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Traveling LIBRARIAN −旅する図書館屋 このページをアンテナに追加 RSSフィード

旅×本×図書館×??

2017-06-12 「研究目線」ではなく「ビジネス目線」で

[]勉強会中央線RT2017〜水無月を開催 勉強会@中央線RT2017〜水無月を開催を含むブックマーク 勉強会@中央線RT2017〜水無月を開催のブックマークコメント

(47) 2017/6/9 高円寺HACO 内田伸穂(ソフトバンクロボティクス)「ロボット体験・意識・ビジネス」

今回はロボットをテーマに選びました。

街で見かけても、観光客とお子様以外には見向きもされなくなっている、人型ロボット鉄腕アトムドラえもんに親しんだ私たちが期待するものは、このレベルではないはず。果たしてこれからインパクトをもたらす存在になっていくのでしょうか。  

人型ロボットが世に出たことで、人々の体験や意識の変化が進行し、様々な企業がロボットのビジネス活用を模索しています。その実情を知ることで、「人型ロボットのいる世界」が私たち自身をどんな影響をもたらしていくのか想像してみませんか。

日本IBM、デロイトトーマツコンサルティング自動車産業担当、東南アジア駐在を経て、現在ロボティクス産業を満喫している内田さんに、事業目線ロボットについて語っていただきます(図書館教育機関の事例にも言及していただきます)。

「人型ロボット」の当面の活用場面としては、人間とのコミュニケーション最適化しようとしたデバイスとして*1、人間の「代わり」というより「補助」という立ち位置で、同じことを繰り返すようなコミュニケーションが必要とされる場面で力を発揮しそう…という印象です。個人的には、図書館などのシニア層・キッズ層が一定数おとずれる公共施設や、(規制は厳しそうですが)介護施設での活用の可能性を強く感じました。今、そこかしこで見かけるPEPPER君の海外展開はこれからだそうです。生活習慣や規制などが日本と異なる各国でどのように使われ、そしてどう可能性が広がっていくのかも楽しみです。

また、ロボットに積極的に投資するソフトバンクのスタンスも興味深いです。人工知能の開発に投資するGoogleIBMMicrosoftといったIT巨人とどうつきあっていくのか、そして将来の勢力図はどうなっていくのかも楽しみです。

*1:「人型」という形状自体が面白いですね。その形状をしているだけで、人間側が勝手に様々な感情を移入してくるので。

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2017-05-26 列車内図書室

[][]「汽車中の図書室 簡単なる旅中の伴侶」 「汽車中の図書室 簡単なる旅中の伴侶」を含むブックマーク 「汽車中の図書室 簡単なる旅中の伴侶」のブックマークコメント

このネタの投稿はかなり久しぶりだが、前エントリー「和田万吉の「旅客の為めに図書館(2012/8/15)」の続きを、備忘をかねて。

最近読んだ『シベリア鉄道紀行史:アジアヨーロッパを結ぶ旅』において、1911年明治44年)6月23日の朝日新聞に掲載された「汽車中の図書室 簡単なる旅中の伴侶」という記事が紹介されていた。概要は次のとおり。

  • アメリカ横断鉄道シベリア鉄道等の欧米の長距離鉄道に設けられている図書室を参考に、鉄道院神戸新橋間の鉄道(1,2等列車)に試験的に設けることにした。
  • 喫煙室の一角に書架を設け、本を(120-130冊くらい置きたいところ)差し当たり40冊ほど置いて、乗客に提供する。車掌が管理を担当する。
  • 本は、富山房から寄贈してもらった物語、狂言紀行文、見聞集、寓話、講釈、笑談といった名著文庫で、あまり頻繁に交換する必要が無いものにした(広告的に新刊を置くこともあるが)。

この試みがどうなったのかは分からないが、日本で列車内の図書室があまり広まらなかったことを踏まえると、イマイチな結果だったのだろう。

前のエントリー紹介した坪谷善四郎の「汽車内備附図書に就ての希望」(1918年)も、もしかしたらこのときの試みを参考にしたものだったのかもしれない。

とは言え、「汽車図書室を設ける」というアイデアだけに限れば、もう少し遡ることができる。1900年明治33年)の朝日新聞に「貸出図書館設立計画」という記事があり、ここには、

