古事記伝。「こじきでん」、「ふることぶみのつたえ」とも読む。
本居宣長が40年を渡って著した『古事記』の注釈書。四十四巻。1798年完成、1822年刊。
その文献学的、実証主義的研究態度は、国学を確立させ、のちの古代文学[[研究]]に多大の影響を与えた。また、この本によって『古事記』は神典として取り上げられ重要視された。
「あか」「赤」あかとは、黄色までもを含む光の感覚。母音変換で「あけ」ともなる あけましておめでとうございます。という正月の挨拶も何か関係があるのだろうか。 読み進めると修祓と関係があるという。 是の高志の八俣遠呂知・・・彼が目は赤加賀智の如くして[記 上] ヤマタノオロチが登場した。八岐大蛇の目は赤い鬼灯のようだったと。そういう言い方をしていたのか。なるほど。 鬼灯のような赤い眼をしたオロチ。どういうわけだかいろいろな文化圏で目が赤いことがドラゴンの類の共通項のように感じるが、何か人間にとってそういうものを恐れる必要性があったのだろうか。こういうことはよくわからない。
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 日本は中国や朝鮮とは違う。 ・ ・ ・ 和歌は、日本民族の心・精神である。 ・ ・ ・ 日本民族は、恋愛の民であって、尚武・武勇の民ではない。 ・ ・ ・ 現代の日本人、特に超難関校出の高学歴なエリートやインテリは、欧米の学術書・哲学書・文学書などを原書で読むが、民族固有の「もののあわれ」や「やまとごころ」そして「惻隠の情」を持っているかどうか疑わしい。 エセ保守やリベラル左派はもちろん右翼・右派・ネットウヨクなどの人種差別主義者も同様である。 ・ ・ ・ 知の快楽 哲学の森に遊ぶ…
にいなめのまつり にいなめさい にいなめまつり しんじょうさい 日本大百科全書(ニッポニカ) 新嘗祭(にいなめのまつり)にいなめのまつり 稲の収穫を祝い、豊穣(ほうじょう)を祈る式典。「しんじょうさい」ともいう。その年の新穀を天神地祇(ちぎ)に献供するとともに、天皇自ら食す行事で、宮中神嘉殿(しんかでん)で行われた。11月の中または下の丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)の日にわたって行われ、卯の日が新嘗祭、辰の日が豊明節会(とよのあかりのせちえ)である。丑、寅の両日には豊明節会に舞う五節舞姫(ごせちのまいひめ)の帳台(ちょうだい)の試(こころみ)(下稽古)、御前(ごぜん)の試などが行…
※本コラムの内容は個人の意見であり、神職および神社関係者の総意ではない点にご留意願います。 これまでのコラムでは、3回にわたって神社存続の危機をお伝えしてきました。とくに地方にある神社は、少子高齢化、人口流出などが進み、今後も厳しい状況が続くと懸念されます。一方で、地方にあっても多くの参拝者が訪れる神社も存在します。この差はいったい何なのでしょうか? 過去のコラムでは「神社存続の危機」という重たいテーマが続いたので、今回は趣向を変え、皆さんの神社参拝が有意義なものとなるよう、知っておきたい知識や心構えをお伝えしようと思います。 若者が神社に行く理由 そもそも、皆さんが神社に行く理由は何でしょう…
文字霊日記・3567日目 久延毘古(くえびこ)=山田の案山子 =十字形に手を広げた藁人形 寒い、冷たい・・・白銀の世界・・・ 興味ある「ユウチューブ」を見つけたので・・・ ↓↑https://www.youtube.com/watch?v=xIwn83u7CvM【日本のあれこれ】 ↓↑ 久米 邦武(くめ くにたけ) 1839年8月19日(天保十年七月十一日) ~ 1931年(昭和6年)2月24日 歴史学者 幼名 泰次郎→丈一郎 号 易堂 家族 父 久米楽只 - 佐賀藩士 妻 釆 - 小野保知の四女 ↓↑ 岩倉使節団に同行 『特命全権大使 米欧回覧実記』著作 1888年(明治二十一年) 帝国大学…
