上野千鶴子『八ヶ岳南麓から』(山と渓谷社、2023)

上野千鶴子八ヶ岳南麓から』(山と渓谷社、2023)を読む


<ブックデザイン: 吉池康二(アトズ)>


腰巻から引用する。


  東京⇔山梨。
  二拠点生活のリアルを綴る著者初の「山暮らしエッセイ集」


  わたしのいまのテーマは「大好きな北杜で最期まで」。
  それにもちろん「おひとりさまでも」が加わる。
                    ーー本文より


  四季の景色や草花を楽しむこと、
  移住者のコミュニティに参加すること、
  地産の食べ物を存分に味わうこと、
  虫との闘いや浄化槽故障など想定外のトラブルに翻弄されること、
  オンラインで仕事をこなすこと、
  「終の住処」として医療・介護資源を考えること……。
  山暮らしを勧める雑誌にはけっして出ていないことまでも語られる、
  うえのちづこ版「森の生活」24の物語。

        <校正: 與那嶺桂子、編集: 稲葉豊(山と渓谷社)>



(エッセイ集は上野さんの別の一面を覗かせる)

多和田葉子『太陽諸島』(講談社、2022)

多和田葉子『太陽諸島』(講談社、2022)を読む。


(装菓: 彗星菓子手製所、装幀: 佐々木暁)


腰巻から引用する。


  世界文学の旗手が紡ぐ初の連作長篇(サーガ)三部作、完結!
  響きあう言葉とともに地球を旅する仲間たちの行方はーー。
  国境を越えて人と人をつなぐ新しい時代の神話。


  ヨーロッパで移民として生きるため、
  自家製の言語 <パンスカ> をつくり出した Hiruko は、
  消えてしまった故郷の島国を探して、仲間たちと共に船の旅に出る。
  一行を乗せた船はコペンハーゲンからバルト海を東へ進むが、
  沿岸の港町では次々と謎めいた人物が乗り込んできてーー。


  言葉で結びついた仲間たちの
  時空を超えた出会いと冒険を描く
  多和田葉子の新たな代表作。


        初出: 「群像」2021年10月号〜2022年7月号



後ろ手にかくしたミモザの花束が(春木敦子)

クリッピングから
讀賣新聞2024年5月27日朝刊
読売歌壇(俵万智選)
今週の好きな歌3首、抜き書きします。


  この春のひとつひとつをやり遂げて
  斜線を描き散りゆく桜

        千葉市 小金森まき


    【評】花を咲かせるという仕事を成し遂げて散る桜。
      その様子を、TO DO LIST に引く斜線と
      重ね合わせた見立てが新鮮だ。


  四月には新社会人
  五月には無所属新となった息子は

         金沢市 竹内一二


    【評】一ヶ月で仕事を辞めてしまった息子に、
      ユーモアを持って接しているところがいい。
      これから世に打って出るような「無所属新」という呼び方が、
      なによりのエールだろう。


  「ま」の下の「みむめも」という引き出しが
  きっと私のカルテの居場所

             東京都 武藤義哉


    【評】「ま」で始まる苗字(みょうじ)は多く、
      それ以外のマ行は一まとめ。
      大事にされていないわけではないが、
      微妙なひっかかりが伝わってきて面白い。


今週は書き留めておきたい歌が
たくさんありました。
もう3首。


  すこやかな若葉の中を抜けてきて
  子は病室のわれに「ただいま」

       たつの市 七條章子


  後ろ手にかくしたミモザの花束が
  はみ出している四歳の笑み

        鴨川市 春木敦子


  エプロンを贈ることさえ
  何らかのハラスメントか燕の声に

          足利市 坂庭悦子



(第2週の講師が万智さん。司会はヒコロヒー)


(ヒコロヒー初の小説。万智さん絶賛)

クロスケだより 053124

昨年大晦日の夜、
忽然とごはんを食べに来た黒猫クロスケ。
本日で丸5ヵ月になりました。



一日か二日来なかっただけでほぼ皆勤賞。
いまは日に一度か二度現れます。
天敵シロブチマルはこのところ見かけません。
間伐材のひのきスノコが気に入ったようです。


楽浪(ささなみ)さんが
窓越しにシャ〜〜〜と威嚇しても
一ミリも動かず泰然自若としています。

生ものは引き取れません

クリッピングから
朝日新聞2024年5月25日朝刊別刷be
読者投稿欄「いわせてもらお」


  ◉生ものにあらず

  自宅に来た買い取り業者の
  「買い取る物はありますか?」という質問に夫(80)は
  「役立たずで妻に売られそうです」。
  業者が「生ものは引き取れません」と言うと
  「もう干からびた干物です」。

       (京都府京丹後市・掛け合いに爆笑・76歳)


残してきた子どもに会えるまでは

クリッピングから
毎日新聞2024年5月25日朝刊
読者投稿欄「女の気持ち」 義姉の悲願


  4月に義姉が102歳で亡くなった。
  生前に一度だけ、私にこんな話をした。
  終戦時、旧満州(現中国東北部)のソ連との国境近くに、
  夫と生まれたばかりの女の子と3人で住んでいた。


  そこへ突然のソ連兵の襲撃。
  夫は連れていかれた。
  義姉は乳飲み子を抱いて着の身着のまま、
  ほかの日本人家族と一緒に必死で逃げた。
  走って走って……もう限界だった。


  この子だけは助かってほしい、
  と義姉は子どもを中国人女性に託したという。
  「必ず迎えに来ますから」
  互いの連絡先を交換し、義姉はわが子の証しにと、
  そのとき着せていたちりめんの産着の端を引きちぎってきた。
  今も持っているけれど、音信不通となり手がかりがないという。


  NHKで中国残留孤児の情報が放送されていたころは、
  もしや、と欠かさず見ていたが、放送もなくなって……
  と寂しそうに話していた。
  故郷の宮崎・延岡で、わが子と会える日をひたすら待ちつづけたが、
  念願はかなわなかった。


  義姉の長寿を支えたのはひとえに、
  残してきた子どもに会えるまでは、という一念ではなかったか。
  そうつくづく思う。

             神奈川県秦野市 片山玲子 無職・90歳