という趣旨のことが書かれている。

この記事の最大のツッコミどころは「株式会社貸出図書館」という企画そのものなのだが、これについてはまた改めて。

  1. 和田万吉の「旅客の為めに図書館(2012/8/15)
  2. 『図書館雑誌』2012年8月号に「マレビト・サービス」を執筆(2012/8/14)
  3. マレビトサービス#2:西牟田靖編(2011/5/15)
  4. 同時多発的お花見ストリーム/マレビトサービス#1:石田ゆうすけ編(2011/4/7)
  5. 地域と観光に関する情報サービス研究会第三回研究会(2011/3/25)
  6. 地域と観光に関する情報サービス研究会第二回研究会(2011/2/22)
  7. 地域と観光に関する情報サービス研究会第一回研究会(2011/1/23)
  8. 地域と観光に関する情報サービス研究会(マレビトの会)発足(2011/1/11)
  9. 図書館と観光:その融合がもたらすもの(2010/12/27)
  10. Airport Library @スキポール空港(2010/9/8)
  11. 鼎談「まちづくり・観光・図書館」(2010/7/5)
  12. 観光と図書館の融合の可能性についての考察(2010/5/1)
  13. アーバンツーリズムと図書館(2009/3/24)
  14. Tokyo’s Tokyo(2009/3/4)
  15. 旅の図書館(2009/2/12)
  16. 南益行の「観光図書館論(2009/1/27)
  17. 旅人のための図書館を夢想する(2008/12/27)
  18. 蛇足 「八重山図書館考」(2008/10/10)
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2017-05-01 アーカイヴの未来

[]柳本浩市展に寄せて 柳本浩市展に寄せてを含むブックマーク 柳本浩市展に寄せてのブックマークコメント

柳本浩市展「アーキヴィスト―柳本浩市さんが残してくれたもの」に行ってきた。

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柳本さんと最初にお会いしたのは、「何に着目すべきか」というイベントの壇上。友人に声をかけてもらって何の予備知識も無いままに柳本さんと対話したのだが、自分の体調が良くなかったこともあり、その場は消化不良に終わってしまった。正直、何を話したのかももう覚えていないが、「集める」「残す」ということの意味について、とても話の合う人だと思った記憶がある(展示場で販売されている冊子に、この時の対話を柳本さんが振り返るインタビューが掲載されている)。

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その後、(とある集まりで顔を合わせて挨拶したものの)しばらくご無沙汰してしまっていたところにメールをもらい、柳本さんの対談をすることになった。対談自体は、自分としても仕事やその周辺の活動ばかりでなく、大学時代に歴史学を勉強していたことまで芋づる式にリンクしていく、非常に刺激的なものだったのだが、同時に、そこで初めて、コレクターキュレーターそしてビジネスマンとしての柳本さんを知ったのだった。

自分の本業であるライブラリーの視点から、ぼんやりと「アーカイヴ」と「キュレーション」ということはそれまでも考えていたのだが、そこに決定的に欠けていた「マネタイズ」という視点をもたらしてくれるのではないか―そう思った。そこで、自分が主宰する小さな集まりに来てもらった。そこで、小さい頃からの収集癖と、ビンテージ・ジーンズやエアマックスなど集めたモノに「文脈」という付加価値を付けてビジネスを生み出してきたその手業の一端を紹介してもらった。

そして、ぶっ飛んだ。世の中にはこんな人がいるのか、と。

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確かに「アーカイヴ」を「キュレーション」して「マネタイズ」している。そこにタネも仕掛けもなかった(ように見えた)。そこに、柳本さんがいただけだった。倉庫の年間維持費だけでひっくり返るような金額が必要になるほどのコレクションを使いこなせるのは、柳本さんだけなのだった。この人と一緒に、新しいライブラリーでありアーカイブを作れるのではないか…そう思った矢先の訃報は、本当に残念だった。

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柳本さんのあのコレクションはどうなってしまうのか。有名なデザイナーの作品など、そのものに価値のあるコレクションはともかく、それ単体では「ゴミ」とされかねないガムの包装紙やチラシといった、柳本さんという稀代の目利きが介在して初めて価値の出てくるコレクションはどうなってしまうのか。コレクターの没後、そのコレクションが廃棄/散逸してしまうことは珍しくない話だ。

柳本さんを「ものを収集し、整理し、その価値を見きわめてアーカイヴをつくり、未来へ発展させていく人」、すなわち「アーキヴィスト」としてとらえ、その膨大なコレクションの一端を見せてくれる今回の展示は、その脳内イメージをぶちまけたような素晴らしいものだった。

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しかし、未だ扱いの定まっていないらしいそのコレクションの行く末を思って気が重くなったのも事実だ。アーカイブそのもののビジネス・モデルが成立している(ように思える)David Bowie Archiveとはわけが違う。ファイリングのざっくりしたラベルを見れば分かるように、メタデータも整備されていない―そもそもこの分量を個人で整えるのは土台無理な話だ。このような展示は、恐らく最初で最後の機会になってしまうのではないか。

