2014年11月09日の日記

あっという間

あきれるくらいのスピード

もう春だ

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合宿からの嵐のような1週間から開放されて。
とは言うものの、とても楽しかった。
朝ごはんや昼ごはんに食べたコンビニのおにぎりの味。
筋子や塩にぎりが美味しかった。そして甘い卵焼きも。
最後には身体が全然蛋白質や脂肪を受け付けなくなって、そんなものしか食べられなかった。
何とかギリギリで乗り切ったロシア語テスト。
木曜の小テスト2連発。
金曜日の小平練。もう夢中で、振り向かずに過ごしていたら、私は元気になっていたみたいだ。
あんぱんがすごく食べたくなって、かぶりついたそれの美味しかったこと。

今日は年末感の漂うどんより曇り空。
国分寺のピースに髪を切りに行って、インテグレートのチーク、無印良品の室内用スリッパを買った。
新しいシーツを見に行ったのだけど、新しいシーツはぜったいに必要なものではない。でも新しいシーツで寝る幸せはなかなかのものである。
晩ごはんは松屋でおろし牛めしとポテトサラダ。

部屋でひとりになって、本当にひとりぼっちになってしまった気がした。

2014年10月02日の日記

オクラとハムのパスタと蓮根とハムのパスタ。
にんにくも唐辛子も入れない。
塩と胡椒、少しのしょうゆで味付けする。
塩気をハムにすると主張しすぎない、優しい味になる。
今日は夜のお散歩コープで買ったひき肉をそぼろにして、硬くなっていたパンでフレンチトーストを作った。
体から発する臭いを抑えるために、動物性のものをやめて野菜を食べようと思っているのに、手が届かない。
米をといでいたら小さい虫が浮いていたから、母親に言ったら新米が送られた。
新米は白くて柔らかい。
米がうまく炊けないから、追い炊きすると、もち米みたいな味になる。それにひじきのふりかけを混ぜておにぎりにする。

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長井さんにどこの出身か聞かれて、奈良ですと言ったら、奈良出身の女性の喋り方が好きだったなあこうやわらかいからと言われ、確かに京都奈良は丁寧語が便利、などと思っていると京都はだめなんですよね、やっぱり奈良、と言われ、そんなことは初めてだったので、口説くのがうまいのか何なのかよくわからないままに終わった。

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ジョン・ナッシュの「ビューティフルマインド」を見た。
セックスを拒否されただけで切れて鏡を叩き割る妻、その残骸を片づけるジョン。
薬をちゃんと飲ませないで、仕事に逃げる妻。
統合失調症は、こんな甘いものではない。
好きな人の頭がおかしくなる。
ジョンにそういうことをさせることが、倫理的にだめだったのか。

2014年09月21日の日記

日曜の秋の夜の静けさにもう何も求めなくなった。
私は一人でいい。
でもそれがどうしてなのか分からなくて、私の価値観のぶれとかそういうものが酷すぎるから。
無理してたのは分かる。
何のためだ何のためだ。
憎み羨み妬み。
私は何のために頑張っているんだ。
しんどくて息苦しくて堪らない。

2014年09月07日の日記

昨日は眼科にコンタクトをもらいに行って、こだまの券を買った。
すごく眠くて、久しぶりにとても蒸し暑い日だった。
眠かったけれど、このまま帰る気力も無く、シャトードールにごはんを食べに行った。
店内から見る外は綺麗だった。
パイナップルジュースとシチュウ、パン、わらび餅的なものを食べた。
店が広くて、適度に放置してくれるところがいい。
帰りにツタヤに寄って映画を借りた。『蜘蛛女のキス』と『存在の耐えられない軽さ』。
パソコンで観ようとしたら、ソフトが無いのか、信じられないことに観られない。
押し入れから10年くらい前のVAIOを引っ張り出してきて、動いてもらう。なかなか良い。
ミッドナイトから夜明けのシネマ。

『蜘蛛女のキス』の舞台は、アルゼンチンだと思っていたが、違うのだろうか。
ウィリアム・ハート演じるモリーナ、なんて魅力的なんだ。
実際、彼はこの作品でみっつくらいのすばらしい賞を取っている。
彼は努力家で、母親を大切にするいい子で、チャーミングで、とても親切なのに、ゲイだから人生に出口を見いだせない。
ゲイだけで馴れ合うのも、彼には醜いこと。
それがどのくらいエネルギーのいることか分かるから、魅力的なのだ、私には。
モリーナは革命なんて幻想だ、と言いつつ、最後にはそのために死ぬ道を選ぶ。
ただ、彼の出自が不明瞭で、それを選んだ動機はヴァレンティンへの愛でしかないように見えるのが、少し気になる。

『存在の耐えられない軽さ』は文句無しのうまさ。
68年、西側のムーブメントが勢いを増して変わろうとしていたプラハ
ここで『冗談』がこれよりも前の時代に書かれた作品であることに気づく。
ロックバンドの演奏に合わせてディスコで踊るテレザ、ソ連占領下、写真を撮るテレザ、技師と寝ようとして涙を流すテレザ、農場の飲み屋で踊るテレザは、どれもすばらしく、とりわけ、技師とのシーンが好みである。
最後、2人の死をサビナに言わせたのだけは少し残念だった。

