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2012-01-18
■[楽器・道具] メロディカ
アイス、今が旬だね!と思っていたら、既に真冬だったし。あけましておめでとうございますとしか言いようがない。
楽器を買った。まぁ、よくある話である。が、しかし、私にしては珍しい展開である。鍵盤ハーモニカというものの新品をどす〜んと購入したのであるが、ふっ、何をいっておるのかね。私は鍵盤ハーモニカなど既に所有しているのである。スズキのメロディオンという奴。音が気に入っている。これね、通っていたハイスクールからお借りしたまま25年くらい手もとにある状態ね。しかもお借りしたのはハイスクール卒業後ね。
既に所有しておる楽器がなんでもう一個必要なのか!
そんな金があるなら、違う楽器に挑め!
ところがこれがプロブレムなのです。数年前から気になっていたのだが、音が狂っているですよ。ところどころの大事な音が。そもそも持っている楽器でチューニングがしっかり合う楽器というのが数点しかないという環境で演奏を楽しんでいるものだが、いよいよ度を超した逸脱っぷりが、所蔵している楽器を買い足すという、かつてない行動へと私を駆り立てたのである。
スズキのメロディオンが好きなのだからスズキのメロディオンにすれば良いのだが、どうせなら違うものをチョイスしてしまうのが私です。ホーナーのメロディカ学生用にしてみました。お手軽プライスでカラーリングもちゃちなレッドということで、なんだか大満足で吹いてみると、お、新品というのは何だか肺活量が必要だね、ちょっと鍛えねーといけねーな、という感じです。
今後もこのように所蔵している楽器が劣化し、買い替え、買い足しを要求されていくのでしょうか。しかし、この足で赴いた世界の各地で巡り会った楽器の類など、それは、そう簡単にはいかぬであろう。
で、なんでこんなやる気の起こらない冬季に、スズキの鍵盤ハーモニカのピッチに悩み、ホーナーの鍵盤ハーモニカを購入しているのかというと、曲を作っている。作り続けている。俺しか知らない曲が7と1/2曲くらいある。今年はそれらをどどーんと、春くらいまでにはどうにかしなければ。どうにかしたいのである。
2011-08-04
■[御休憩処(飲食)][メモ] アイス、今が旬だねっ!
一口にアイスと言っても、かき氷的なガリっとした食感の氷菓、シャーベット的なサラッとした食感の氷菓、さっぱり味から濃厚味まで幅広いアイスクリームなどと、そのヴァリエーションは多彩である。が、まぁ、想像するに、夏には氷タイプのアイスの売上がぐんぐんウナギ登りだろうね。
ところで、微妙な味わいを醸し出すアイスとして、忘れてはならないのは井村屋のあずきバーだと思うのだ。氷菓ではあるが、粒あずきの質感と、ほんのり甘さ&塩スウィーツとまではいかないまでもどうも微妙に塩味、という立体的な味わいが、なんとなく、今の季節に抜群だよね。井村屋のあずきバーうめぇ!