柳本さんは自らのコレクションをデジタル・アーカイヴ化して多くの人に開き、そこをプラットフォームして人工知能技術の力も借りながらキュレーションして新たな価値を生み出していくことを構想していた(上述した僕との対談も、そのコンセプトブックに載せるために行われたものだった)。それはもしかしたら、自分がいなくなった後でもコレクションが、少なくともアーカイブ上では散逸することなく維持され、そして活用されることまで考えた上でのことだったのではないかと、僕は思っている。だから、その構想が頓挫してしまったことが残念でならない。

展示に先立ち、展示の実行委員会の方から、柳本さんの残した未整理のコレクションと一緒に展示する、「アーカイブ」という言葉についての140字のコメントを欲しいというリクエストをいただいた。少し迷ったが、僕なりに「アーカイヴ」と、それと展示のテーマである「アーキヴィスト」という言葉を、柳本さんとの対話を思い出しながら、再定義してみることにした。

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柳本さん、安らかに。

柳本浩市展

会期: 2017年4月29日(土)− 6月4日(日) ※会期中無休

時間:12:00-18:00

会場:six factory(約250m2)

東京都目黒区八雲3-23-20

入場料:一般500円、大学生200円(学生証提示)、高校生以下無料

主催: 柳本浩市展実行委員会

協力: 株式会社 良品計画

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2017-04-24 彼らを断罪せよと友はいう

[]勉強会中央線RT2017〜卯月を開催 勉強会@中央線RT2017〜卯月を開催を含むブックマーク 勉強会@中央線RT2017〜卯月を開催のブックマークコメント

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(46) 2017/4/21 高円寺HACO 仲俣暁生マガジン航)「オルタナティブとしてのローカルメディア

10周年目第一弾のネタは「ローカルメディア」にしました。

各地の図書館を巡るあれこれの見聞、数年前の実家処分、従兄弟たちの関西圏への回帰・定着、10年以上住む中央線沿線への目線、地方で本屋をやりたいという若者との邂逅…ここのところ気になっていた「ローカル」という言葉を、少し前に出た本を通じて知った「ローカルメディア」という言葉を通じて一度考えてみようというものです。

もっとも、雑誌などで前向きに取り上げられる田舎や地方といったイメージに収斂されるような「ローカル」には、東京に定着することを選んだ私自身、それほどシンパシーや前向きな展望も感じているわけではありません。都築響一さんが描くようなロードサイドのイメージの方が、むしろしっくりくるような実感を持っていますし、それが東京定着を選んだ理由でもあります。したがって、今の私には「東京目線」でローカルについて語り考えることしかできません。

圏外編集者

圏外編集者

仲俣さんには、マガジン航2016年から2017年にかけて主催したセミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の話を下敷きに、「東京在住の出版人」の目線からローカルメディアについて話をして欲しいとお願いしていました。

それを踏まえて仲俣さんが事前に書き起こしてくれたストーリーがこちら。自身が東京体験してきた80年代以降の雑誌を中心としたメディア史を振り返りつつ、煮詰まりつつある?東京地場産業としての出版メディアの「オルタナティブメディア」としてローカルメディアをとらえられないか?という問題提起です。

■概要

地元密着型の「ローカルメディア」への注目が集まっている。地方出版やタウン誌といった従来型ローカルメディアとは別の場所で、地方文化誌やリトルプレス、地方企業のPR誌が面白くなっているからだ。1990年代から2010年代にかけて、DTPウェブの普及、地方が抱える深刻な問題の解決手法としての期待など、ローカルメディアをとりまく環境は大きく変わった。はたしてローカルメディアは、既存の出版やマスメディア危機に対するオルタナティブとしてどこまで期待できるのか? 連続セミナー「ローカルメディアで〈地域〉を変える」の経験を踏まえての「マガジン航」編集発行人の仲俣暁生による報告。

■話の流れ

最大の問い:なぜ、日本のメディア(とくに出版)はこれほどまでに東京一極発信なのか?それこそが出版不況やメディア不信の元凶ではないのか?

1:個人史から。東京出身、東京近郊育ちの人間のメディア観=外部を知らない。

2:東京のローカル雑誌「シティロード」の経験(地方タウン誌の時代。1970〜80年代)

3:グローバル化に対応できなくなった東京メディア(とくに雑誌)。1990年代〜

4:Act Local:『谷根千』の奇跡(1980年代〜2000年代)

5:「印刷されたブログ」としてのリトルプレス(2000年〜2010年代

6:東日本大震災を経ての気付き(『AERA』の「放射能が来る!」への違和感)

7:『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)の出版(2011年

8:出版は東京の「地場産業」にすぎないという仮説(著者も読者も東京にしかいない?)

