遺伝的アルゴリズム探索記①

ああ、久しぶりだ・・・。世間では山中教授がノーベル賞を受賞し、そして森口さんという新たなゴッドハンドが彗星の如く出現し、世の中いろんな人がいるもんだなと感慨深いのと同時に、静かに生物研究界隈が熱くなっている気がします。


私もそんな生物界にあやかろうと今回このテーマを選び・・・というのは全くなく、単に仕事で役立つかも・・というので最近個人的にチマチマ調べてみてるのを整理しておきたくなったわけです。


そんで、遺伝的アルゴリズムって何さ?という事なんですが、コンピュータによる問題解決手法の一つです。アルゴリズムというのはコンピュータ世界で「算法」と呼ばれ、計算手順を表します。これは少しでもコンピュータに関わる人なら大した事ない話なんですが、問題は「遺伝的」ってほうです。


遺伝が生物界の用語というのはすぐわかりますが、それとなぜコンピュータが結びつくのか、むしろ間逆の世界では?というのが第一印象です。


しかしです。これが調べてみると生物の進化の仕組み、特に遺伝子レベルでの進化の仕組みってのが実にシステマティックにできていて、これが意外にコンピュータと相性がいい。最近だと魚の模様が一定のアルゴリズムに従ってできているという事がわかっているそうです。
チューリングの夢を叶えた魚 | 屋久島 くろしお彩時記


そこで、遺伝的アルゴリズムの目的というのはざっくり言うとこんな感じになるかと思います。

                                                                                      • -

生き物っていうのは与えられた環境に対して遺伝子レベルで変化を起こして少しずつ適応し、最終的にはその環境に対する最適な種を残すようにできている。
ここでこの「最適な種」っていうのをコンピュータにおける解、もっと言うと人間世界の問題の答えに置き換えて、最適な遺伝子が選ばれる過程をコンピュータ上で模倣して計算する事で、効率的に答えに辿りつけるんじゃあないのか。ウダウダ言ってないで自然に学ぼうよ。

                                                                                      • -


さて、これでやっと「遺伝的」と「アルゴリズム」が私の中で結びつきました。いいねぇ、この分野をまたがった雑種感。農学部から文系システム屋になった腐れ生物系の私にはこの辺の雑種感もこいつにシンパシーを感じる所以です。黒魔道士より赤魔道士、クリフトよりミネアですよ。というか人生が雑種になってしまったなぁ・・・



少し遠い目になってしまいましたが、こいつは結構できる子で、現在では乗換の最適スケジューリングや配達物資の最適配置など、現実世界で実際に応用されています。とにかく「答えは星の数ほどいっぱいあるんだけど、その中から色々な条件にかなった最適な奴を選びたい!」って時に威力を発揮するようです。ヒトと一緒ですね、ハァ。。。。


私の場合はこいつをシフト作りに生かせないかと考えてみたのですが・・・・まぁ強敵なんですわ(泣)
どう強敵なのかはまた次回(といって続いたためしがあまりないが)にしたいと思います。


それにしても、生き物の仕組みがコンピュータでも応用できる程にシステム化されているってのは、ほんとなんなんだろうなと思います。いつか自分も物質に還った時にその辺の答えを誰か教えてほしい、結構本気でそう思ったりしますです。


とりあえず現世では私にもどっかの客員教授の肩書くれないかな・・・という妄想を抱くだけですが。

32歳のハローワーク

どうも、新年初の日記となりました。皆さまお久しぶりでございます。


年が明けてからというもの、何だか妙に心がゾワゾワしており、落ち着かない日々が続いておりました。日記・ブログの継続ってのはずいぶんと時々の心持ちが反映されるものだなぁと今更ながらに感じています。


さて、先日テレビで「13歳のハローワーク」というのをたまたま見ました。
TOKIOの松岡主演で、元々の原作は作家の村上ドラゴンが子供向けに作った職業紹介の本です。


ドラマは現代に生きる警官の松岡がなぜかバブル期にタイムスリップして、当時の自分に未来の状況を踏まえて再教育を施して理想の人生を手にいれようとする物語という事です。まぁ、最終的にはきっと松岡は子供ではなく逆に今の自分を見直す形になって、目の前の仕事をやりなおすんだろうなぁ。


