街場のアメリカ論

ここ数ヶ月、かなり集中的に大量の映画をみました。
暇を持てあました大学生ならいざ知らず、土日勤務もザラにある公僕の私が、
まだ3月なのに、年間鑑賞映画本数がすでに50本を超えているとは、明らかに異常です。(例年は年間100本程度、http://www.eonet.ne.jp/~nobushi/cinema2011.html参照)
この常軌を逸した行動には、おそらく、なにかしらの理由があるはずです。
きっと私の中のある種の渇きが、それを求めているのでしょう。
そう思って、その正体が分かるのを、目を凝らし耳を澄まして、ただじっと待ちました。
サバンナで狩りをしているライオンのように、感覚を研ぎすまし、ただただじっーと、待ち続けました。


児玉清さんの伝説的なクイズ番組「アタック25」で、
5つのヒントから連想される答えを当てる映像クイズがありましたが、感覚的にはまさにそれです。
部品だったり、イコンを示す一枚の写真だけをいくら目を凝らしてみても、何もわからない。
答えを探し出すには、数枚の写真を通じて部分と部分を結びつける創造力と、
目には見えない全体を俯瞰する想像力が必要です。
そのために、私は、大量の映画を短期間に集中的に浴び、
全体を見渡すために、じっと待つ必要があったのです。


そして、その正体が分かりました。


それは・・・タイトルにある通り、”アメリカ”です。
私の中の渇きとは、アメリカについて理解したいというシンプルな欲求でした。

なぜならアメリカはずいぶん以前から、腐臭を発していたからです。
かつてのアメリカは、世界の警察ともよばれる軍事的な超大国であり、
ドルという基軸通貨はあまねく世界に行き渡り、比類なき経済力を有し、
その軍事的・経済的な圧倒的なスーパーパワーに支えられたアメリカンカルチャーは世界中のあこがれでした。
ところが、9.11テロ前後で、その様相を異にしています。
いや、正確にはアメリカが変わったのではありませんでした。
アメリカという国は、建国以来常に他国を侵略する好戦的な国ですし、GDPも相変わらず世界一位です。
変わったのは、私たち第三者アメリカに対するまなざしであり、アメリカを語るその語り口でした。

私たちのなかに、依然として世界に冠絶するスーパーパワーであるはずのアメリカに対して、「心からの敬意」を抱いている人間はもうほとんどいません。
そして、しだいに「恐怖心」もリアルではなくなってきています。「アメリカの弱さ」についての認識がいまゆっくりと、だが確実に、全世界的に共有されつつあります。
それが腐臭となって色彩を帯び、私の鼻をついたのでしょう。

つまり、アメリカについて理解したいとは、腐臭の原因を特定したい、言い換えると、アメリカはなぜ凋落してしまったのかを知りたいということでもあります。
長い迂遠を経て、やっと問いに辿り着くことができました。
しかし、孔子が述べているように、「答えは問いの中にある。自ら問うものは自ら答えを得る」のです。
問いさえできてしまえば、答えはもう目と鼻の先です。いや、そうこうしているうちに整いました。


アメリカを凋落させたものは、自殺願望である。これが私の答えです。


あまりに突飛な発想と一蹴されてしまうかもしれませんが、
1つ1つの映画を丁寧につなぎ合わせ、そこに
自殺願望という補助線を引くと、全ての辻褄があうのです。


まずは、アメリカという国は、バカを大量生産しました。
人口の3割もの人々が、「無知こそ善」とする反知性主義である福音主義者であることからもその一端が窺えます。
また、サブプライムローンなど「国民を全員バカ化することで利益を上げるシステム」以外の何ものでもありません。
知性の停滞が何をもたらしたかというと、超格差社会です。

この視点をぬきに、今のアメリカを語ることはできません。
アメリカという国は、水平に眺めても何も見えません。
なぜなら、あまりにも生活レベルが違うために、
1つのスクリーンに、両者を描くことが出来ないからです。
映画を観るとき、まず注意しなければいけないのは、
これは、どちらの極を描いた映画なのかということです。

ソーシャルネットワーク』や『ウォールストリート』などは、
華々しい近未来が表象された背景に囲まれた空間の中で、
特権階級の、人の気持ちが分からなくなる苦しみが描かれ、
フローズン・リバー』や『正義のゆくえ』では、最下層の人々の、
人間として生きることの意義さえ揺るがしかねない極限的な苦しみが描かれています。
さらに、知性を奪われた下層民は、一生浮かび上がることはできないという
見えない鎖につながれる苦痛を抱え込むことになります。

アメリカの弱さとは、つまり、社会をつなぐ環の消失であり、
孤立してしまった両極それぞれが、ぞれぞれに深く傷を負っています。
しかし、傷を負うも、大国がゆえ、1人で死ぬことは困難です。
同盟国はみな延命措置を施して、なんとか世界秩序の現状維持を図ろうとします。
そこで、アメリカが介錯人として指名したのが中東です。
パソコン・インターネット・SNS、これらのメイドインアメリカが、
中東で親米政権を次々に、瓦解させています。
間接的に、アメリカの国際的影響力を削ぐことで、アメリカの死期を早めているのです。
しかもそれが、何十億という資産を有する特権階級によって発明されたものを、
ピープルパワーといわれる明日の食料さえ確保できない民衆によって、
その力が行使されてるところが、なんとも皮肉ではないでしょうか。
アメリカで果たせなかった夢を、遠く離れたアラブで実現しているのですから。


しかし、それは決定打とはなりません。
アメリカはじわじわと世界から孤立し、死に向かう速度を速めただけでした。
そこでアメリカは、有終の美を飾るために、引き際の美学を追求するようになります。
『バッドマン ダークナイト』などは、その典型的な映画でしょう。
共産主義テロリズムなどの悪を倒して、世界に平和をもたらしているはずなのに、
世界からならずもの扱いされ、理解してもらえないアメリカは、バッドマンと瓜二つです。
苦悩の末に、そのバッドマンが最後に選んだ道が、
バッドマンとしての痕跡を消すためにバッドマングッズを全て処分し、
ブルース・ウェインという市民的人格さえも、悪ともに滅してしまうことです。

そう考えると、2010年最大の事件ともいえるウィキリークスによる機密情報漏洩は、
死を間近にしたアメリカなりの身辺整理だと考えることもできるのです。


しかし、アメリカに匹敵する力を持つ国は、ソ連崩壊後しばらく存在しませんでした。
そこで、アメリカは辛抱強く、介錯人を待ち続けました。
苦節10数年にしてようやく、アメリカに匹敵する力をもつ国があらわれました。
もちろん、中国です。
アメリカでは、日本が経済覇権を獲得した時、
ジャパンバッシングが吹き荒れたが、
同じ黄色人種の中国の台頭は比較的穏やかに許容されています。
それはもちろん、アメリカの死にふさわしい伝統・パワー・思想を兼ね備え、
新しい世界システムを管理できるのは、中国だけだからです。


しかし、死は恐ろしいものです。
死を克服するには、死を受け入れるしかない。
そうした役割をこれまで担ってきたのが宗教ですが、
死生観について国家規模での合意を得るために、
アメリカは今後、『ヒアアフター』に追随する死を扱う映画を、
国策として、大量に増産しなければならないでしょう。

その政策が功を奏し、アメリカが死を受け入れた時、世界は一変するだろう。
だから、映画を見続けなければいけない。