手品師(浄土真宗の教えについて)

「浄土真宗の信心について」を中心に綴ります

願教寺(盛岡市) その2


平成24年3月16日撮影



昨日、願教寺(盛岡市)のご法座にお参りしました。
今回は、観光ではありません(笑)。
講師は、守 快信 師(滋賀・東光寺)でした。
聞かせて頂いたことを、自分なりに表現させて頂きました。
非常に味わいのあるご法話でした。


【ご法座案内】(願教寺 盛岡市

日時:平成24年3月20日春分の日
   10時半〜、13時半〜
場所:願教寺(盛岡市北山)
内容:春のお彼岸法要
講師:小山 照真 師(本願寺布教使)
※お近くの方は、参加してはいかがでしょうか。
(行かれる方は、念のため、事前確認することをお勧めします)


願教寺 その1(平成24年2月17日撮影)
http://d.hatena.ne.jp/tarou310/searchdiary?word=%CA%BF%C0%AE24%C7%AF2%B7%EE17%C6%FC%BB%A3%B1%C6&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

仏法は聴聞にきわまる

『ただ仏法は聴聞にきわまることなり』と、蓮如上人は「御一代記聞書(一九三)」でお示し下されています。
そこで、留意しなければならないことは、
聴聞したから、阿弥陀さまに救われるということではありません。
聴聞に傾いて、肝心の阿弥陀さまがどこか遠くにいっては本末転倒です。
そこのところを心がけたいものです。

計らいは自力

 或人問うて云く、私は御信心を頂いたのなら何か確かな思いになりそうなものと存じます、然るに何とて確かな印しが御座りませぬ故どうも安心が出来ませぬ、
 和上答えて云く、その計らいは丸で自力なり、我胸を押さえて参れようか参れまいかと探る心を喩えて見れば、オゝ過日父上が私に田地を壹町遣ろうとの仰せ、私は確かに貰うたが、胸にあるかないかと尋ねて見てもなきが如し、如何程悪くとも比儘助くるとの因位の御約束、その願既に成就したまえば、たゞ仰せに任せ奉るばかりなり、
 次に浄土に参れようか参れまいかと案じて見ても茫然として確と安心ならず、これ又自力執心なり、喩えば上京するに浜辺に出て、私は上京が出来まいか出来ようかと、逆立つ浪ばかり見ては千万年掛かっても上京するきまりは付かず、ソンなら如何して善いかと云うに、船に気が付いたら船頭に問うべし、乗せて遣ろうと云う声聞くなり安心が出来る、今も丁度その如く余は御勘考あれ、 
【七里和上 眞宗安心示談 其三十一 佐々木徳量 編  洗心書房 P61,P62より】


洗心書房
http://www.ne.jp/asahi/senshin/hiroshima/confidentially.htm


七里恒順 (しちり-ごうじゅん )
1835−1900 幕末-明治時代の僧。
天保(てんぽう)6年7月11日生まれ。
浄土真宗。南渓(なんけい)、月珠(げっしゅ)らにまなび、筑前(ちくぜん)(福岡県)博多の万行寺の住職となる。
西本願寺の執行(しぎょう)職に数年間ついた以外は自坊をはなれず、甘露窟という私塾で教育や布教に専念した。
明治33年1月29日死去。66歳。
越後(えちご)(新潟県)出身。号は松花子。
著作に「七里和上言行録」など。
kotobank.jp より】

信心とは如何

 或人問うて云く、信心とは如何、
 和上答えて云く、御助けに疑いはれたが信心と云うべし、
 或人云く、爾らばその疑いはれるとは如何、
 和上云く、疑うてはならぬと云えばなおなお疑う故に、願力の御不思議で御助け下さるに間違いないと信ずるばかりなり、夜の明けたとき明けたと信じ、暗きとき暗きと思うが如し、明かりを暗しと思えと云うても、心はそうは思えぬ、
 東京に居る者が病気して、如何と案じ居る処へ、その病気が全快したとの手紙が着いて疑いはれた如く、願力の御不思議で御助けと間違わぬことが信ぜられたのが疑いはれたのである、
【七里和上 眞宗安心示談 其二十二 佐々木徳量 編  洗心書房 P41,P42より】