(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

若者レジャーの問題は可処分所得の問題である - 「レジャー白書 2008」を読み解く

「貧困化」という言葉に悪意を感じてしまうんだけど。

若者の余暇の過ごし方が「貧困化」していることが、社会経済生産性本部の08年版「レジャー白書」で分かった。余暇の楽しみ方の種類が、10代は10年間で3割近く減った。生産性本部は、将来のレジャー産業の市場規模を縮小させる可能性があると指摘している。

http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY200808160290.html

お約束のように「痛いニュース」ではフルボッコ

朝日発の伝統芸能の味わい。
とはいえ、内容が気になったので、データをあたってみることにした。

……ちょっとこれだけじゃわからんなあ。このデータだけじゃ何とも言えない。そこで買うことにした。

5,000円。高い。orz
しかも現時点でAmazon取り扱いなし。電話で取り扱い書店を聞いたら、渋谷の社会経済生産性本部で直接売ったるということなので、渋谷まで行き、買ってきた次第。

「貧困化」をアピールするのは意図的な釣り

まず最初に「貧困化」という言葉についてだけど、レジャー白書を見る限り、この言葉は見出しに使われているわけでもなく、太字などで強調されているわけでもなく、文章の中でさらりと組み込まれる言葉であって、たいした意味合い自体はない。

◆「選択投資型余暇」の時代

  • 91 種目の余暇活動定点観測種目について見ると、一人の人が1年間に経験する余暇活動種目数は、この10年で17.8種目から14.5種目に縮小。特に10代の若年層を中心に余暇活動の“絞り込み”の傾向がはっきり見られた。若年期の余暇経験の貧困化は、この層の中高年期における活動低迷につながる恐れがあり、将来の余暇需要のいっそうの縮小が懸念される。
レジャー白書 2008記者発表文

記者発表文にもこのように使われているように、単なる表現。白書全体でも、同様の説明箇所に登場するだけの言葉。なので、この「貧困化」という言葉を意図的に見出しに持ってきて、さも貧困化が問題であるとか、また、そうした問題意識を殊更に煽るのは、レジャー白書の文脈にも反する行為と思われる。意図的な釣りと判断して差し支えなし。
またレジャー白書では、

若年期の余暇経験の貧困化は、この層の中高年期における活動低迷につながる恐れがあり、将来の余暇需要のいっそうの縮小が懸念される。

レジャー白書 2008記者発表文

としながらも、現状が貧困化であるかどうかの言及は避けている。

特に10代の若年層を中心に余暇活動の“絞り込み”の傾向がはっきり見られた。

レジャー白書 2008記者発表文

余暇活動種目数が減っている現象を、わざわざダブルコーテーションをつけて“絞り込み”とし、貧困化には言及していない。
つまりレジャー白書の趣旨としては、

  • 余暇活動の種目数は減少傾向にある。
  • 特に10代の若年層にその現象は顕著である。
  • 10代の若年層に余暇活動の“絞り込み”の傾向がはっきり見られる。

が本筋であって、貧困化のくだりは「この現象が貧困化であれば」という留保条件つきの話であると考えるべきだ。なので、そうした留保条件つきの話を中心にすえる記事編成は、話の本筋を意図的にはずしているとしか思えない。いわゆる「アサヒる」としか説明がつかない行為に思えますな。
(ちなみに、レジャー白書の調査では15歳以上を対象にしている。そのため、10歳から14歳までの回答はなく、10代を構成する半数は結果に反映されない。その点も考慮する必要があろう)

本当に若者の余暇は「貧困化」しているのか?

