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2015-11-30

写真、撮る、見る

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【お知らせ】
年末に東京で写真展やります。来てね。
 
伊藤公一写真展「HOPE」
 
2015年12月21日〜27日 12:00-19:00
Photo Galley Place M ( http://www.placem.com )
 
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押せば撮れる。写真はそうです。出来上がったフィルムなりデータなりはそのままでは押して撮られた画像情報でしかない。その時点からずっと、画像情報そのものは完全にニュートラルです。これは常にニュートラル。あくまでその画像情報に意味をもとめるのは「撮影者」であり、「鑑賞者」です。
 
撮影者は「ただ目の前にある美しいものをそのまま写し切ってやるのだ」や「やべっ間違って押しちゃった」や「なんとなく目の前でいいなと思ったから」や「大日如来の名にかけて」や、その他いろいろのきっかけを持ってその画像情報生成を行います。出来上がった画像情報じたいには、よかれ悪しかれ撮影者の意図、もしくは企図と呼んでいいであろうナニモノカが、ある種のコードに則って練り込められる、もしくは練りこまれてしまう。これをここでは便宜的にナニモノカS(撮影者のS)と呼びます。
 
そして撮影者によってナニモノカSが練りこまれて、生成された画像が、基本的には鑑賞者、ないしは編集者としての撮影者、によって一度眺められ、ナニモノカSの変容や強化/弱体化をへて、写真として完成します。
しつこいですが注記しておくと、ベレー帽のおっさんが筆を置いて「うむ、できた!」的なパターンだけとは当然限らなくて、「はーい、じーどりー!」パシャ「あ、これで大丈夫、今日はありがとうございましたー」「あははー」みたいなの(どんなのだ)も含めてここでは”完成"と呼びましょう。実際にはレリーズを押して画像が記録されちゃっただけ、という場合も十分ある。
 
で、出来上がった写真は何らかの形で撮影者ではない人に提示されて、その画像を見る「鑑賞者」は、鑑賞者自身のもつコーディングルール的なものに従って画像からナニモノカをよみとっていく。写真に限らずですが、写真は特にそういう経緯を経ます。これをナニモノカK(鑑賞者のK)としましょう。朝ごはんを食べて写真を撮ってツイッターにあげてタイムラインで誰かが見て、というまでのよくある流れですね。
 
さきに細かい話をいっておくと、写真はいわゆる”作品”として、さらには日常の事物すべてに拡張することも出来ます。お前に提示されるすべてのものはシグナルとなるのだ、っていうやつです。男女間で喧嘩とかするとこういうすべてがシグナルじゃないかみたいな疑心暗鬼になったりしませんか。それです。あれ辛いですよね。話が逸れました。
 
で、そういう筋で進めると、写真の上手い下手って分解してみるといろんな言い方ができると思っていて、
 
(α)独創的なナニモノカSを練り込みにかかってる
(β)他の人では無理なアクロバティックナニモノカSを練り込める
(γ)ナニモノカSを練り込むコードが美しい
 
とか、いろいろな要素の合わせ技になるでしょう。練り込みたいナニモノカSはとても独創的なのに技法コーディング)に失敗して頭でっかちな写真になってるーとか、ペラッペラとしか言いようのないなナニモノカSしかこの写真からはナニモノカKとして読み取れないけど、技法は超美麗でため息をつくほど素敵なので、きっとナニモノカSはその素敵な美しさそのものなんだろうな、とか。
 
ただすいません、この辺は僕が思想練り込み写真至上主義に偏ってる可能性を留意してもらって、言葉表現の傾き加減はわり引いて考えてください。
 
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さて、この一連のプロセスにおいて、私が考えるここでの問題は3つです。
 
(1)ナニモノカSに"貴賎"はあるか
(2)従うべきコードのコーディングルールは誰が決めるものなのか
(3)ナニモノカSとナニモノカKは一致するか、一致する必要があるか
 
まず(1)のナニモノカSに”貴賎"はあるか、なんですけど、これは先に政治的に正しい回答でいうと「ありません」で、どの写真もどれも良い悪いありますよね、で終わりますが、それじゃあんまり面白くなくて。段落のこれ以降はぼくの極私的意見になりますが、撮影者としての私は、鑑賞者が写真に対峙しナニモノカKを生成する”コスト"に見合うだけのナニモノカSは最低限練りこむ格闘をするべきだと思っています。
 