9:ローカルメディアの再発見(Only Free Paper, 本屋B&B

10:「文化誌が街の意識を変える展」2014年3月〜4月)

11:影山裕樹『ローカルメディアのつくりかた』、ローカルメディアセミナー2016年

12:来場者と議論したいこと:「地域雑誌」にとどまらない展開はいかに可能か?

結果、地方出身東京在住、東京生まれ東京育ち、地方へIターン…様々な来歴を持つ方々を迎えた今回は、自らの経験に引きけてそれぞれのローカル/ローカリティ観を語り合う場となりました(やはり、こういう自分事に引き付けられるお題は盛り上がります)。

ただ、再確認できたこともありました。全部書くと長くなるので、ここでは2つに絞ります。

一つ目は、"地産地消"のローカルメディアの面白さです。

『ローカルメディアのつくりかた』で紹介されている取り組みは興味深いものばかりですが、テキストを読む限り、『みやぎシルバーネット』、『ヨレヨレ』といった地方の特定のコミュニティで作成・消費されるメディアの方が、「ユニークさ」、「面白さ」という点で私には面白そうに思えます。『ラコリーナ』のように強力なスポンサーシップの下、親会社と地域の宣伝のために作成されるクオリティの高いメディアも素晴らしいのですが、メディアによってはそのコンテンツイメージと広告主のイメージがまるで食い違うことに象徴されるように、どこかちぐはぐな印象を持ってしまうものもあります。メディアごとに目的そのものが異なることは理解しているつもりですが、「地産地消」でないメディアは、ローカル発のメディアであっても、ローカルメディアではないような気もします。

二つ目は、地方における編集者とメディアの邂逅による可能性です。

仲俣さんは「各地にライターもデザイナーもいるが編集者がいないが、地域のシガラミの中でもがく編集者がいないとメディアにならない」という趣旨のコメントをしていましたが、ある程度の編集スキルを身に付けるとなると、少し乱暴ですが、出版を地場産業として抱える東京しかないのでしょう。様々な理由で地方に拠点を移す/戻す人がいますが、編集スキルを持った人と地縁・趣味・施設…何でもいいですが、何がしかのローカル・コミュニティと出合ったときに、オルタナティブとしてのローカルメディアが生まれる可能性が出てきそうです(もちろん、簡単に出来ること/続けられることではないのですが)。

こういう集まりで、バックグラウンドが異なる参加者全員が「これだ!」という"答え"を持って帰れるということはあり得ず、今回もそうでしたが、何か"もやっとしたもの"をそれぞれが持ち帰ることになります。ただ、敢えて足りないものがあったとすれば、ローカルメディアを実践している参加者と、ローカルメディアの作り方とコンテンツをめぐる具体的・実践的な語りです。

その場では「ローカルメディア縛りのビブリオバトルもいいかも」なんて言いましたが、機会があれば続編を企画したいと思います。

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2017/5/1追記

当日の話を、仲俣さん本人がまとめられていたので、御紹介。

ガラパゴスからトランス・ローカルへ

2017-04-04

[]B級写真カレンダー2017年度版を作成 B級写真カレンダー2017年度版を作成を含むブックマーク B級写真カレンダー2017年度版を作成のブックマークコメント

2012年2013年2014年2015年2016年…と続けてきたのでこのシリーズも6年目。2017年度のカレンダーを作った。なお、「2017年」ではないのは、単に作り忘れていたからで、深い理由はない。

使った写真は、(今回は少し条件を変えて)モノクロであることと横長であることを条件に、これまで写真展等にあまり出したことがないもの、即ち「B級」を中心に選んでいる。来年1年間、職場のデスクに置いてあると思うので、またまた生温かい目で見守ってもらえればと。

4月:オランダロッテルダム(2010.8)

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5月:フィンランドヘルシンキ(2009.9)

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6月:イスラエルエルサレム(2011.1)

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7月:日本・東京(2014.8)

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8月:イスラエルエルサレム(2011.1)

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9月:ベルギー・ヘント(2010.8)

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10月:フィンランドヘルシンキ(2009.9)

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11月:中国成都(2007.10)

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12月:中国成都(2007.10)

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1月:イスラエルエルサレム(2011.1)

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2月:中国成都(2007.10)

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3月:ベルギー・ヘント(2010.8)

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2017-02-25 A Third Learning Place under the Railway Viaduct

[]「ガード下の「ゆるく尖った場」:10年目の勉強会中央線」を執筆 「ガード下の「ゆるく尖った場」:10年目の勉強会@中央線」を執筆を含むブックマーク 「ガード下の「ゆるく尖った場」:10年目の勉強会@中央線」を執筆のブックマークコメント

2008年2月20日にスタートした勉強会中央線が、10年目に突入しました。

まさかこれほど息の長い会になるとは始めたころは思いもしませんでした。我ながらよくやめなかったなとは思わないでもないですが、それより何よりこれまで関係していただいた皆さんのお蔭です。この場を借りて御礼申し上げます。

