「小池さん」

森達也「なぜ彼はいつも作業着なのか」http://diamond.jp/series/mori/10019


タイトルだけを見て、日本の政治家が災害現場視察に行くときの、あの作業服(正式には防災服というらしい)のことかと思った。このお約束を拒否し、金正日風のブルゾンを愛用しているのが石原慎太郎。しかし、内容は金正日の話。


とにかく時おり金正日のことを考える。でっぷりと太った体躯。度の強そうな眼鏡。髪は猫っ毛で天然パーマ。テレビなどで彼の映像を見るたびに、藤子不二雄の漫画「オバケのQ太郎」に登場した小池さんを思い出す。年齢的にもきっと金正日と小池さんは近い。あの調子で大好物のラーメンを食べ続けていたならば、今ごろはまさしくあんな体躯になっているだろう。そういえば小池さんも、いつもしかめっ面で何となくヒステリックだった。部屋でラーメンを食べているときに騒動に巻き込まれてよく怒っていた。
というパラグラフだけでも読む価値がある。
後は、少々の突っ込み、その他。
「中国やベトナムなどでかつて流通した人民服は、中国人民解放軍の軍服が元になっている」。実は、中日辞典を引いても、「人民服」という言葉は出てこない。「人民帽」というのは出てくるが*1。漢語では「中山装」と呼ぶ。その名の通り、そもそも孫中山が考案した国民党の制服で、抗日戦争下におけるナショナリズムの高まりとともに、一般でも着られるようになった。さらに、そのヒントとなったのは日本の学生服。それから、日本では混同されているようだが、かつて中国の労働者や農民が着ていたのは「工作服」と呼ばれ、これは日本語に訳せば作業服である。パンク・バンドのアナーキー*2も着ていた、国鉄労働者の菜っ葉服に感じとしては近いか。
それから、最後のところで、「洗脳」云々という話が出てくる。「洗脳」言説或いはマインド・コントロール言説そのものに関して、根柢的な批判を加える必要があると思っている。倫理的には、マインド・コントロール言説は、個人の自己責任を免除し、免除することによってその個人を非−人間化するものである。人間学的には、それは、外的な刺戟を自らの側の枠組を使って再構成するという人間的能力を否認するものである。
ところで、

数年前の北朝鮮脅威論がいちばんピークのころ、テレビ番組でハングルの翻訳をよくやっていた知人が、「翻訳の方向性が変わってしまった」とこぼしたことがある。

「変わったってどんなふうに?」

「たとえば一般の住民が金正日について語るとき、普通に『首領さま』と言っているのに『偉大なる首領さまである金正日同士』にしてくれとか、『決められたことだから仕方がない』と言っているのに『わが国のためだから当然だ』にしてくれとか、とにかく攻撃的なコメントに加工されるんだ」

「でもハングルをわかる人は日本にだってたくさんいるのに」

「だからボイス・オーバー(吹き替え)だよ。もとの音はアフレコでつぶして消してしまう」

これはひどい。強制的な誤訳。ただ、このような捏造というか強制的な誤訳をしなくとも、北朝鮮が「ヒステリック」だということは、あの北朝鮮のアナウンサーの語気を聴けば、仮令朝鮮語がわからなくても、感じ取れるだろう。チャールズ・チャップリンが『独裁者』でやったハナモゲラ独逸語のように。勿論、韓国のTVの語気を聴いたり、実際に韓国人に接すれば、朝鮮語そのものが「ヒステリック」な言語でないことはすぐにわかる。
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さて、金正日について感じている疑問がひとつあるのだが、不思議なことにこれについては、ウヨもサヨも全く疑問に感じていない、或いは全く関心がないように思えるのだ。金日成の息子が金正日で、金正日の息子は金正男金正雲。この名前の連鎖を見て、中国文化に親しんだ人なら奇異な感じを受けるだろうし、日本文化に親しんだ人ならば近しさを覚えるだろう。中国人(少なくとも漢族)にとって、息子が父親の字を共有することは考えられないことだ。文化大革命以降かなり崩れてはいるが、中国の伝統的な命名秩序においては、同族における世代毎に共有する字が定まっており、異世代間で字を共有することはない(「輩行字」*3)。逆に、日本だと、息子が父親の字を継承することは普通であり、徳川将軍には、徳川家康とか徳川家光とか徳川家茂とか、「家」を共有する人が多いこと、足利将軍には、足利義満とか足利義政とか足利義昭とか、「義」を共有する人が多いことを、誰もが知っており、そのことを誰も奇異には思わない。とにかく、朝鮮文化における命名秩序について何も知らないことに気づいた。

*1:これも「解放帽」の方が一般的。なお、あのモス・グリーンの中国特有のズックは「解放鞋」。

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090325/1237951018

*3:「輩行字」については、取り敢えず上田信「村に作用する磁力について――浙江省勤勇村(鳳渓村)の履歴――」(in 橋本満、深尾葉子編『現代中国の底流』行路社、1990)pp.140-141を参照のこと。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081127/1227780946