男たち、野獣の輝き

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Beauty Devaisethのファイナル・ファンタジー14新生エオルゼア奮闘記

『涼宮ハルヒの消失』感想(ネタバレ部分からたたんでいます)


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恐ろしいほどクオリティの高い傑作


待望の『涼宮ハルヒの消失』を観てきました。

劇場は新宿バルト9。日曜日のお昼の回でしたが、場内はたいへん静かで、この手の映画を観に行く時の最大の問題である「イタイ客」がいなかったのは大変たすかりました。もっとも最後部の座席でしたので、真ん中の一等地あたりにはいたのかもしれませんが、とりあえず場違いな拍手や笑い声が出ちゃうような事は無かったのでアタリです。

本作は『涼宮ハルヒの憂鬱』を第一作とするライトノベル・シリーズの長編第三作『涼宮ハルヒの消失』の映画化です。第一期放送と、新作を交えた第二期放送から時系列として続く作品で、アニメーションの放送分をすべて観ていればストーリーとしては全く問題がない。ただし、逆に言えばアニメーションを全話観ていないとすべてを楽しむのは難しい。もちろん単体としては楽しめるように細かい配慮はしてありますが、実質的にはそれはかなり勿体無いので、少なくとも

第一期放送分から

 『涼宮ハルヒの憂鬱』(全6話)
 『サムデイ イン ザ レイン

第二期放送分から

 『笹の葉ラプソディ
 『エンドレスエイト』(オススメは最後の8話目)
 『涼宮ハルヒの溜息

は抑えておきたい。

こう考えると第二期が今回の『涼宮ハルヒの消失』公開を前提としていることがよくわかります。


と言っても、今作で一番重要な登場人物である長門有希の変化を100%味わうためには全話観ておくのがベストであることは断言出来ます。あの『エンドレスエイト』8本連続放送ですら、必要悪とすら思えるほどです。



原作である『涼宮ハルヒの消失』は、

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

作者自身

僕としては珍しく担当さんに電話して一方的に内容をまくし立てては「次にこんな話が書きたい」と告げて切るという異常に前のめりな行動に出たのですが、そんなことはあとにも先にもこの作品だけです

とパンフレットに書かれているほど意欲的な作品であり、シリーズを全部読んでいるボク個人も「他の作品とは一線を画する重要な傑作」と思っています。

もちろんファンにとっても「重要」な作品であることは明白で、製作の京都アニメーションがわざわざ第二期でのテレビ放送を見送って劇場用長編として製作することも(後付とはいえ)納得のセレクションです。

第二期の放送で見送られたことを批判する人たちも、結果的に「この出来は!!」と唸ること請け合いの力作であり、批判を受けてもなお劇場用作品と言う選択をした京都アニメーションの意地が炸裂したクオリティが全編を貫いています。

テレビ版ですらかなりのクオリティを確保していた傑作でしたが、劇場用作品(つまり『映画』)を意識していることがレイアウトや作画、キャラクターの描き込みや背景の描き込み、などなどに充ち満ちています。

テレビ用アニメの劇場用と言うことでイメージする「お手軽」な作りでは決して無いですね。



と、ここまで書いておいて矛盾しますが、この作品の素敵なところは、「あくまでもシリーズの延長として作られている」点です。もちろん「一見さんお断り」と言うデメリットはあるのですが、テレビシリーズ未見の人に対する配慮は最低限にとどめている潔さと、「あくまでも原作を忠実にアニメ化する」という第一期から徹底している京都アニメーションの原則が崩れていない事を評価すべき。

それぐらい原作を読んだ時の感覚を反復するだけでなく、その全編がアニメーションで文字通り命を吹き込まれている快感が素晴らしい。もちろん小説が原作になっているかぎり、読み手のイメージと相反することも少なからずあるはずですが、ボク個人の感覚としては

あのオドオド長門が”生きてる歩いてる!!”状態。



原作を読んでいる人間の100人が100人「長門好き」になるわけですから、ここは絶対に外せない部分であり、ここが最も重要なエレメント。


あの”原作以上”と言っても過言ではないオドオドぶりの完全さは凄まじく、他のキャラクターたちに対する力の入れ方とは明らかに「度が違う」。


それは、つまり、製作陣が間違いなく「原作」の描く方向をガッチリつかんでいることを証明している。


(以下ネタバレ)


長門ファンへ最大級のプレゼント


世界が変わってから最初に登場する長門。この長門がピンク色のひざ掛けを使っている。この原作に無い描写一発で

「これは!!」

である。

その後の「驚く長門」の表情だけでも、今までの長門でないことはハッキリわかるが、あの細かい小道具の使い方は抜群。

キョン長門の椅子にへたりこむシーンでも、そのひざ掛けを踏んでいることに気づいて席を空けるという細かい使い方。

その都度長門がオドオドと表情豊かに変化する訳だが、原作は当然「行間ににじませる」手法なのでほとんど描写されていない。だが、アニメでは徹底的に開き直ったかのように描写が描かれる。原作のファンからは拒絶反応が出る可能性もあるが、その過剰な描写はいちいち素晴らしい。ボク個人が「オドオド女子大好き」人間であることは差し引いても、あれは萌えるんじゃないのか。いや、そうに決まってる。そうでなければこの作品の価値は半減すると言ってもいい。勝手すぎる意見かもしれないが、ブログだからいいのだ。


名シーンである「入部届けを差し出す長門」も、原作では(挿絵では描かれているが)「ネクタイの結び目あたりを見ながら」という端的な(しかし、素晴らしく表情が目に浮かぶ)表現だが、映画では思いっきり照れながらオドオドと差し出すのだ。

