岩田規久男『日本銀行デフレの番人』

 岩田先生の最新作はいままでの日本銀行問題の総決算と、最新の世界状況の中での日本経済、そしてそこに根元的に関連する日本銀行の政策スタンスについて丁寧に解説し、具体的な政策提言を行ったものである。

 90年代中ごろに日本銀行の金融政策のスタンスがデフレ容認的になり、そのために家計、企業、金融機関にデフレが続くという「デフレ予想」(デフレ期待)が定着し、これが消費、投資、資産選択をデフレ予想を前提にしたものに変化させ、それがデフレと日本経済の低迷をもたらした。これが「失われた20年」の小幅に頑固に続くデフレの正体である。また為替レートの側面でみたときの「円高シンドローム」の継続でもある。

 このデフレ予想を転換して、デフレを脱却し、低インフレが続くと家計、企業、金融機関が思うようになるようにはどうすればいいか? それはデフレ予想をもたらしている日本銀行のデフレ容認の金融政策のスタンスを変換させるしかない。そのためのインフレ目標の導入を岩田先生は提言している。

 そのときインフレ目標は、雇用の最大化ーすなわち完全失業率を低インフレと共存できるだけ最低レベルにすることーが重要である。インフレ率はこのとき中期的に1〜3%の間にあればそのような雇用最大化を達成しやすいだろう。そのために日本銀行法を改正し、日本銀行インフレ目標にコミットし、また雇用最大化をも目的とするようにしなければいけない。

 さて本書ではこの予想インフレ率を2%(その上下1%は許容範囲)とするためにはどのくらいのマネタリーベースが必要かが説明されている。ここでいうマネタリーベースとは、日本銀行が供給するお金のことであり、具体的には、日銀当座預金残高と流通現金残高の合計である。マネタリーベースは別名ベースマネーともいう。

 日本銀行はこのマネタリベースを操作することによって人々のインフレ(デフレ)予想をコントロール可能である。このことを岩田先生は本書の後半で丁寧に解説している。

 例えば、同様の作業を多くの論者がやっているが、最近では高橋洋一さんも『日本経済のウソ』(ちくま新書)の中で同様の作業をしている。高橋さんの推計だと、日銀は10兆円バランスシートを拡大すると0.15%ほどインフレ予想率を変化させることができる(同書174頁)。

 岩田先生の推計では、2%の予想インフレ率を実現するには、マネタリーベースを約50兆円増やせばよくなる。高橋さんの推計のずれは、推計期間の差によるものである。岩田先生の方がより少ないマネーで大きいインフレ予想率を実現できるのは、リーマンショック以後の方が経済の予想率がマネーの動きにより感応的になっているためである。高橋さんの方は本の出版時期の関係からリーマンショック以前も含んでいる。ちなみみリーマンショック以前では、2%の予想インフレ率を実現するには、99兆円増やす必要がある。

 このおおよそ50兆から99兆の間でマネタリーベースを増やしていけば、2%の予想インフレ率は中期的に実現できる。そのためには日本銀行は長期国債を中心に買いオペをすすめるべきである、というのが岩田先生の主張である。

 さらに日本銀行法を改正するか、あるいは現状の日本銀行が自らインフレ目標を設定して2%(+1%)のインフレ目標にコミットすれば、さらにより少ないマネタリーベースで人びとの予想インフレ率は変化するだろう。ちなみに上記の岩田&高橋というのは既存の日本銀行インフレ目標なしのデータからのマネタリベースと予想インフレ率との関係であることを十分理解しておいてほしい。

 日本銀行インフレ目標を設定すれば、より効果的にーすなわち繰り返すがより少ないマネーでより多くの予想インフレ率の変化ーを促すことができるのである。ここは我々の立場のキーポイントである。

 さて岩田先生の本では、この予想インフレ率の変化によって円安の実現、輸出の増加、雇用の増加、実質国民総生産の拡大がはかられることを実証的に示している。また財政赤字の解消にも貢献する。