始発電車で筑波山へ。早速朝日が迎えてくれた、ワクムスビを祀る『蠶影神社』。 2024,11,10 先週の連休は常陸国へ行ってきました。そこに至るまで紆余曲折あったのですが…、決意したのはほんの3日前。きっかけはグーグルマップで、偶然マゴコロ夫妻神らしき痕跡を見つけてしまった…。しかもこれがレイラインとなっている…。 熊『筑波山か…』 熊『楽しそうだなぁ〜』 声『じゃろ?』 北関東は宮下氏族吉田家ゆかりの地でもあり、謎の神社がいっぱいあります。ついでに茨城県内水戸・大洗・新治をグルっと回ってきたので、機会があればご紹介します(別記事)。個人的には2018年にバイクで筑波山と桜川周辺を参拝していた…
奈良時代に編纂され現存する日本最古の歴史書の『古事記』の解説をした『古事記伝』を執筆した江戸時代の国学者、本居宣長(1730年~1801年)が61歳の時、自画像の余白に書いた言葉である。 現代文に直せば、日本人の心は何かと人が尋ねたなら、朝日に照り輝く山桜のようなものだと答えよう、ということになる。 「大和心(日本人の心)」とは中国かぶれの「漢心(からごころ)」に対する言葉であり、今日の心理学や社会学において、「自分は何者なのか」という概念をさし、「自己同一性」「存在証明」とも訳される日本人のidentity(アイデンティティ)を示した言葉であると言えよう。 日本人であることのアイデンティティ…
ブログ「今日も生涯の一日なり」は、2024年9月で丸20年休みなく毎日書き続けてきたことに気がついた。 2004年9月28日からブログを始めた。プロ野球の楽天が私の住む仙台に本拠地を構えることになったのを機会に楽天のブログを開設。一日数行ほど書いていくうちに思いがけず1ヶ月続いた。最初の目標は冗談で松井秀喜の連続出場1768試合と言っていた。2010年に名球会の2000本安打の2000日を越えた。以下、追い抜いて来た記録。張本勲のヒット数の日本記録3085本。ピート・ローズのメジャーリーグ記録4256本。イチローの日米通算記録4367本。 5000日を越えたあたりから野球以外にも目が向いてきた…
「縄文と神道」から読む日本精神史 (テンミニッツTV講義録 3) 作者:田口 佳史 ビジネス社 Amazon 最近、なにかと話題の「縄文」文化の本。歴史ってどんどん塗り替えられていくんだね。日本ってスゴイなあ。日本人って昔からそうだったんだね。(^^) 「10MTV講義録第3弾。世阿弥、松尾芭蕉、石田梅岩、西郷隆盛、松下幸之助・・・躍動する生命力、清明心、安堵、勤勉。私たちが本当に大切にすべきものとは?現代人の悩みこそ、「伝統精神文化」を忘れたがために生じている「アイデンティティ」の危機である」そのエッセンスを紹介しよう。 ・私は「森林・山岳・海洋・島国国家」としての日本の地理的特性をふまえた…
18歳からの脱奴隷論 「アメリカの失敗」から学ぶ民主主義の未来 作者:ロバート・D・エルドリッヂ,及川幸久 WISDOM BOOKS Amazon 先日、はじめて講演会に行ってお会いした及川幸久氏。テーマは、「CBDC時代の危険性と心構え」朝6読書会/第一回「独立と主権回復を考える会」アメリカ大統領選挙から見る日本と世界の行方」。いや〜良かった〜!!!こんな情報がなぜ日本に流れていないのか!!もっと学ばなければ!と及川さんの本をいろいろ読んでみました。 この本もわかりやすかったねー。↓ lp6ac4.hatenablog.com さて、この本は、タイトルから想像した内容とまったく違っていた! …
3:56起床、8:23出発 昼食「すきやき・牛しゃぶ 松重」 一度は食べてみたかった松阪牛。この店は前々からチェックしており、絶対に行きたかった。せっかくだし、すきやき・しゃぶしゃぶのコースを選択してみるのも面白そうではあったんだけど。大した舌を持っているわけでもなし、「松阪牛を食べた」という実績が欲しいだけで選ぶものでも無いだろうと。というわけで、1日15食限定の「朝姫丼」を選択。もちろん美味しかったけど、どこまで味の違いを感じられたのか。とりあえず、松阪牛を食べられて満足。 177.松坂城跡 (三重県松阪市)(100名城 19) 1588年に蒲生氏郷が築城した城。建築物は失われており、石垣…