2014年09月03日の日記

過集中の時間が過ぎて、ぐったりとした疲労が来た。
時間というものも何もかも机上の計算では正確に見とおすことのできない色々。
時間は画鋲で留めておくことができない、何をしていたのか私自身にもわからない。
さまざまな価値観が入り乱れて存在している。
理想と結果が、とてもとても低いレベルで、大きな隔たりをもっている。
いまでもごはんの仕事がやりたくて仕方がない。
なぜ欲しいものを求めてはいけないのか、私にはわからない。
現在ではみんな特定の年齢に達すると同じのぞみが生まれるようだ。
いまはわからない。その時に達すればわかるのかもしれない。

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晩餐
たらこパスタ、はまちのカルパッチョ、ナムル、梅酒

2014年09月01日の日記

私はずっと目を瞑っていたかった。
雨が降ってたけど、箱に入って運ばれていた。
イヤホン耳に突っ込んで、じっと我慢していた。
大阪港でとん平やきと天丼を食べて、サメやエイをみた。
エイは、シッポの細長いマダラトビエイ、ホシエイとアカエイ、面白いかたちのジャイアントシャベルノーズレイ。
サメはアカシュモクザメジンベエザメ、それからコモリザメというのがいた。
丸いやわらかい形で、Nurse Sharkと言うそうな。
チンアナゴの木のスプーンをお土産に買う。
5時以降は、照明が落とされるから、子どもたちもあまりいなくて、魚も泳いだまま眠っている。
やっと本当に戻ったみたいだ。
深夜、ずっと興奮して、PCでフィッシュマンズのライブを流しながら、『冗談』をよむ。
ずっとこのままでいられればいいのにと思っていた。
でも夜が空ける前に眠りが攫っていった。

屋久島滞在


最終日は、トッピーの中で、Schafkopfというドイツのカードゲームを教えてもらった。鹿児島の街を見て、さくらに乗って、お家に帰った。
わたしがこの旅で得たものは、わたしが何も学んでこなかったという事実で、英語を喋るにも、過去形や過去分詞があやふやだったり、身近な名詞も出てこなかったりしたこと。
川で遊ぶにも、海で遊ぶにも、遊びかたがわからなかったこと。
そして反面教師になる大人にも、刺激される大人にも出会った。
子供たちが全然楽しそうじゃない親や説教しようとする大人、気の使えない大人、大学の名前だけ知りたがる大人、彼らは揃って英語が喋れなかった。

そして色々な価値観をきいた。

限られた持ち物、お金、環境の中で、何が必要で何が必要でないのかを知った。
凍らせたペットボトルとおにぎりかパン、傘、タオル、携帯電話、ノートブック、ボールペン、カメラ、日焼け止め、財布。
モンベルのTシャツとバドミントンのハーフパンツにリュックサックを背負って歩いた。
マリンブルーのいなか浜がわたしの一番好きな場所だ。
そしてわたしは入り口から庭の窓が開け放された漁民の家を覗いた。
揃って高床になっていて、わたしは水俣の人たちもこんな家に住んでいたんだろうと思った。
きっとわたしはまた別のところに行きたくなるに違いないし、まっすぐ社会に出れるかも確かでなくて、それでもいま、大学の授業を受けてるだけでは不十分で、別の色々なことをしなくてはいけないと感じた。
それが人の真似じゃだめだということも。
彼らは、自分の意見を言って、議論しようとした。
なんでかわかんないことがあれば、なんだって訊いた。
今は、大学で受けてる授業が、わたしはすごく狭い狭いものなのだと思う。

釣ってもらったお刺身は甘くてとろける味だった。甘口しょう油の焼きおむすびも、とうもろこしも、永田の商店で買っていなか浜で食べたパンも、ぜんぶぜんぶ美味しかった。
スーパーにも出している丘の上のひらみ屋さんのパンは、少し高いけど、くせになる味で、色々試した。私は「おやきピロシキ」が好き。
萌ちゃんとトースターで作ったお好み焼きも、楽しくて。
旅に出る時は、美味しいお塩を持ち歩くといいのかもしれない。

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時々、自分ではわかんないくらい世界から脱落しちゃって、自分では大丈夫だと思ってても、はたからみたらぜんぜん大丈夫じゃなかったりした。
日本語でも英語でも、人が多いと、私は上手く話せなくてもどかしかった。
私がここにいる意味や出会いや別れの意味、何処かへ行く意味が私を苛んでいったから、「あなたは悲しそうに見える」と言われたのを、否定はできない。
そこは自己肯定の場では無いし、そうである必要も無い。


私は、何者かから死に物狂いで逃げ出したく思っている。
それは、いわばサル(=ケルアック)をして、中流育ちのふつうの大学生でいることを耐え切れなくさせたようなもの。
今はみんなが同じ方向をみているわけではなくて、内向きで顔を寄せ合って狭いところに座っているような気がして、すごく息苦しかった。
みんな同じことを期待して、同じことを訊いてきたから、あまのじゃくな私は黙らせてやりたかった。