これを見ながらつい最近yoyonboもハロワさんにお世話になった事を思い出し、備忘録的に残しとこうと思いました。松岡は未来から過去に向けてのメッセージだけど、今から未来に向けて残しとくのもいいんじゃないかなぁと。


それにしても「32歳のハローワーク」って、、。年を変えてみただけなんだけど、なんだろう、このどんよりした気持ちになるのは。。。


いや、当の本人はそりゃあもう必死であって、どんよりした気持ちになる間もなく動き続けていたわけだけども、ちょっと客観的に字面を眺めてみると「重いなぁ、、」。なんにも「ハロー!」じゃない。ふざけんなと思う。


例えばこれが、リクルートとかの転職エージェントとかエンジャパンとかの転職サイトだったりすると、「私、頑張ってるんです!」といったある種の陶酔に襲われるのかもしれない。実際、自分もそういうのを使って転職をした事があるし、代理人が何から何まで手配してくれてさも自分の価値が上がったかのように思えてしまう事もある。


しかしこれがハローワークとなると色々と「リアル」を突き付けてくれる。どんな風にリアルかというと、まず訪れる人達が全くカテゴライズされておらず、様々な人間模様を感じさせる。
大人は成人し社会人になるにつれてどんどん所属する組織が限定されていって、共通の価値観の人達の中で交流する事が多くなるけど、ハロワだといったん中学校のクラスに放り込まれたかのように種々雑多な背景をお持ちの方々と一緒になります。
そこでは前がどうであったといったものは全てリセットされて、皆共通に整理券を持ち、共通のパソコンで申請書を印刷し、共通に相談員に取り次ぎをしてもらう活動を繰り返すわけです。
そしてこの年になると下手したら相談員が自分の同級生だったりするわけで、「相談するわけねーだろバカヤロー!!」とか思いながらやってるわけです。(別に嫌ってるとかではありません。。後日ちゃんと報告してますよ)


しかしながら、この社会人後初めて訪れた無職生活で感じたものは「自由っていいもんだな」という事でした。


それは、今までまともに有給も使った事なかった中での時間の自由というのもあるけれど(それはそれで問題なんだが)、意外にも仕事を探す上での自由が自分にはあるのではないかという気付きでした。


なんといっても、yoyonboの前職は警備員なのです。この仕事、世間的には全くもって不人気で、あまり若者が好き好んで入る世界ではない。けれどもこの仕事にはとてもいい長所があって、ほぼ定年がない。そして不人気もあっていつでも通年採用です。yoyonboは何があってもいつでもこの世界ではメシだけは食える。そう考えた時に、こうしたガテン系の仕事をマジメにやる事への誇りといったものを改めて感じました。


まぁ、お給料は期待してはいけませんけどね。ご参考までにルーツ球団をどうぞ。警備員のおっちゃんの年棒にご注目ください(涙)。
※高山がこんな所にいる、、がんばれ!!


幸いにも今こうしてエンジニアとして働けているのは、たまたま趣味みたいなプログラミングという技術が場所を問わない汎用性があるからであって、他の内容だったらどうかわからない。自分の時代にこの世界を開いてくれたビル・ゲイツジョブズに感謝しなければいけないのだろう。いつかはシリコンバレー参拝をしなければと思う。


そして、こうして2つの全く異なる世界を見てはきたものの、どちらの世界も仕事としては地続きであり、世間に向けての価値は自分の中では等価だなぁと思うわけです。


yoyonboはいつでもまた道路に立って棒を振る自由もあるし、パソコンのキーボードを叩いてデータセンターにヒキこもる自由もあるし、もっと他の何かをする自由もある。
でもまぁそれは、それぞれで色々痛い目にもあったけどマジメに取り組んだおかげでそうだったんだよ、な〜んてたまには自分を持ち上げてみようぜ、という事を未来に向けて残しておこうと思います。