もちろん、その入部届けを返す場面でも、原作は情景描写だけで長門の表情の描写はない。しかし、映画ではまざまざと悲しげに俯く長門が描かれる。あれには参った。ちゃんと「一回失敗して、二回目にやっとつまむことに成功する」繊細な表現もアリで。



原作には映像がない。しかし、京都アニメーションは「原作を忠実に再現」する事にこだわっている。それはセリフや展開を改変しないと言うだけにとどまらず、こういった読んだ人間が思い浮かべる表情などもできうる限り徹底的に再現する。再三書いているように、これにはリスクがつきまとうわけだが、まったく衒うことも無く直接的に描写する。これは相当の自信と覚悟がなければできない。

パンフレットのインタビューにも書かれているが、本来のヒロインであるハルヒ自身も全編を通してテレビの短編一本分も登場しない。それでも自信を持って改変すること無く「そのまま映画化」している。それでも数少ないシーンでキチンと仏頂面の改変後のハルヒキョンと出会うといつものハルヒになって安心するし、『憂鬱』のシーンがリフレインする「だまりなさい」でも場内を笑いに包ませる。最後のみのむし状態も可愛さ爆発で存在感十分。


話を戻すが、とにかくこの作品は長門が命であり肝なので、長門をこれだけ魅力的に、そして哀切たっぷりに描いていることが何よりの成功ポイント。誰もがそれが重要だとわかっていても、それを着実に実行することはなかなか出来ることではないでしょう。調子にのっているわけでもなく、とにかく素直に描いている点に大変好感が持てる。


なんといっても、長門が世界を変換するときの「手招き」する仕草で涙腺が決壊しそうになるほどだ。画面には手しか映っていないのに、その切なさったらない。長門のつもりつもったいろんな「感情」がそこに集約しているように感じさせる。上記では原作では描かれなかった表情を描写すると書いたが、省略演出も巧みに使われており、この一連の「謎解き」の部分でも、原作のとおり「改変者の正体」を伏せるための演出としてというよりも、「表情を描写」しない(長門は表情が無いのだが)演出で感情を表現している。長門が二回つぶやく「ありがとう」も、最後の長門では表情は描かれず風景にかぶさるだけだ。(一度目の「ありがとう」はアニメのオリジナル)


と言うわけで、長門に関しての描写も完璧だが、もちろんそれだけにとどまらず、細かい部分でも質の高いクオリティを維持している。


まず話題になっている162分と言う上映時間。

劇場用のアニメーション映画としては異例中の異例で、最近長尺化の傾向が強い実写映画においても長い部類に入る。完全に「大作」と分類される時間だ。

ところが、実際には全くと言っていいほど長さが意識されることはない。テレビの前でだらだら横になって観ていられるのとは違い、劇場の椅子に身動き取れない時間としてはなかなか辛い時間である。ところが長さは感じさせない。それは無駄なシーンが全く無いことと、カット毎の長さやシークエンスの長さがバランスよく適切なことがあげられる。無理に間延びしているわけでもなく、変に切り詰められているわけでもない。前半や後半はテンポよく、中盤はじっくりと描かれる。小説は割と平均的な配分だが、「読書の感覚としての時間」に即している点も重要な「忠実化」かもしれない。


原作では「世界改変者の正体」である長門を「フーダニット」として機能させるために端的な描写がされているが、今回の作品ではイメージキャラクターとして使われている段階から『長門』がキーパーソンになることを明らにしている。ゆえに中盤の長門がらみのエピソードは大変じっくりと描かれている。そこらあたりはファンの心を理解した配分だ。



音楽についても同様で、オープニングでちゃんと第一期放送の第ヒット曲『冒険でしょでしょ』を使ってくるところがいい。普通劇場用作品だとタイトルだけ静かに現れて、ある種の「気取り」を感じるのだが、テレビの延長線でもあることを意識した作りは大正解。


TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」OP主題歌 冒険でしょでしょ?


第二期の主題歌でもいいはずなのに、ファンが一番馴染んでいるこの歌を主題歌として使うところも「気取り」が無い。冒頭の部分はまったくこの主題歌通りの雰囲気なので使い方としても申し分が無い。


転じてラストにはもっと有名な『ハレ晴レユカイ』ではなく、長門有希の声を担当している茅原実里のオリジナルになっているあたりも素晴らしい。(色々な事情はあると思われるが)あの陽気なムードの歌はこの作品の最後には相応しくないし、長門の心象を静かに歌う主題歌(なんとアカペラ)は心を揺さぶられる。




長門を象徴するように流れるサティの『ジムノペディ』もバッチリはまっている。

特に二番が泣ける。あの切なさ過ぎるメロディ!

劇場版 涼宮ハルヒの消失 オリジナルサウンドトラック




他にも書きたいことは山盛りですが、最後に


あのエンドクレジットの後に用意されたオリジナルのラストシーン。


長門の重要な思い出であり、『憂鬱』でキョンとデートした市立図書館で本を読んでいる彼女。男の子が女の子のカードを作ってあげるのを見た長門が、本を口元に持っていく。その口元はおそらく微笑んでいるのだろう。この心憎いばかりの幕切れは、全長門ファンの口元に優しい微笑を生み出すに違いない。




では、本編では流れないのですが、長門ファンの中ではおそらく心のなかでずっとこだましていたであろうこの歌を

TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」 キャラクターソング Vol.2 長門有希TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」 キャラクターソング Vol.2 長門有希
長門有希(茅原実里)

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ああ、早くもう一回観たいです!

早くブルーレイになって欲しいです。(追記:12月18日待望のブルーレイ化決定!)





    


<涼宮ハルヒの微笑>

長門ファン感涙のファン・ノベル(長編)

<長門有希の喪失>

<From dusk till dawn of the deadさん>