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めっさ綺麗な本をこうた。新書や。筑摩書房。プリマーゆー新しい新書。
三宮駅のジュンクでこうてきた。書いたんはウチダタツルちゅーおっさんや。ウチダは普通の内田、タツルは樹木の樹と書いてタツルちゅーねん。
かわっとんや。お姉が教えてくれた。実はお姉のガッコのセンセやて。哲学と映画と合気道が専門や、ゆーてた。女子大ゆーとこは、けったいなセンセおるな。
「先生はえらい」の先生定義がまたかわっとん。「あんたがえらいと思う人」ちゅーもんやねん。
なんやごっつうオモロない?先生だからえらいやなくて、えらい人やわー思ったら、ほなその人は先生やんちゅー理論や。目の前がめっさ開ける感じ。
そやから、ボクにとっての先生が、ヨシちゃんやミッチー、大久保さんや真田くんには、全然ぴんとけぇーへんこともままあるちゅーことや。公民のヤナギシなんかホンマそうやねん。
大久保さんは何しゃべってはるか分からへんゆーてるし、ヨシちゃんも真田くんも完全無視やけど、ぼくはヤナギシのマシンガントーク結構好き。喋ってはるときの真剣な目ぇが目茶かっこええ。ま、めっさほっそーい目ぇやけどな。
ぼくの意見ゆーていい?
星をみる者やねん。ぼくの先生の定義。
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○談志はえらい?
談志の落語を一度だけ生で聴いたことがある。ハナシがなんだったか思い出せない。ただ、随分滞りながら、はなす人だと思ったのを憶えている。
往々にして座布団の上に座ってもなかなか落語をやろうとしない。枕すらも中断し、出し抜けに床屋政談風なことをぼやいたりする。
アレがスタイルだと思っていた。あるいは演目を語ることを出来ればやり過ごしたいようにすらみえるその態度は風変わりな「照れ」と解釈してきたが、内田樹の「先生はえらい」(ISBN:4480687025)を読んで、考えを改めた。
落語を聴くとはどういうことか。「らくだ」や「へっつい幽霊」、「千両みかん」などの演目を聴くか。「らくだ」を演る噺家の話芸を聴くということか。
後者だとおもっていた。落語とは、古典の噺をそれぞれの演者の「解釈」とみていた。
談志の立ち上がりのぐずぐずは、聴き手の期待に対しての無意識の「いやいや」なのだ。即興。一回性とは、場を共有する、演じ手と客のコミュニケーションから生まれる熱発なのかもしれない。
何が降りてるのか分からないが、明らかに談志には何かが降りている(落語の神様?志ん生?長屋のご隠居?)。
所詮俺は人形にすぎないと断念が、談志を噺家として繋げ留めている。
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○2月発売の気になる文庫
http://www.taiyosha.co.jp/bunko/bunko0502_listdate.html
◇新潮文庫 02/09
小沢昭一「あたく史 外伝」
村上春樹 「海辺のカフカ」(上)(下)
◇講談社文芸文庫
藤田嗣治 「腕一本・巴里の横顔 藤田嗣治エッセイ集」
吉本隆明「吉本隆明対談選」
◇講談社学術文庫 02/10
網野善彦「中世の非人と遊女」
◇ちくま文庫02/08
松沢呉一「熟女の旅」
中村哲「アフガニスタンの診療所から」
文春文庫 02/10
長嶋有「猛スピードで母は」
◇講談社文庫 02/15
後藤正治「牙 江夏豊とその時代」
重松清「流星ワゴン」
◇朝日文庫02/17
森浩一「記紀の考古学」
◇中公文庫02/23
武田徹「「隔離」という病」
◇角川文庫02/25
安部龍太郎「彷徨える帝」(上)(下)
◇ハヤカワ文庫JA02/下
田中啓文「UMAハンター馬子 完全版(2)」
◇ 創元推理文庫02/下
鯨統一郎 「新・世界の七不思議」