不審な点がないので帰ろうすると、男は自分の完全犯罪を自慢するかのように壁を叩く。すると壁の裏から妻の飼っていた黒猫の声が聞こえ、犯罪が露見する。男は妻の死体を隠した時、壁の隙間に猫も一緒に塗り込めていたのだ。
 人にはいろいろな読み方があるが、彦さんは、その小説には、一見合理的な知性(犯罪)の背後にある得体の知れない不気味なものがよく書かれていると言う。黒猫に象徴される不気味さはとは、戦後、一転して民主主義と言う壁でわが身を塗り込めた教師たちの心に潜む黒猫を指していたのかも知れない。