あ、学生さんに向けても「色々やってみようぜ! 特に女性の方、というか女性限定でITやりませんか! たぶん10年ぐらいは食えるよ!」ってな事をメッセージとして送りたい。
日本の未来のために。。

2011年を振り返る

こんばんわ、今年もあとわずかとなりました。


もう年内にすることも紅白を見てハッスルするだけですが、ちょっと思い立って、ここで1年を自分なりに振り返ってみたいと思います。


ん?なぜそんな事するのかって? そりゃあ、まぁ、やっぱ歴史として記録を残せたからこそ、DNAでだけ歴史を伝える生物達より遥かに高い進歩を生み出したわけじゃないですか。記録して振り返るってのは大事なんですよきっと。


というわけで、つらつらと今年の大きな出来事を思いつくままに連ねてみます。


東日本大震災
②欧州債務危機
③エジプト独裁政権崩壊
リビア独裁政権崩壊
ビンラディン死亡
金正日死亡
イチローの連続200本安打記録途切れる
武豊の連続G1勝利記録途切れる


こんな所でしょうか。あと、個人的にはこれらに勝るとも劣らない、ライブドアショックリーマンショックが同時に訪れた級の出来事がありましたが、まぁ深くは追求しないという事で。


まず、なんと言っても①東日本大震災が今年の最大の出来事です。


この震災は本当に多くの人々の人生を狂わせ、傷つけました。
津波によって自分の家族が流されてしまうという現実は、自分の想像できる悲しみを遥かに超えた所にあり、安易に励ましの言葉をかける意味すら見失わせてしまいます。


しかし、そのような中で生きて残っている人々の生きる意味、というようなものに私達は寄り添っていく事はできるのではないかな、と思います。
私個人も色々と悲しみに襲われはしましたが、やはり目に見えない支えがあって初めてやっていけるのだと思い知らされました。


大変な事があっても、きっと、無くすばかりじゃないですよ。
今まで「当たり前」だと思っていたものが「当たり前じゃなかった」と気付くだけで、結構、いい事ありますよ。ゆっくり、確かに生きていこう。


そして、②欧州債務危機ですね。
いや、これってそもそも何?って感じですが、EU内の不良国家が借金踏み倒そうとしてこうなった、って事なんですかね。


あまりに大きい話なので、個人的な部分に置き換えて考えてみると、やっぱり生活する上で自分が消費するなりサービスを受けるって時に、「本当にこれは自分に見合ったサービスなのか?」って事をもっと真面目に考えた方がいいと思うんですよね。個人個人が「クレクレ君」になったり、「分不相応な出費」を続けてたら、そりゃ国も破たんするのは道理だと思うんですよ。
お金は、ない所からは生まれない。大変だけど、出所をきちんと見極めよう。


そろそろ紅白も始まってしまった。。。一気にいくぞ!


③エジプト独裁政権崩壊
リビア独裁政権崩壊
ビンラディン死亡
金正日死亡
イチローの連続200本安打記録途切れる
武豊の連続G1勝利記録途切れる


これらは、一つの象徴、カリスマの時代の終焉を感じさせます。


これは、彼らの圧倒的な力が衰えたのと同時に、その他大勢の民衆が力を付けて底上げが図られてしまった事もあるように思います。


一人の圧倒的な力に支えられる時代はもうじき終わってしまうのかもしれません。今後、マイケル・ジャクソンに匹敵する歌手が出てこないだろうと思われるように一種の寂しさがありますが、その分、一人ひとりで何かに頼らずに生きていかねばならないという事かもと思います。


以上、おおざっぱですが、もう紅白がやばいのでいってきます!


皆さん、よいお年を!!

十二国記の世界①(はじめに)

皆さんは十二国記という物語をご存知だろうか?