ということで、その日もなんだかアイスが食いたくなったので井村屋のあずきバーをいただくことにした。
さて、井村屋のあずきバーの特色であるが、食ったことのある方には周知であろうが、硬い。非常に硬い。概して歯が立たないほど硬いのである。しかし、私の嗜好としては、柔くなったり溶けだしたアイスというものが今一つ好みではない。
甘味処でかき氷など食う際も、氷が溶けて器の底にじゃぶじゃぶ溜まるような事態は最も避けねばならぬパターンであるため、猛ダッシュで食う。かき氷を猛ダッシュで食うと、目玉が痛くなりませんか。しかし、そのような目玉の痛み・目玉の疼きに呻いておっては、かき氷がじゃぶじゃぶしたシロップ水になってしまうため、両目を片一方の手で押さえつつ、もう一方の手に握った匙で、かき氷をガッシュガッシュと突き崩し、お口へ運ぶその営みを、一瞬たりとて緩めてはならぬのだ。そして猛ダッシュで食い終えた後、甘味処には目玉を押さえ頭を抱える男が一人。一種の夏の荒行のようなものと言えるだろうな。
おっと、井村屋のあずきバーの話題に戻ろう。その硬さ、歯折れそうな程の凶悪さなのであるが、柔くしてから食うなどと言う戦略は私にはない。早速いただきます。一口目、それはもう歯立たないですよ。犬歯など駆使してあずきバーの先端を崩していきますよ。二口目・三口目と、徐々に攻略の糸口を確立し、そろそろじっくりと味わいましょうか、という態勢に入った矢先、バキ、と口中で音がした。
これはいかんよな。
舌先で前歯を確認する。何かが足りない。舌先で口中に足りない何かを捜索する。何かがある。つまり、以上の論点から帰納的に導かれる解は、「前歯が欠けた」である。ガーン。演繹的に導いたとしてもやっぱり同じ解だよね。ガーンガーン。
いやいや、待ちたまえ。
私は一部の前歯表面に化粧的な詰め物をしているではないか。そしてそれを施していたときに歯科医はこう言った。
「一生は持ちません。ある日、何の前触れもなく外れます。ショックでしょうね。その時は電話して!」
とにかく気が動転した私は即座に歯科(いつでもボサノヴァが流れるボッサ歯科医院)に電話し、翌日はあいにく休業日だったため、翌々日の朝一、速攻で予約したのであった。
ちなみに、残りのあずきバーはボッサ歯科に電話しながら食い切った。犬歯で。美味かった。
私は口中から欠けた歯のパーツを回収していた。そういう、自分の身体から出たものを眺めることが好きではない。うんことか。しかし、おそるおそる眺めてみた。それは明らかに、人工的な工芸品ちっくな佇まいをしていた。
ん?
こ、これは、挿し歯だ。挿し歯の一部だ。
私は前歯一本が挿し歯なのだ。その個所を舌先で確認してみる。歯の裏側は残っていて、表面が欠けている。それだ。動転していてすぐに気付かなかったぜ。しかし、挿し歯ってすっぽり被さっているものだと思っていたら、前後で張り合わせなのか?知らんかった。
ちなみに私は笑っても前歯が露出することのない口をしている。かなり大笑いしていてもシニカルな笑いをしているように人には見えるらしい。嫌な奴だ。しかし、こんな時には幸いだね。前歯が大事になっていても、恐らく誰にも気付かれず、治療の朝を迎えることができた。
そしてボッサ歯科にて、歯を前後、糊で貼り合わせて、はい完成。かんたーん。
井村屋のあずきバー、これは訴訟大国USAなどでは間違いなく訴えられているよ、と思うよ。そして冬には井村屋のあんまんを購入してきてレンジでチンが過ぎると、燃えたぎる餡でお口を火傷するぜ(経験者談)。それも訴訟大国USAなどでは間違いなく訴えられているよ、と思うよ。まぁ、それでも私は井村屋を支持します。やはり柔いあずきバーはいかんと、今もそう思うですよ。
2011-07-26
■[楽器・道具][歌舞音曲] ギター道あれこれ
ここしばらくギターなどを熱心に弾いてみている。じゃかじゃん。脳内イメージ通りに弾けぬ、小技も大技もきかない己の技術のなさに改めてどんよりとする。どよ〜ん。
ま、考えてみれば色々な生き方があったとは思う。もちろん「俺はギターの小技使いになるぜ」というような決意のもと、日々精進を重ねる生き方もあったろう。一日一歩、三日で三歩の進歩があれば、例え三歩進んで二歩下がっていたとしても、今頃はワンツーパンチの使い手くらいにはとっくになっていたはずだ(365歩のマーチ by 水前寺清子より)。
