京都府京都市下京区にある寺院。山号は円頓山。西本願寺の南隣に位置する。建暦2年(1212年)創建。 かつて西本願寺の脇門跡であったが、明治9年(1876年)に真宗興正派として独立した際に、同派の本山となった。
愛知県名古屋市昭和区八事本町にある寺院。高野山真言宗の別格本山で山号は八事山。本尊は大日如来である。1686年(貞享3年)に創建された。
興正寺は、1868年に創建された高野山真言宗の別格本山。 国の重要文化財指定を受けている五重塔は1808年の建立されました。 興正寺では通年で21時頃までライトアップをしているそうです。 ワンドリンクが付いていたので、白のグラスワインをいただきました。 各席には、洒落たつまみも用意されていて リラックスした雰囲気でJAZZの調べを楽しむことができました。 ピアノの水野伸子さんは、愛知東邦大学教育学部の教授をされていてピアノトリオはアマチュアとして演奏されているとのこと。 スタートは緊張されている気配も感じられましたが、 2~3曲進んだ「サマータイム」「マシュケナダ」の辺りでは、ノリが良い演奏を…
PIANOTORIO "NOVSANS" CONCERT at KOUSYOUJI PIANO 水野伸子さん BASS 安田英二さん PERCISSION 水野悦司さん
地下鉄を乗り継いで八事に到着 興正寺にお参りします:東山門を過ぎて左へ 参道入り口 中門 釈迦牟尼仏:平成26年建立と新しい 五重の塔を背面から見る 本堂 七観音 六地蔵と弘法大師 故障だったので 石段を登ります 少し高い位置から 園照堂:納骨堂 墓地を過ぎて 不動護摩堂と東山本堂 三十三観音菩薩 森の中に入ると市街地にあるとは思えない 商業施設「ツルマガーデン」がオープンした鶴舞公園へ移動 ランチタイムは過ぎたがまだ行列がある 蓮でいっぱいの胡蝶が池 バラも盛りでした
元禄11年1月8日。大公が仏画数軸を描かせ、八事興正寺に寄進される。3000仏3幅は絵代16両、釈迦三尊1幅は絵代7両、十六羅漢1幅は絵代7両、絵は春日部仁左衛門が描く。ただし、天瑞(興正寺僧侶)が注文する。
京都 興正寺 紅梅 京都 興正寺 紅梅 白梅 祇園白川 白梅 梅小路公園 紅梅 本日は京都が梅の見頃を迎えています。 写真上段より興正寺の紅梅と白梅。 祇園白川の白梅 梅小路公園の紅梅 いずれも2023年2月中旬から下旬に撮影しました。 昨日も京都は雪がちらついており寒い一日でしたが、今日は快晴で暖かいです。 寒暖差の激しい冬になりましたが、少しづつ春の気配を感じる今日この頃・・・ www.koshoji.or.jp rakuten_design="slide";rakuten_affiliateId="2bea532f.4473daac.2bea5330.76aa3a36";rakuten_…
元禄10年4月15日。八事山遍照院興正律寺で大日像が開帳される。この日から明日まで。餅と銭がまかれる。大公(光友)の命令で、金で鋳る。長さは1丈2尺(1丈は約3メートル、1尺は約30センチ)。冶工らはしっかり働かなかったので春を越え、やっと完成する。御供組八尾四郎左衛門が命を賜わり、初めからここに住んで監督をする。
今回からおまけです。 隼人池に行った際に、ついでと思って、八事山興正寺へ。 www.koushoji.or.jp ここは、まだ終わってないのですが、東海不動さんの結願のところです。 そのときに御朱印をもらえばいいかなと思ってます。 ということで、参道を歩いていきます。 ここでまず参拝を。 ただ、この後ろに手水場があります。 そして、本堂のほうへ。 境内を散策すると、ちょっと高いところへ。 あと、藤も咲いてました。 拡大すると、結構きれいですね。。。 次回は、別のところです。。。