もう10年近く前にNHKで映像化された作品だけれども、ひょんな事から勧められて最近鑑賞を始めた。
http://www.12kokuki.com/


まだ始まりを見たにすぎないが、十二国記とは大雑把に言えば、一人の少女が「真の王」となるまでの成長物語だ、と思う。


「真の王」とは何なのだろうか。王とは国を統べる存在だが、私達は長い間王と呼べる存在から遠ざかってきた。


自分が思うに、王とは突如として現れるものではなく、様々な人々に「担がれて」始めて存在できるのではないだろうか。しかしながら、私達は王というものから離れすぎ、その担ぐべき神輿すら見分けられないでいるのではないだろうか。誰もそれを認識できない中で、この複雑化した世界で確かな王を生み出す事は難しい。


きっとこの物語には、王というものの持つべき資質、中でもとりわけ重要な「王の言葉」がたくさん詰まっているはずだ。


今後のこのシリーズでは、鑑賞記と共に様々な「言葉」を拾っていきたい。
鑑賞もかなり不定期なのでどこまで拾っていけるか未知数だが、今、改めてこの作品を通して王について考えてみよう。


なお、この物語の主人公は中嶋陽子という、いわゆる優等生だけれど他者との関わりが苦手なメガネっ子女子高生だ。今後は筆者の都合により、「ヨーコたん」と名称を統一させて頂く事を了承願いたい。


それでは今日はこの辺で。

32歳と無限の可能性

「それによ アーロン。無限の可能性なんて信じるトシでもねぇんだ 俺は」


上のセリフはゲーム「FinalFantasy 10」にて主人公の父親であるジェクトが、ちょうど映画「アルマゲドン」でのブルース・ウィルスのような究極の選択を迫られ、戦友からその選択を責められた際に吐き出したものです。
http://www.cocodevideo.com/yt/-GC3TOfZRIo.html


もう10年以上前のゲームですが、当時プレイしていたyonboはこのセリフに対して妙な違和感を覚えたものです。


というのも、ファンタジーゲームという性質上、最終的には愛・夢・希望・未来
といったポジティブなテーマが貫かれるべきであり、例えそれがゲームの脇役であったとしても、無限の可能性が開かれる事を高らかに謳いあげるべきなんじゃないかと。
なぜ、こんなセリフをあえてゲーム中に入れる必要があったのか、、、。


あれから月日は流れて、yonboも32歳になりました。


今、改めて振り返ると当時感じていた違和感は全くなくなっていました。
あるのは、「今、自分はどうするべきか」という「問い」です。
(それにしても今でも簡単に振り返れるんだよねぇいい時代になったもんだ)


この年になってみて思い出すのは、yonboが初めて社会人になった時に配属されたプロジェクトのプロマネでした。


某数字のつく銀行さんのお仕事をしていた頃のプロマネは33歳ぐらいでした。結構大きなプロジェクトで、そこを取り纏めていたプロマネはペーペーのyonboからしたら雲の上の存在です。でも、yonboの席はなぜかその人と向かい合わせでした(汗)


ある時、世間ではホリエモンが「ライブドア時価総額世界一を目指す!」等として脚光を浴び始めた頃、プロマネが「俺も33かぁ、ホリエモンに負けたなぁ、、」といった事をボソっとつぶやいたのです。


それも冗談といった調子ではなく、本気で残念がっている様子でした。
yonboは「こんな立派なプロジェクトを任されて、しっかりと実績も残しているのに、これ以上何を望む必要があるんですか!」とひっそりとその時思いました。
なんで、こんな事言うんだろうと。


でも、今ならわかる気がするんですよ。プロマネも自分の「無限の可能性」と戦っていたんだなって。


30も半ばになると、いいかげん自分の性格や適性やらがイヤでもわかってきます。変えられるもの、変えられないものがハッキリとしてきます。


いわば、20代は探求の時期、30代は実践の時期、40以降は継承の時期でしょうか。
「無限の可能性」というのはこの探求・実践の時期でどれだけ自分に柔軟性を持たせ、「変えられるもの」を引き延ばしていく事かと思います。


これは本とか文字上ではわかっていても、実際にその年になってみないとやっぱわかんないもんなんですね。。。


冒頭のジェクトは自分の世界ではもう十分に自分の可能性を追求し、今は偶然に導かれた世界で、「もらいもの」のような人生で全てを後に託す事を選びました。


自分は32歳。まだジェクトの年には余裕があります。ホリエモンだって塀の中で再起しようと頑張ってるでしょう。それを見てきっと当時のプロマネもまだまだと思っている事でしょう。