続いて本論の部分について。レジャー白書の要約では、余暇活動種目数の減少を根拠に、“絞り込み”の傾向があることを指摘している。

1997年 2007年 減少個数 減少比率
全体 17.8 14.5 -3.3 -18.5%
10代 21.6 15.6 -6.0 -27.8%
20代 18.7 15.2 -3.5 -18.7%
30代 19.2 15.7 -3.5 -18.2%
レジャー白書 2008要約

なるほど、このデータを見れば10代だけ異様に減っている。減っているが……このデータはずるい。何故なら、他の年代別のデータも本当はあるからだ。

(「レジャー白書 2008」p.102)

1997年 2007年 減少個数 減少比率
全体 17.8 14.5 -3.3 -18.5%
10代 21.6 15.6 -6.0 -27.8%
20代 18.7 15.2 -3.5 -18.7%
30代 19.2 15.7 -3.5 -18.2%
40代 17.9 14.8 -3.1 -17.3%
50代 16.2 13.8 -2.4 -14.8%
60代 16.0 13.3 -2.7 -16.9%
70代以上 12.2 11.7 -0.5 -4.1%

なんてことはない。全年代で減っている。軒並み減っているのだ。つまり“絞り込み”が起きているのは若年層だけではなくて、全年代での現象。日本全体での話。
また、そういう話になってくれば10代の減少も説明できる。誰が10代の余暇のお金を出しているか。これを考えれば明らかな話。要するに親だ。上の世代だ。で、親が絞れば、上の世代が絞れば、親のサイフに依存する10代は当然影響を受ける。受けまくる。親が遊ばない以上、子も遊べないという現象はある意味で健全でありますまいか。
それにだ。なんだか余暇をエンジョイしているイメージがあるシニア層でさえ減少しているわけだ。50代・60代は13台。70代以上に至っては11.7。一方、10代は大きく減少しながらも、それでも全体で2位の15.6。むしろシニア層の余暇の「貧困化」の方が問題にも見える。元々余暇の種類が少ないのに、さらに減らしているわけですからね。もっと遊んだ方がいいんじゃない?

余暇消費から携帯電話へ

ただ、深刻に受け止めるべきデータがないわけではない。種目数より、こっちのデータの方がよっぽど問題。年代別の余暇消費額の統計がある。

(「レジャー白書 2008」p.105より抜粋)

全体 10代 20代 30代 40代 50代 60代 70代
年間余暇消費総額 1997年 465,060 508,970 453,010 444,480 477,230 474,820 468,980 439,530
年間余暇消費総額 2007年 463,120 178,050 382,840 455,700 481,420 541,820 561,800 434,470

40代から60代は額を増やしている中、若年層、特に10代の落ち込みがヒドい。3分の1って。これは深刻な数字だ。
10代をもっと詳しく見るとこんな感じ。

(「レジャー白書 2008」p.105より抜粋)

1997年 2007年
スポーツ部門 65,400 25,250
趣味・創作部門 82,350 47,790
娯楽部門 131,260 35,050
観光・行楽部門 229,880 69,960

この10代の落ち込みについて、レジャー白書では次のように指摘している。

(「レジャー白書 2008」p.106)
特に落ち込みの大きい観光・行楽部門では97年の支出額が約23万円と目立つが、これはファミリーでの観光・行楽等における親の支出を含めて回答したものと考えられ、必ずしも自分自身の可処分所得=「お小遣い」からの支出を考える必要はない。むしろ、親の余暇支出の減少とファミリーのレジャーの縮小を示したデータともいえる。
また、先にみた「余暇種目経験数」の推移ともシンクロする動きであるが、10代では4部門すべてにおいて余暇消費の減少がみられる。その背景には、やはり携帯電話にかかる費用が「お小遣い=余暇費用の余裕」を大きく圧迫していることが想定される。

こちらの統計によると、1ヶ月の携帯電話料金の平均は6,105円。

携帯電話代は従来の余暇分類に入らない。そのため、この額が増えたことで、余暇にまわすお金が減ったという分析は、妥当なものかと思われます。実際、この10年で利用者は爆発的に増え、1人1台になってますからね。

携帯電話・PHS・無線呼出しの累計加入者数
1997年12月末 28,744,000
2007年12月末 100,524,700

この数値を見る限り、この10年で10代にも携帯電話がある程度行き渡り、その分の消費があることは容易に推測できるわけで。なので、娯楽部門などの落ち込みも、「携帯電話を使った娯楽」というデータに出ないものに置き換わっていると考えられますな。余暇の敵は携帯電話。何もしてないわけじゃなくて、携帯にお金を使うようになっただけだし、親がお金を使わなくなっただけかも。

今後の余暇消費の課題は?