2020年10月、よみうり文化センターの講座「新撰組・西本願寺と不動堂村屯所を巡る」に参加いたしました(^^) その9「興正寺」 堀川通りを北に歩き、興正寺にやって参りました。改修工事中の様子で、足場に囲まれていました。興正寺は禁門の変時、幕府軍に敗れ敗走する長州の金剛隊を匿った寺だそうです。以下は今回の講座の内容ではありませんが、興正寺に逃げ込んだ長州兵を僧侶の姿にして醍醐三宝院へ落ちのびさせました。しかし、この事が新撰組に知れ醍醐で捕えられた金剛隊は、六角獄舎に投獄されたといいます。再び講座に戻ります。興正寺は、新撰組が不動堂村に屯所を移転する際、350両をねだられたそうで、結果的に新撰組…
年の瀬の日は早く辺りはすっかり薄暗く、目的地の西本願寺は一足違いで17時閉門、西本願寺山門表の堀川通り沿いに間口の大きな良く目立つお店「京つけもの・西利本店」。 お店のHPなんかでは西本願寺前と成ってますが正確には真宗興正派 本山・興正寺前に成ります。 ちょうど京都冬の風物詩とも言える聖護院蕪を使った「千枚漬け」の大きな幟が店頭に見え、今年の冬は殊の外暖かい日が続き漬け込みにも一苦労有りそうですが、店表の椛も見頃だったりしてます。 ランキング参加中京都
名古屋の地下鉄鶴舞線・名城線「八事駅」から徒歩5分ほど、興正寺にお参りしました。 平成の大改修でエスカレーターを設置するなど、お寺の雰囲気を残しつつも近代的な設備が見受けられます。全体的に小ぎれいな印象です。 スポンサーリンク (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 総門・中門をぬけると、五重塔をバックに釈迦牟尼大仏がどーんと現れます。 本堂側からの五重の塔。 最後に御朱印いただきました!力強い字体! スポンサーリンク (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 【宗派】 真…
昨年、乃木神社に久しぶり行った際は、幼少の頃、横に並ぶ赤い鳥居で遊んだ憶えがあって懐かしく思ったのですが。。先日、それよりも以前の姫島神社に行ってみたら、最初、んー、どうかなぁ、という感じでして。。でも、帰り際に、もう一度と思って振り向いたら、大きな木と本殿の構図に覚えがある感覚が蘇ってきました。。 なにぶん3才までの記憶なので、もう限界領域だと思います。。住んでいた所を見つけようと、事前にインターネットの地図で3ヵ所ほど目星を付けて回ってきました。。小学生ごろまでは帰省で行った事があるのですが、借地に建っていた古い家はもうなく、少しぐちゃぐちゃした道路の地形を探しながら、同じ姓の家が2軒向い…
2009/10/16(金)親鸞会発行の顕正新聞(平成21年9月1日号)の「こんなことが知りたい 念仏称えれば助かるか」なんですが、これは顕正新聞の記事というより、『こんなことが知りたい』①(昭和44年5月5日発行)の文ですね。37 称名正因の異安心とはどんなことなのか(同書125頁) 問 称名正因の異安心というのは、どんなことをいうのでしょうか。この問いに対する答えの中に次の表現があります。 素人は、これらの言葉をちょっと聞くと、大変けっこうなありがたい、念仏さえ称えれば助かる教えのように思いましょうが、多少でも浄土真宗の学問をした者にはとんでもない邪義であり、異安心だということが分かります。…
2009/04/26(日) 【設立の趣旨】 釈尊によって説かれた仏教は、中国や日本などの東アジアやスリランカなどの南アジア、タイやミャンマーなどの東南アジアなどに伝えられました。 その過程で、多くの宗派が生まれました。 日本には6世紀の半ばに伝来して以来、奈良時代に六宗、平安時代初頭に二宗(天台、真言)が立ち、禅宗を加えて、八家九宗と言われていました。 平安末期から鎌倉時代にかけて、いわゆる鎌倉仏教と言われる、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗などが起こりました 浄土真宗は、親鸞聖人(1173~1262)によって開かれたとされる宗派で、浄土真宗本願寺派(本山 本願寺)、真宗大谷派(同 真…
