随筆 本陣・大東京の躍進へ師子奮迅 皆が主役だ 壁を破って前へ!
2013年5月27日(月)更新:3
【随筆 我らの勝利の大道〈104〉 前進の旗 勝利の舞】
胸張りて
今日も舞いゆけ
菩薩行
今、日本全国、さらに、世界のいずこでも、地湧の青年たちが勇躍し、広宣流布に奔走してくれている。
日々、その尊き報告に接することほど、嬉しいことはない。
先日、海外の青年リーダーから頂いた手紙には、六十年前の私の「若き日の日記」の一節を書き留め、自らの決意と重ね合わせてくれていた。
それは、「私は、どこの支部も、どこの同志も、幸福であって貰いたいのだ。溌剌と、団結して、学会を、日本の、世界の、学会にすることを夢みているのだ」との一文である。
皆が幸福であれ! 全学会が勝利を!――これが、戸田城聖先生のもとで戦う二十五歳の創価の若人の願望であり、誓願であった。
この心を、世界の青年部が脈々と受け継いでくれている。学会の未来は盤石なりと、頼もしい限りだ。
◇
私が日記に、この真情を綴った昭和二十八年(一九五三年)――。念頭には、男子部の第一部隊長の任を受けて青年拡大の火ぶたを切り、江戸川、江東、墨田、また埼玉などの若き名優たちを糾合し奮闘した。さらに四月下旬からは、師の直々の命を受け、文京支部の支部長代理としても戦うことになったのである。
〈「文京」発の大攻勢〉
当時の文京は、全支部の中で低迷に苦しんでいた。皆、頑張っているのに、自信が持てず、肩身の狭い思いをして気の毒であった。
前年、蒲田支部が“二月闘争”で、まず突破口を開き、これに鶴見、足立、小岩、杉並、築地、向島、本郷、中野などの各支部が続いて、拡大の連鎖反応が起こっていった。
今度は、文京支部が壁を破れば、全東京そして首都圏が一体となっての勝利の回転が軌道に乗る。
そしてそれは、必ず全国への大きな波動となるに違いない。
一番苦労の多い地域や組織が、偉大なる可能性を開き、一番星と輝く栄光の歴史を築くための「立正安国の仏法」である。
ゆえに今、最も悪戦苦闘している文京支部で、その模範を示し、すべての同志のために、私は「勝利の門」を開く決心であった。
自分のいる場所で、まず一点突破だ。御書にも「竹の節を一つ破(わり)ぬれば余の節亦破るる」(一0四六ページ)と記されている。
私は、その後も、新たな戦野に飛び込み、札幌で、大阪で、山口で、荒川で、さらに葛飾で――勝利また勝利の金字塔を打ち立て、恩師から相伝した「絶対勝利の信心」を、全学会に漲らせていったのだ。
新出発をして五カ月後の九月、文京支部の月間折伏は二倍強の二百世帯を超え、十二月には四倍強の四百三十一世帯という拡大を達成できた。皆が胸を張り、自信に満ちていった。
この見違えるように元気になった新生・文京支部の勢いに、戸田先生はユーモアを込めて、“強壮剤”でも飲ませたのかと呵々大笑された。
◇
御聖訓には仰せである。
「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出(いだ)す事は・ただをな(同)じき事なり」(御書一一二四ページ)
大きい戦いといっても、実は日々の小事の積み重ねであり、目の前の課題への勇気の挑戦の繰り返しにほかならない。
ゆえに、一切の油断を拝し、競い起こるあらゆる魔を打ち破って、一つ一つを真剣勝負で勝ち切っていくのだ。一日一日を断固と勝ち取っていくのだ。それが「師子奮迅の力」を出して戦うということだ。
〈祈りを根本に団結〉
文京支部の勝利の要諦は、大きく三点にあった。
第一に「祈り」を根本とする団結である。
一人の力は小さいかもしれない。しかし、力を合わせれば、一人の力が五にも十にもなる。足し算ではなく、何倍、何十倍という掛け算になる。
人と人とが団結することは、決して容易ではない。号令や強制でできるわけもない。その中で「異体同心」という無敵の団結を創り上げてゆく肝要は何か。
それはまず、師匠の掲げる広宣流布という大理想を我が誓いとし、師弟共戦の祈りと行動を貫くことだ。
「信心で勝つ!」という一点で皆が呼吸を合わせ、心のギアをガッチリとかみ合わせることだ。
そして、真心を込めた、「励ましの組織」を築くことである。友の悩みを自らの悩みとし、一緒に祈り、一緒に立ち向かう、同苦の精神を最前線まで脈打たせていくことだ。
この勝利の鉄則のまま、わが東京婦人部をはじめ創価の母たちは今日も、強き祈りから決然と出発する。
《勇気と執念に輝く地湧の底力》
〈一人立つ主体者に〉
第二は、一人ひとりが、主体者の自覚で立ち上がることである。
私は、初めて出た文京の会合で、友に訴えた。
「人生は前進です。限りない前進です」「わが文京支部は、『前進』の魂を断固と燃やそう!『前進』を合言葉としよう!」と。
そして、皆で「前進」と声に出して宣言することを提案したのである。
最初は弱々しかった声も、次第に、心の底からの声に変わっていった。
誰かではない!