単純に言ってお金の問題ですな。お金があれば使う。お金がないから使わない。「使いたいけど使えない」という現状に問題があるわけで、可処分所得が増えれば使いますよ。そういうシンプルな話に思える。お金があって、その余暇が可能ならば、10代は遊びますよ。少なくてもその意欲はある。
その証拠にこんなデータがある。余暇活動の潜在需要。やりたいと思っている率(参加希望率)から、実際にやった率(参加率)を引いた数字。これの男性10代の上位10種目を見ると、かなりの潜在需要があることがうかがえる。全体と60代以上を比較することで、ますますそれが浮き彫りとなる

(「レジャー白書 2008」p.15より抜粋)

全体種目 全体% 10代種目 10代% 60代以上種目 60代以上%
1 海外旅行 32.7 海外旅行 43.2 海外旅行 17.7
2 国内観光旅行 20.9 国内観光旅行 23.5 国内観光旅行 14.1
3 音楽会、コンサート 9.3 ドライブ 16.0 釣り 7.8
4 陶芸 8.8 スキン・スキューバダイビング 12.3 観劇 6.3
5 オートキャンプ 8.5 オートキャンプ 12.3 演芸観賞 5.7
6 観劇 8.0 スノーボード 11.2 囲碁 5.7
7 スポーツ観戦 7.2 ゴルフ(コース) 11.1 催し物、博覧会 5.7
8 ピクニック、ハイキング、野外散歩 7.0 スキー 11.1 登山 5.4
9 水泳(プールで) 7.0 釣り 9.9 パソコン 5.1
10 料理 6.8 登山 8.6 絵を描く、彫刻する 5.1

全般的に10代の数値は高く、60代以上の数値が低い。ということは、10代は大きく余暇消費を増やす可能性があるのに対し、60代以上にはその余地が少ないことを示している。
また、内容にも注目されたい。10代の場合、その行為自体が高額である(海外旅行など)、道具代が高い(スキー・ゴルフなど)、免許が必要である(ドライブ・ダイビング)などのように、余暇を楽しむことに金銭的・年齢的な制約があって、「やりたいけどやれない」ものが上位にきているのに対し、60代以上の場合、観劇や演芸観賞、囲碁など、それを実行することが容易な種目が並んでいる。「やれるのにやってない」ものが多いわけだ。
この傾向は女性でも見られる。

(「レジャー白書 2008」p.15より抜粋)

全体種目 全体% 10代種目 10代% 60代以上種目 60代以上%
1 海外旅行 34.6 海外旅行 41.5 海外旅行 17.9
2 国内観光旅行 21.8 国内観光旅行 20.7 国内観光旅行 14.9
3 陶芸 11.2 スキン・スキューバダイビング 17.0 陶芸 6.7
4 音楽界、コンサート 11.1 動物園。植物園、水族館 15.1 水泳(プールで) 6.5
5 水泳(プールで) 10.1 遊園地 15.1 催し物、博覧会 5.2
6 観劇 9.3 料理 13.2 体操 5.0
7 料理 8.0 スノーボード 9.4 パソコン 4.4
8 オートキャンプ 7.1 宝くじ 7.6 絵を描く、彫刻する 4.4
9 ピクニック、ハイキング、野外散歩 6.7 編み物、織物、手芸 7.5 ピクニック、ハイキング、野外散歩 4.1
10 書道 6.7 サーフィン、ウインドサーフィン 5.7 卓球 4.1

種目はだいぶ異なり、女性的なもの(料理・編物など)、女性ひとりでは厳しいもの(動物園・遊園地・宝くじなど)が入っているが、数値の傾向と、60代以上の容易性は変わらない。
つまり、今後の対策としては、若者に対しては使えるお金を増やす。具体的には年収の増加。これに尽きる話で、「使って欲しけりゃ、金をくれ」。そして60代以降には、やりたいと思っているものに対し、如何に最初の一歩を踏み出させるか。きっかけを如何に多くつくるか。こういうところに尽きるのではなかろうか。

