Hatena::ブログ(Diary)

Traveling LIBRARIAN −旅する図書館屋 このページをアンテナに追加 RSSフィード

旅×本×図書館×??

2016-05-16 越境者たち

[]『一九〇二年仏領東京河内府東洋農工技術博覧会報告書』 『一九〇二年仏領東京河内府東洋農工技術博覧会報告書』を含むブックマーク 『一九〇二年仏領東京河内府東洋農工技術博覧会報告書』のブックマークコメント

『一九〇二年仏領東京河内府東洋農工技術博覧会報告書』 東京, 日本貿易協会, 明治37(1904)年, 299p.

<本文>

ハノイ万国博覧会―仏領東京河内万国博覧会は、1902年11月16日から1903年2月15日までの期間、フランスベトナムハノイで開催された。本書はその報告書であるが、出版元が「日本貿易協会」となっている点は要注意。日本政府は、1900年に開催されたパリ万国博覧会への出展準備で手一杯となっていたため、ハノイ万国博覧会には政府としては参加せず、代わりに日本貿易協会という民間の出品団体を立上げて参加したのだ(統括したのはパリ万国博覧会でも活躍した大塚琢造)。

「博覧会ニハ仏国及ビ其殖民地ノ製産物並ニ新嘉坡日本国トノ間ニに位セル各国の製産物ヲ出陳スル」ということで、清国朝鮮、タイ等からの出品もあったものの、フランス本国やその植民地からの出品が大半を占めた。一方、日本からは、醤油・魚介類の缶詰・ビールといった食品から、漆器陶磁器等の工芸品や靴やブラシといった日用品、そして時計・医療機器等の機械まで日本各地から多種多様な出品がなされたようだ。しかし、これらは「売店主義」、つまり品数は多いものの、一部を除けば総じて品質があまり高くないものばかりであった、と反省点が述べられていることから、当事者としてはあまり満足のいくものではなかったことが伺える。

ちなみに、以前ここで紹介した南条文雄・高楠順次郎『仏領印度支那』収録の「南征記」によれば、彼らも始まって1週間ほど経ったころの博覧会を見学しており、

我が国よりは北は氷雪蝦夷地より西は炎熱の台湾に至るまで出品者意外に多く、その会場の如きも常に欧人の顧客を以て充満せり…(略)…その用意已に終りたりと云ふべきは殆と見るを得ざりき、我日本の如きは用意未だその半を終へず。

と、一定の評価しつつも、運営面における反省点について指摘している。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20160516

2016-03-31 TOKYO1/4

[]『東京文化資源の歩き方』に写真を提供 『東京文化資源の歩き方』に写真を提供を含むブックマーク 『東京文化資源の歩き方』に写真を提供のブックマークコメント

知人に誘われて、もうすぐ青弓社から出る『TOKYO1/4が提案する 東京文化資源の歩き方:江戸文化からポップカルチャーまで』という本の編集のお手伝いをしました。といっても、僕は昨年春の企画会議で思いついたことを言った(提案した)後は、原稿チェックを少しやったくらいですが…。

さてこの本、東京五輪を契機として実施する「文化プログラム」を展開していこうという話があり(こちらは同時に出る姉妹本『TOKYO1/4と考える オリンピック文化プログラム 2016から未来へ』で扱っています)、そこに東京文化資源区*1神保町神田秋葉原湯島本郷上野谷根千といった文京区台東区千代田区にまたがるエリア―に重層的に蓄積された「文化資源」をそこにどう絡めていくか?ということで企画されたものだと僕は理解しています。

なので、編集メンバーもこのエリアにバックグランドのある人がほとんどでした。そこにこのエリアに全くと言っていいほど縁の無かった僕が入ることになったので、どう貢献したものやら…と思いながら最初の企画会議に顔を出したことをよく覚えています。

とは言え、せっかくの機会ということで、昨年の春から夏にかけて何度か、カメラを片手にこのエリアを歩いてみたのですが、その際に撮影した写真が2枚、この本に使われています(使われた写真―ここには載せていません―は、分かりやすいランドマークを撮ったものですが)。