せいぜい、あがいていこうじゃないですか。


全てのアラサーの皆様方へ。。

落合監督、お疲れさまでした

ソフトバンク対中日の日本シリーズが終了しました。


結果は7戦までもつれこんでの、ソフトバンクの優勝。


そして、中日の落合監督は8年間の監督任務がこれで終了となりました。


え? yonboって野球見てたの? という指摘が飛んできそうですが、ええ、ご指摘の通り野球わからんです。


でもね、落合さんは違うんですよ、落合さんは。


自分と落合の出会いは、当時小坊の間で流行していたファミスタでした。さして野球に興味もなく、野球ゲームに面白みも見出せなかったyonbo少年は、友達との集まりでプレイするファミスタ大会にて、格好のカモでした。


いつもいつも勝てなかったyonbo少年は、なんとか勝てないものかとぐるぐるチームを眺めていたのです。すると、、、あれ、なんだこの妙に数字が大きい人は、、HR38本? 打率3割3分? 何これ、この人なら勝てるかな・・・


yonbo少年はそこで落合という選手と出会ったのでした。
あい変わらず自分のファミスタは弱っちいままでしたが、打順が一巡して出てくる落合だけは一発逆転の希望を持たせてくれたのです。まぁ、プレイヤーがヘボなのが災いして、ゲーム中では満足に活躍させてあげれなかったけれども。。


さて、リアル子供社会ではよく草野球も催されるわけで、みんなどこのファン?って話になります。やっぱり野球にあんまり興味ないyonbo少年は、内心「え〜どこでもいいんだけどな〜」とか思ってました。でも、あの人がいるし、色も自分の好きな青色だし、、、


「中日!」


yonbo少年は、半ば消極的に中日ドラゴンズのファン、という事になりました。


しかし、不思議なもので野球で落合の打席の真似をしたり、ゲームで中日を使い続けているうちに、本当に中日、そして落合のファンになっていくのでした。あんまり野球に興味ないyonbo少年ですが、人生で唯一自分で用意した野球バットも落合の銘入りのバットだったのです。



少年時代からもう10数年以上経ちましたが、選手としての落合さんも一流だったけれども、監督としても落合さんが一流だという事はもう言わずもがなだと思います。


でも、大人になったyonbo的には成績そのものよりかは、落合さんの「生き様」により強く惹かれるようになったと思います。


それは、「選手への信頼」と「引き際の潔さ」です。


落合さんって試合中、全然表情変えません。淡々と、しかし的確に采配していきます。ほんと、怖いです。体育会系ではないyonboとしては、絶対に落合さんの下ではもたないでしょう、一日で逃げ出します。


しかし、この人は絶対に人に責任を投げ出しません。その裏には、安西監督ではないですが「勝たせてあげたい・・・」という自分が率いる選手達への深い愛があると思うのです。
http://www.youtube.com/watch?v=y4XoOTJgP2A


そして、今回の解任、これだけの成績を収めながら解任というのは本人も全く納得いかないでしょうが、やはり落合さんは多くを語りません。
長嶋さんに三顧の礼で迎えられたのに、清原の加入で巨人を追われた時も、色々な思いを胸に秘めたまま潔く去りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E5%92%8C%E5%8D%9A


オリンパス事件やらナベツネやらが話題になってますが、潔さが足らず晩節を汚す将のなんと多い事かと思います。今一度、責任を預かるという事、人の人生を預かるという事、将来への希望をつなぐ事、等、将としての責任を考え直すべきじゃないかと思います。みんな、若い頃もあったんでしょ。


こんなコピペを見つけたので最後に。


落合
「勝てたのは選手のおかげ、負けたのはオレのせい」

野村
「勝てたのはワシのおかげ、負けたのはワシのせい」

星野
「勝てたのはワシのおかげ、負けたのは選手のせい」

尾花
「勝てない」


かくありたいものです。。
落合監督、お疲れ様でした。

2011年11月11日のツイート