069『変わる東京地図 赤坂界隈』

1967年/20分/カラー/
制作:日本技術映画社(現・カジマビジョン)/企画:鹿島建設
プロデューサー・脚本:岩佐氏寿/脚本・監督:大内田圭弥/撮影:長岡隆
東京はめざましく変貌してゆく、とくに赤坂界隈は新しい東京の中心として
クローズアップされてきた。この附近の変貌の基礎づくりに鹿島建設は大き
な役割を果している。

大内田圭彌【おおうちだ・けいや】
1930年福岡市生まれ。毎日新聞西部本社勤務の後、上京して木村荘十二らの助監督につき、1961年、農山漁村文化協会の『乳牛のしつけ』で初監督。自主製作で新宿西口のフォークゲリラを取材した『地下広場』(1969)、暗黒舞踏土方巽を撮った『疱瘡譚』(1972)『風の景色』(1976)などで注目される。2003年逝去。
主な作品:乳牛のしつけ(1961)仔牛の育成(1962)水田+α-玉川農協の実践-(1964)太陽の家族(1965)白い鶏舎(1966)変わる東京地図-赤坂界隈-(1967)海は見ていた-貿易百年史-(1968)地下広場(1969)エチル化学労働組合(1971)疱瘡譚(1972)風の景色(1976)地下広場69・春-秋(1996)

070『人間の土地 多摩ニュータウン計画』

(※写真)1968年/21分/カラー/制作:日本映画新社/
企画:東京都・日本住宅公団東京都住宅供給公社
プロデューサー:岡田弘/脚本・監督:粕三平/撮影:林田重男
録音:神口章・井上泰明/製作主任:池田登久馬/音楽:内藤孝敏
解説:望月通治
都市の計画は一個の建築物の設計と異なり、より複雑な要素を把握、予見し
なければならない。そうした作業を現在ある街の姿の中から映像的に表現す
ることによって浮き彫りにしたものである。

粕三平【かす・さんぺい】
1929年福岡県生まれ。九州大学中退後、松竹製作本部でシノプシスライターとなる。1957〜59年に雑誌『映画批評』を自費で刊行。以後短編映画やテレビの脚本・演出を手掛ける。1970年代からチェコ映画の研究・上映・輸入に積極的に携わり、ヤン・シュヴァンクマイエルらを日本に紹介したことでも知られる。1998年逝去。
主な作品:名前のない女-東京24時間-(1962)伊賀の影丸(テレビ人形劇/1963-1964)罠(山際永三・村木良彦・田原総一朗と共作/1967)人間の土地-多摩ニュータウン計画-(1968)怨霊伝(1969)わたしのアフリカ(1970)じぞうあめ(1975)亡人絵巻(1980)

戦争入門―クラウゼヴィッツ「戦争論」の読み方

戦争入門―クラウゼヴィッツ「戦争論」の読み方

071『東京の下町』

1975年/24分/カラー/制作:日本記録映画作家協会・東京を記録する会/
企画:東京都教育庁文化課/プロデューサー:徳永瑞夫/
監督:木村荘十二/脚本・共同監督:浅野辰男(辰雄)/撮影:井上莞・文平基哲/
音楽:渡辺岳夫/解説:佐野浅夫
江戸時代、隅田川に沿った神田、日本橋、京橋、浅草あたりは町人の住む町
として誕生し、今もいろいろな形で江戸が生き続けている。江戸町人のエネ
ルギーが受け継がれた無形文化財、伝統技芸の数々を紹介する。

