プロ野球選手・指導者・解説者。
通称「サブマリン」。
右投右打、ポジションは投手。背番号は17番。
1948年7月29日生まれ。秋田県出身。
能代高校から富士製鉄釜石製鉄所*1に入社し、1年目で都市対抗野球に出場。
1968年、西鉄ライオンズのドラフト11位指名を拒否。
翌1969年、ドラフト1位で阪急ブレーブスに入団。
1年目より一軍に定着、2年目の1970年、10勝を挙げる。
1986年まで17年連続二桁勝利。
アンダースローの投手として、独特のサブマリン投法でブレーブスの絶対的なエースとして君臨。
1970年代のブレーブス黄金時代を築いた。
1975年から1977年まで、3年連続MVP受賞。*2
1977年から1988年まで、12年連続開幕投手の日本記録・世界タイ記録を達成。
1970〜80年代を代表する投手として活躍し、通算284勝を挙げた。
1988年、阪急ブレーブス身売りと同時に現役引退。背番号17番が永久欠番とならなかったことが惜しまれる。
1989年、NHKの野球解説者となる。
1995年、オリックス・ブルーウェーブ投手コーチに就任。
球界屈指の投手陣を作り上げ、同年のパリーグ優勝に貢献。翌1996年のリーグ連覇及び日本一に大きく貢献した。
同年オフに仰木彬及びフロントとの確執により、退団。NHK野球解説者に復帰。
1998年、星野仙一に三顧の礼で迎えられ、中日ドラゴンズの一軍投手コーチに就任。
投手王国を完成させ、1999年、チームをリーグ優勝に導いた。
2001年の星野監督退団により、監督に昇格。コーチ時代より引き続き投手陣の確立を行った。
2003年9月9日、成績不振を理由に休養*3
退団後はCBCと日刊スポーツで野球解説者を務める。
マスターズリーグ・大阪ロマンズの選手として活躍。
2005年、中田昌宏の後を受け、ブレーブス・ブルーウェーブOB会長に就任。
2006年、野球殿堂入り。
2007年、出身地能代にある能代球場の愛称が、「山田久志球場(サブマリンスタジアム)」と命名される。
また、秋田県のアマチュア野球最優秀投手賞に「山田久志賞」と冠される。