自分が主役なのだ!
自分が前進するのだ!
何回も繰り返し、遂に「前進!」と力強い声が轟きわたると、私は言った。
「これで勝てるよ」
文京の地で青春を生きた文豪・夏目漱石は、後輩に書き送った。
「人間は自分の力も自分で試して見ないうちは分らぬ」 「やれるだけやって見ないと自分で自分に見当のつかぬもの」
勇気ある挑戦、執念の完走によって、本当の底力が引き出されていくのだ。
私は文京の友に、「諸法実相抄」の講義を行った。
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(御書一三六0ページ)
この「地湧の義」のままに躍り出てきたのが、創価の師弟である。
自分自身も、共に戦う同志も、真正の「地湧の菩薩」なのである。この深き自覚で一人立った我らが、勇気の声、誠実の行動で、一体一の対話を広げていく時、広宣流布の波動が起こらないはずはない。
〈新しき力を育成〉
第三の要諦は、人材育成である。「新しき力」「若き力」が台頭してこそ、広宣流布は進む。
初めて会合に来てくれた友がいる。悩みを抱えて、真剣に題目を唱え始めた友がいる。勇気を奮って対話に挑戦した友がいる。目立たなくとも、黙々と動いてくれる友がいる……。
皆、どれほど尊い使命の方々か! 誰もが、大切な広布の人材なのだ!
大聖人は「諸法実相抄」の一節に、「ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず」(同ページ)と仰せである。これが、自然な人情の機微だ。
いわんや、皆、広布のために労苦を惜しまず戦う同志である。どんなに讃えても讃えきれない。
私は一人ひとりを知り、心から讃え、励まし、感謝していけるリーダーであろうと深く決意した。
この熱意と祈りに呼応してか、澎湃(ほうはい)と「新しい力」が台頭し、広布前進の潮は広がっていった。
〈学会と共に生きよ〉
懐かしき
また思い出多き
文京の
法戦しのびて
相みる同志よ
私が担当で入った頃の文京支部は、五地区二十四班で約七百世帯――。
草創の“タテ線”時代であり、同志の活動地域は、文京、豊島、板橋、目黒、品川、町田、八王子、神奈川の横浜、相模原など広範囲にわたっていた。
わが友は、それぞれの舞台で仏縁を広げ、北海道や群馬、長野、静岡など各地にも次々と組織が誕生した。妙法広布の火種は、全国規模に広がっていったのだ。
七年後、私が第三代会長に就任する頃には、七万世帯――実に、当初の百倍の大陣列となり、文京、横須賀、新宿の三支部へと大発展したのである。私がよく存じ上げている多宝会の友に、福島県浪江町の壮年がいる。誉れの文京支部員であり、男子部時代から、私と同じ心に立って、草創の福島広布の礎を築き上げてくれた。
私が部隊旗を手渡した歴戦の部隊長でもある。浜通りの同志が“一班十世帯”の拡大に挑んだ「一○(イチマル)闘争」でも、青年部の先陣を切ってくれた。
その友が、一昨年の東日本大震災の原発事故の影響のため、いわき市での避難生活を余儀なくされた。
しかし、言うに言われぬ苦労を抱えながらも、「どんな試練に遭おうと、師弟の誓いが崩れることはない」と、徹して友を励まし、支えておられる。
私は、文京支部で共に戦う縁(えにし)の同志に語った。
「学会と共に歩み抜いて良かったという日が、必ず来ますよ」と。
今、東京・世田谷の地域で獣医をされている同志からも、「本当にその通りになりました」と近況を伝えていただいている。
仏意仏勅の学会と共に歩み抜いた人こそ、三世に崩れぬ幸福の土台を築き、必ずや「良かった」と言える最高の人生を飾ることができる。全国、そして世界に光る多宝の同志が、その何よりの証明者である。
大聖人は、池上兄弟と夫人たちの不屈の団結と勝利へ戦う姿を、「未来までの物語として、これ以上に素晴らしいものはない」(御書一0八六ページ、通解)とまで讃えてくださっている。
これは、そのまま我ら創価家族の絆であると、私は声を大にして宣言したい。
〈大胆に正義の心で〉
過日、文京の壮年の有志の方々が、私の青春時代の愛読書の一つだった、懐かしき『プルターク英雄伝』を届けてくださった。
その中に、勇気や熱誠という美徳を好んだアレキサンダー大王の率先行動が、こう記されていた。
「いかなる急場にもみずから艱難辛苦を引き受けて味方を励まし続けることを常としていた」――我らが創価の師弟も、幾多の苦難の山々を、この勇気の共戦で勝ち越えてきたのだ。
私は心から願う。
愛する同志が、喜び勇んで広布に邁進することを!
私は懸命に祈る。
一人ももれなく、絶対の幸福の人生を悔いなく勝ち切ることを!
さあ、前進だ!
勇気凛々と、前進だ!
全同志が朗らかに、威風堂々と、勝利の舞を!
大胆に
正義の心で
わが友よ
いざや前進
不二の道をば
(聖教新聞 2013-05-24)