木村荘十二【きむら・そとじ】 1903〜1988
東京・三田生まれ。父は牛鍋店「いろは」を経営していた木村荘平で、兄の荘八は画家、荘十は作家となる。10代の頃に武者小路実篤らが作った共同体「新しき村」に参加し、文学や音楽に傾倒。1924年、大阪の東邦映画に美術字幕係として入社。1926年、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画で助監督となる。河合映画宣伝部を経て、帝国キネマで『何が彼女をさうさせたか』(1930 鈴木重吉) の助監督を務めた後、『百姓万歳』(1930) で監督となる。1933年に音画芸術研究所を設立し、東京・砧のPCL撮影所で『河向ふの青春』を製作。PCLが映画製作を始める際に監督として招かれ第1作『ほろよひ人生』を手掛ける。以後、PCL・東宝で映画を作り続け、『兄いもうと』『彦六大いに笑ふ』(1936) などが高く評価される。1941年に満州映画協会に招かれ、映画制作の指導にあたる。敗戦後も中国に留まり、人民解放軍の美術工作班で働く。1953年帰国。『森は生きている』(1956) 以降、主に児童劇映画を作り続けた。
[主な作品]
1925:普通選挙は国民の要求である 1930:百姓万歳 1931:都会病患者 1932:陽気な食客 1933:河向ふの青春、音楽喜劇 ほろよひ人生 1934:只野凡児人生勉強 1935:放浪記、都会の怪異七時〇三分 1936:兄いもうと、彦六大ひに笑ふ 1937:からゆきさん 1938:牧場物語 1939:揚子江艦隊 1940:海軍爆撃隊 1956:森は生きている 1957:長崎の子、うなぎとり 1958:海ッ子山ッ子 1959:海の恋人たち 1960:暴れん坊大将 1961:日本の童謡 1962:未来につながる子ら 1963:洪庵と1000人の若ものたち 1964:宇宙旅行 1968:未来をひらく大動脈 1971:おおあなむちの冒険 1975:東京の下町
木村荘十二 - Wikipedia

浅野辰雄 【あさの・たつお】 1916〜2006
栃木県宇都宮市生まれ。芸術映画社に入社し『農村に科学あり』(1939)を初監督。1942年満州映画協会啓民映画部に出向。戦後は民主化と自由を主題とする『君たちは喋ることが出来る』(1946)で注目される。以後はジョセフ・フォン・スタンバーグアナタハン』(1953)など劇映画のシナリオライター、また『麻薬街の殺人』(1957)などテレビ映画の監督も手掛けながら、多くのドキュメンタリーを製作。日本記録映画作家協会では長年委員長をつとめる。1970年代以降は世田谷区教育委員会の文化記録映画を連作した。
[主な作品]
1939:農村に科学あり 1940:知られざる人々 1942:今日の戦い 1943:煤坑の英雄 1946:君たちは喋ることが出来る 1947:解放朝鮮を行く 1949:号笛鳴りやまず 1954:恐怖のカービン銃 1957:日本刀物語、麻薬街の殺人 1960:大いなる歩み 1963:人間の復活 1964:北海に生きる 1965:18人の脱走娘 1968:日本の工作機械 1970:後継者 1972:山のこだま 1975:この美しい国土を 1976:東京の下町 1977:健康をつくる食事-4群点数法- 1978:古民家は語る 1979:今こそ自由を-金大中氏らを救おう- 1981:代官 1982:非行への入り口 1985:あやまちはくりかえしません-国家機密法は許さない- 1988:猿若町の歴史 1991:サケよ帰れ ふるさとへ 1992:歴史を未来へ-文化遺産の継承- 1995:甦った清瀬の古民家
浅野辰雄 - Wikipedia

072『坂 くらしの中の風景』

1985年/32分/カラー/制作:岩波映画製作所/企画:文京区教育委員会
プロデューサー:陣内直行/監督:時枝俊江/撮影:成瀬慎一/
解説:伊藤惣一
文京区には100を越える坂があり、ほとんどが江戸時代のものである。文学
と深いつながりをもつ坂も多い。坂の名前のいわれ、朝昼晩、四季の中で
変化する坂の表情を追って、そこに生きた人々や暮らしをたずねる。

時枝俊江【ときえだ・としえ】
No.044『ケンちゃんたちの音楽修行』を参照。
http://d.hatena.ne.jp/tancho/20050713/p4