本居宣長のカミの解釈。尋常ではなくて、すぐれた得があり、恐れ多いものをカミという。「尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ)き物を迦微(カミ)」 神社などに奉祀される霊。人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。雷。なるかみ。虎・狼・蛇なども入るかも。 「さて凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ)に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其(ソ)を祀(マツ)れる社に坐(ス)御(ミ)霊(タマ)をも申し、又人はさらにも云(ハ)ず、鳥(トリ)獣(ケモノ)木草のたぐひ海山など、其余何(ソノホカナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、…
「古事記」の国生みの条によると、伊邪那岐命と伊邪那美命が天の浮橋に立って、天の沼矛(ぬぼこ)を指し下ろして、海を「こをろこをろ」とかきまぜて、引き上げた時、矛の先から塩がしたたり落ち、積み重なって「おのころ島」になったという。 伊邪那岐命と伊邪那美命は、おのころ島に降り立って、天の御柱を立て、八尋殿(やひろどの)を建てた。そして天の御柱の周りを回ってからまぐわい(性交)をして、日本列島を生んだ。 この「おのころ島」の候補は多数あるが、沼島もその一つである。天の沼矛と同じ沼の字が島名についているので、島民は沼島を日本始まりの島と信じている。 沼島八幡神社の絵馬に描かれた天の沼矛を持つ伊邪那岐命と…
注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。 (56)科学の再構築 1)科学の方法 科学の方法については、議論が続いています。 英語版のウィキペディアの、「History of scientific method」は、科学の方法の歴史には、「帰納的実験方法の出現」と「演繹法と帰納法の統合」の2段階があるといいます。 「演繹法と帰納法の統合」の説明の末尾は、次のように書かれています。 < これらの議論は、「科学的方法」を構成するものに関して普遍的な合意がないことを明らかに示している。それにもかかわらず、今日の科学的探究の基…
本居宣長と言えば「古事記伝」。その話が中心なのかと読んでみたら、いい意味で裏切られた。そんな『本居宣長』。知の巨人が日本文化の全体像を「もののあはれ」と断じ、商人の家(小津家)を継がず、道ならぬ恋に悩むという亀裂を内に抱え、古代文献の読解を飛躍的に精緻にした古典学者・本居宣長。そんな宣長が「古事記伝」に取り組む前に著していた「源氏物語」論について丹念に論じており、逆にメインな「古事記伝」について論じていないところが、彼の凄さを際立たせている。そんな人物像を楽しませてもらった。
注:これは、ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー「因果推論の科学―「なぜ?」の問いにどう答えるか」のコメントです。 (48)メンタルモデルで整理する(前編) 1)「因果推論の科学」の目標 「因果推論の科学」は啓蒙書(入門書)です。 計算式がのっていますが、計算をして、確かめることを想定していません。 パール先生の「入門統計的因果推論」には、数値例や練習問題がのっていますので、「因果推論の計算ができるようになる」という目的にためには、「因果推論の科学」ではなく、「入門統計的因果推論」を使うべきです。 つまり、入門書(「因果推論の科学」)が、常に、専門書(「入門統計的因果推論」)より、易しいと…