ともあれ、このエリアを様々な視点で読み解こうとしている、少し趣きの違ったガイドブックともいえるユニークな一冊に仕上がっていると思います。ご興味のある方、ぜひ手にとっていただければと。そして、この本を片手に「ぱっと思いつくキーワード」の裏側に足を踏み入れてみてください。

f:id:yashimaru:20160330155605j:image

f:id:yashimaru:20160330155604j:image

f:id:yashimaru:20160330155559j:image

f:id:yashimaru:20160330155557j:image

f:id:yashimaru:20160330155555j:image

f:id:yashimaru:20160330155558j:image

f:id:yashimaru:20160330155549j:image

f:id:yashimaru:20160330155552j:image

f:id:yashimaru:20160330155537j:image

f:id:yashimaru:20160330155538j:image

f:id:yashimaru:20160330155544j:image

f:id:yashimaru:20160330155545j:image

f:id:yashimaru:20160330155547j:image

f:id:yashimaru:20160330155553j:image

f:id:yashimaru:20160330155600j:image

f:id:yashimaru:20160330155507j:image

f:id:yashimaru:20160330155508j:image

f:id:yashimaru:20160330155515j:image

f:id:yashimaru:20160330155534j:image

f:id:yashimaru:20160330155535j:image

f:id:yashimaru:20160330155522j:image

f:id:yashimaru:20160330155524j:image

f:id:yashimaru:20160330155510j:image

f:id:yashimaru:20160330155511j:image

f:id:yashimaru:20160330155513j:image

f:id:yashimaru:20160330155531j:image

f:id:yashimaru:20160330155506j:image

f:id:yashimaru:20160330155505j:image

f:id:yashimaru:20160330155504j:image

f:id:yashimaru:20160330155502j:image

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20160331

2016-03-22 越境者たち

[]山岡光太郎『世界の神秘境アラビヤ縦断記』 山岡光太郎『世界の神秘境アラビヤ縦断記』を含むブックマーク 山岡光太郎『世界の神秘境アラビヤ縦断記』のブックマークコメント

山岡光太郎 『世界の神秘境アラビヤ縦断記』 東京, 東亜堂書房, 明治45(1912)年, 252p.

<本文>

山岡光太郎(1880-1959)は東京外大学んだロシア語を生かして日露戦争に通訳官として従軍した後は中国などに赴任していたが、明治42(1909)年に陸軍を辞し、中東に向かった。陸軍福島安正)から中東イスラームに関する情報収集の命を受けていたともいわれている。この旅に出た時点で、山岡にはイスラムについての基礎知識もほとんどなかったようなので、少なくとも宗教的な動機は山岡になかったと思われる。

山岡は、神戸からまずインドボンベイへ向かった。ここでイスラムに改宗するとともに、同行者となるムスリムからコーランについての講義を受け、イスラームについての基本的な知識をマスターしてから、いよいよ目的地であるアラビア半島に入った。中東では、日本人初となるメッカ巡礼を果たしたばかりでなく、メディナ、アラファト山、ダマスカスなどをめぐった。本書を読む限り、相当ハードな旅であったようだが、初めての日本人巡礼者ということで、各地で歓待を受けている。そして、ベイルートからイスタンブールに向けて出航したところで終わっているが、帰国したのは翌年のことだったらしい。

この旅の後も、山岡は敬虔なムスリムとして生活を送りつつ、中東や欧米への旅を繰り返したり、その見聞を元にした本を著している。このイスラム世界への旅が、きっかけが何であれ、山岡の人生を大きく変えたことは間違いないだろう。ただ、彼のセンセーショナルな旅とは裏腹に、その後の人生においては総じて不遇だったような印象を受ける。旅に人生の大半をかけるということは得てしてそういうものだ、と言ってしまえばそれまでだが。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20160322

2016-03-21 越境者たち

[][]松川二郎樺太探検記松川二郎『樺太探検記』を含むブックマーク 松川二郎『樺太探検記』のブックマークコメント

松川二郎(木公) 『樺太探検記東京, 博文館, 明治42(1909)年, 175p.

<本文>

もっぱら旅に関する文章を寄稿して生計を立てるプロのライター/作家も最近は珍しくはないが、その魁とも言うべき1920〜1940年代に活躍した人間となるとどうだろうか。この時代、日本では旅行熱が高まり、旅にまつわる雑誌や本が多く出版された時代でもある。この時代に活躍したのが、本書の著者、松川木公こと松川二郎*1。なお、本書が書かれた時期、樺太サハリン)は日本の領土であったため、松川は「越境」したわけでも何でもないことになるのだが、そこは突っ込まないでいただきたい。

明治20(1887)年に福井県で生まれた松川は、読売新聞に就職する。そして41年12月22日、「探検記者」として上野駅から夜行列車に乗り、青森函館を経て、そして小樽から樺太に向けて出航した。船は冬の宗谷海峡の荒波に難儀しながらも大泊(コルサコフ)に到着する。大泊から当時政庁の置かれていた豊原(ユジノサハリスク)までの移動には鉄道を利用したようだ。

