通信6【〜命名の由来〜】
お待たせいたしました! 謎の研磨石、「命名の由来」完成版 お送りします。
〜命名の由来〜
メールアドレスは vajra@mx.biwa.ne.jp 、そしてペンネームは 研磨石
しかしてその実体は「あなたの けん(ま)いち」 さて、その名称の由来は?
私も多忙の身の上、いちいちお答えする暇を持ち合わせておりません。
それでも聞きたい、?
そんな貴女の熱意にお応えして、こっそりメールでお教え致しましょう。
他言無用、ここだけの話しにしてください。口は災いのもととも申します。
今、解き呆れさせられる「vajra」(バージラ)と「研磨石」の謎とは!!
今では洛陽の都人の私が、なぜ都の果ての琵琶ネットに籍を置いたか。近江の生まれだからである。
そして、その地は井伊家が治める、まだ、ず〜っと前の南北朝の頃、バサラ大名「佐々木道誉」が大活躍、当時「バサラぶる」という言葉が流行っていたという。
その系譜は、秀吉(長浜城)→信長(安土城)→直政(彦根城)→直弼(埋木舎・江戸城)と、いずれも近江を舞台に活躍したバサラ達である。研磨石も、それにあやかったのである。
■vajraとは梵語で、金剛と訳す。金剛石、すなわちダイヤモンドのことである。仏教では金剛童子(ばさら大将)の持つ武器の形をした霊力のある密教仏具のこと。人間として考えつく限りの悪徳・驕慢・奢侈・遊蕩・狼藉・放埒・無惨を指す。
※近ごろ、バサラという名の車が出たようだが、N社から挨拶は、未だない。
Vajra = ダイヤモンドだから【研磨石】とした?そんな単純な話、私ではない。
私が、かつて俳人であったころの名句を紹介しよう。
身を捨てて こそ俺、愛の 研磨石 研磨石
後日、「子規記念館」を愛媛に訪ね、子規の数あるペンネームの中に「面読斎」を見つけたとき、その読み方を瞬時に判読できた自分に至福を感じ、子規もまた そうであったかと親しみを覚えたものである。 9/20子規忌
子規たずね 旬のみやげに イー予感(伊予柑) 研磨石
な、何を隠そう、
「研磨石」とは「けん(ま)いち」=「(間)抜けのけんいち」ということ。
・・・・恐れ多いことだが、「子規」をも越えたかもしれない。
そして、そのまた後日談がある。
正倉院御物の名香「蘭奢待(らんじゃたい)」にも匹敵する馨しい「磊」という落款が、出来上がったくだりは、私の処女句集「苦衷」に詳しく述べてあるので、ここでは触れない。(1996/12/30発行)
以上、命名の由来を書いてきた。どうだ、参ったか!
命名と言えば余談になるが、娘達の名付け親も、実は私である。
「上田の たんぼ に香苗(妻の名)を植えて・・・」は、遠き日の婚礼の祝辞である。
そーして、生まれた娘が二人。
繭美(10月生まれ、中2)と麻葉(7月、小3)、共に良き名前である。
期せずして歳時記と、それぞれの名が一致するところなど、研磨石、生まれながらの俳人としての「資質」があったことを物語っている。
【檀(まゆみ)の実は10月の、麻は7月の、季語】
特に、麻葉(あさは)という名前は、私の知りうる限りでは、世界中でたった一人しか居ない、貴重な名前である。
次に、もう一人女の子が生まれたら木綿香(ゆうか)と名付けて、天然繊維三姉妹の完成となる。
(妻からは他所で造れといわれているが、叶っていない。募集中である)
そして、繭美には絹製品、麻葉には麻製品、木綿香には綿製品の、それぞれの名前をブランド名として店をやらせ、研磨石の老後もまた、左うちわなのである。
このまま続けると、いつ終わるか分からないので、これをもって、少々長くなりましたが、「今は余生の研磨石」 〜命名の由来〜 と致します。
以後、よろしく御見知りおきのほどを、お頼もうします。
はぐれ雲 きまま わがまま 茄子がまま 研磨石(1995年 6月)
2000(H12)/ 4/21(金)氷上郡柏原にて あなたの必要邪魔 研磨石
★追記 柏原かいばら駅にて【訪販道中膝栗毛2】
雪の朝 ニのじニのじの 下駄のあと 田ステ女の句(貞閑尼)
田ステ女は寛永10年柏原町生まれ。6才の時、上記の句を詠んだのは有名。42才の時夫と死別後、出家。盤珪禅師の弟子となり播州網干・不徹庵にて元禄11年貞閑尼66才にて死去。