せっかくの区切りなので、これまでのことをまとめておこうと思い立ち、『ラーコモラボ通信』に「ガード下の「ゆるく尖った場」:10年目の勉強会@中央線」という文章を書いてみました*1

これまでブログなどに書き散らかしたりした内容もまとめています。よろしければゼヒお読みください。

せっかくの10周年目ということで、派手にやりたい気持ちもないわけではないですが、現状、節目の50回に向けていつもどおり粛々とやっていくこうと思います。引き続きご贔屓のほどを。

*1:どの媒体にお願いするか迷ったのですが、実績一覧を掲載したかったこともあり、文字数制限のある紙媒体を避けて、メールマガジンにしました。本メルマガの「図書館における今後の学習環境を考える」という趣旨に合致するかどうか微妙なこの企画を拾ってくれた編集部に多謝!

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2017-02-21 越境者たち

[]前田利定『支那遊記』 前田利定『支那遊記』を含むブックマーク 前田利定『支那遊記』のブックマークコメント

前田利定 『支那遊記』 東京, 民友社, 大正元(1912)年, 182p.

<本文>

子爵/貴族院議員・前田利定(1874-1944)は明治45年5月31日、神戸港から丹波丸(日本郵船の客船)に乗り込み、上海に向かった。

旅の理由は特に記されていないが、貴族院議員の視察旅行と思われる。前言で

只此の四十日が程陸の旅海の旅を重ねし間馬の上船の中にて目に触れ耳に聞きたるその日その日の出来事や頭脳に印象したる事共を書きつらねて此の行に加わらざりし先輩同僚の方々へ其興趣の幾分を頒たんが為なるのみ

と書いているのが、この一節こそが本書の性格をよく表すものだろう。

さて、上海港に到着したのは6月4日。同地で在留日本人たちと交歓し、同6日、鉄道蘇州に移動した。

蘇州では寒山寺に参った他、日清汽船株式会社の白岩龍平と対面し、同じ佐々木信綱門下の艶子夫人と意気投合した。蘇州には宿泊せず、そのまま南京に進んだ。

南京で明の故宮等を訪れて古を偲ぶなどしてから、同8日、船で長江を遡った。船中で目にした夕景が印象に残ったようだ。少し長いが引用しよう。

長江のたそがれの景色ほど忘れられぬものは無之候 此度の支那の旅の中にて永遠に忘るるの期は御座なかるべく候 日は西山に落ち残照散り候へ共水光猶明に暮色來ること遅く御座候 やかで晩霞淡く流れ來りて遠山は烟につつまれ岸頭の水村緑莎の洲はぼんやりと柔き線を劃し居り申候 長江の積水は萬里雲際より流れ來りて下悠遠なる空の中へと流れ消え居り候 (中略) 暮色愈々加はりて川上より來る民船の燈影美しく水に落ちて静寂なる長江の夜色なんとも申されず候 夜涼水の如く午熱を洗ひ去りて軽袗船欄に倚り候へば月なけれども星鮮やかに江上の清風此の良夜を奈何せんやにて候

同12日、漢口で船を降り、鉄政局や日本人の経営する製粉会社等を視察した。翌13日には湖広総督・黎元洪から茶菓の招待を受けた。ちなみに、前田は黎元洪を「一介の武辧に無之 (中略) 溢るる許りの愛嬌を湛えて一種人を引き付くる力有之候 男に候 且つ軍人に似合しからぬほど温厚長者の風あるを見受け申候」と絶賛し、この地方の衆望を集めるのも無理ないとしている。

14日、漢口から鉄道に乗り込んだ。行き先は北京である。到着は27時間後の15日夕刻。その夜は、中華民国議員団も交えての宴に参加した。

15日、大総統袁世凱を表敬したが、足元も覚束ないその老いっぷりに戸惑ったようだ。翌17日からは民国政府議会天壇などの視察・見学に明け暮れた。

19日に八達嶺を経由して天津に、22日に営口に、24日に大連に移動した。

25日には旅順日露戦争戦跡を見学し、とりわけ旅順要塞については「陥落し候事が寧ろ頗る不可思議に存申候」と感想を述べている。

26日に旅順を発ち、長春を経由して28日にハルピンに到着した。そして翌日には、撫順炭山に見学に赴いている。ちなみに、この頃、少し里心がついたのか、「月満つる頃に帰へるちちぎりしを 吾が子や待たむ月の満つれば」という歌を詠んでいる。