さて、松川がこの本を執筆した動機だが、彼の地が国内では「継子扱」されて「如何に愉快なる土地で且又如何に大いなる富を包有する天然の宝庫である」ことを説明するためだと言う。そのため、松川は「樺太の精」を登場させ、その口から、樺太がいかに水産資源に恵まれた土地であるかを力説させ、また住民の構成(ちなみに、明治40年当時の人口は2万人余、うち日本人は1.8万人余だったそうだ)やら先住のギリヤーク(ニヴフ)の人々の生活やらを語らせ、そして20年後には有数の避暑地として世界中から旅行客が訪れるであろうと言わせている。態の良いプロパガンダである。

ひととおり「樺太の精」に語らせた松川は、年が明けて1月7日犬ぞりを駆って樺太縦断の旅に出る。その後、アイヌの家で吹雪に閉じ込められたり、アザラシ猟に出て遭難して救助されたりとドタバタな旅を続けたようだ。当初の予定では樺太からシベリアに渡って探検することになっていたのだが、この遭難で体調を崩したために樺太で旅を切り上げることになったようで、このため「シベリア探検記」となるはずの本のタイトルが「樺太探検記」となったとのこと。仮にこのままシベリアに渡っていれば、樺太の記述はもっと少なくなっていただろうから、「当時の樺太の記録の充実」という意味では、それで良かったのかもしれない。

最後に。この本の文章は、自分の失敗談などを盛り込みながら、全体として軽妙なコメディタッチで書かれていて、非常に読みやすい。そういった点でも、後にプロのライターを生業とするに十分な素質があったと言うべきだろうか。それにしても不可解なのは、どうして旅するには厳しい冬を選んで松川は樺太に渡ったのか、である。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20160321

2016-02-12 CCoN

[]CCoN2016写真リスト CCoN2016写真リストを含むブックマーク CCoN2016写真リストのブックマークコメント

f:id:yashimaru:20160204181841j:image

"TOKYO 1/4" Uguisudani, 2015.7.

f:id:yashimaru:20160204181840j:image

"TOKYO 1/4" Higashi-Ueno, 2015.7.

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20160212

2016-02-01 橿原市出身ではありませんが…

[]橿原市「100人の観光大使」に就任橿原市「100人の観光大使」に就任!を含むブックマーク 橿原市「100人の観光大使」に就任!のブックマークコメント

f:id:yashimaru:20160201135955j:image

話せば長くなるので端折りますが、2016.1.28付で橿原市の「100人の観光大使」に就任しました(期間2018.3.31まで)。

観光PRのための観光大使名刺(とりあえず100枚)を配るのが主なお仕事です。

ということで、これからしばらくの間に直接会った人には情け容赦なくこの名刺を受け取っていただきます。

橿原と言えば、奈良法隆寺、あるいは吉野や明日香に比べると、やや知名度は落ちるかもしれませんが、橿原神宮大和三山藤原京跡、そして今井町と、様々な観光資源を持つ場所。未踏の方はゼヒ足をお運びください。

とは言え僕自身、橿原にはしばらく行ってないんで、機会を見つけて行ってみることにします…。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20160201

2015-12-18 LoY@LRG

[]『LRG』13号Library of the Year特集に寄稿 『LRG』13号Library of the Year特集に寄稿を含むブックマーク 『LRG』13号Library of the Year特集に寄稿のブックマークコメント

かねてから予告していましたが、今月発行の『Library Resource Guide』13号において、先日休止が発表されたLibrary of the Year特集が組まれています。Library of the Yearの10年間の歩みを、記録としてまとめるとともに(ここは編集部のお世話になりました)、運営サイドからの振り返りと、研究者による分析を加えるという3部構成で、私は振り返りを担当し、分析は2011年から選考委員も務めて頂いた皇學館大学岡野裕行さんに担当してもらいました。

Library of the Yearについては、公式ホームページ以外では幾つかの論文や書籍で言及されているものの、これまでまとまった記録はなかったので非常に良い機会となりました(企画を立て、執筆を始めた時点では「10年を区切りとした休止」は決まっていなかったため、途中で書きぶりを調整することになったのは計算外でしたが…)。また、分析をお願いした岡野さんとはここ5,6年の付き合いになりますが、公私ともに忙しいところ今回「も」私のお願いに応じて頂き感謝しています。企画時から、この特集は同世代の執筆者でまとめたいと思っていたので、岡野さんは外せない「ピース」でした。