結論

  • 余暇の「貧困化」の問題はうかがえない。
  • あってもそれは“絞り込み”であり「選択と集中」と思われる。
  • 若者の余暇消費が減っているのは携帯電話によるところが大きい。
  • 若者に余暇消費の意欲はある。
  • 問題は余暇を楽しみたくてもできない点にある。
  • 即ちそれは可処分所得が増えないことにある。
  • 若者の給料を上げ、雇用を増やせば解決する話。

こんなところがワタクシが読んだ限りのところであります。以上です。

タケルンバは海外進出すべきであるという三段論法

何故か名指しされたんですが。

こういう三段論法のようだ。

前提1.アメリカでは「雑でラフでタフな感じ」だとモテる。

雑でラフでタフな感じ、が女性にもてるアメリ

ゲイダーの発達 | On Off and Beyond

ああ、確かにアメリカの女性には、優男よりワイルド系がモテるなあ。マット・ハーディーがど真ん中という話を聞いたことがある。

日本だともっと色男が人気あるんだけどね。

前提2.タケルンバは雑でラフでタフである。

雑で ラフで タフである
うちの彼
×
id:takerunba
アメリカのモテ - チョコっとラブ的なにか

……雑認定ありがとうございます。ええ、雑ですよ。雑真っ盛りですよ。
そしてもちろんラフです。六田登以上にラフです。あだち充以上にもラフです。
タフであることは言うまでもありません。「山タフ」こと敬愛する山崎拓先生よりもタフであります。ワタクシの昔の日記には、こんな名言が載っておりました。

「オナニーはチンチンの筋トレ」

Lord TAKERUNBA on Twitter: "3年前の8/18付日記を見たら「オナニーはチンチンの筋トレ」と書いてあった。なんという名言。"

レーニングを欠かさないオレはタフ以外のナニモノでもありません。問題は、その鍛えた筋肉を対外的に使う機会に恵まれないことくらいでしょうか。

結論.タケルンバアメリカでモテる。

タケルンバさん、あなた大柄だし、アメリカではモテですよ!モテモテですよ!!もう渡米するしかないかも。

アメリカのモテ - チョコっとラブ的なにか

……確かに海外ではモテるんだよな。国内ではサッパリなのに。アメリカの女性とはあまりお知り合いになったことがないのだけれど、カナダとかオーストラリアの大柄な留学生には何故かモテる。この「大柄な」がポイントね。デカいんだよ。ポッチャリじゃないんです。松下由樹をさらにデカくして、胸を硬くして柔道着を着せた感じの子にモテる。青のカラー柔道着を着た重量級の方々をイメージすると吉。そういう層に絶大な人気がある。……何故だ。袈裟固めにして押さえ込んでくれよう。逆に縦四方固めに押さえ込まれ、クンカクンカされそうだが。
逆に中華系にはあまりモテない。基本的に彼奴らはナヨナヨした感じの優男好きだからなあ。日本も同様だけど。腐女子という点で日本と中国の女性人は、かなりわかりあえると思う。801需要はかなりのもの。ボーイズラブに描かれるような少年が大好きだからね。オレとは対極の需要。勝負できません。
あとモテるのはタイ。タイでは大人気なのよ、奥様。ま、基本的にどこに行ってもタイ人に間違えられるわけで、タイの人にとっては馴染み深い顔である上に、タイ人としては色白。日本人なのだから色白で普通なのだが、なにしろ向こうはオレを同胞と思って見ているので、「色白のイケメンタイ人」と勘違いしているケースがある。……日本人なだけなんだが。ここで「チェンマイから来ました」的なネタを挟むとバカウケ。日本では色白美人の産地と言えば秋田だけど、タイで言えばチェンマイ。それを知ってのジョークなわけで、鉄板ネタだ。
そして一番モテるのは、何故かインド。インドではポッチャリ体型が人気なのだが、オレはそういう意味でストライクど真ん中らしい。……どんなストライクゾーンだ。まだインドには行ったことはないが、どこの国でもインド系の人にはモテる。確かに貴族ではあるが、それを通り越してマハラジャ扱いである。王様である。
あとオレは向こうのスーパースター似らしい。

ムトゥ 踊るマハラジャ」の人。やっぱりオレは歌って踊れる貴族であり、日本を出ればモテモテなのであり、早く世界進出すべきなのだと思った。……本当は日本の小柄なかわいらしい女の子にモテたいんだけどなあ。需要と供給は一致しないもんである。無念。