あと、ナニモノカSを完全に他人の、もしくは既存の価値観から持ってきたもの(たとえば、写真教室の先生が指し示すお手本通りに作り込むようにがんばりました!ほらまるで先生のお手本写真みたいでしょう!的な)とされた写真は私は見ていて辛いと感じます。撮るのは当然好きにすればよくて、展示したりするのも別に好きにすればいいんですが、私はわくわくして行って見て伝統的な教室講師の価値観コピーがずらっと並んだ色鮮やかな写真ばっかり見て筆で芳名帳だけ書いてギャラリー出たら、希望としてはオリジナリティ的なの欲しかったなぁって、損した気分になると。webとかは好きにすればいいんじゃないですかね(適当)。
 
ついでのイトウの好みを言っておくと、絵本作家で、クリス・ヴァン・オールズバーグっていう人がいて、あの、ほら、「ジュマンジ」「ポーラーエクスプレス(急行北極号』)」って映画あったと思うんですけど、あれの原作の人なんですが、その人が書いたモノクロの絵本に「ハリス・バーディックの謎」という珠玉の絵本があります。
 
その絵本は「ピーター・ウェンダーズという謎の人物が出版社に売り込みに来た絵本作品14本のイメージカットと短い説明文」ということで14枚のイラストと、それぞれに短い説明文が載っているものです。で、それがまたそのそれぞれのイラストが、すごいんですよ。ものすごく謎と不思議とワクワク感を秘めているというか。「これってどうなってるんだろう」「何が始まるのだろう」「どうなった結果がこうなんだろう」って、イラストの上下左右過去未来、全方向に対してイメージを膨らませたくなるんですよね。知らんがなってなるかもですが、僕はそういうのが好きです。
 
記録写真に興味がない個人的趣向もあるのは重々承知なので、そういう写真がいいんだっていう人もいて全然いいんですけど、僕は、目の前の写真をトリガにして写真の前後左右上下、過去未来、写真から引きずり出せそうな物語とか、はたまた撮った人や観た人の気持ちとかをいろいろ展開できるような、そんな写真を観たいなとつねづね思っています。できれば、自分もそうあろうと思ってます。同意してもらわなくてもいいです。あと「ハリス・バーディックの謎」は超おすすめです。お子様の情操教育にもぜひ。
 
さて寄り道しながらすすんでます。
 
次の(2)のコードのルールですが、本人の美観とか主義とかセンスとか、はたまた時代の様式(雑な言い換えをするなら「流行り」と言ってもいいです)を完全に無視した俺様ルールはナニモノカKの生成を阻害する要因になりますから、あんまり無茶をするばかりが良いことではないのではないかと思います。
 
ここは従来の規範に乗っかっておくという手も、ナニモノカSとナニモノカKの一致性なんかを重視するのであれば戦略的には有効だと思います。三分割構図連打とか、完全適正露出を狙うよ、とか、あくまでも余計な被写体は画面から排除するよ、とか。
 
ただし、あえてルールの独自確立を目指す道はあると考えています。ここでの独自確立っていうのはイメージしているのは、例えば、インクをボタボタ垂らす技法(ドリッピング)での表現を打ち立てたポロックとかああいう感じ。そこの色とかコントラストとかピントとか粒状感とかそういったものの取捨選択だったり見え感だったりをどうする(どうなる)か、はたまた構図をどうするどこを切ってどこを入れてどう写すどう隠すどうボカすどう配置するとどういうナニモノカKを生成しうるか、についての挑戦はアリだろうと。
 
(3)のナニモノカSとナニモノカKの一致を目指すべきかは、どうなんでしょう。どうなんでしょうね。これも私の個人的な見解ですが、たとえ一致を目指そうとも一致にいたることはない (身体性や価値観、環境影響なんかもきっとある)でしょう。ただしコーディングの段階で鑑賞者としての撮影者もまた撮影者の中に存在するわけで、そこのナニモノカSとナニモノカS’みたいな感じのやりとりには、一致を目指していろいろ悩むことになるんだろうと思います。「自分の出したいイメージにやっと近づきました!」みたいな。
 
第三者の中に生成されるナニモノカKとの一致も、一義的には目指すべき話になると思うんですが、ナニモノカKを生成する鑑賞者想定は、必ずしも目の前の誰か、webで知り合っている友達、家族、など、「いまこの世に存在している実在の人間」である必要は必ずしもない、という既出の論を僕も支持したいです。撮影者にとって想定すべき鑑賞者像は、神の観察眼を持つ理論的理想鑑賞者であって、「いまの愚民どもに私の写真芸術は理解できないのだ」という姿勢も(技量確認をふくめた留保つきではありながら)肯定されるものである、僕はそう考えています。
 
毎度毎度オチもなくなんか同じようなもやっとした長文の話をいつもしている気がします。

2015-09-21

5000万画素のデジタル一眼レフ EOS 5Ds を買ったよ!レビューするよ!