最後に、ざっくりとした私の企画を快く受け入れ、そして編集の労を取って頂いた『Library Resource Guide』編集部の岡本真さん・藤田方江さん・大谷薫子さんに厚く御礼申し上げます。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20151218

2015-12-02

[]B級写真カレンダー2016年版を作成 B級写真カレンダー2016年版を作成を含むブックマーク B級写真カレンダー2016年版を作成のブックマークコメント

2012年2013年2014年2015年…と続けてきたので、2016年のカレンダーも(ちょっと気が早いが)作った。

使った写真は、今回もカラーであることと横長であることを条件に、これまで写真展等にあまり出したことがないもの、即ち「B級」を中心に、出来るだけ色々な場所で撮影したものを選んでいる(相変わらず新作がないのは「何だかな〜」な感じだが)。来年1年間、職場のデスクに置いてあると思うので、またまた生温かい目で見守ってもらえればと。

1月:ベトナム・フエ(2003.3)

f:id:yashimaru:20151127125422j:image

2月:ラダック・レー(2006.2)

f:id:yashimaru:20151110122338j:image

3月:ラオス・チャンパサック(2001.3)

f:id:yashimaru:20151110125047j:image

4月:ミャンマーヤンゴン(2006.12)

f:id:yashimaru:20151127125421j:image

5月:ウズベキスタン・ブハラ(2008.5)

f:id:yashimaru:20151029125641j:image

6月:インドネシア・バリ(2007.6)

f:id:yashimaru:20151110123620j:image

7月:日本・富士山(2006.8)

f:id:yashimaru:20151127124632j:image

8月:マレーシア・カパス島(1999.3)

f:id:yashimaru:20151110124200j:image

9月:フィンランドヘルシンキ(2009.9)

f:id:yashimaru:20091011140822j:image

10月:中国西蔵自治区(2001.11)

f:id:yashimaru:20151119125743j:image

11月:イスラエルエルサレム(2011.1)

f:id:yashimaru:20151110125441j:image

12月:インド・マナリ(2009.12)

f:id:yashimaru:20151110124740j:image

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20151202

2015-11-26 石けんbrosプレゼンツ#4

[]勉強会中央線RT2015〜秋を開催 勉強会@中央線RT2015〜秋を開催を含むブックマーク 勉強会@中央線RT2015〜秋を開催のブックマークコメント

しばらく空きましたが、5か月ぶりに開催しました。石けんブラザーズの資金を活用…ということで、氏原茂将君との共同企画の下、4年前の「何に着目すべきか」で初めてお会いし、昨年に刊行された『共創がメディアを変える』で対談した柳本浩市さんにお願いしました。

(43) 2015/11/25 高円寺HACO 柳本浩市(Glyph.)「図書のある新しいコミュニティを考える。」

さて、いわゆる「ツタヤ図書館」問題が世間を騒がせていますが、この状況は、例えば10年前にはあまり想像できなかったものだと思います。これに対する見方は色々とあると思いますが、「図書館ライブラリー)の概念が、CCCツタヤ)と出会うまでに拡張されてきた」とも言えるのではないでしょうか。少なくとも、この問題を単なる民活の失敗や従来の図書館倫理・論理に議論収束させてしまうことは、批判すべき点は批判すべきだとしても、拡張されてきた図書館ライブラリー)のこれからのあり様を考える上で有益だとは思えません。

この問題も踏まえつつ、いわゆる図書館業界の周辺にいる、一癖も二癖もある人間が集まって対話しつつ、「図書のある新しいコミュニティを考える」。…という趣旨で開催されたこの集まり。柳本さんは異能のアーキビストキュレーターだと僕は思っているのですが、代官山蔦屋書店の運営にも参画されているので、この話題にスピーカとして最適だと考えました。そして、これまでであればスピーカを決めた後にメールやSNS上で参加者を募集してきたのですが、今回はその対話をより密度の濃いものにするために、氏原君と相談しながら、来てもらう人を選び、個別に参加を打診するという方法をとりました。

蓋を開けると、参加者の自己紹介を終了して本題に入るまでに45分以上過ぎていたり、(濃すぎる)参加者のツッコミがどんどん広がって、結果的に柳本さんにはご用意頂いてきた内容の半分も繰り出して頂けなかったのでは…という計算外な事態が起こるほどに盛り上がりました(柳本さんの異能っぷりも想像を遥かに上回っていました!)。詳細については、どこかでまとめる機会があればいいなと思っていたりもするのでここでは書きませんが、この問題に関する議論は、関係者の利害・思い等が錯綜して(オンライン・オフライン問わず)あまりに歪なものになっているものの、前向きなスタンスで対話することにみんな飢えていたのかなと思った次第。個人的には、柳本さんの本領であるアーカイブ×キュレーションマネタイズにもっと踏み込みたかったのですが、それはまた別の機会にとっておくことにしまししょう。