映画の見方は全部正解

答えはひとつじゃないかねえ。「全部正解」。

映画でも音楽でもお笑いでも、受け手はいろんなことを思う。感じる。考える。虚心坦懐だろうが悪意があろうが、誠実であろうが不埒であろうが、マジメであろうがフマジメであろうが、とにかく何かを思ったり、感じたり、考える。そしてそれはすべて正しいと思うんですよ。正しい。正解。優劣もなにもない。それがその人の感情である限り、それに上下はつけられない。
上下があるとするならば、自分として受け入れられるかどうかの問題。ある感情が自分にとってどうであるかの上下であって、それは本質的な価値の問題じゃない。「ある人の見方を自分はどう思うか」であって、それは世間的な評価とは関係ない。人に対する個人の評価。
なので予断があってもなくてもいいし、あったところで間違いにもならない。また、予断がないとしてもそれが絶対的な正解であるということもない。全部が正解なのであって、それもまた正解のひとつというだけ。人の数だけ、シチュエーションの数だけ正解がある。すべて正しい。何もかも正しい。
またこれは批評についても同様。ある批評はあらゆる正解のなかのひとつに過ぎない。絶対的に正しくもないし、かといって絶対的な間違いでもない。どんなに偏っていても、それがその人の見方であれば正しい。ワタクシはどんな見方をしようとワタクシの勝手であるように、その人がどう見ようとその人の勝手。偏っているからといって間違いじゃない。偏りは正解ではないとする理由にはならない。あらゆる主観の価値は同値のはずで、それをくつがえすのであれば、自分が他者を否定するように、自分もまた他者に否定されるリスクが出てきませんかね。
それにあらゆることって、絶対的に正しいこと、絶対的に間違っていることは存在しないようになってるんですよ。何でかと言うと、絶対的に正しいこと・絶対的に間違っていることは証明できないから。「絶対的に正しいこと」はたったひとつの間違いで崩れる。「絶対的に間違っていること」はたったひとつの正しさで崩れる。絶対的なことは絶対に証明できないのですよ。たったひとつの事例で崩れてしまうので。
なのでこういう価値観の問題は、それを是とするたったひとつの価値観や、それを非とするたったひとつの価値観で簡単に崩れてしまうので、正しい・間違いの仕分けをしないに限りますよ。

「あらゆる見方はその人の中でのみ正しい」

こういうことにしておいて、人の価値観には踏み込まないことです。一般化できないし、普遍化もできない。あくまでそれぞれの一般化された概念があるだけで、必ずしもそれは共通されていないというところがポイントな気がしますな。

これこそは、まさにそうした予断を持ったことの弊害と言えるでしょう。その意味からも、映画を見る時には、作り手の意図や思惑を考慮しない方が良いのです。それは、映画の見方としてはやはり、「不正解」だと言わざるを得ないでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080818/1219044114

作り手の意図や思惑を考慮した方がその人にとってハッピーなら考慮した方がいいし、ハッピーじゃないなら考慮しない方がいい。それだけの問題な気がするな。もちろん考慮することを「『不正解』だと言わざるを得ないでしょう」と思うことは、そう思った当人にとっては正解だけど、それ以外の人にとっては正解も不正解もないわけで。その人の自由信条の問題でねえ。映画は好きに見ればよろしいかと。
自分の見方を貫けば、それは当人にとっては十分な正解だと思いますです。はい。

バカ胃袋はバカ朝食でつくる

食べ歩きを最近よくしているため、「よく食べますね」「強靭な胃袋ですね」「食いすぎです」「愛してる」「抱いて」などのコメントをいただいたりいただなかったりしている昨今でありますが、この食欲はどうも育ちに理由があるようでして。特に朝食に原因があるような気がしております。タケルンバ家の朝食は異常だったのよ。

朝から肉がデフォルト

父親がガテン系の会社をやっていたため、まあよく食うわけですよ。体力が資本の仕事です。食ってナンボ。で、また現場仕事なので朝が早い。朝食は6時台が普通。となるとタケルンバ家では朝もはよからカロリーガッツリ。会議なんかなくても、人と会わなくても、文字通りの「パワーブレックファスト」なのです。パワーが出る朝食なのです。
例えば朝からこんな感じ。

