死刑賛成論の盛り上がりやいわゆる「左翼」や「人権派」の凋落は坂本弁護士事件が画期だった

  
 昨日から若干関わるのですが、本村に対する共感というのは、おそらく潜在的には昔から存在していたはずなんです。それがずっと大っぴらには言えなかった。それが言えるようになったのは何故なのかを考えます。
 実際にはあまり考えるまでもないと思っていて、きっかけは「朝まで生テレビ」があって、次に大きいのが「小林よしのりの登場」で、とどめが「オウム真理教事件」だったと思います。時系列ね。
 もちろん、ロシアを筆頭とする共産圏社会主義国の崩壊というのも大きな要因だったわけですが、それでも、共産主義社会主義は駄目だったが、民主主義や人権主義はいけると、不勉強な人達は目論んでいたわけですが、それも上手くはいかなかった、その理由とは。
 簡潔に言えば、オウム事件で、それも坂本弁護士事件で、いわゆる人権を売りにしていた弁護士の壊滅が、説得力を失わせたのではないかと思っています。
  
 それまで、国家による被疑者の扱いに対して、人権をフル活用して弁護や擁護をしようとしていた、良名悪名ともに高い神奈川の弁護士会福島瑞穂などの弁護士が、これまで訴え続けていた「疑わしきは罰せず」をかなぐり捨てて「オウムに突っ込め」と別件逮捕も微罪逮捕も認めるような勢いになっていました。
 疑わしきは罰せずどころか、福島瑞穂は自らが率先して「(地下鉄サリンは)オウムが犯人だと思っています。(坂本弁護士事件は)オウム以外に考えられません」などと、逮捕前から言っていました。
 微罪逮捕や別件逮捕など、彼らの普段の主張では到底容認できないなんてもんじゃないことを、この場合は止むを得ない、という感じで流して容認してしまいました。
  
 もちろん世間は、彼らほどは「人権意識」などという信仰心は高くありませんから、社会の安定のためには別件も微罪も、普段の自分の生活に関係なければ、緊急避難的に行われることなど気にしないどころかありがたがるわけですから、何の問題もありません。
 オウムなどの凶悪犯が野放しにされているよりは、警察権力のルール逸脱などかまやしないという点で、一般世間は常に一貫しています。
 しかし、それまで社会の安定や国民の生命よりも、警察権力の逸脱のほうを阻止する活動をしていた、いわゆる「人権派」の人たちが、多数、転向してしまったのです。
  
 その転向の理由が凄いです。
 「(坂本弁護士事件で)弁護士たちは大きなショックを受けました。弁護士が拉致されるという社会は凄い恐怖です。あの事件でオウムは弁護士を敵に回したんです」
 こう言うのは福島瑞穂弁護士です。
 私は、この発言も負けず劣らず、大きなショックで、凄い恐怖でした。いわゆる「人権派」は、この発言で社会を敵に回していると言えましょう。
  
 自分たちが狙われていない、自分たちとは関係のない市井の一般人が命を狙われているときには、人権や警察権力の抑制のほうが、一般人の命よりも重要だという活動をしていた人たちが、一度自分たちにも危険が迫るとなると、手のひらを返したように人権を無視して警察を嗾ける。
 自分たちは犯罪者の味方をしているわけだから、犯罪者に狙われることなどないと高を括っていたら、オウムはそれを破ってきたため、大きなショックを受け、凄い恐怖を感じているわけです。そして、守ってくれるはずの弁護士を「敵に回した」と曰うわけです。オウムも弁護してやれよ。
  
 私には俄かには信じられない感覚なんですが「弁護士が拉致されるという社会は凄い恐怖です」って、弁護士に限らず、誰であろうとも拉致されるという社会は凄い恐怖ですよ。
  
 自分たちだけは、犯罪者を守る職業だから、犯罪者集団に狙われると思っていなかった人間が、一般人が狙われているうちは、それぐらいのリスクぐらい我慢しろと抜かし、よもや自分が狙われたら、手段を選ばずに「弁護士様を狙うとは何事だ」と。
 こんな「意識」が露呈して、一般世間の支持が受けられるわけがありませんね。見るも無残に衰退から滅亡していきました。