このシリーズ、来年も気が向いたら開催しますので、その際はぜひお出でください。

≪追記≫

本イベントの開催経費に、2010年のL-1グランプリ獲得賞金の一部を充当しました。これで、獲得賞金40万円を全て呑み切った使い切ったことを併せてご報告しておきます。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/yashimaru/20151126

2015-11-16 LoYも一区切り

[]Library of the Year10周年記念フォーラムを開催 Library of the Year10周年記念フォーラムを開催を含むブックマーク Library of the Year10周年記念フォーラムを開催のブックマークコメント

これまであまり明確にしてきませんでしたが、Library of the Year(LoY)には立ち上げの2006年以降ずっと関わってきました。もちろんボランタリーです。誘われて関わるようになったのですが、最初は事務局仕事を手伝いながら、第1回(2006年)では農林水産研究情報総合センターの、第3回(2008年)では恵庭市立図書館プレゼンタをやり、そして第4回(2009年)以降は、選考委員会の副委員長として選考全体の取り回しをしてきました。

そんなわけで、先日の第17回図書館総合展のフォーラムの一つとして自分が企画したLibrary of the Year10周年記念フォーラムにはとても感慨深いものがありました*1。9月に入って急遽開催できることになったこともあり、シンプルに創設メンバ(高山正也先生・田村俊作先生・大串夏身先生。それぞれ微妙に方向性が違うのがミソ)から過去の受賞機関*2の関係者の方、そして同世代のメンバ(岡野裕行先生)にそれぞれ語ってもらう…という組み立てにしたのですが、これまであまり表に出てこなかった?皆さんの思いやら何やらが言葉になったという意味で、とても意義のあるイベントだったと自負しています*3

とりわけ、田村先生の

というLoY評には強く首肯しました。現在の「ライブラリー図書館(的なもの)」をめぐるあれこれは、10年前と比較すると隔日の感があります(10年たって「原点回帰」というか、より図書館の本質を問い直すものになってきている気もしますが)。だからこそ、僕自身、LoYに関わっていて勉強になったし、何より楽しむことができました。

さて、LoYは今年の第10回を一つの区切りとして、いったん休止することとなりました。

LoYがどのような10年を歩み、そして何を残したのか。それについては、来月刊行予定の雑誌『Library Resource Guide』の特集記事を読んで頂ければと思います(現在準備中)が、一つ言えるのは、LoYの社会的な認知度が上がって環境が大きく変わるとともに、元来孕んでいた課題や矛盾が大きくなってしまい、小手先の改善ではどうにも解決できなくなってきていたということです。この決断に至るまでに、選考委員を含めて多くの人と対話しましたが、(見直す視点や方向性は必ずしも一致しているわけではないものの)「立ち止まるには良い機会だと思う」という声も多く聞かれたので、妥当な結論だと思っています。

その抱える課題や矛盾を、中の人=自分が解決することができれば一番良いのですが、本業の片手間で毎年の選考作業と並行しながら、様々な関係者の思いや思惑、そして利害を調整するのは、ほぼ不可能だと考えました。もちろん、僕自身として「こうしたい」ということが全くないわけではないのですが、責任もってそこまで関わる時間は正直なところ、ありません。一度、(僕の手の離れたところで)ゼロベースから見直してもらいたい。それが今回の「休止」です。ですので、仮に今後、LoYの今後の在り方について動きがあったとしても、少なくとも僕がそこに関わることはないでしょう。

自分の記録用に長々と書いてきましたが、最後にLoYに関わって頂いた全ての方に感謝したいと思います。どうも有り難うございました。

*1:同じ日には、10回目となるLoY2015最終選考会も開催されましたが、こちらは選考〜プレゼンタ&審査員の選任までは担当したものの、イベントとしての仕切りは別の担当にお任せでした。

*2:第1回大賞受賞の鳥取県立図書館と、第7回大賞受賞のビブリオバトル。LoY受賞を契機にした変化とその後の継続的な取り組みを語ってもらうには最適な2組だと思っています。

*3:開催場所や時間を考えれば、のべ100人程度という参加者数も、成功の部類に入れていいでしょう(ただし、僕の司会の出来は赤点…)。