 
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約3年間使い倒してきた EOS-1D X(約1800万画素)をドナドナして、約5060万画素のデジタル一眼レフ、EOS 5Dsを買いました!

なんでよって話になるかと思いますが、理由は、
 
「5000万画素の高解像性能は5000万画素でないと出せない」
 
ことに尽きます。
 
ピクセルクオリティとして、等倍状態での滑らかさやSNを見ると明らかに1DXが上です。
ただ、A3ノビを越えA2以上のサイズに拡大した場合、またweb用に縮小した画像、
これらを見比べたときの解像性能 ( 解像"感"のようなふわふわした印象論ではなく、
はっきりとした"性能"です)が、もう圧倒的に違う。ぜんぜん違う。
 
1DXに比べるとノイズに弱いのは撮影や現像で頑張ればいいんです。
1DXに比べるとダイナミックレンジが狭いのは注意して露出を決めればいいんです。
1DXに比べるとAFや連写がちょっと遅いのは眼と集中力を鍛えて対応すればいいんです。
でも、この高解像度は1800万画素の1DXではどうやっても出せない。そう考えて乗り換えました。
 
ただ1DXは本当に気に入っていたので、できれば買い増しが良かったけれども、そのお金は出せず、
泣く泣くのドナドナとなりました…さようなら1DX…( ´༎ຶ﹃༎ຶ)
 
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EOS 5Ds + EF35mm F2 IS USM (4点とも)
 
 
…使いはじめの感想としては、「便利に使えるdpシリーズ」。
だいたいの使用感はdpと似た感じですが、ちょっとだけ違う点があって、書き出してみました。
 

  1. 感度:だいたいISO1600〜ISO3200までは使える
  2. 電池LP-E6Nひとつで800〜1000枚くらいは撮れる
  3. 液晶:液晶の色とコントラストはとても綺麗
  4. 操作:ボタンカスタマイズとサーボAFで動きモノをがっつり追える
  5. 官能:単写であればモタつきを気にすることはありません
  6. 運搬:カバン内のスペースは意外と変わらない。重さはほら、比べたらdpに失礼やないですか。
  7. 画質:レンズに依存しますね。dpのレンズ素敵よねぇ…(溜息)
  8. デザイン:dpシリーズの圧勝!完全勝利!

 
…気軽に使えるちょっと重いdpシリーズと考えると、これはこれでアリかなと思います。
 
 
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EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM
  
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EOS 5Ds + EF35mm F2 IS USM 
 
 
【5Dsのここが◎:5000万画素の解像性能は伊達じゃない】
 
ちょっとはてなフォトライフは圧縮ひどすぎて何がなにやらわかんないですが、
そうです、解像性能ですよ。圧倒的です。圧倒的です。圧倒的。
 
誰ですか、2000〜2400万画素がベストバランスとか言った人は!
センサに関しては「SNが一緒なら解像性能は高いほうが正義」だと僕は考えていて、
画素数がたかだか1DXの3倍、水平/垂直解像度にするとたった1.67倍の向上ではありますが、
アガリを見ると、はっきりと「あ、画質上がったな」って思います。
 
ノイズは、うーん、等倍でみると感覚的にはEOS 5D Mark II と同じくらい。
ISO3200まではふつうに使えて、それ以上は気にするかな、という感じ。
とはいえ、結果的に出力サイズで見ると粒が小さいので、意外に大丈夫に思えたりします。
 
うーん、解像性能的には満点なんですけど、
どんだけISOを引き上げても完全滑らかノイズレス!とはいかないので、
撮影が制限される箇所がでてくると予想されます。ライブ撮影とかはさすがに厳しそう。
 
 
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【5Dsのここが◯:古いレンズもふっつうに使えるよ!】

「5000万画素に対応するには最新のレンズでなければ!」みたいに
雑誌とかwebレビューで書かれてますよね。
 
あれ、ぼくは嘘だと思ってます。
嘘と言っちゃ言い過ぎですね、必ずしも、正しくないです。
 
ためしに、作例を載っけてみました。上は全体、下は拡大。
載せたのは時代遅れのEF50mm F1.4 USM。1993年発売、20年以上前のレンズです。
これはF2.8まで絞って撮影した奈良公園のシカ。シカかわいい。 