その後、30日に奉天、6月1日に安東、そして2日に仁川と移動したところで、本書は終わっている。恐らくは、ここから船で帰国したのであろう。

本書を通読すると、やや冗長なきらいがないでもないが、修飾表現がよく工夫されている印象を受ける。議員の海外視察旅行記の中では異色とも言えるだろう。エッセイを数多くものしている著者の面目躍如たるところか。また、歌人らしく自作の短歌を折々に挟み込んでくる一方で、政治家らしく上海での一円銀貨の流通事情や蘇州の紡績業、南京の商況、長江上の汽船事業の角逐、民国政府の課題、南満州経済状況などの調査分析にも字数を割いているのも特徴的である(議員視察なので当然と言えば当然だが)。

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2017-02-17 NDL Dunhuang Project

[]国立国会図書館所蔵敦煌文献(メモ) 国立国会図書館所蔵敦煌文献(メモ)を含むブックマーク 国立国会図書館所蔵敦煌文献(メモ)のブックマークコメント

国立国会図書館所蔵の敦煌文献に関するメモ。適宜追記していく(最終更新日:2016/2/20)。

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敦煌文献一覧*1

濱田徳海旧蔵。

  • WB32- 2(D) 金光明最勝王経 巻第9(写1巻)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32- 3(M) 金録晨夜十方懺残巻(写1巻 残背文字あり)

濱田徳海旧蔵。道教文献(唐代の金(竹+録)斎儀のうち十方懺に関わる内容)。背面には仏教目録を書写。元はスタイン3071と同一の巻物。ペリオ2989は同一の書物を書写したもの。[神塚2013]濱田の前は安藤徳器旧蔵。[岩本2014]

  • WB32- 4(D) 四分戒本(写1巻)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32- 5(D/D) 浄名経関中釈抄 巻上(道掖撰集写1巻)

濱田徳海旧蔵。濱田の前は村口書房旧蔵か。[岩本2014]

  • WB32- 6(M) 大乗顕識経 巻上(写1巻 巻末に唐永隆元年とあり)

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。濱田の前は村口書房旧蔵。[岩本2014]

  • WB32- 8(D) 大方便仏報恩経 巻第1(写1巻)

濱田徳海旧蔵。濱田の前は栗原貞一旧蔵。[岩本2014]

  • WB32- 9(D) 大方便仏報恩経 巻第2断巻(写1巻)

濱田徳海旧蔵。濱田の前は栗原貞一旧蔵。[岩本2014]

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-14(-) 大般涅槃経 巻第12(写1巻 巻末に隋大業2年…とあり)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-15(D) 大般涅槃経 巻第15(写1巻 巻末に隋大業2年…とあり)

濱田徳海旧蔵。濱田の前は村口書房旧蔵。[岩本2014]

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。濱田の前は山合喜一郎旧蔵。[岩本2014]

  • WB32-18(D) 大仏如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経 巻第9(写1巻)

濱田徳海旧蔵。濱田の前は山合喜一郎旧蔵か。[岩本2014]

  • WB32-19(M) 仏説灌頂章句抜除過罪生死得度経(写1巻 巻尾欠 着色扉絵付)

濱田徳海旧蔵。濱田の前は山合喜一郎旧蔵。[岩本2014]

  • WB32-20(D) 仏説護国経(写1巻 巻首欠 訳場列位付)

濱田徳海旧蔵。濱田の前は山合喜一郎→村口書房旧蔵。[岩本2014]施萍(女+亭)によれば、非敦煌文献。

  • WB32-21(D) 仏説金剛手菩薩降伏一切部多大教王経 巻下(写1巻 訳場列位付)

濱田徳海旧蔵。施萍(女+亭)によれば、非敦煌文献(高山寺本)。

  • WB32-22(-) 仏説尊勝羅尼経呪(写1枚)*2

濱田徳海旧蔵。背に「(束+のぶん)帰義軍節度使瓜沙等州」とあるらしい。

  • WB32-23(-) 仏説八陽神呪経断巻(写1巻 紙背に太平興国9年…とあり)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-24(M) 仏説法句経(巻末書名:仏説法句経 禅秘要経 大弁邪正経)(写1冊)

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-29(D) 西域法宝遺韻(写1帖 写経断片貼付)

濱田徳海旧蔵。仏典の断片を一冊にはったもので、一部はトルファン文書か。[岩本2014]

  • WB32-30(D/D) 道教叢書残巻(写1巻 紙背に別文)

濱田徳海旧蔵。唐代?の道教文献。台湾人の林熊光(1897-1971)旧蔵で、道教文献と最初に比定したのはその友人・神田喜一郎。紙背に仏教の願文あり。ペリオ2443と同一の書物からの書写(元は同一巻子の可能性もあり)。『旧唐書』経籍志/『新橙書』芸文志にある『道要』30巻の一部との説あり。[神塚2013]

