ビョークの「Mind Tree」(3)- 18歳の時、「ククル(魔術)」というバンドで、偏狭な精神構造を破壊する

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英国のパンク・ムーブメントの刺激を受ける

▶(2)からの続き:
12、3歳の(1977年前後)好奇心旺盛で音楽に高感度な少女が、海の向こうのイギリスを発信地にしたパンク・ムーブメントの大波を受けるのは時間の問題でした。ビョークが髪を短く刈り込んで、眉毛をすっぱり剃り落としたのは、13歳の時1978年のことでした。ビョークは、3人の女友達に声をかけ、「スピット・アンド・スノット」というパンクの風に反応したグループを結成したのです。レイキャビク辺りで、何度か演奏したようです(サウンド・テープは残っていない)。しかし、アイスランドの自然や民話に心根で深く感受しながら、クラシックやユーロポップやジャズ、ロック、ポップ、パンクのサウンドに敏感に感応することができる感覚を持ちえるのが、まさにビョークビョークたるゆえんです。ビョークウィキペディアの基本情報のジャンルのコーナーには、「Pop, Rock, Electronica, Alternative Rock, Dance, Jazz, Trip-Hop, Classical」と記載されいかに多ジャンルに感応し、関心をもってきたかがわかります。ちなみにマドンナの同じコーナーは「Pop, Rock」だけです(マドンナは22歳の時ミュージシャンに目覚めるまでずっとダンサーであったので、音楽的関心は狭い範囲でしかなかった)。ビョークは幼少期からもうほとんどシンガーであってみれば、そのプロセスの相違は歴然としています。

10代半ば、地元アイスランドでバンドをつくったり、バンドに誘われたり

マドンナがチアリーダーからダンスに目覚めるはるか年少期に、ビョークはパンクやスラッシュ・メタルに刺激を受けバンドをつくった後に、実験的なジャズ・ファンクのコンボ「エクソダス」をつくり、これまでに受けた音楽教育と浴びた音楽を生かすことに挑戦しはじめています。この挑戦する姿勢が、他の地元のミュージシャンたちを巻き込んでいきます。「エクソダス」とステージをもつことになったエイソール・アルナルドスも、この時のビョークに一撃をくらい目をつけることになったといいます。このアルナルドスは、ミニ・アルバムとアルバムの2枚を出していた「タッピ・チーカラス」のギタリストでした。ウィリアム・バロウズを思わせるカット・アップ手法による歌詞と創造的で遊戯的なサウンドをつくりだすこのバンドは音楽を何よりも楽しんでいました。アルナルドスは直感的にどうしてもビョークの存在が自分たちのグループを活性化させるとおもいビョークを説得しました。

18歳の時、「ククル(魔術)」というバンドで、偏狭な精神構造を破壊する

「タッピ・チーカラス」は、アイスランドではかなり名を出しましたが、アルナルドスの音楽が別の所に向かい(チェロの習得)バンドは解散(1983年)します。ビョークはこのバンドで試すことはすべてトライしてみたと解散を受け入れ、レイキャビクで幾つかのバンドと共演しはじめます。地元のオルタナティブ系のDJからラジオ番組への出演依頼がよせられのが次のステップへの契機となります。その番組で偶然顔を合わせたミュージシャンたちと新たなバンド「ククル」を結成することになったのです(かつてのプルクル・ピルニックやセイルのメンバーら6人編成)。ククルの意味は、アイスランド語で”魔術(魔力)”です。そしてこの「ククル」が、ビョークの「マインド・ツリー(心の樹)」を、自生では樹木が育たない極寒のアイスランドの地に、その名前「ビョーク=樺の木」のように、しっかりと大地に根を張らせ、幹を太く空高く立たせたのです。歌の魔力が、地球上の人々のイマジネーションの中で、「マインド・イメージ」のなかだけでみえる「樺の木」を見させることになるのです。
バンド「ククル」で、ビョークは自身の魂が反発している”偏狭な精神構造”にケリをつけます。そうした精神構造が生み出す”凡庸さ”や”俗物的なもの”、”物質主義”に敵対する狼煙(のろし)をあげ、破壊すらしようとしていきます。ロンドンを拠点にするアナーキスト・パンク・ユニットの「クラス」とつながりがあったことでもその姿勢ははかれるでしょう。最も悪戯心やユーモアのセンスも忘れてはいませんでしたが。ちなみにこのバンドではヴォーカルはエイナル・オルン・ヴェネディクトソンとともに2人で、1984年にアルバム「ジ・アイ」、1985年にアルバム「ホリデイズ・イン・ヨーロッパ」を制作、アイスランドニュー・ウェイブサウンドとして認知され、イギリスのパンクバンド「クラス」とともにヨーロッパをツアーをしています。

21歳、妊娠、子供を産む。「出版社」をつくり、ハプニングやアートを演出する

そしてビョークレイキャビクのミュージシャン仲間でボーイフレンドのソール・エルドンの子供を宿します。ビョークは妊娠7カ月まで活動を続けましたが、メンバー数人の飲酒がたたって「ククル」は解散します。ビョークはショックで取り乱し何日も泣き続けたといいます。1986年6月、ビョークは長男シンドリを出産。ソール・エルドンと結婚すると、「ククル」のエイナル・オルンとともに「バッド・テイスト・リミテッド」を結成。じつはこれはバンドではなく、なんと「出版社」でした。「出版社」といっても変わったカンパニーで、さまざまに演出されたハプニングや前衛的なアート活動は、レイキャビクのアートシーンを熱くしました。ほどなくして音楽活動をする「シュガーキューブス」を結成します。ヴォーカルはビョークとエイナルの2人が担当、デビューシングル「バースデイ」は、様々なアート活動から生みだされた曲といってほど前衛的な曲でした。
ビョークは、世界中のどこにいようがアイスランドはずっと潜在意識の中にあると語っています。アイスランドの自然の風景、とくに海は、ビョークの歌詞において永遠のテーマになっています。そこがビョークの「心の樹」の住処であり、ビョークの魂が拠り所とする場所です。セカンドアルバム『ポスト』は、ヴォーカルのほとんどを海岸で録音しています(録音場所はカリブ海でしたが、海水の中で座ったり、うずくまったり、駆けまわりながらヴォーカルをテープにおさめた)。それはビョークの念願だったといいます。

サガや民話を題材にした曲が多い理由

またビョークアイスランドのサガ(伝説)や民話を題材にした歌詞を多くつくっていますが、それはアイスランドが700年間、デンマークの植民地になり、その間、ダンスや音楽の演奏は許されずアイスランド人は不当な扱いを受けてきた歴史への気づきから生まれでているものです(チベット問題などビョークが積極的に声をあげるのもそうした自国の歴史の反映がある)。ビョークの声の独特なトーンや歌い方は、歌うのでもなく、また話すのでもなく、その中間のものだそうです。その歌唱方法は、文学的でもあるアイスランドのトラディショナルな曲にぴったりはまるものだといいます。
見事にそして複雑に「樹冠」をひろげたビョークの「マインド・ツリー(心の樹)」は、まさにビョークの脳の構造の反映となっています。ビョークは「頭の中にまるで小さな食器棚のように小さな仕切りがたくさんあって、そのなかにアイデアをしまっておけるの」と語っています。さまざまな記憶や体験はアイデアの種ともなり、またそれぞれが連結され、そこに新たな刺激と環境の変化がくわわり、ビョークの「マインド・イメージ」はつねに更新され、革新されつづけるのです。

・参考文献『ビョークの世界』イアン・ギティンズ著/中山啓子訳/河出書房新社2003年刊