上の描写で、これが"使えるかどうか"はみた人の判断になると思うんですが、
個人的には、これは5000万画素でも十分「使える」と言っていいんじゃないかと思います。
(ていうかはてなの画像アップロードは圧縮ヒドイ…レビューできないじゃないか…)
 
 
…結局、あれは、要はレンズとセンサの性能のボトルネックがどちらにあるんですか、
というだけの話であって、これまでセンサ側にあったボトルネックが、こんど古いレンズの
場合はレンズに行っちゃうんだよ、っていうことだとぼくは思うんですよ。
 
 
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EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM。絞りF1.4。
 
 
ちょっと古いレンズなら従来の2400万画素前後の解像度以上に全く周波数レスポンスが
ないというわけではないので、古いレンズも、センサ側の解像度向上にともなった分だけ
精細な描写をするようになります。
 
具体的には線の細い描写ができるようになってくる。
良いレンズはもっとよく、そうでないレンズは、それなりに。
普通のレンズと思ってたのに「このレンズ、こんな緻密な写りをするのか!」って
驚く場面もけっこう出てきます。
 
確かにあれです、昨今の1ピクセルの収差もゆるさないよ!みたいなレンズでない場合、
開放付近で撮影すると、ふわっとした色収差がにじむのは確認できます。
が、よくみるとその奥に、実は少し薄く細い線としてきちんと芯が結像しているのだ、ということが、
5000万画素だと、分かる。見える。しっかりわかる。
 
ああ、レンズの力はセンサで制限されていたのか、ということが初めて分かる不思議な経験。
 
 
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EOS 5Ds + EF70-200m F4L IS USM。ISOは1600くらい
 
逆に、高解像性能を有する最新のレンズの場合、とにかくもうがっちりとした濃い味、
アブラマシマシで脳髄ダイレクトに訴えかける高周波成分の愉悦を味わうことができます。
瓦の一つ一つ、羽毛の一本、鋲に刻印されたメーカー名まできっちりと映し出されているのを確認して、
えも言われぬ背徳的な高揚感に浸るのも思いのままです。
 
「愉悦にはシグマArtとかOtusとか買わんといかんのか」と思いきや、
実はEF70-200mm F4L IS程度でも普通に5000万画素程度なら解像しきっちゃうので、
変に出費に怯える必要はありません。沼ってもべつにいいですが。シグマの50Artとか気になってる。
 
 
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EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM
 
 
【5Dsのここが◯:意外にぶれない】
 
手持ちでも意外にぶれません。大丈夫。でもこれは僕のカメラホールド技術の高さかもしれないので、
あんまり触れないようにします。少なくとも三脚必須とかじゃないです。気軽に持ち歩いて撮れます。
 
 
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EOS 5Ds + EF35mm FS IS USM
 
 
【5Dsのここが△:撮影後の共有に難あり】
 
カメラ自体の性能はやっぱり信頼と実績の5D系です、業務ユーザーも数多く使っている、
よく練られた操作系とユーザーを待たせないレスポンスは、やっぱり使ってて違和感がない。
 
ただし個人の趣味で使っていると「撮影できてデータが記録できて納品できます」だけでは、
もう足りない時代なのだな、と思います。
 
いまや撮影後にweb共有しにくいことは立派に製品としての欠点になる
 
というのは個人的な持論ですが、このカメラ、無線機能がありません。
いまどき。もう2015年なのに!21世紀なのに!まぁ5D3と一緒っちゃ一緒ですが。
そのため、CFSDのデュアルスロットのSD側にEye-Fi mobi pro カードを入れて
画像を無線でスマホに転送できるフローを作りました。
 
…作りましたが!が!これが大変だったのよ!このフローを作るのが!もうほんと大変だったんですよ!
なんというかアングラ感満載で!みんなどうやってんの!?みんなアングラに耐えてんの?
なによりもEye-Fi mobi アプリが駄目!ダメダメ(※カメラの不満じゃなくなってますが)!
  
「勝手にスマホ内全ての画像を掌握しようとした挙句、残容量を使い切ってフリーズして死亡する」
 
とか謎の挙動をするのよ!削除だよ削除!即削除!
 