  • WB32-31D) 仏名経断巻(写1巻 着色仏像1体)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-32(D) 仏名経断巻(写1巻 各行首採印仏)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-33(D) 仏名経断巻(写1巻 各行首印仏)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-34(D) 仏名経断巻(写1巻 着色仏像12体)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-35(D) 写経断巻(写1枚)

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-37(D) 写経断巻(写1枚)

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-39(D) 写経断巻(写1巻)

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-40(D) 写経断巻(写1枚)

濱田徳海旧蔵。施萍(女+亭)によれば、非敦煌文献。

濱田徳海旧蔵。佐藤貴保によれば、非敦煌文献、大方広仏華厳経経巻第74。[岩本2014]

濱田徳海旧蔵。佐藤貴保によれば、非敦煌文献、大方広仏華厳経経巻第74。[岩本2014]

濱田徳海旧蔵。箱書に「(多田)等観拝書」。岩尾一史によれば無量寿宗要経。[岩本2014]

濱田徳海旧蔵。岩尾一史によれば無量寿宗要経。[岩本2014]

濱田徳海旧蔵。岩尾一史によれば無量寿宗要経。[岩本2014]

  • WB32-46(D) 一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(刊1巻)

濱田徳海旧蔵。

濱田徳海旧蔵。

  • WB32-48(D) 隋経断巻(写1巻)

濱田徳海旧蔵。

  • WA37- 9(D) 後周顕徳二年暦断簡

新城新蔵旧蔵。新城文庫(宇宙物理学者新城新蔵(1873-1938)の収集した天文学、暦学関係コレクション。昭和18年に購入)所収。後周・顕徳二(955)年9月1〜29日の具注暦。国立国会図書館の展示「日本の暦」(1984年10月)に「伝敦煌出土」として出展(『国立国会図書館所蔵個人文庫展「日本の暦」展示会目録』1984年)。詳細な分析・学会への紹介は西澤宥綜による(「「顕徳二年暦断簡」考釈」『中国科技史料』21-4, 2000年)。書式等から帰義軍押衙・(羽+ふるとり)奉達撰と推定。[西澤2004]

唐代の写経か。上野図書館旧蔵。昭和18年以前に受入。[岩本2014]

  • WA 2-21(D) 大智度夢化行六度品

隋唐初の写経か。上野図書館旧蔵。


濱田徳海旧蔵敦煌文献(WBXX。『敦煌等経文』として整理)購入の経緯

国立国会図書館が濱田徳海旧蔵敦煌文献を購入したのは、昭和37年から38年にかけてのこと。[土屋1991]

濱田徳海(1899-1958)は大蔵官僚昭和35年12月13日の衆議院議院運営委員会図書館運営小委員会で、以下のやり取りがあった。ここでは、濱田が中国滞在中に購入したかのような説明だが、実際は帰国後に古書市場で各所から購入した模様(コレクションは90点に上ったらしい)。[岩本2014]所蔵点数から見て、予算化された約半数のみ購入した模様。

重点項目の第二は、本格的な図書館奉仕に必要な経費であります。そのおもなものは、図書購入費六千六百九十三万円であります。従来は、何分書庫の狭隘によって、蔵書の十分な充実を見ることができず、今日に至ったのでありますが、特に外国図書の弱体が痛感されますので、三十六年度からは、わが国唯一の国立図書館として外国の一流中央図書館に比肩し得る蔵書構成を持ちたいと考えております。なお、このうちには、国会からの要望に基づき、近来急速にクローズアップされました中近東アフリカ関係の資料を整備する経費としまして一千四百万円、また、浜田徳海氏旧蔵の敦煌文書の購入費一千万円が含まれております。

十ページの「敦煌文書」というのはどんなものですか。

最古の仏教の原典でございます。敦煌の石窟からスタインが発掘した敦煌文書というものは、今存在する仏典としては最高の権威のもので、これはロンドンのブリティッシュ・ミュージアム図書館とか、フランス図書館に入っております。もちろん北京図書館にもございますが、それを、浜田徳海さんという方が中国に長く大蔵省の役人として在勤しておられた関係で数十点お持ちで、そのままなくなられた。これをそのままにしておきますと、海外に流出するおそれがありますので、これを国会図書館として収蔵することが、日本の仏教その他東洋学研究のために欠くべからざる資料ではないかということを専門家がサゼストしてくれますので、全部ですと相当巨額になりますので一度には買えないと思いますが、約半分くらいの分量の予算を計上いたしました。

<参考文献>

*1:Dはデジタルコレクションへのリンク。Mはマイクロフィルムでの閲覧

*2:NDL-OPAC/デジタルコレクションで確認できず。要調査

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2017-02-15 CCoN

[]CCoN2017写真リスト CCoN2017写真リストを含むブックマーク CCoN2017写真リストのブックマークコメント

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"Blood" Iga, 2015.10.