尾張四観音と八事興正寺 はじめに 私は生まれてからずっと名古屋に在住しています。今、70歳を超えているので、昔の古い名古屋も知っています。新しく始まった習慣やグルメもたくさんあります。 最初に「尾張四観音と八事興正寺」を選んだのは、愛知以外の人で知っている人が少ないですが、歴史的に重要な場所だからです。 尾張四観音 笠寺、荒古、龍泉寺、甚目寺には古刹があり、尾張四観音と言われ、名古屋城を中心に4方向に位置しています。 尾張四観音 - Wikipediaja.wikipedia.org 笠寺観音 笠覆寺 - Wikipediaja.wikipedia.org 荒子観音 荒子観音 - Wikipe…
東横インあべの天王寺。起床は7時前。いつまでも寝ていたかった。今日も昨日の続きで古市に行くつもりだった。大本命の羽曳野市文化財展示室の開館時間を調べると、月曜日になっていた。しまったあああ。今さらこんなミスをするなんて!なんで昨日行かなかったんだ!行きたいとこから行くのは鉄則だろうに!しかし、今さら予定を変えるのも中途半端だった。今回は縁がなかったということで。酸っぱい葡萄・・・。朝食後、740に出発。 近鉄大阪阿部野橋駅801発藤井寺行き普通に乗った。今日は藤井寺下車。 835、藤井寺球場記念モニュメント。子供の頃からよく野球を見ていたが、藤井寺球場がどこかわからなかった。昨日人生で初めて藤…
西本願寺の隣にある興正寺。 門を入ってすぐ、左右に紅白の梅の木があります。赤い方の梅が見ごろでした。 陽が傾いた頃で影になってます。もう少し早い時間に来てたら陽が当たってたのでしょうが。 興正寺は外から見ると西本願寺と続いているように見えますが、別のお寺です。西本願寺と歩みをともにし、秀吉の時代に西本願寺と一緒にこの地にきています。その後明治9年に本願寺派から独立。現在は「真宗興正派 本山」となります。 白い方は咲くのが遅いので、まだ下の方しか咲いてなかったけど、夕陽を浴びてきれいでした。 あちら側が西本願寺です。楼閣仕様の建物は国宝「飛雲閣」。秀吉が京に構えた邸宅「聚楽第」の遺構だとも伝わる…
新幹線の割引切符は新大阪までなので、京都には在来線で着く。 京都の手前で減速した車窓から梅小路公園の梅が見えた。午後、ケアマネさんとの話や看護師さんのチェックと足湯が終わった後、公園へ。 家から5分ほどで着く。まだ開園して30年にもならないが、すっかりずっと昔からこうでしたと言う落ち着きが出てきている。 荒涼とした貨物駅の時代を知る我々はいつも違和感を抱きつつ楽しんでいる。 平安時代では平家の拠点だったのだから、時代の変化は大きい。 「外を回ろうか?」と声をかけると即座に支度をする。着替えて、財布と携帯を持ちいそいそと準備をしている姿を見ると元気だなと思う。 これが風呂には入るときは「なんかす…
西本願寺南側にある興正寺にて。
今日は帰る日なのですが、16時まで滞在するのでいろいろ書きたいと思います。ホテルアルファーワン富山駅前店 今日は始発で出かけるわけではないのでゆっくりと5時に起床。 6時半に無料の朝食(といっても宿泊料に含まれてるだけだけど)が食べられるので食べてきました。品数はそんなになく、おにぎりとかがメインだけど味噌汁とスープ(ミネストローネ)が食べごたえあって美味しいんですよ。 この汁物だけで満足ですね。食べたら出かけます。 ひみ番屋街 いきなり場所飛びますが、高岡まで列車で行き、高岡から伏木経由の氷見市民病院行のバスにのり、氷見中央で下車。 そこから5分程度歩いてひみ番屋街に到着です。伏木経由のバス…