結局、1DX時代に重宝した Shuttersnitch アプリEye-Fiの設定を覚え込ませて(やり方は公式だけどアングラっぽい)、
ようやっと、デュアルスロットとプロテクトボタンと怪しいソフトを駆使してのデータ転送。
設定にはほぼ半日作業。もうクタクタ。
 
これ多分ふつうに写真撮って転送したいだけの人は使えないと思います。無理っす、これ。
もうカメラは最初からネットに転送することを前提に作り上げていって良いのではないかと思いました(小並感)。
 
 
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EOS 5Ds + EF50mm F1.4 USM
 
 
【5Dsのここが×:連写撮影後のプレビュー遅延】
  
…いきなりマニアックになりますが、ここがもう唯一の致命傷と言って良いこのカメラの弱点です。
(人によっては高感度とか、1D系でないこととかが致命傷と思う人もいるかもですが)
1DXとのリプレースを本気で最後まで悩んだ点がここにあります。
 
ふつう、カメラは撮影したあとにプレビュー表示が出るように設定されているはずなんですが、
このカメラは撮影→カード書き込み→プレビュー、となります。他のカメラもたぶんそう?
 
で、このカメラ、データ量が多いからか、高速連写したあとにプレビューでピント確認したいのに
書き込みがひと段落するまでプレビューが出てこないんですよね。これが困った。すごく困った。
 
例えば、人物撮影とかで、ピントと目線と姿勢を、と思って連写で撮ったあとだと、ピント確認が
すぐにできない。撮りなおしか次行っていいのか、その確認に一拍、二拍、待たされるんですよ。 
 
単写だとあまり気にならないのでこれがネックになる人は限られているかもですが、
結構これは場合によっては不便に感じる人が出るかもしれません。
 
僕は5000万画素の魅力に惹かれて、あと二台持つ財力がないので買い替えにしましたが、
例えばお仕事をされている方とか、これ一台で全てを賄うには、5D3の万能っぷりとかから見ると
少しバランスを崩している部分があるので、よく考えたほうが良いです。買うなら、買い増し。
 
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ここでおすすめですよーって書いたところで、
吟味せずに買うカメラではないのですが(笑)、
個人的にはけっこうおすすめです。解像性能が欲しい方は、ぜひ。
 

2015-07-01

あじさいのくに

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この季節の塹壕堀りは良いことも悪いこともあります、良いことは地面がぬかるんで比較的掘りやすいことで、いざとなれば銃床で突ついて掘り進むこともできたからです。理官上がりの私からスコップを奪う者は居ませんでしたが、高校から即配置された初年官は飯の数は多い上官から員数合わせに奪われて泣きながらそうやって掘っていました。悪いこともまた、地面がぬかるんでいるため掘ったさきから泥水が溜まり続けてしまうことでした。施設隊が指揮する場合は排水も設計されましたが、そうでなければ急ごしらえでその辺りのことは後まわしにされてしまい、泥に半身を浸けて座り続ける羽目になりました。昼間は暑くなりますが夜はまだかなり冷え、ブーツに羊毛の靴下を履いていましたが足はぶよぶよした白い塊のようになりました。走ると剥けた踵が擦れて大変痛みます。手当をしてもキリがありません。熱を持った時だけ医務に頼んで薬をもらってしのぎました。
 
完全にこう着状態となったこの平野を、私たちの部隊はちまちまとジグザグに掘っていました。排水と落とし込みの破片防護溝をときどきは整備して掘り進んでは、散発的に観測射撃を撃ち込んでいました。時々は弾が飛んできました。はじめは甲高い音に全身が縛られるような恐怖を感じましたが、次第にだいたいどの辺に着弾するのか、音だけでわかるようになりました。しかし近い場所に着弾した時にはやはり恐怖でした。隣の濠に着弾し灰色の泥が降ってきたときも私は隅で震えていました。私だけでなく全員が震えていました。対照に、こちらが撃ち込んだ弾が向こうに着弾したときには大はしゃぎでした。弾のさきに誰がいたのかなどを考えたくなかったからかもしれません。灰色の雲の下ではそんな毎日を過ごしました。
 
すべてを掘り返し燃やし毀してしまった荒廃した地面ではありましたが、ある日、斥候に行った次官紫陽花を手折ってきました。泥水を汲んで瓶に入れてそこに紫陽花を飾りました。紫陽花の八重咲くごとく弥つ代にを、いませわが背子、見つつしのばぬ。と次官がぼそりとつぶやきました。私は聞き取れずに聞き返しました。もういちどゆっくりと詠んでくれました。
 