 このようにいまのデフレ予想の定着による長期停滞を打破するキーは、日本銀行の政策スタンスの変更であり、それが最も確実にまたコストを少なく(やる気なら明日にでも変更可能である)実現することのできる政策である。

 今般のユーロ危機などの世界情勢の変化を前にまずは読むべき本である。

日本銀行 デフレの番人 (日経プレミアシリーズ)

日本銀行 デフレの番人 (日経プレミアシリーズ)

日本経済のウソ (ちくま新書)

日本経済のウソ (ちくま新書)

河上肇と毛沢東

 Eテレをみた知人が、北京大学教授の王暁秋氏の発言「河上肇のアジア的なマルクス主義毛沢東に影響を与えた」という発言趣旨の「アジア的なマルクス主義」とは何か、という質問を頂いた。王氏に毛沢東河上肇を中心に論じた論文があるのかわからないが、一般的に毛沢東河上肇との影響関係はある。

 例えば戦後、多くの左翼系の知識人たちが毛沢東に会見したときの記録を残していて、その中で、毛沢東河上肇についての評価とその著作からの影響を述べたことが書かれている。

 一海知義先生の『河上肇そして中国』には、

1)野間宏を団長とした1960年の日本文学代表団の訪中時の毛沢東の証言を以下のように引いている(初出:竹内実『毛沢東ノート』1971年)

マルクス主義の伝播は日本においては中国より早い。マルクス主義の著作は日本から手に入りました。マルクス主義政治経済学そのものを日本の本で勉強しました。京都帝国大学教授河上肇のかいたものは、いまでもわたしたちの参考書になっています。河上肇『政治経済学』(竹内は注でこれを河上の『経済学大綱』と推測)。あの本のなかに、いかにして古い政治経済学から新しい政治経済学に発展したかが書いてある。河上は、新しい政治経済学はすなわちマルクス主義の政治経済学であって、毎年のように直して出版しました。かれはもう死んだでしょう」。

2)宮川実が1962年に毛沢東と一時間会談したときの記録

「毛主席とは一時間も話したが、先生を高く評価し、変革の精神をたたえ、革命家と評価し、憂国の学者であるとほめ、「貧乏物語」でもその前の著作でも、その精神は貫かれている。観念論から唯物論に至る道程でその精神は貫いている。先生のよい本は中国語に反訳し読ませねばならぬと云っていた」(宮川実「『資本論』と河上肇先生」、『東京河上会会報』15号、1967年10月)。

 ほぼ毛沢東の発言といえば上記に紹介したもので尽きている。これから河上肇の著作としては、竹内実やそして杉原四郎も同様に推測しているのが、河上の『経済学大綱』を読んだこと、そして宮川の発言では『貧乏物語』を読んだことである。なお省略したが、宮川は別の機会に、やはり62年に毛沢東と話したときに『経済学大綱』を読んだようだ、と推測している。

 『貧乏物語』はマルクス主義経済学の影響はほとんどなく、独自の国家主義的な見地からの貧困論であり、その解決方法の中心は、富裕層が自ら行う奢侈の抑制である。他方で『経済学大綱』は、河上のこれまたマルクス経済学への本格的な転換を示す前の著作であり、これの中心的なメッセージは、倫理的(利他主義的なものの利己主義的なものへの優越)なものである。その利他主義的優越に、国家主義的な要素が混在するところにマルクス主義経済学への本格的転換をなす以前の河上肇の特徴があるというのが僕の見方だ。

 とりあえず倫理的な色彩が強いという点では多くの河上肇の解釈の共通項にも思われるので、これが王氏のいった「アジア的なマルクス主義」の特徴に近いのかもしれない。

 なお、河上肇の影響は、間接的に李大ショウを通じて毛沢東にあったかもしれず、これについてはこのエントリーでふれた

 また毛沢東から河上肇への影響はかなり本人の直接の発言が残っている。これについては一海先生の下記の文献を読まれたい。