今回も京都府京都市の西本願寺について。 その1では御影堂などについて、 その2では阿弥陀堂などについて述べました。 当記事では唐門などについて述べます。 経蔵 御影堂向かって右手前(北東)には、経蔵が南面しています。内部には、天海版一切経が収められているようです。 桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、宝形、本瓦葺。 1678年(延宝六年)造営。「本願寺」7棟として国指定重要文化財*1。 下層の中央は桟唐戸。戸の上には長押が打たれ、中備えに蟇股が置かれています。 左右の柱間は、盲連子の火灯窓。 おそらく内部は土間床ですが、基壇には木製の欄干が立てられ、縁側としています。 下層の軒裏は平行の二軒繁垂…
京都 梅の名所 穴場 興正寺 京都観光 にも♪ 京都 梅の名所 興正寺 について綴ります♪ もうすぐ梅の季節🌸 2月なに撮る?ってことで、 京都の穴場的梅の名所「興正寺」の紅梅が咲き始めているようです🌸 人気のハート梅やおすすめのアングルなども紹介します🌸 目次 🌸紅白の梅 🌸ハートの梅 🌸梅とお堂のリフレクション 🌸山門と梅 🌸最後に 🌸スポット情報 こんにちは(⌒∇⌒)京都四季の風景を中心に撮影しているmint Instagram @kt_lv_mintです♪🌸 ご訪問頂きありがとうございます。 本山興正寺は、京都駅から割と近くで、世界遺産西本願寺の南隣にあります。 山門をくぐると、両脇に…
天白区八事天道。 名古屋市の東部の八事山、天道山、音聞山、川名山などの八事丘陵地域の一つ。今回掲載する「五社宮」は、地下鉄八事駅2番出口から八事南交差点を南に下った徒歩2~3分の場所に鎮座します。八事南交差点を南に進み、「天道山大門」と刻まれた石標の立つ交差点を右に進むと社頭に続きます。 石標あたりから右手を眺めると五社宮の杜は見えています。鎮座地の八事天道の地名は、五社宮の南側に鎮座する天道山高照寺からきているようで、「天道山大門」の石標は、大きな伽藍を誇っていた往時の名残なのだろう。 上は大正初期の八事周辺。現在のように閑静な住宅が立ち並ぶ以前の頃で、赤い線は飯田街道なります。この時期既に…
なぜか数珠つなぎのように10ヵ寺を歩いた2019年3月8日のこと…… 品川寺を後にして旧東海道を少し北へ進むと、大井町駅から仙台坂(旧仙台坂ではない)を下って海へと向かう道「池上通り」が横切るのだが、見上げると「あおよこ」と書かれた街灯が並んでいた。青物横丁の短縮形だろうが「あおよこ通り」とでも呼ばれているのかと思っていたら「ジュネーヴ平和通り」という別称があった。 19世紀のパリ万博に出展した際に行方不明となっていた品川寺の梵鐘(昨日の日記)がスイス・ジュネーブの美術館で発見され、無事 品川寺に返されたことを通じ、品川区はジュネーブと友好都市提携を結んだ。その友好関係の証として、ジュネーブか…
内務省社会局編『大正震災志』下, 東京, 内務省社会局, 1926年. 附録 第一篇 藝術品並に史的古物及古典籍の損害 日本橋区 菊地長四郎氏(元濱町)は、火勢の遂にいかんともすべからざる窮極に立ち至るや、新獲の蘇東坡寒食帖の一巻と、李公麟瀟湘臥圖巻、崋山于公高門圖、同湖石白猫圖の四點を携へて危難を避け、次で壁上の草坪六祖圖を取出し來たものがあって、都合五品は救ひ出されたが、其他無慮幾萬の書畫文房具典籍は挙げて祝融氏の蹂躙に委してしまった。其の細目は未だ調査の途中にあるから、今左に其の一班を録して、異日の大成に資することとする。 一敦煌石室本法華玄義一巻(…以下略) 赤坂区 大倉集古館(葵町)…
八事山興正寺御朱印 参拝日:令和5年(2023年)11月7日 中 門 五重塔と大仏 西山本堂 観音堂 納経所受付時間 アクセス 地下鉄名城線八事駅下車。1番出口徒歩3分。 東山門 境内案内図 中 門 かつては女人門と呼ばれ、修行の場である東山と西山の境に建ち女人禁制を守っていました。1954年(昭和29年)の頃、中門として五重塔前に移築されました。出典:八事山 興正寺ホームページ 五重塔と大仏 五重塔の前に大仏が。 1808年(文化5年)に建立され、興正寺の象徴ともいえます。屋根の流線がとても美しく、高さは26mあります。県内で現存する五重塔では最も古く、国の重要文化財に指定されています。塔そ…