しかし、私は私がまだナウなヤングだった時代に「ふっ、俺のプレイに技術はいらないさ」と、強いて言えば多少パンク的な、根拠のない決意をしてしまったものだから、もう、それはもう、練習というものをさっぱりしなかったものです。うん、した覚えないね。本当に。
その当時、目指していたものはヴィジュアル&パフォーマンス重視な方向だったですが(美と前衛ね)、時を経て、おっさんになって、ヴィジュアル&パフォーマンス重視な方向から、完全に、全面的に、落伍し、脱落し、敗退し、撤退し、遁走した段になって気付くです。テクが、テクニックが、ねぇ。テクが、テクニックが、欲しい。せめて基本がしっかりしていれば話は別だろうが、そこがすべて自己流である。お話にならん。少なくとも私がまだナウなヤングだった時代にyoutubeでもあればなぁ、それ見てギターの基本とか、ちっとは学べたかもしれんなぁ。
ということで、こんな風に弾けていたら人生楽しいぞ、と思ったプレイです。
Hindi Zahra
こういうプレイが好きだ。さらっとこんな感じで弾きこなせれば理想形である。こんな風に弾きたいのである。このビデオの演奏は歌もギターもとても良いと思うのですけれど、アルバムは極めて真っ当過ぎてあんまりおもしろくなかった。まぁ、それは私の価値観である。ちなみにアルバムのレーベルは名門Blue Note。うん。私には縁のない世界かもしれない。
おっと、Hindi Zahraは歌っているねーちゃんの名で、ギター弾いているにーちゃんの名は知らぬ。多分、そういう無関心極まりない態度も上達につながらない遠因かもしれない。しかし、男の名になど興味がないのだから如何ともしがたい。
Zaz
アルバムが出ていて、タワーレコードのワールド棚でも昨今プッシュされておった。ファンシーでお上品でないフランスものは好きだね。アルバムの何曲か、ビデオにも映るマカフェリ・ギターが響き渡るような曲が、とりわけとてもよい。エレキやピアノが伴奏するような曲も入っているが、ガクっとつまらなくなる。普通で。まぁ、それは私の価値観ではある。
こういうプレイもイーネ。マカフェリ・ギターであるが、マヌーシュ・スウィング、つまりロマ系のジャズ系の音楽で活躍するギターですね。一度奏でてみたいものである。どんなものか。私が自己流の果てのプレイで挑んだとしても、音としてはこういう音が鳴るものなのか。鳴るんだろうな。音は。ちなみに、普通のギターで挑んでも、決してこういう音は出ません。少なくとも、私のプレイでは。
おっと、Zazは歌っているねーちゃんの名(通称?愛称?)で、ギター弾いているにーちゃんの名は当然のように知らぬ。あ、ダブルベースのにーちゃんの名もね。こういう無関心極まりない態度が上達につながらない遠因と、確信に近いものを感じだしているが、男の名になど、本当に興味がないのだから私に出来ることはない。
ということで、私は私で自己流の果ての果てを漂流し続けるしかあるまい。ナウなヤングだった時代にヴィジュアル&パフォーマンス重視な方向にさえ行かなければなぁ。その時はこりゃイケル!と思っちゃったんだよなぁ。今、そっち方面に行っちゃってるナウなヤングさんは、おっさん化後の出口戦略もしっかりと描くべきだね。
2011-06-30
■[楽器・道具] 砂丘 バス
「砂丘 バス」を検索してみればよい。鳥取砂丘へのアクセス方法が見つかるだろう。しかし、私が求めているのは観光情報ではない。但し鳥取砂丘へは行ってみたい。行ったことねーし。
ある朝
「ねぇ、君、今日僕宛の荷物が届くはずだから受け取っておいてくれたまえ」
「わかったわ」
その夜
「あなた、荷物受けとっておいたわよ。ところであなた。」
「なんだい、君」
「送り状に書いてある砂丘バスって、何なの?」
「・・・」
例えば、演劇であるならば、劇に合わせて背景や小道具をこしらえるだろう。絵画であるならば、カンバスや、絵具を揃えなければならない。左様。素人音楽家とて同様である。曲制作に必要な道具を調達しなければならない。そこで私は一曲ごとに、私の美意識に従い、それに最善な構成・フォーメーションで曲を制作しているのである。詳しくは以下略。
そんな私が目下の制作物に必要不可欠なものとして導入にゴーサインを下したのが「砂丘バス」なのである。
砂丘 バス ずん。