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"Street Life" Nakano, 2017.1.

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2017-01-25 ラサにディスコはあるのか?

[] 「『チベット 聖地の路地裏―八年のラサ滞在記―』の世界」に参加  「『チベット 聖地の路地裏―八年のラサ滞在記―』の世界」に参加を含むブックマーク  「『チベット 聖地の路地裏―八年のラサ滞在記―』の世界」に参加のブックマークコメント

ずっと気になっていたことがる―ラサにディスコはあるのか?

2001年11月某日の夜

私はツレの日本人旅行者と2人して、ディスコを探して夜のラサを徘徊した。数少ない行き交うチベット人に「この辺にディスコはないのか?」と尋ねまくり、最後に連れて来られたのは、「民族舞踊ショー」のようなものが楽しめる高級そうなラウンジだった。

「これはディスコちゃうなぁ…」

そのときは、そう言って中に入らずにホテルに戻った。

2017年1月21日、風の旅行社が主催する「『チベット 聖地の路地裏―八年のラサ滞在記―』の世界」という講演会に参加した。講師は、『チベット 聖地の路地裏―八年のラサ滞在記―』の著者で、ラサに10年近く滞在した経験を持つ文化人類学者の村上大輔さん。ラサ滞在中のエッセイをまとめたこの本を読み土地の記憶が甦ってきたところで、今、彼の地はどうなっているのか気になったのだ*1

村上さんの話はとても興味深いものだった。

2000年前後から急速に進んだチベットの開発、2006年の青蔵鉄道の開通などを経て、ラサの都市空間は激変していた。多くの漢人流入し、商業ビルにマンションが格段に増えていた。また、内地で教育を受けたチベット人エリート層(西蔵班)が台頭してチベット人の中でも分断が起きているようだ(もっとも、ラサっ子はカムやアムドの人々のことを「彼らはチベット人ではない」と言っていたらしいが)。

もちろん、変わらないものもある。それが、大通りから少し外れた路地裏や都市から少し離れた郊外であり、そこに息づくチベット人精神文化や生活である。

冒頭のディスコの話に戻ろう。

村上さんに積年の疑問をぶつけてみた。ラサにディスコはあるんですか、と。

「2001年の頃からありますよ」と村上さん。

チベット人は歌が大好きで、カラオケもよく歌うらしい。2000年代には、ダライラマカルマパへの信仰を仮託した歌謡曲が流行したという。

「そのラウンジも面白いですよ。最初は民族舞踊ショーをやっていたりしますが、最後はカラオケ大会になってディスコみたいになります」

なんと、自分はラサのディスコまであと一歩と迫りながら、その存在に気づいていなかったのだ。正しく後の祭りである。

もっとも、現在のラサには本当の意味?でのディスコもあるようだ。職を求めて多くの漢人がラサにやってきたことに加え、ここ10年ほど、漢人の若者の間でバックパックを担いでチベットを旅行するのがブームになっているらしく(そう言えば、2007年にカムを旅したときもそういう旅行者にたくさん出会った)、そういった人々からの需要があるらしい。

また、村上さんはこうも話してくれた。

2008年以降、チベット旅行に対する、とりわけ外国人旅行者に対する規制が厳しくなった。今ではゴルムドなどから出ていた闇バスももうない。現地からのインビテーション・レターがないとラサに入れないから、ツアーで列車か飛行機でラサに入るしかない。

「だから、良い時代にラサに行かれたと思いますよ」

あまりの変化に絶句していた自分に、村上さんは最後にこう声をかけてくれたのだった。

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おまけ。

セミナー会場で村上さんがSOASに提出した博士論文を下敷きにした著書”National imaginings and ethnic tourism in Lhasa, Tibet : postcolonial identities amongst contemporary Tibetans”をいただいた。フィールドワークの時期が2000年から2002年という、自分がラサを訪れた時間を含むということもあり、非常に興味深い。

参考)村上大輔「チベット自治区ラサにおける観光業の発展とその政治性に関する一考察」『観光研究』23(1), 2011年.

*1:この本で自分がもっとも興味深く読んだのは、(イベントでは言及されなかった)「茶館のアンスロポロジー」の章。「茶館に一日中入り浸る同胞を揶揄する、ある謂れがある。「資本金のない商人、車をもっていないドライバー、僧院から追われた坊主、客のいないツアーガイド、離婚したばかりの男女」云々。つまりは、社会的に属する場所がない、住む場所がない、食っていくあてがない、そういう人間が集まる場所だというのだ。」というくだりを読み、あの薄暗い空間が脳内に広がった

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