「平和」という危険思想

ガンジーの危険な平和憲法案 (集英社新書)

ガンジーの危険な平和憲法案 (集英社新書)

 まず誤解を恐れずに書いておくと、私は九条護憲派である。九条護憲派と言うよりは、全ての軍隊・軍事行為(テロ活動含む)を憎む。広義の意味ですらない、軍隊そのものである自衛隊の存在にも反対だ*1。話してわかり合えない人間などいないと信じている。話が通じないとすれば、両者のいずれかまたは両方が未熟なだけだと信じている。
 「平和思想」というのは、突き詰めると実に危険で厄介な思想である。世界中の国家が軍隊を持ち、その中には虎視眈々と他国の領土や利権を狙う国も存在する。そんな中で、戦争の放棄と恒久平和を国是とする日本という国の立ち位置は非常に微妙かつ危険であるし、はっきり言って現実的ではない。周囲の国からすれば、扱いにも困っている事だろう。九条があるがために出来ない事も多いし、結果としてスペック通りの性能が期待できない自衛隊の有りようなど国防上の問題も抱えている。しかしそれでも、日本だけでも戦争放棄恒久平和を訴え続ける価値、というのはあると思うのだ。
 というわけで、自分の政治的立ち位置を簡単に表明した上で本書の紹介をしたい。
 完全非暴力という特異な独立闘争の果てに独立を勝ち取ったインド。しかし、独立後インド国民会議は軍隊を持つ「普通の国」としての道を選択する。現在、インドは中国に次ぐ軍事大国としてヒマラヤを挟んで中国とにらみ合う形になりつつある。しかし、ガンジーは九条とも全く異質な独自の「平和憲法案」を持っていた。
 本書は、ガンジーが持っていた、そして独立時に黙殺された平和憲法案をクローズアップし、その精神を金融資本主義が崩壊し九条の有りようにも是非が問われている現代日本へと突きつけている。
 では、ガンジー平和憲法とはどういう物だったのか。それは、非常に独特で、かつ危険な平和思想に基づいている。ガンジーは旧来からの国家の枠組みを「濃縮・組織された暴力。国家は魂のない機械」「国家は存在理由自体が暴力に由来する」と断じ、その枠組み自体を批判する。その代案として「パンチャーヤット統治」という思想を展開する。パンチャーヤット統治というのは言わば数十万人規模の共同体にそれぞれ自治権を与え、警察・自衛・産業を自己運営させる。国家全体としての軍隊は解散する。国家規模の暴力に国民全員が協力しない事によって、他国との戦争も発生しないというものだ*2。この、究極的な地方分権主権在民を数億人規模の国家でやろうというのである。軍隊という暴力装置が国家に必要ならば、その国家の枠組みそのものを破壊し新しい物を軍隊無しで再構築する、というSFアニメ級の危険思想である。
 私は本書で始めてこの思想に触れたのだが、頭がくらくらするような衝撃を受けた。ガンジーが決して『聖人』などではなく運動家であり、そして弁護士である事を思い出した。ガンジーが政治運動家として明らかに「独立したその後」を見据えていた事が伺える。
 そして、本書ではこの思想を現代日本に活かす事はできるだろうか、という補論まで語っている。補論では、この危険な平和思想を現代でそのまま実現可能とは思わないが、一つの「平和の仕組み」としてある種のリアリティを持って迫ってくると語っている。
 私も、平和を維持するために軍隊を保持する、という矛盾が正当化されている現代において、道しるべとまでは行かないまでも一つの参考意見として再考する価値のある主張・議論ではあると思う。
「日本を『普通の国』にしよう」などと、さも軍隊を持つ事こそが『普通』であり『正しい・当然』としたり顔で語る風潮が現れ始めた日本において、「平和」ということについて再考するのに非常に役立つ一冊であった。おすすめ。

*1:必要悪として自衛隊の存在が有益かつ必要なのは認める。自衛隊を持たざるを得ないこの世界のありようそのものを憂える、という意味だ。

*2:多少の小競り合いは発生し、もしかしたら死者も出るかも知れないが、国際ルールに基づく戦争に荷担しない事によって最終的に戦争は継続されないであろうという考え方。当然パンチャーヤット単位でのゲリラ戦が発生するが、やがて泥沼化するのを忌避して侵略者は去るだろう、という非常に危険な考え方である。要は軍事力を完全に放棄するのではなく、暴力装置である国家ではなく民衆みんなで保持する事によって暴走を防ぐ、という考え方だと理解した。

四年ぶりの新刊

よくわかる現代魔法 6 Firefox! (スーパーダッシュ文庫)

よくわかる現代魔法 6 Firefox! (スーパーダッシュ文庫)

 たいして人気シリーズというわけでもなかったはずなのに、今さらながら突然アニメ化されてしまった「よくわかる現代魔法シリーズ」四年ぶりの新刊。
 舞台は魔法が科学に近い形で体系化されている近未来の日本。この世界には、二つの魔法体系が存在している。一つは個人の超能力や魔力、マジックアイテムによる奇蹟によって構築されている旧来からの『古典魔法』。もう一つは本来扱うのに特殊な才能が必要な呪文(コード)をコンピューターに代理演算させる事によって普通の人でも体系的に扱うことのできる『現代魔法』。『現代魔法使い』はコンピューター言語によってゴーストスクリプトという呪文・呪式を組み、コンピューター上で走らせて魔法を使うのである。
 ファンタジー+サイバーパンクというこの設定だけで既にわくわくするほど面白いのだが、なぜか肝心の小説はそれほどでもなくて*1、実際シリーズの人気もさほどではなかった。いや、個人的には大好きだったんだけどね。何はともあれ、アニメ化に伴うシリーズ復活続行を喜びたい。
 当代随一と誉れ高い現代魔法使い・姉原美鎖の下で現代魔法を習っている新米魔法使い・森下こよみの前に、謎の魔法生物・firefoxが現れる。電脳ペットとしてこよみの下に棲み着いたfirefox・プーさんと共に憧れの使い魔ライフが始まるが・・・。
 久しぶりの新刊という事で、前半半分はほぼキャラクターの改めての紹介で構成されている。ということで、前巻までを本棚から引っ張り出してこなくて済む親切設計。ただまあ、当然内容はそのぶん薄まっているのだがまあ致し方なし。というか、今回は単にファイヤーフォックス出したかっただけなんじゃないかとすら思う・・・。
 後書きを読む限りでは次巻以降も続きそうなので(壮大な打ち切りフラグは立っているのだが・・・)、まあ首を長くして待ちます。

*1:2巻だけは年間ベスト級に面白かったと思うけど