  • ナスとピーマンの味噌炒め
  • ステーキ
  • ほうれん草のおひたし
  • しらす干し
  • かぼちゃの味噌汁

朝食っぽさゼロ。朝からガッツリ。豚肉の生姜焼きとか、鶏の唐揚げなんかも朝から食べてたな。煮魚なんかも出てたし、ほぼ夕食と変わりないものを朝から食べてましたな。ガキの頃から。ええ、さわやかに食べてましたよ、肉を。揚げ物を。ハイカロリーどんとこい。
でもって、これを起きてすぐに食べるので、当然胃腸なんかも高速起動。「起き抜けは食べれない」なんて甘っちょろいことは言ってられんのです。目覚めたら即唐揚げインなのです。豚の角煮を食べるのです。ノドがかわいたら豚汁なのです。胃袋は目覚めた途端に動いてもらわないと困るのです。タケルンバ家では「目覚め即メシ」が基本。「小粋にコーヒーで体を目覚めさせる」なんて贅沢の極み。この世は常在戦場。食えるときに食わねばいつ戦闘に巻き込まれるやもしれぬ。そういう決意があるかの如くの目覚め即メシなのであります。

世間はなんとヘナチョコな朝食なのだ

で、こういう生活をしてると、自分の生活が普通だと思っておるので、世間一般の朝食事情を知ったときにはショックでしたな。「え?こんなヘナチョコなの?」ってなもんで。
誰かの家に泊まりに行く。朝食をご馳走になるものの、恐ろしくヘナチョコ。目玉焼きにトースト1枚。そしてコーヒー。
「足りるかヴォケー!」
ですよ。トーストのおかわり所望ですよ。6枚切り全部焼いて欲しいくらいだったものの、慎み深く1枚で我慢ですよ。……慎み深くない?
でも驚きだったのは、このヘナチョコ朝食(作ってくれたのに失礼だ)ですらみんな食べない、食べきれない。残しやがるんだよな。「起きたばかりだから食べれない」とかぬかしやがる。これがガキのときは信じられなくてねえ。
あとカルチャーショックを受けたのが、吉野家の朝定食の納豆定食。納豆・ご飯・ノリ・味噌汁。以上。
「足りるかヴォケー!」
オカズがないなんて信じられなかったね。世間はなんと貧しい朝食なのかと思いましたですよ。我が家はなんとリッチな朝食なんだろうかと。肉くらいつけろよ、魚出せよ、炒め物はどうしたってなもんですよ。納豆だけで終わりという朝食がこの世に許されるとは思いもしませんでしたねえ。それが商売になるとは。

牛定白大盛り

そういう異常朝食人間の育ちなもんで、例えば徹夜で麻雀なんかをする。麻雀を終えて、松屋で朝食。そこでオレが頼むのは常に「牛焼肉定食のご飯大盛り」なわけです。通称「牛定白大盛り」です。ヘナチョコな朝食なんて食ってられませんよ。松屋は肉を食うところ。朝だろうが夜だろうが肉です。牛焼肉定食なのです。無論、ご飯は大盛りなのです。異論は認めません。
ところが周りはテンションでオレに合わせるものの、思いっきり腹を痛めてるわけです。食えないわけです。で、そのうち朝の牛定白大盛りがネタになるわけですよ。オレは自宅で食べてるものを松屋で食べてるだけなのに、もの凄いことをしている目で見られる。このあたりからですな。タケルンバ家の朝食が異常だと思うようになったのは。「あ、世間では朝に肉はナシなんだ」と思ったのは。目からウロコでしたな。肉があって当たり前の環境で育つと。
こういう育ちなもんで朝からガッツリもいけるし、夜までガッツリいける。結果的に食べ歩き向きの体質になってしまったのは、どうもこの異常朝食生活にあったようです。「三つ子の魂百まで」と言いますが、ガキの頃からヤバイ朝食を食べてると、異常食欲のバカ胃袋人間ができるよというお話でした。