自分は大学で国文学やってました、万葉集に収録された紫陽花の句は二首しかないんです、自分は葛城の生まれということもあってこれを詠んだ橘諸兄を調べていました、平城京から恭仁京に遷都させた人なんですが、この人の立てた都は長続きせずに放棄されて、もう完全に森の中に消えてしまっています。これまでにあまり調査もされておらず、歴史の中に埋もれてしまっているんです。とはいえいまはもうその森もないのかもしれません。どうなってしまいましたかね。私も同期も先生もみんな取られちゃいましたが、この塹壕もいつか遺跡になって森のなかに消えるんでしょうか。そう語った次官は瓶を壁に斜めに刺してふらふらと報告に向かいました。その日の晩は綺麗な月が出た夜になりました。紫陽花青い花びらが空いちめんの星と溶けるように輝くように照られているのを見ながら交代で眠りました。
 
本格的な砲撃はこの日の未明から始まりました。砲撃に対して私たちができることはありません。あれはもともと人を狙って落とすものではないのです、自分の真上に来ないことを祈りながら鉄帽をかぶってただ震えているだけでした。連続で続いていた砲撃の音が一瞬止んだ気がして、おかしいなと思い、顔を上げた瞬間にそれはきました。目の前の空気が白く濁るのが見えました。初年官がくの字に曲がって飛んでいくのが見えました。私も大きな板で殴られたような衝撃をうけ飛ばされました。いつまで倒れていたかは分かりません。気がつくと泥に半分埋まっていました。みんな倒れていました。耳の音が籠って聞こえました。遠くで小隊が陣形を立て直していて、小銃を担いで濠を超えて突撃をするところでした。頭がぼうっとしていました。鼻と耳から血が流れているようでした。
 
拭かないと、目からは大丈夫か、耳と目を塞いだのはよかったのか、そうおもって服を探る手にさっきの紫陽花が手にふれました。あれだけの混乱のなかで紫陽花はなにごともなかったかのように凛として紫の色をはなっていました。あの夜の輝きを思いだしました。私は急に腹が立ってきました。あじさいのくせに。あじさいのくせにどうしてそう誇らしげに咲いているのだ。どうせ手折られなくても来月には枯れてしまう、夏を見ることなく萎れて枯れていくのに、どうしてそんなにも自信満々に咲いていられるのか。枯れることが、散っていくことがお前は怖くないのか、私はどうか、私は怖い、いまここに居ることが、次の瞬間に居なくなってしまうことが。あじさいのくせに、あじさいのくせにどうして、どうして。
 
私は隣で倒れていた友から小銃を掴み取って叫びました、こんなことで良いものか、この怖さを、あのあじさいは、私は、逃げるのではない、逃げたい、進まなければ、わたしはあじさいになりたい、ここで私は前へ進まなくては、そう立ち上がった私の顎を銃弾が抜けていきました。銃弾に弾かれた頰の骨が喉を突き破って頭の中で止まり、だんだんと血が溜まってきました。私は膝から崩れ落ちて倒れこみました。さっきのあじさいに私の血が降り注いで赤黒くなっていましたが、その奥にはまださっきの紫がのこっていました。触ろうとしましたが腕はまったく動かず、そして徐々に私の目が濁ってきました。
 
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2015-03-24

春去者

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新宿御苑を散歩してきました。
 
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動画も撮りました。大きな動画はこちら(Vimeo)
 

春去者 from Zeissizm (Koichi Ito) on Vimeo.

2015-01-13

Canon EOS M2 でも写真を撮ってるよ!

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Canon EOS M2 + EF-M22mm F2 STM
高解像度はこちら(Flickr)


dp1Qは借り物ですが、実はEOS M2 を買いまして、一眼レフを持ち出せないときに鞄に放り込んで使っています。
dp1 QuattroF1だとしたらEOS M2 はラリーカーというかむしろワンボックスカーのような感じですが、
パンケーキレンズEF-M22mm F2 STM を付けっぱなしにして普段持ち歩く使い方も楽しいです。

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EOS M2近影。Acruのハンドストラップをつけて完全なコンデジ運用。これは1DXで撮った。


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持ち歩いて何を撮っているかというと、
撮ってどうするのかよく分からない自炊の記録だったり、

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何のために撮るのか不明なご飯写真だったり、

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風景とか訪れた場所だったり、

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目についた日常の記録だったり。
まぁ、そういうのもたまには。

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EF-M18-55mmをつけるとけっこうな速度でAFします。
パンケーキレンズだと普通。爆速ではないけど、特に不満もない。

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dpシリーズと比べちゃうと解像感なんかはアレだれど、
dpには無い軽快な操作性と高感度性能があるので、僕は満足です。

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現在、普段撮り千本ノック中。