名門鈴木楽器製作のベース大正琴である。大正琴だというのに長さが1メートルくらいもありやがる。またお部屋が狭くなった。奥深き大正琴の世界。
アンサンブルの低音部を何によって担うか。私の20年に及ぶ苦闘の道のりである。「普通にベース弾きゃいいじゃん」という声は、私の脳内にもこだまし続けているのであるが、それはその道に打ち込んでいる人がその道をとことん追求すればよいのである。私がアンサンブルの低音部に求めるものは、少し観念的なものなんだな。詳しくは以下略。
さて、これ、大正琴アンサンブルの低音部を担う存在らしい。太弦開放はギターの6弦開放Eより長6度低いGである。多少、ボンボンした低音も出る感じね。大正琴で低音、変な感じだ。それこそ、アンサンブルの中で誰か一人がエレキベースでも弾けば良いと思うのだが、大正琴アンサンブラー達にとって、ベースまで大正琴で弾き切ることが、アンサンブルにとって観念的に不可欠な要素であろうことは、この砂丘バスの作り込まれた美しいフォルムを眺めれば容易に想像できるというものだろう。
で、私は大正琴アンサンブル曲を制作しようとしている訳でもないのだが、いろいろ調査の結果、これではないかと。で、丁度そのタイミングで出物を発見したと。
少し触って弾いてみて気付いたが、ボタンとボタンの間隔が広くて、結構弾くの大変かもしれん。普通のベースの方がストレートで回りくどくなく、それでいてより幅広い表現力で弾けそうな気が、当然のようにもの凄くするのだが、俺の選んだこの道が、曲がり道だとでも言うのかい、砂丘バスよ、轟け。ちなみにエレキベース大正琴です。
2011-06-27
■[班活動] ボスボスボス
それから春分が過ぎ春が来て、夏至が過ぎ夏が来た。
月並みかとは思うが、笑ったり泣いたり、飲んだり喰ったり、働いたり遊んだり、戯れたり悩んだり、歌ったり踊ったり、この生を、それが果てるまで、味わい尽くすよう精一杯生きることが、今もここにある者に出来る弔いの姿かもしれない、と思っている。
というわけで、太鼓でも叩いてみようと思い立つ。お部屋で。
当然、太鼓をボスボスボスと叩いてみれば、そこから発せられるサウンドのウェイヴが近隣住民に音速で到達し、ま、普通それは近隣住民にとって不愉快なものであろう。
しかしまた、我が良き近隣住民たちも、私が未だ睡眠のさなかにある早朝時間帯に、チェンソーでお庭の枯れ木を切断し始めたり、トン&カンと日曜大工をおっぱじめたり、そのサウンドのウェイヴは当然、私の鼓膜に音速で到達し、瞬時に私の脳内に当惑と、続いて殺意に似た感情を去来させるに至るわけであるから、所詮、生きるということは軋轢そのものなのである。
と、不惑の達観に浸りつつ、あれ、およよ、太鼓のバチが見当たらねぇ。あまりにもしばらくぶりに叩こうとしたら、バチがお部屋の中で行方不明になっちまっただだよ。
その現在のお部屋状況であるが、狭い。ただでさえ狭かったところ、冬季に知人から廃品同然のギターを2本も頂戴したり、出来ごころでBOSSの中古サンプラーを購入してしまったり、弾いたギターをケースにしまわずその辺に立てかけておいたり、そういった積み重ねで更に状況が悪化しているのだ。
で、バチであるが、お部屋内ローラー作戦(約5分)を敢行したところ、ありました。まぁ、バチが主体的にお部屋から出て行くことはないだろうし、バチに用がある人員は我が家には私以外おらんだろうから、それは見つかる。ただ、それがオートハープのケース(自作)の上のような、太鼓のバチとまったく関連付けられていないグッズ近傍だと、見つけ辛いということである。誰だよ、こんなものの上にバチを置いた奴!
俺だよ。
ボスボスボス
終日、近隣住民の迷惑を最小とするよう控え目に太鼓を叩き、リズムアンサンブルを録音してみる。そう、私は録音された音楽を制作しようとしているのだ。何か月ぶりだ。そして、さっぱり調子が上がらない。
まぁ、技量の問題ではなしに(いや、それも問題なのだが)、なんとなく、求めてる音との距離感、とでもいうのかな、お、なんだかあーちすとっぽい言い草だね、そこで躓いている。うまいこと気に入った音が出せないものよのぅ。録れないものよのぅ。
私は私なりに、今、私が求める音を記録したいと思っている。まぁ、いずれ結果はボスボスボス、という音に違いないのだが、それは私にとっては私の心の変化の、ちょっとした記録になるはずだろうと思う。









